日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

コロナウイルス騒動に隠れた食糧危機

2020年04月29日 09時34分07秒 | 日々雑感
 新型コロナウイルスの感染拡大による経済活動の停滞で、最低限の食料の入手さえ困難になる人が今年は世界で倍増し、2億6500万人に上る可能性があると、国連世界食糧画(WFP)が4月21日発表した。

 昨年は天候の異常や経済危機のため1億3500万人が食糧危機に陥っていたとのことであるが、今年はコロナウイルスの為新たに日本の人口に相当する人々が食料入手困難者になると言うから恐ろしい。現在日本ではコロナウイルス騒動の最中でもスーパーには食料が十分あるので買いだめをしないようにとの政府のお達しもあり、食糧危機などは頭の片隅にもない。

 しかし日本の食料自給率は40%以下である。輸入元の国で不作になってしまったり、戦争などの情勢によって輸入が出来なくなったりすると、途端に食料不足に陥る可能性が高い。世界の食料事情が日本の食糧事情と直結しているのだ。

 さて、新型コロナウイルスが問題になり始めていた2月2日、東アフリカのソマリア政府はバッタの大量発生で食糧危機が発生しつつあると国家非常事態を宣言した。

 当時、バッタの被害は東アフリカ一帯に広がり、国連の食糧農業機関(FAO)もソマリアでは25年、ケニアでは70年に一度の危機として緊急事態を宣言した。この地方では今年雨が異常に多かったことから植物が繁茂し、バッタの急速な大繁殖を招いたとのことだ。

 このバッタは風に乗って1日に100〜200キロも移動しながら、行く先々で農作物や果物を食い荒らすそうだ。1平方キロメートルに集まる比較的小さな群でも、1日当りで人間3万5000人とほぼ同じ量を食べ尽くすと言うから恐ろし食欲だ。

 2月にはパキスタンとインド北西部に到達、間もなく中国国境を侵犯する勢いを見せているようだ。中国はコロナ騒動に引き続きバッタ騒動に悩まされそうであるが、中国のこと人畜への被害は二の次として大量の殺虫剤を空中散布して防ぐであろう。

 過去に日本でバッタが大量発生した事実は無いようであり、現在中国に迫るバッタも日本には来ないだろうと高を括っているが、日本には莫大な森林資源がある。バッタが杉を食べるか知らないが、万が一やってきて食べるとなるとその被害は甚大になるだろう。

 このような野生動物の大発生は、食べ物が豊富にあり、天敵がいないと起こる一種の自然現象であり、歴史的にも多くの例を見ることが出来る。古くは1284年ドイツのハーメルンの町にネズミが大繁殖した時の話として”ハーメルンの笛吹き男”が有名である。

 日本でも1949年にドブネズミにより愛媛縣戸島のトウモロコシやサツマイモが全滅したこと等、鼠の大発生は各地で報告される。現在でも都会の飲食街に鼠の多いことは有名で、今回のウイルス騒動で夜間閑散とした街に鼠が走り回っているとの報道もある程である。

 生き物にとって豊富な食料の存在と天敵のいないことは天国たる条件だ。バッタにしても鼠にしても天敵は人間だ。人間にとっての天敵は疫病だ。現在最強の疫病が新型コロナウイルスであるが、恐らくその内人間が駆逐するであろう。

 しかし、天敵がいなくなっても地球上の食料には限界がある。人間にとって地球が天国であることは、永久に保証された話ではない。2020.04.29(犬賀 大好-595)


コロナウイルス騒動こそ”国難”であるが

2020年04月25日 09時29分25秒 | 日々雑感
 安倍首相が”国難”という言葉を持ち出し、衆院を解散したのは3年前の2017年9月のことだった。日本が直面する少子高齢化問題、緊迫する北朝鮮情勢等が国難とも呼ぶべき状態であると語り、解散の正当性を主張した。

 確かにこれらの問題は将来国全体に大きな影響を与える問題ではあるが、その時点で急に発生した問題では無く、また選挙後も特に大きな対策の動きは無く、単に選挙のためのキャッチコピーであった。そもそも国難とは中学校時代の歴史で習った蒙古来襲を思い出させるが、待ったなしに対応を迫られる緊急事態の筈であり、違和感を感ずる国難の使い方であった。

