那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

君死にたまふこと無かれ:与謝野晶子のことなど

2013年09月01日 | 歴史

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私の代表する「八王子五行歌会」(草壁焔太先生主宰)がこつこつと努力を重ねた甲斐があり、だんだん賑やかになってきた。投稿された作品がきっかけになって、私が大好きな歌人・与謝野晶子の話題になり、今日のブログは彼女について書くことにした。華麗な才能に溢れ、しかも良妻賢母の典型のような人で、私は彼女の歌だけでなく人柄も大好きである。

そこで、先ず余りに有名だけれど、意外と知られていない彼女の詩を全文引用する。

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あゝおとうとよ、君を泣く
君死にたまふことなかれ
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃をにぎらせて
人を殺せとをしへしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや

堺の街のあきびとの
旧家をほこるあるじにて
親の名を継ぐ君なれば
君死にたまふことなかれ
旅順の城はほろぶとも
ほろびずとても何事ぞ
君は知らじな、あきびとの
家のおきてに無かりけり

君死にたまふことなかれ
すめらみことは戦ひに
おほみずから出でまさね
かたみに人の血を流し
獣の道で死ねよとは
死ぬるを人のほまれとは
おほみこころのふかければ
もとよりいかで思されむ

あゝおとうとよ戦ひに
君死にたまふことなかれ
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまへる母ぎみは
なげきの中にいたましく
わが子を召され、家を守り
安しときける大御代も
母のしら髪はまさりぬる

暖簾のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻を
君わするるや、思へるや
十月も添はで 別れたる
少女ごころを思ひみよ
この世ひとりの君ならで
ああまた誰をたのむべき
君死にたまふことなかれ

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この歌を巡るwikipediaの記述も以下に引用する。

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晶子と親交の深い歌人であったが国粋主義者であった文芸批評家の大町桂月はこれに対して「家が大事也、妻が大事也、国は亡びてもよし、商人は戦ふべき義務なしといふは、余りに大胆すぐる言葉」と批判した。晶子は『明星』11月号に『ひらきぶみ』を発表、「桂月様たいさう危険なる思想と仰せられ候へど、当節のやうに死ねよ死ねよと申し候こと、またなにごとにも忠君愛国の文字や、畏おほき教育御勅語などを引きて論ずることの流行は、この方かへつて危険と申すものに候はずや」と国粋主義を非難し、「歌はまことの心を歌うもの」と桂月の批判を一蹴した(日露戦争当時は満州事変後の昭和の戦争の時期ほど言論弾圧が厳しかったわけではなく、白鳥省吾木下尚江中里介山大塚楠緒子らにも戦争を嘆く詩を垣間見ることができる)。

大町桂月は『太陽』誌上で論文『詩歌の骨髄』を掲載し「皇室中心主義の眼を以て、晶子の詩を検すれば、乱臣なり賊子なり、国家の刑罰を加ふべき罪人なりと絶叫せざるを得ざるものなり」と激しく非難したが、夫・与謝野鉄幹平出修の直談判により、桂月は「詩歌も状況によっては国家社会に服すべし」とする立場は変えなかったものの、晶子に対する「乱臣賊子云々」の語は取り下げ、論争は収束する。この後、1925年(大正14年)6月11日、桂月は57歳で病没するが、『横浜貿易新報』に晶子は追憶をよせた。

この騒動のため晶子は「嫌戦の歌人」という印象が強いが、1910年(明治43年)に発生した第六潜水艇の沈没事故の際には、「海底の 水の明りにしたためし 永き別れの ますら男の文」等約十篇の歌を詠み、第一次世界大戦の折は『戦争』という詩のなかで、「いまは戦ふ時である 戦嫌ひのわたしさへ 今日此頃は気が昂る」と極めて励戦的な戦争賛美の歌を作っている。満州事変勃発以降は、戦時体制・翼賛体制が強化されたことを勘案しても、満州国成立を容認・擁護し、1942年(昭和17年)に発表した『白櫻集』で、以前の歌「君死にたまうことなかれ」とは正反対に、戦争を美化し、鼓舞する歌を作った。例えば、「強きかな 天を恐れず 地に恥ぢぬ 戦をすなる ますらたけをは」や、海軍大尉として出征する四男に対して詠んだ『君死にたまうことなかれ』とは正反対の意味となる「水軍の 大尉となりて わが四郎 み軍にゆく たけく戦へ」など。このようなことから、反戦家としては一貫性がなかった。

