那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

風狂について

2013年03月01日 | 風狂考察
あっという間に二月末。本当は微笑禅の会ネット会報を書くべきときだが、余りにも「重要な雑務」が多く、なるべく簡単に引用で済むブログでお茶を濁すことにした。

昨日一休禅師の歌を紹介したついでに再度「風狂」について考えてみた。
一休さん(後小松天皇の落胤とも言われている)の生まれたのは室町時代。
 室町時代は「広義には、1333年の鎌倉幕府滅亡と建武新政の開始から、1573年の足利義昭の追放による室町幕府の滅亡までを言う。足利時代とも。朝廷が分裂して対立した前期を南北朝時代、応仁の乱から関ヶ原の戦いまで全国で戦乱が起こる後期を戦国時代とすることもある」と言われている通り、非常に長い時代を指す。

そこでふと「一期は夢よ ただ狂へ」という文句を思い出した。それで検索をかけると面白いブログに出合った。http://blog.goo.ne.jp/cookie_milk/e/323dca070453f0c04f043dd47e6113a2より引用する。

くすむ人は見られぬ 夢の夢の夢の世を うつつ顔して

――まじめくさった人なんて見られたものじゃない。夢の夢の夢のようにはかないこの世の中を、さも一人悟ったような顔つきをしてさ

何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え

――何になろう、まじめくさってみたところで。所詮、人生は夢よ。ただ面白おかしく遊び暮らせ

(閑吟集 54、55番)


※「くすむ」:非常に謹厳で分別くさい顔をしている、の意
※「狂」:忘我遊狂の意


室町時代の小歌集『閑吟集』より。
編者は序文で自らを「ここに一狂客あり」といい、本名を明かしていません。
この序文がまた美しい。
「小歌の作りたる、独り人の物にあらざるや明らけし。風行き雨施すは、天地の小歌なり。流水の淙々たる、落葉の索々たる、万物の小歌なり」
「命にまかせ、時しも秋の蛍に語らひて、月をしるべに記すことしかり」
なんて、これ自体が文学ですよねぇ。

馬場あき子さんは『閑吟集を読む』のなかで、「私はことにこの『梁塵秘抄』から『閑吟集』への過程において、日本語はもっとも美しく洗練された日常語をもち、歌謡の世界にはそういう日常語が生きていると思っています」と言い、また「狂うということはひとえにやりきれない日常を脱出するただひとつの手段でしたし、その日常の秩序のなかに、どうしても住みきれない、入って行けない自分というものを卑下して、「狂」と呼ぶことによって、逆に自分を受け入れてくれない日常や、従いきれない浮世の常識、掟、しきたり、といったものを侮蔑する精神的自負にもなっていたのであろうと考えられます」と言っています。

そんな一狂客が紹介した上記2首。
これらは決して自暴自棄になった無責任な歌ではありません。
辛く苦しいこの世(憂き世)は、所詮儚い浮き世である。それならば、夢の間の人生をぱぁっと思う存分楽しく生きよう。
そんな心を歌った歌です。

司馬遼太郎は「何せうぞ」の歌について、『この国のかたち<3>』のなかで次のように言っています。
「これはおのれへの励ましであって、虚無的なものではなかった。禅が流行し、念仏がいよいよ大衆化し、ひとびとは前世からきて後世へ去ってゆく今生の一瞬をより充実しようとしていたのである」
なお全311首中、三分の二を占めているのは恋の歌でした(^^) 

今回ご紹介した歌の現代語訳は『閑吟集』(岩波文庫)より拝借しました。
________________________
とある。


そこで、この時代庶民の間で流行した「幸若舞」と言えば有名な

人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ(敦盛)

を思い出す。

一休禅師の歌、閑吟集、幸若舞を通し共通低音として流れているのが風狂という世間を見るアングルとライフスタイルであり、リアリズム、諦観の末の一見ヤケッパチのような態度ながら、時代を生き抜く智慧とエネルギーの宝庫にも思える。

この問題およびこの時代は極めて面白いのでいずれ改めて取り上げることにする。



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