日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

現在の人手不足はアベノミクスの成果か

2016年04月30日 08時43分59秒 | 日々雑感
 厚生労働省発表の発表によると今年(2016年)、2月の有効求人倍率は1.28倍で、前月に引き続き高水準とのことである。新規求人数は、特に宿泊業、飲食業に多いとのことだ。アベノミクスの成果として、よく株高と人手不足現象が挙げられる。株高の方は、大分怪しくなってきたが、現在でも人手不足であることは間違いないようである。

 2012年末に安倍晋三内閣が発足して以降、雇用者数は増加が続いている。安倍首相も「アベノミクスによって雇用を100万人以上増やした」と繰り返し自慢発言してきた。しかし、ここで言う雇用者数は、正規労働者の数とは限らない。

 有効求人倍率は公共職業安定所で扱った求人数、求職者数であり、その中身は正規社員ではなく、ほとんどが非正規労働者社員とのことだ。日本における非正規労働者の割合は1984年の15.3%から2014年には37.4%まで大きく上昇しており、いまや労働者の3人に1人以上が非正規労働者として働いているようだ。

 非正規労働者であっても、雇用が増加することは良いことである。しかし、非正規雇用の増加の一番の原因は、使用者側の経費削減のためと聞けば、デフレ脱却を目指す安倍首相の自慢話のトーンも下がることであろう。

 さて、この求人難はアベノミクスの成果であろうか。成果とすれば3本の矢のうち何が一番有効であったのであろうか。第2の矢、機動的な財政政策の一環である東日本大震災の復興事業においては、2011年度から5年間で、国費のみで26.3兆円を投じた。その多くは土木事業であろうので、それに携わる労働者が大量に必要であろう。どれくらいの雇用増をもたらしたかは不明であるが、ゼネコンの株高を見れば、さぞかし多くの労働者が雇われているものと思われる。

 また、東京電力第1福島原発での事故に伴う復旧作業では現在でも、一日当たり7000人の作業員が従事しているとの報道がある。更に、福島県には昨年数万人の除染作業員が、居住地の汚染を取り除くために働いていたそうだ。労働者不足の一因であることには間違いない。

 これらの雇用増は全体の求人数からすれば、大したことで無いかも知れない。確かに、求人難は土木の仕事より、介護の仕事や接客・給仕などのサービス分野で特に大きいようだ。介護の仕事は、高齢者人口の増加の反映であろうし、接客・給仕の仕事は外国人旅行者の増加の反映であろう。

 従って、これらの雇用増はアベノミクスの直接の成果と言うより、自然災害や東南アジア諸国の経済発展等の影響が大きいのではないかと思われる。ただし、外国人旅行者の増大は、アベノミクスの観光事業を成長戦略とする一環としてのビザ発給の緩和も寄与しているのは確かであろう。逆に、アベノミクスの成果はビザ発給の件位しか無く、後は巡り合わせに過ぎないと言えるかも知れない。

 アベノミクスの成果は、有効求人倍率の面ばかりでなく、新規学卒者(新卒)の面より見る必要もある。厚生労働省と文部科学省は今年3月卒業の大学生の就職内定率(2月1日現在)が、前年同期比1.1ポイント増の87.8%になったと発表した。前年を上回るのは5年連続で、2008年以来8年ぶりの高水準を記録したとのことだ。厚労省は「雇用環境の改善が内定率にはっきりと表れた」(若年者雇用対策室)と指摘した。

 雇用環境の改善とは、円安効果による自動車産業をはじめとする輸出産業の好調さ、観光事業の活性化などであろう。また、団塊世代の定年退職に伴う新人補給の必要性がかなりのウエートを占めるようである。これも雇用環境の改善と言えなくもない。これらの比率がどうなっているか不明であるが、異次元金融緩和の円安誘導による雇用環境の改善はアベノミクスの成果であることに間違いない。

 しかし、大規模金融緩和による円安は、各国の金融緩和により効果が薄れてきた。また、現在の外国人旅行者の増加は、東南アジアの経済発展に負うところが大きい。いつまで続くか分からない。観光事業は先進国からの旅行者が増加して本物となろう。いよいよアベノミクスの真贋がはっきりして来る。
2016.04.30(犬賀 大好-229)