日露戦争当時に「幸徳秋水の反戦論は大嫌いだ」と公言しているが、大逆事件では秋水ら死刑になった十二人に「産屋なる わが枕辺に 白く立つ 大逆囚の 十二の棺」という歌を1911年(明治44年)3月7日に『東京日日新聞』に発表している。刑死者の一人大石誠之助は『明星』の同人で関わりも深く、また女性でただ一人死刑となった管野スガは未決在監中に平出修弁護士に晶子の歌集の差し入れを頼んでいるが、晶子は直接差し入れなかったことを悔恨して小林天眠への手紙に残している。

1911年(明治44年)に『青鞜』発刊に参加、『そぞろごと』で賛辞を贈って巻頭を飾り、「新しい女の一人」として名を寄せた。同年、文部省内務省が文芸作品の顕彰と称し、諮問機関・文芸委員会を作ったことに対し、晶子は「栄太郎 東助といふ 大臣は 文学をしらず あはれなるかな」と皮肉に満ちて批判的な歌を作っている。文芸委員会に対しては、夏目漱石も「最も不愉快な方法で行政上に都合のいい作品のみを奨励するのが見えすいている」と言っている。

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彼女の反戦思想にブレがあったのか、それともその時その時に確固たる信念があったのかは分からない。

ちなみに、私は父が64歳のときに生まれたので、父の長兄は日露戦争で旅順で戦死している。郷土の村では唯一の志願兵だったらしい。葬儀には県知事も訪れ、墓石は県道沿いに石碑のように建てられ地元の人が供養を欠かさなかったが、時代の変化に伴い県道拡張工事に伴って(だと記憶しているが)、この石碑を移動する案が起こり、私の従兄に当たる人がノイローゼになるほど悩み交渉した結果、どうやら元の位置に落ち着いていると聞く。ちなみに私の父は戦前は大尉相当官だった。校長時代のことか助役時代のことかは分からない。ついでに言えば、戦前の教員は宮内庁から位階を叙位され、父は正六位だった(華族は従四位以上)。つまり陛下の臣民としての教育者だったのである。父は当然天皇陛下を尊敬していたが、決して自慢しない性格だったせいか、そのような賞状や数多くの勲章は皆タンスに入れて一人っ子の私にも教えなかったため、死後発見したものである。小学校時代の優等賞の賞状を除き、いつの間にか散逸しているようだ。母の上京後は親族たちが家を整理したためである。直筆の芥川龍之介の色紙や石原純の短冊などあったが、これも私が大学生時代に母が処分してしまった。

話を元に戻す。wikiの記事を見ていると、あの時代にしては意外に自由な思想が許され、交流関係も懐が深かった様子が分かる。与謝野晶子の反戦歌も、反天皇ではなく、反戦であり、軍部や役人の太政官的な横柄な態度に文学者たちが反発した様子が分かる。太宰治も元々は共産主義者で活動もしていたようだが、大東亜戦争では逆に日本浪漫派になり、戦争を肯定した。

小林秀雄の言説もwikiから引用すると

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太平洋戦争勃発時には積極的に反戦姿勢を示さず、また戦後「頭のいい人はたんと反省するがいい。僕は馬鹿だから反省しない」と開き直ったかのような態度をとったことから、いち早く右翼的立場から左翼的立場に転換した人々広く非難を浴びた。一部には、これを敗戦後に戦前とはうってかわって、「右翼的文化人」から「左翼的文化人」に変貌した当時の大多数の知識人らと比して立派であると逆に評価する声もあるが、「反省しない」と言う言葉を用いて、戦前の言動を正しかったとか、悪かったとか戦後の世間一般の価値観でもって自分自身を肯定・否定しているわけではなく、戦争に負けたとたんにその立場を180度転換した戦後の世間一般の価値観でしか己の立場を決定できない人々を小林は「頭がいい人」と揶揄し、批判したのである。(『考えるヒント』読者 より)

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とあり、つまり一流の文学者たちは「流行に左右される大衆やポピュリズム知識人に反発した」と、私は好意的に解釈している。現代の日本には社会の木鐸として警鐘を鳴らす「マスコミも評論家も知識人も教育者も絶滅した」と言われるほど閉塞しているので、私は与謝野晶子、太宰治、小林秀雄の闊達な意思表示を称えたい気持ちになる。

