未熟者武道記

空手徒然。
二つの戈を止める武を核とし、諸諸と調和して溶け込んで。(いけたらいいな)

つまらないの底

2018-06-27 00:28:57 | 雑感
折角稽古に来ても終始詰まらなさそうにしてる子が居ます。その場合私は周りに迷惑を掛けないのであれば放置します。その子を愉しませようともテンションを上げてもらおうとも思いません。一時的にその時間だけ取り繕えても次回また同じ事の繰り返しだからです。でも此方が帰っていいよと言っても絶対に帰らない不思議。本当に帰ってもらって結構なのですがね(笑)

空手に限らずですが、こういうタイプの子(成人も然り)は「空手が面白くない」「勉強が面白くない」と言うのです。あと直ぐに「無理」と言います。取り敢えず自分が楽しめないのは周りのせいだと思考の据え置きをしております。

が、実際は真逆で詰まらないのはその人自身。
自分が詰まらない人間だから楽しむことが出来ない。これがこの手合いの浅い丸見えの底です。詰まらないと言われたら詰まらんのはお前だと言ってやって構わないと思います。事実ですから。

出来るから楽しい、或いは出来る見込みがあるから楽しいのです。そらそうです。バカが勉強好きな訳ない。例え要らん事して毎回叱られていても進んでいる実感のある子は楽しそうに稽古に来ます。大して出来もしないのに始めから変なプライドを持つから拗れてくる。誰も他人のそんな小さな自尊心など気にかけていないんですけどね。期待もしてないし。

一つでも出来る事を増やして成功体験を作る事が大事なのですが、空手だとこういうのに限って大技で一発逆転を狙って失敗し袋小路へinしていきますな。状況が楽しくないなら自分が変わる他なし。でないと何をしてもその状態を呼び寄せる。嫌々身を置くのなら辞めるのも一つの手でしょう。

けど、バカは自分をバカだと認め弱きは自分を弱いと認める。そこでどう考え動くかが浅いところから深いところへ進み始める第一歩だと思います。面白さは降ってきません。ちゃんと出来るようになれば楽しみ方も見つけられるでしょう。面白さは自分で創るんです。




.

良い技は老若男女を問わず

2018-06-21 23:28:13 | 稽古
今週は基本稽古で引き足を意識して鞭のように使う練習をし、そこから内腿への蹴り、所謂インローキックへ。

引きの技術はとても大事です。精神的にも技術的にも。
引き足を使うことで脚をしならせながら蹴る。すると万人の痛覚に訴える蹴りが生まれます。体躯に差があっても皮膚はベチベチ叩かれると痛い。ルールがあるなら昨日今日始めたような下手でも体力にモノを言わせて勝ちを得るパターンが殆どですが、ルールを外れた時は技の質がモノを言うのです。

良い技は年齢性別に関係なく使える。
園児が6年生を悶絶させて嬉しそうな顔をしていました(笑)

小枝を武器として扱うにはどう振るか。
体の使い方という言い方や説明は偉そうで絶対的なそれは無いとも考えているので好きではないのですが、持っている武器(手足)をどう使いたいのかというアプローチから体を持っていく流れが解っていくのではないかなと思います。






.

納得いかん

2018-06-21 00:34:40 | 雑感
息子の宿題を見ていました。するとこんな問題で詰まっております。直線イに対して垂直な直線は?

何これ誤植ですか?
全部分度器で測っても90°ではないので息子には「なし」と書かせました。

しかし後で解答を見ると「カ」となっているではあーりませんか。なんでですの。イにはカは届いてないじゃない。カが有効なのはアに対してだけ。
そのまま見えない線を継ぎ足して水増ししろってこと?そんなどこぞの建設会社みたいな事をやれというのですか。それが認められるならマスコミにコテンパンに叩かれたあの会社は算数的に正しかったのですか。届いちゃいませんが伸ばしていったら、ほら、地盤に真っ直ぐささりますって?