トランプ現象を考える

2016年04月27日 09時25分45秒 | 日々雑感
 オバマ大統領は、”そうだ、私には出来る” と宣言し大統領となった。イラク撤兵、健康保険改革を含めたオバマケアやキューバとの国交回復を成し遂げ、国内の失業率も改善し、経済も力強さを取り戻しつつある。また、核廃絶宣言をしノーベル平和賞を受け、それなりの成果を上げた。 

 しかし、リーマンショック以降、経済的な格差が拡大する中、それに対する有効な対策を打てず終いである。そして、米国の経済は回復しつつあるといえ、平均的な家庭の収入は実質的には20年前とあまり変化ないそうだ。アメリカ国民の多くの関心事は、ノーベル賞より経済だ。この点オバマ大統領には大いに失望しているに違いない。

 共和党の大統領の指名候補、ドナルド・トランプ氏の人気が衰えない。「海外に流出した仕事を取り戻し、米国を再び偉大にする」との彼の主張は実に単純明快だ。彼の意見が現実的でないと反論するためには、国際情勢やこれまでの歴史を長々と説明しなければならない。そうは簡単に出来ない現実を理解するためには頭を使わなくてはならない。少なくとも、エンターテイメント性ではトランプ氏の方がテレビ向きだ。トランプ氏の演説は、英語が聞き取れなくても、表情を見ているだけでも面白い。

 トランプ氏がテレビに出れば視聴率を稼げる。視聴率が上がれば広告収入も増える。3大ネットワークの一つ、CBSトップのレスリー・ムーンベス会長が、2月末メディアや IT 関係者が集まるイベントで、トランプ現象に関し、「こんなのは見たことがない。我々にとって良い年になる。ドナルド、このままの調子で行け」と衝撃的な発言をしたそうだ。「米国にとって良くないかもしれないが、CBSにとっては全くすばらしい」と、本音丸出しだったそうである。

 トランプ氏は単純明快な発言で票を稼ぎ、企業側もお神輿を担いで視聴率を稼いでいる構造だ。トランプ氏は、当初の予想を裏切り、共和党の大統領指名候補となりそうである。トランプ氏は、競争社会を乗り切り不動産王になった。アメリカンドリームの体現者であり、ヒーロなのだ。

 テレビ界の視聴率至上主義は経済的自由主義と同じ仲間である。そして、トランプ氏の反グローバライゼーションは反経済的自由主義と同一である。氏の主張は矛盾に満ちているが、人々の不満をうまく煽っている。米国民の半数近くが今もってダーウィンの進化論を信じていないとの説もあるくらいだ。単純明快な話ほど受け入れ易いのだ。

 氏の優勢をみて擦り寄る指導者も出ているとのことで、共和党の指導層は大混乱のようであるが、日本のノンポリから見れば、この先どうなるか興味津々である。トランプ氏が共和党の大統領候補に指名されるかも知れないが、米国大統領になることは無いだろうと楽観視しているが、大統領になれなくとも、人々の不満は蓄積され、同様な人間は今後も出てくるだろう。

 人々は経済の活性化を希望するが、経済の活性化はウォールストリート抜きでは考えられない。ウォールストリートが活躍すれば格差は広がる。社会は複雑化し、この矛盾を打開する有効な手段が見つけられず、人々の不満は高まる。複雑な事象からその本質を見出して始めて、有効な対策を講ずることができる。本質は単純であるが、解決は難しい。

 しかし、トランプ氏の単純化思想は本質から逸脱している。メキシコからの不法移民が多いことの本質はメキシコと米国の経済格差であり、その解決は格差の解消しかない。しかし、氏の対策である「国境に壁を作れ」との主張は単純明快であるが、全く的外れである。

 日本でも、身近に敵を作って攻撃しうっぷんを晴らすヘイトスピーチが流行ったり、ガンは放っておいた方が良いや、65歳以上のラジオ体操は害がある等の極端本が売れたりもする。細かな議論より、単純明快が好まれるのは、トランプ現象と同根ではなかろうか。
2016.04.27(犬賀 大好-228)

現在の地質年代は ”人新世” ?