 2011年の東日本大震災は国難と呼んでも良いだろう。大地震に引き続き津波や原子力発電所の大事故があり、現在も完全に回復していない。突発的な未曾有の大事件であり、緊急対策が迫られた。あの時の菅政権の対応には様々な批判があり、安倍首相も事あるごとに”悪夢のような民主党政権”とこき下ろし、自分であればもっと上手に乗り切れたと言いたそう。

 さて、国難の筈の少子高齢化や北朝鮮問題の解決策が示される前に、今回の新型コロナウイルス騒動が持ち上がり、安倍首相は本当の意味での国難に立ち向かわなくてはならないが、既に様々な不手際が目立つ。

 そもそもこのウイルス騒動は、昨年12月8日、中国湖北省武漢市で原因不明の肺炎患者が発症したのが事の始まりであったが、政府にも何らかの情報が入っていた筈だ。政府はようやく4月16日緊急事態宣言を全国に出した。宣言時期に関しては賛否両論あるが、それまでに検討する時間は十分あった筈だ。

 さて、新型コロナウイルス問題が発生する前から、安倍政権は各種問題を抱え表面上平静を保っていたが苦境に追い込まれていた。桜を見る会の疑惑問題、河井克行、案里夫妻をめぐる公選法違反問題、黒川弘務東京高検検事長の定年延長問題、加えて、森友問題で自殺に追い込まれた近畿財務局の赤木俊夫氏の遺書問題等、首相は丁寧に説明していると言うが国民は一向に納得できない。

 そこに持ち上がった新型コロナウイルス問題は、これらの問題から国民の目を逸らす絶好の機会であり、ここで成果を上げれば起死回生となる筈だ。韓国の文政権が先日の総選挙で圧倒的勝利を収めたのは、今回のコロナウイルス騒動で医療崩壊を起こさせなかった実績が評価されたとのことだが、日本の医療崩壊は目前に迫っており安倍首相の腕が試される。

 首相は緊急事態宣言を全国に発し、全国民に1人当たり10万円を支給することを決定したが、この宣言はゴールデンウイークを控え全国民に自粛を要請するためとのことであり、5月6日までの期限であるが、自粛の結果が分かるのはそれから2週間後である。恐らく更に延期せざるを得ず、いつ幕引きするかが重要な政治的判断になるだろう。

 10万円支給の財源は赤字国債発行によるとのことだが、国の借金は既に1000兆円を超している。財政健全化の掛け声はあったが今となってはどうとでもなれとやけっぱちの感である。亡国の安倍政権と後世言われないように、ウイルス騒動の早急な沈静化が求められるが。2020.02.25(犬賀 大好-594)

オリンピックはアマチュアイズムの復活により抜本的な改革を

2020年04月22日 09時25分25秒 | 日々雑感
 東京五輪が1年延期されたことで、IOCやJOCはこれを機会にオリンピックのあり方を改革すると言っていたが1年程度では何も出来ない。今回も夏の暑い開催時期を春か秋に変更する案もあったようだが、相変わらず猛暑の真っただ中に行うと決定した。元より選手ファーストの考えは無く、事業ファーストである。

 さて現在オリンピックは様々な問題を抱え改革が求められているが、抜本的改革はアマチュアイズムの復活しかない。オリンピック運動の創始者であるクーベルタン男爵がその運動の理念として提唱した思想は、”オリンピックの出場者は、スポーツによる金銭的な報酬を受けるべきではない”とする考え方である。この考えにアマチュイズムの原点が表されていると言う人もいるが、その点では優勝しても賞金が出ないのでアマチュアイズムが守られていると言えなくもない。

 しかし、オリンピックに出場するためには、持って生まれた才能と加えて猛烈な練習を積まなくてはならない。練習するためには、優秀な指導者、整備された環境と十分な練習時間が必要であり、とても素人に手の届く範囲ではなくアマチュアイズムとはとても言えない。