与謝野晶子の名言も紹介しよう。http://tamiyataku.blog.fc2.com/blog-entry-195.html より

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与謝野晶子語録全8件


「厭々(いやいや)する労働はかえって人を老衰に導くが、自己の生命の表現として自主的にする労働は、その生命を健康にする」

「才能のある人の間で猛烈な競争をかいくぐってきたたくましさがないと、大きな試合では勝てない」

「人間は何事にせよ、自己に適した一能一芸に深く達してさえおればよろしい」

「創造は過去と現在とを材料としながら新しい未来を発明する能力です」

「夫婦は毎日毎日愛の創作をしているのだ」

「若さの前に不可能もなければ、陰影も無い、それは一切を突破する力であり、一切を明るくする太陽である」

「私たちの夫婦関係は毎日毎日新季蒔直(まきなお)しを試み、毎日毎日以前にない新しい愛の生活を築き上げているのです」

「特別に女子のためとして作られた書物は、全て女子を低能児たらしめる劣等の書である」
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私は与謝野晶子の良妻賢母ぶりや夫婦愛について多少の知識があるので、このような賢婦人がそばに居ればなぁ、と素直に思う。しかし、反論したい名言もある。

「才能のある人の間で猛烈な競争をかいくぐってきたたくましさがないと、大きな試合では勝てない」

これは現代では頂けない。バブル崩壊以降、私は「芸術家は死んだ」という言葉(ロラン・バルトだったかな?)をつくづくと実感した。作品は大したことがないのに、自己プロデュース能力が長けた「自称芸術家」が、批評能力の欠落した批評家や学芸員たちを詐欺師のように巧みに騙し、ロビー外交で受賞するという姿を嫌になるほど見てきたからである。

私の持論は、「趣味道楽遊び娯楽」が人間にとって構造的に必要なものであり、これを包括概念とすれば、芸術はその中のごく一部の過剰なものであり、娯楽と芸術の境界線は恣意的に生まれた、というものである。もちろん、だからと言って芸術が嫌い、ということではない。趣味道楽が無いと人間は生きられないという当たり前のことに気付いただけで、私は多数の論文や評論文、批評文を書いてきたが、それは「趣味」であり、面白いから書いたまでであり、そのことによって自己宣伝をする気はさらさらなかった。私の文章は多くの紙媒体に載っているが、ほとんどが依頼原稿である。

貧すれば鈍す、というが、映像関係を含め自称芸術家の中には「営業マンになったほうがいいんじゃないか」と思うほど、宣伝能力に長けた人物が多くなり、私は「芸術」という言葉を使うのさえ嫌になっている。だから、与謝野晶子の名言の一つは現代には通じない、と断言する。ただの趣味です、と謙虚にしているほうがずっと品がいい。

またこれは私自身の個性に由来する感慨だが、

「人間は何事にせよ、自己に適した一能一芸に深く達してさえおればよろしい」

との格言にも反発を抱く。私はいつも「器用貧乏の典型」と自称していて、興味の対象は?と聞かれると、「宇宙の全て」と答えて相手を煙に巻くのが大好きだ。私自身の個性ではあるにしても、同時に、オタクと言われ得意な分野以外は無知な人々の多い中、100芸に深く達するのもいいではないか、と思う。実際には10芸ぐらいが関の山にせよ、あらゆる分野に関心がある、という複眼的興味を失うと「オタクのまま大人になった知識人」となり下がり、総合的な感性や価値判断が狂ってくる。今はそういう時代で、本物が消えてしまった。

最後に

「特別に女子のためとして作られた書物は、全て女子を低能児たらしめる劣等の書である」

という言葉には驚いた。昔もそうだったのか、という驚きである。食堂や理髪店などで女性週刊誌が置いてあるのを手にすると、読むべき記事が一頁もないことに唖然とし、それ以来、手にしないようにしている。

化粧、ファッション、セックス、食べ物、嫁姑争い、迷信、恋占い、都市伝説、芸能人の噂・・・ほぼこれだけだ。この手の週刊誌の編集長は「完全に女性をナメている」確信犯だと思う。こんなものを1年も続けて読めば当然バカになるだろうし、知的女性は退屈でとても読む気が起こらないだろう。しかし、何十年もこの路線が変わらない。私はこの種のメディアを「日本人愚民化のためのデバイス」だと見切っているが、読む人が居るんだから、想像もつかない現象である。

最後に私の好きな与謝野晶子の短歌を幾つか紹介して今日のブログを終えることにする。有名だから皆さんご存知の筈。しかし、素晴らしく華麗な才能ですね。

金色の 小さき鳥のかたちしていちょう散るなり 夕日の丘に

清水へ 祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人 みなうつくしき

その子二十 櫛にながるる黒髪のおごりの春の うつくしきかな

道を云はず 後を思はず名を問はずここに恋ひ恋ふ 君と我と見る

鎌倉やみ仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな

 んとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな

海恋し 潮の遠鳴りかぞへては少女となりし 父母の家

 




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1 コメント

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Unknown (セクハラレンジャー)
2013-09-05 01:08:08
だから 何が言いたいのかなー?確か 世直しが タイトルだったような・・。意味不明 先が見えない つまり 雑音程度。不気味だから静かにしててくれないか。
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