2016年04月23日 09時57分24秒 | 日々雑感
 地球が誕生したのは46億年前。この46億年間の地球の歴史を区分する地質年代は、地層に含まれる化石や岩石から環境の変化を読み取って区別される。地質年代では新第三期でマンモスが活躍していた時代に人類は誕生したようだ。そして現在は1万7000年前から始まった新生代第四紀完新世にあたるとのことだ。この名前からは何のことかさっぱり分からないが、学術的には、ヨーロッパ大陸全体が氷で覆われる氷床の消滅をもって定義され、このころから、人類の直接の祖先であるヒト(ホモ・サピエンス・サピエンス)が世界規模で拡散し、生物の頂点に君臨し始めたのだ。しかし、当初地球上における人間の影響は微々たるものであったが、次第に地球規模の影響を与え始めた。そこで人間の活動の影響が大きくなった現在の世を更に区別しようとの考えで現在を ”人新世” と呼ぶべきとの考えが広まったとのことだ。

 ところで人新世はいつから始まったかに関してはいろいろな意見があるようだ。早くは約8000年前に農耕や牧畜が拡大し二酸化炭素やメタンの濃度が拡大し始めたときを始まりとする説や、遅い方では20世紀半ばに核実験や地球温暖化等の人為的変化が加速し始めたときとする説があるそうだ。核実験の影響まで言い出すと、純粋な科学的な議論にとどまらず、政治的な問題も含むので、意見の統一は難しいとのことである。

 人類が新たに作り出したプラスティックは、自然界には存在せず、廃棄されれば地中でほぼ永久に保存される。20世紀のはじめに、ベークライトという新しいプラスチックが誕生してからその後続々と新しいプラスティックが発明された。プラスチックは年々消費が拡大し、2012年の生産量は全世界で2億8800万トンに達したとと言われてもピンと来ないが、身の回りを見れば、プラシティック製品が嫌でも目に付く。しかも、このうち数%が海洋に流出しているとの試算もあり、地球規模でも拡散しているようだ。最近では、バクテリアや光に分解されるプラスティックの発明もなされ、今後そちらの方が増えていくのであろうので、今までのプラスティックは、化石のように年代の同定に使えるとして「テクノフォッシル」(技術化石)と間違いなく呼ばれるだろうとのことである。しかも、このテクノフォッシルは100年間という、地球の歴史から見れば極めて短期間に蓄積された、年代の同定には精度の高いテクノフォッシルとなろう。

 さて、”人新世” は生物大絶滅の点でも特筆すべきである。地球上ではこれまで5回の生物大絶滅があったとされる。有名なのは6500万年前の恐竜の絶滅である。これは巨大な隕石が地球に衝突した際に引き起こされた異常気象が原因と言われている。恐竜が絶滅した頃の地層には、イリジウム濃度が異常に高い層があるようだ。イリジウムというのは、地球の地殻にはほとんど存在せず、隕石に多く含まれる物質であるので、恐竜の絶滅は隕石の衝突が切っ掛けとの推測が成り立つわけである。イリジウムは重要なテクノフォッシルとなる訳だ。

 恐竜の絶滅の他、4回の生物大絶滅が過去にあった訳であるが、現在進行中の第6回目の生物大絶滅は比較にならないくらい大規模との話だ。人類による自然破壊のため、約 2000万種の生物のうち、毎年5万~15万種の生物が今も絶滅し続けており、この絶滅の速度は過去の絶滅の数万倍とのことだ。恐竜の絶滅など大した出来事ではないことになる。

 また、他方、人類は遺伝子組み換えで、本来は地球上に存在しない生き物を作り出し始めている。遺伝子を組み替えた大豆やとうもろこしは、外見は同じでも除草剤に強い等、自然界では顕著な違いを見せる。更に中国では、人間の受精卵に遺伝子操作を行う試みも行われているようだ。そのうち、特殊な能力を有する人類の登場もあるかも知れない。

 人類が大爆発し始めた産業革命からわずか2,300年間、地球上の生態系は大きく変わり、更に変わりつつある。新生代第四紀完新世の中でも ”人新世” は、人類暴走の年代と称されるであろう。
2016.04.23(犬賀 大好-227)