 第5代IOC会長のブランデージ氏は原理主義的なアマチュアリズムを唱えていたが、6代目IOC会長は1974年のIOC総会でオリンピック憲章からアマチュア規定の削除を決めた。背景には社会主義国の国家を挙げての選手育成があり、オリンピックは国家発揚の場と利用していた。選手はそこで優勝すれば賞金が貰えなくても、国家からその後の人生が約束される恩恵があり、必死に頑張る要件を備えていた。

 一方資本主義国でもプロ選手が活躍するスポーツがどんどん盛んになり、オリンピックの観客もそういう一流選手のプレーを見たいし、IOCも事業的にトップレベルのアスリート達の登場の有利さを意識する傾向が強くなった。そこでオリンピック憲章もついに方向転換することになって、1974年にプロの選手の参加を認めることになったのだ。

 オリンピックにプロの選手が参加することにより、IOCはテレビの放映権等の収入が多くなり金の力で諸々のスポーツ団体に対する発言力が増し、万々歳と思われた。しかし、プロの選手にとって勝つことが第1主義であり、勝つためには何でもありでドーピング問題が浮上した。ドーピングで使用される薬剤は年々進化し、栄養剤との明確な区別が出来ない現状である。

 また、ほとんどのスポーツ種目にはオリンピックの他に国際大会があり、それとの競合を意識せざるを得なくなった。プロ選手の参加は最高の技術を観ることが出来る筈であるが、賞金の出ない試合に参加しない選手も現れ、バスケットを含むいくつかのスポーツは既にオリンピックを最高峰と見なせ無くなっている。

 しかも世界一を争うゴルフやテニス等は年に何回も行われ、オリンピック開催の価値が失われつつある。また、観客集めや視聴率稼ぎのための大規模化が進み、開幕式や閉会式での派手な演出が試みられ、開催経費の膨大化を招き、開催を希望する都市が激減した。

 オリンピックが独自に輝くためにもクーベルタン男爵の思想を今こそ復活し、純粋にアマチュア選手の競争の場とするしかない。2020.04.22(犬賀 大好-593)

コロナウイルスの沈静化は免疫力の持続性が鍵

2020年04月18日 09時28分18秒 | 日々雑感
 人に感染するコロナウイルスは、現在7種類見つかっており、その中の一つが現在世界中を騒がしている新型コロナウイルスなのだそうだ。 7種類のうち4種類のウイルスは、一般の風邪の原因の10~15%を占めており多くは軽症で済むそうだ。

 さて残りの3種類のウイルスは、2002年に発生したSARSや2012年以降発生しているMERSと今回のウイルスであり、重症化する可能性が高く、質が悪い。

 SARSウイルスは2002年11月に、中国南部の広東省で肺炎の患者が報告されたのに端を発し、東アジアやカナダを中心に感染拡大し、2003年7月に終息宣言が出された。このウイルスはコウモリなどの動物が媒介する可能性も指摘されているが、今もって確定的な結論は出ておらず、また有効な治療法もいまだ確立されていないとのことだ。

 MERSウイルスは、2012年9月にサウジアラビアで初めて患者が報告されて以降、中東諸国や、フランスなどの欧州から患者が断続的に報告されており、現在も終息宣言が出されていないようだ。このウイルスでも有効性が確実とされる治療法はいまだ確立されていないとの話だ。

 野生動物の中で生存していたコロナウイルスが突然異変により人間にも感染するようになったようであるが、4月14日の報道によれば、更なる突然異変により更に感染力が強まっているかも知れないとのことだ。本当であれば対処法が一層困難になる。

 さてSARSやMERSウイルスで有効な治療法が無いのに何故、現在沈静化しているのであろうか。コロナウイルスは人間に乗り移ると、そこで存亡をかけて人間の免疫力と戦う。ウイルスが勝てば人間を死亡させるが、同時に自らの生存の場を失い死を招く。一方人間の免疫力に負けるとやはり死となる。従ってウイルスが仲間を増やし種を保存するためには人間の免疫力と戦いつつ、人から人へと感染を繰り返えすしかない。

 従って、抜本的な治療法が無い現在、人から人へ感染させないことがコロナウイルスに勝つための唯一の方法であり、このためには人間同士の接触を避けることしかなく、緊急事態宣言の骨子となっているのだ。