但し書きが無い以上国語的にもおかしいし誤植でないなら愚問甚だしい。何故真っ直ぐ伸びる仮定なのでしょうね。アの線を越えたら角度が変わったり或いは曲がるかもしれない。書かれてないのだから何とでもなります。勝手に伸ばして良いのなら勝手に縮めるのも有りでしょ。結果全部縮めて「解なし」なんてことも可能。

今夜は眠いはずなのにこの謎の問題のお陰で眠れなくなりました。解なしで提出する息子。私と違い屁理屈捏ねるタイプではありませんが先生に納得いく説明はもらえるのでしょうか。教科書と戦う。学問はこうでないと面白くありません。




.

基本稽古の考え方

2018-06-18 15:47:45 | 稽古
必ず行う基本稽古ですが、漫然と繰り返すのは面白くないでしょう。基本ですから形は変わりませんし。

どの流派にも理論理屈があり、真正会では内八字立ちや体重移動といったものですが、どの流派も正しくどの流派も正しくないというのが私の見解です。

どんな理屈を使おうとゴールは似た所に着地するはず。一応流派の理論に沿って基本稽古は指導しますが、それを絶対的なものとして埋没してしまってはいけないと思うのです。私は欠点を探すように基本稽古をします。これ要らんやろ、おかしいやろコレ、などと思いながら繰り返している訳です(笑)ルールを破るためにルールを抜かりなく学ぶといった具合。

もっと効果的な動き方があるでしょうし、たった十数種の基本稽古と体重移動だけで理屈が体に染み付くとは到底思えません。だからといってサボっていては欠点は見えませんが。ただ強制的になぞらされて繰り返すのでは考えのないマシーンになるだけなので繰り返しをどう楽しむかですね。私は何事も否定から入るタイプなのでこんな楽しみ方をしている次第です。

形同実異。
見た目は同じでも人の数だけ内部では色んな反応があって良いと思います。

長いことやってるといつまでもセンセーセンセー言う訳にもいかなくなってきます。基本は我が師たる存在になるもの。自分の体ですから自分が一番分かるようにしていくのです。






.

light your fire.

2018-06-17 23:38:04 | 審査会
神戸地区少年部の審査会。こちらは私が教える子が毎回片手で足りるぐらいしか受けませんので情を捨てて審査に徹することが出来ます。だからコメントも厳しくなります御容赦ください。

下の帯に上の帯の在り方を見せるとの意図から3部構成で行われ、第1部は白&黄帯。黄帯にはもっとしっかりしたところを見せて欲しかった。覇気がない。空手なんて別に下手でも弱くてもいいけど挨拶ぐらいはしような。キツい言い方をすると白帯の参考にはなりませんでした。

第2部が柿&青。ここも似たような感じ。青ともなるとしっかりした子も出てきますが極少数で白と黄がそのまま単に色変わっただけのような。うーむ。

最後が紫、緑そして茶。ここはしっかりしてる子が多く見やすかったです。紫帯は黄帯より出来てるのではないかな。


全部通して感じたことは、基礎や基本稽古を甘く見てるなという事です。茶帯なんて4人中2人が堂々手抜きしてましたね。あれで黒帯を巻いてしまうと後々自分の首を絞める事になりそうですが5年生前半は時期尚早なのではないかなあ。お稽古の一つの証として黒帯が欲しいのでしょうが黒帯は常に「黒帯なのに」という前提から入ってこられますからね。

土地柄スタイリッシュに在りたいのかもしれませんが、武道にスタイリッシュなどありませんし必要ありません。武道に限らず色々やっても熱がないと結局平均値界隈のなぞり書き人間に成るだけでしょう。サボって取り組んでも本気でやっても過ぎる時間は同じなら一生懸命やった方がええんちゃうのと基本稽古嫌いそうな子らに思いました。

習い事を多くこなす事でズルさを覚えてしまっては本末転倒。私も嘗てそうでしたが何の為にやってるのか、或いはやらされてるのかが見えないと子供には見返りのない苦行になりかねません。審査会は自分を売り込んだり試したりする場ではなくなりつつあるのかな。こちらがウオー!となるような熱い審査会は随分長いことお目にかかれておりません。

もっと子供らしく
熱をもて熱を。





.