オバマ大統領の核無き世界の困難さ

2016年04月20日 09時43分25秒 | 日々雑感
 オバマ大統領は、4月1日、ワシントンで開かれた核保安サミット後に会見し、核テロを防ぐ国際協力で成果を残したと強調した。核保安サミットは、オバマ大統領が、核テロは地球規模の安全保障に対する最も緊急かつ最大の脅威として提唱した国際会議である。サミットにおいては,世界の各国が連携して、核兵器の製造に適する品質の核物質であるプルトニウムやウランなどが核テロリズムに使われないように安全や保全を確保し、その維持と管理を厳格に行うことを議論したそうだ。

 オバマ大統領は、2009年のプラハで、「第一に米国は核なき世界に向けた確かな歩みを始めます」と宣言し、核軍縮と核の不拡散を進めることをプラハで宣言し、ノーベル平和賞を受賞した。「核軍縮と核の不拡散」は、米国の大統領ならば誰でも言いそうな言葉であり、「核無き世界への第1歩」がノーベル賞に値すると思われたが、手を付けたのは、この会議の提唱くらいであろう。

 核拡散防止は確かに大きな問題に違いないが、核保有する国がいくら声高に叫んだところで、断固既得権確保と叫んでいることと同じである。オバマ大統領には何かこれまでと異なる新しい取り組みを期待していたが、期待外れであった。

 核軍縮に関しては、米ロの核兵器はこの60年間で最も少なくなったと自我自賛したが、中国を始めとして米ロ以外の保有量は逆に増加しているとのことだ。イランの核開発は一応中止となったが、北朝鮮の核開発もかっては中止となったと宣伝していた.。しかし、いつの間にか再開された。核の保有は厳然と政治的な意味がある。イランは、潜在的核保有国のイスラエルと仲が良くない。イスラエルは武力を盾に周辺の国に気遣いなく傍若無人である。このような状況下で、イランがどこまで本気に核放棄を考えているか疑問である。まず、核放棄と引き換えに経済制裁を解いてもらい、国内の経済を立て直すことを最優先とするが、北朝鮮と同様に密かに核再開発を目論んでいると考えた方が自然である。

 日本政府は、今月10日、11日、広島で開催された主要7か国外相会議での[広島宣言」に、[核兵器の非人道性」は盛り込まず、「核兵器の使用が壊滅的結末を想起させる」との表現にとどめた。行間を読み取る文学的な解釈では全く同じことを表現していると思うが、外交文書では行間を読み取るとの感覚は全くない様だ。それでも、主要7か国の外相が揃って広島を訪れたことは画期的であろう。

 米国政府は、オバマ大統領が5月末の主要7ヵ国首脳会議で訪日した際、広島を訪問する可能性を探っているそうだ。今回のケリー国務長官の広島訪問の米国内での反応次第であるそうだ。米国では、原爆投下は戦争を早く終わらせ、米国民の犠牲の拡大を防いだと正当化する意見も強く、大統領の広島訪問での謝罪に反発する声が高まることを恐れているそうだ。

 原爆投下を謝罪しているような、していないような、玉虫色的表現は、得意の演説でいかようにでもなると思う。オバマ大統領は世界に大きな期待を抱かせ、ノーベル平和賞をもらったからには、広島・長崎訪問位のことは大したことではないだろう。是非訪問し、核兵器が大量殺人兵器であると言ってもらいたいものだ。

 オバマ大統領は、プラハ宣言をノーベル賞のためではなく、本心からの思いで行ったのであろうが、現実はロシアのクリミヤ併合等甘くは無かった。恐らく、核保有の重大さと、核無き世界実現の困難さをかみしめたことであろう。引退後は核保安サミットも無くなるようであり、残りの任期の内に、核廃絶に向けた、後世に残る、ノーベル賞に値する何かをやって貰いたいものだ。
2016.04.20(犬賀 大好-226)