 さて、コロナウイルスを沈静化させるもう一つの重要な要件は一度感染すると免疫力が付くことである。大半の人間に免疫力が付けばウイルスは自然に消滅する。しかし、ここで免疫力の持続性が問題となるが、この点よく分かっていないようだ。

 大阪府は、医療機関を2月1日に退院した女性が、PCR検査で再び陽性になったと2月26日に発表したことがあったが、その後の経緯は不明である。さてつい先日韓国は4月13日、新型コロナウイルスで陽性と確定後、陰性となり隔離を解除された患者約8000人のうち、約110人が再び陽性反応を示したと発表した。この種の報道は中国にもある。

 再陽性化の原因が、検査の信頼性の低さか、検査手順の不備か、残存したウイルスが患者の体内に留まっていたのか、あるいはウイルスの突然変異か、調査中とのことであるが、兎も角免疫力が長時間持続しないとなると、蔓延は果てしなく広がる。2020.04.18(犬賀 大好-592)

東京五輪1年延期の損失費用だけで済むか

2020年04月15日 09時18分45秒 | 日々雑感
 東京オリンピック・パラリンピックの開催が1年延期され2021年7月23日の開幕と決まった。安倍首相は自らが延期を提案したことで、中止という最悪のシナリオは回避できたと喜んでいる。1年遅れても開催出来れば、追加費用分の出費だけで済まされるが、中止となればこれまでに期待していた経済効果が捕らぬ狸の皮算用となってしまうからだ。

 3月19日、関西大学の宮本名誉教授が、延期の場合の経済損失は約6408億円、中止の場合は約4兆5151億円となると発表し、中止の場合の損失の大きさを裏付けた。なお1年間延期された時の経済的損失は、①大会延期にかかる諸費用と、②大会延期により失われる経済効果の合計だそうだ。

 ①の諸費用は、・競技場、選手村などの施設の1年間の維持、修理、管理の費用の約225億円、・大会に関係する各種スポーツ団体の五輪に合わせて再び準備する1 年間の必要経費の約3900億円、・その他の広報、連絡関係の経費などの約100億円、だそうだ。これらの損失費用は根拠が明確であるが、後者の②大会延期により失われる経済効果の方は、実体がよく分からない。中止に伴う外人観光客の減少による損失もその一つであろうが、1年後に開催されれば大半は取り戻せるのであろうから一時的な損失に過ぎず純粋な損失は①のみであろう。

 さて、問題は大会中止の場合の損失だ。そもそもオリンピックの日本開催の最大の目的は経済の活性化だ。東京都が2017年に発表したデータによると、2020年の東京オリンピック・パラリンピックに関連する経済効果は、オリンピック招致が決まった2013年から大会終了後の2030年までの18年間で約32兆円だそうで、政府が全面的に応援する筈だ。

 さてその内訳は、大会開催の2020年までが21兆円、大会終了後から2030年までが11兆円だそうだ。1年延期が決まったのは、つい先日であるので、これまでに21兆円に近い経済効果があったのであろうか。本当の所はよく分からない。

 経済効果は直接的投資と付随的効果の二つに分けられるそうで、直接投資分は新国立競技場等の設備費が大半を占めていると思われ、これらは建設業界を潤していたと見られるので、中止となっても建設業界は損をしない。

 大会開催の2020年までが21兆円と見積もった経済効果においても付随的効果の方が直接投資より広い分野に及びかつ金額も圧倒的に大きいと思われる。この中にも付随的な効果を期待して投資をし、開催時に一気に回収しようとした金もあるだろうが、回収時期が1年延びたと思えば、まだ我慢できるだろう。

 さて、1年延期で損失を最小限に抑えたつもりであろうが、現在コロナウイルスが全世界で猛威を振るっており、来年無事開催できる保証はない。もし開催できない場合は、日本は更に1年延期を主張するであろうが、延期に伴う諸問題は更に大きくなり、中止となる公算が大きい。

 2年後の中止となるより、今から中止と決定した方が最小限の損失で済むと思われるが。2020.04.15(犬賀 大好-591)