世界で一番貧しい大統領とパナマ文書

2016年04月16日 10時24分35秒 | 日々雑感
質素な暮らしから「世界で一番貧しい大統領」と呼ばれている前ウルグアイ大統領のモセ・ムヒカ氏が4月初旬来日した。左派ゲリラとしての活動で幾度も逮捕されており、13年近くの獄中生活で人生を学んだ結果として,氏の生活は質素そのものになっているそうだ。大統領に与えられる豪華な邸宅は拒否し、郊外の妻所有の農場で公務の合間にトラクターに乗って畑仕事と養鶏をして暮らしているそうだ。世界で一番貧しいのではなく、世界で一番質素との表現の方がふさわしいようである。

 氏の名言、「貧乏な人とは、少ししかモノを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」を聞くと、「そうだ、それが心の貧乏人だ」と拍手を送りたくなる。同時に、今世界を騒がしている、パナマ文書を思わずにはいられない。

 パナマ文書とは、タックスヘイブン(租税回避地)を利用した租税回避行為、すなわち自国で払うべき税金を逃れるために、自分の資金を税金の低い国に移している行為であり、それを利用している個人や企業の名前を暴露した文書のことだ。その行為そのものは違法では無いが、モラルに反する行為であり、特に国の指導者にはあってはならない行為である。

 ロシアのプーチン大統領の「金庫番」の名前や、中国の習近平国家主席の親戚や英国のキャメロン首相、シリアのアサド大統領、ウクライナのポロシェンコ大統領、サウジアラビアのサルマン国王の関係者の名前そして日本人および企業の名前が挙がっているとのことだ。

 ここに名前の挙がっている人々は、既にモノは十分持っているに違いないが、更に増やしたいのだ。そう言って心の貧乏をあざ笑うのは簡単だが、本当の貧乏人からすれば、犬の遠吠えに過ぎない。

 心の貧乏人は本当の貧乏人になることは容易いが、その逆の可能性はほとんどない。これが、心の貧乏人と言われようと更に増やそうと邁進する心の本質であろう。

 菅官房長官はパナマ文書を政府として調べるつもりは無いと発言したらしいが、裏では必死に調査するに違いない。調べると言えば、その結果を公表する必要があるからだ。いや、既に分かっているのかも知れない。この噂は以前からあった。秘密は独占した方が何かと利用価値がある。政府も認める租税回避行為や法人税の低減は、日本企業の世界における競争力を高めることになるかもしれないが、同時に日本国内における経済格差を広げることに直結する。

 さて、ホセ・ムヒカ氏の質素の言葉から、日本で昔からある清貧の思想を思い浮かべるが、少々異なるようだ。「清貧」とは、角川の国語辞典によれば「貧困にありながら、行いを正しくして、利益をむさぼらないこと」という意味だとあるが、これだけからは全く同じである。

 中野孝次氏の著書「清貧の思想」の内容は,西行,兼好,芭蕉など,いわば世捨て人の風雅の暮しを論じたものである。一切を捨てきったあとの心の充実を説くその論は,世間と一線を画し、自分ひとりの世界に浸ることであり、この点で大統領を務めたホセ・ムヒカ氏の生き様とは全く異なる。社会と関わりながながら、清貧を貫くことが大変であることは、舛添東京都知事の欧州贅沢旅行の話からも推測できる。権力と贅沢は、麻薬やギャンブルと同じようにすぐに麻痺するのだ。

 2,30年前、中国人が全員肉を食べるようになったら、世界から牛や豚がいなくなるとの、ジョークがあった。幸か不幸か、現在そのような状況に至っていないが、中国の世界の資源消費には驚くべきものがある。先進国は中国の経済低迷を嘆き、資源輸出国は中国への輸出量の低下を嘆くが、目先のことしか考えていないようだ。

 ホセ・ムヒカ氏も、「西洋の豊かな社会がおこなっている“傲慢な”消費を世界の70から80億人もの人々がおこなうための資源は、この地球に存在するのでしょうか?」と疑問を投げかけている。即座に出来っこないと答えたいが、世界の指導者の多くは、そうは思っていないようだ。いや、思っているが、支援者が許してくれないと思っているのであろうか。付和雷同は凡人のやることである。指導者たるもの、将来を見据えた政策を採用して貰いたい。贅沢は敵だと言うと、戦時中を思い出させるとか、経済停滞の不景気を思い出させるが、持続可能な社会実現のためには、贅沢を敵とするしかない。
2016.04.16(犬賀 大好-225)