日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

経済のグローバル化と格差の拡大

2016年07月30日 09時23分40秒 | 日々雑感
 次の米国大統領候補として、民主党ではクリントン上院議員とサンダース上院議員が争っていた。今月28日にはクリントン氏に正式に確定したが、若者の間では相変わらずサンダース氏の人気が高いようである。氏の主張の一つは、経済の反グローバル化である。

 この15年間に米国では、6万ヶ所近くの工場が閉鎖され、製造業では480万人以上の高給の職が消えた。グローバル経済は、経済エリートが得をするように彼らが生み出した経済モデルであり、米国でも世界でも、大多数の人間には役立っていない。今の自由貿易を根本から否定し、公正な貿易へと移行すべきだ、とサンダース氏は主張する。

 公正な貿易とは何か、がよく分からないが、表面的には分かり易い主張である。共和党の大統領候補であるトランプ氏も反グローバル経済を主張している。しかし、明治以降の日本の歴史を振り返るとき、日本はグローバル化の先駆けの恩恵を受けてきたのではないかと考え込んでしまう。

 戦後、資源の少ない日本は輸出立国として経済的な発展をしてきた。すなわち、外国から鉄鉱石等の資源を輸入し、それを鋼板等に加工し、更に船や自動車に製品化して輸出し外貨を稼いできたのだ。原料を製品にするためには、高い技術力が必要であり、そのため技術立国と言われ、物作り大国とも言われていたのだ。

 江戸時代、外国との交易が無くても何とかやってこれた。しかし明治時代には文明の遅れを取り戻すために大変な苦労をした。また、江戸時代の推定人口は3千万人であり、現在1.3億人の食料を自国だけで調達するのは困難と思われる。この意味で日本にとって貿易は必要不可欠であり、貿易のグローバル化は歓迎すべき話であろう。

 しかし、ここにきてグロ-バル化の問題点が際立ってきた。グローバル化には、貿易のグローバル化を始め、金融、技術、人の移動等様々な面があり、これらは互いに絡み合い、単独現象としては考えられず、エコノミストにとっても手に余る問題であろう。

 最近話題の英国のEU離脱もその現象の一つの反動であろう。離脱の理由として、移民に職が奪われることや製造業の衰退等が挙げられているが、離脱すれば解決するほど単純な問題ではないだろう。

 世界の国々が次第に豊かになり、世界の産業構造の変化と共に、自国の産業構造も変化せざるを得ない。産業革命時に英国を支え、戦後の日本を支えた繊維産業はとうの昔、東南アジア諸国に移った。変遷時には、英国でも日本でも大変な騒動があったであろう。当時の、大阪紡績、片倉製糸紡績、郡是製糸などは、現在東洋紡、片倉工業、グンゼなどに名前を変えて生き残っているが、中身は大いに変わり、繊維部門は全体の一部となっている。

 そして、高度成長を支えた日本の電子技術も韓国、中国へと移りつつ、一部移ってしまった。日本の生産工場の海外移転は効率化の為であり、要は人件費等の経費の削減であろう。経費の削減は、経営者の立場からすれば当然であるが、工場が転出する側にとっては雇用の損失であり、地元経済の衰退である。一方工場が進出する地区にとっては雇用の創出となり、技術レベルを急激に高める。技術は創出するより真似する方が簡単なため、拡散するのに時間はかからない。

 かくして、技術のグローバル化は誰にも止められない。政治の力で一時的に止められるかも知れないが、後で大きなしっぺ返しを食う。技術の変遷と産業の構造変化に追随するのは大変な苦労を必要とする。大手電子機器メーカのシャープや東芝の衰退、TPPの発効に伴う農家の苦労等、例は数えきれないが、それを乗り越える努力が無くては次の発展が無い。

 サンダース議員の主張する反グローバル化の理由は、産業構造の変化による職の喪失もあるかも知れないが、それより貧富の格差の拡大にあるのではないか。上位1%の所有する富は、他の99%の人たちの合計より大きいと主張している。金融のグローバル化を始めとし、経済のグローバル化は資金のあるものがより多くを稼ぐシステムを作り上げてしまったのは感覚的にも確かであろう。

 世の中の技術や経済のグローバル化は避けられない。しかし経済のグローバル化と格差の拡大は別次元の話と考えたい。そうとすれば貧富の拡大は政治の力で避けられる筈だ。政治の力でも避けられないとすれば、富は益々集中し、世界は破滅に向かうことになる。
2016.07.30(犬賀 大好-255)

オリンピック開催費用を考える

2016年07月27日 09時14分54秒 | 日々雑感
 2020年東京五輪・パラリンピックの開催総費用が2兆円を超すとか、いや3兆円になるとかうわさが飛び交っている。2012年ロンドン大会では、開催5年前に公的資金が約1.6兆円と公表された。4年後に迫る東京大会は必要資金が未だに公表されていない。分かっていないというより、分かっているがその膨大さから世論の反発を恐れ、公表出来ないと思った方が適切であろう。

 遠藤利明五輪相は今年1月の衆院予算委員会で総額について「組織委も政府も把握していない」と答弁したそうだ。五輪担当相は昨年6月まで下村文部科学大臣が兼任していたが、遠藤氏が専任大臣として引き継いだ。新国立競技場建設や五輪エンブレムを巡って、文科省、大会組織委員会、JOC、東京都が責任のなすり合いをした反省から、総責任者として就任した筈であるが、どうも心もとない。担当相と言えど独断では予算を決められないので、総責任者と言うより調整が主たる役目であろう。今後も責任の所在を巡りいざこざは続くであろう。

 昨年暮れ、大会運営費に関しては、必要な費用が当初見込みの3013億円から約6倍となる1.8兆円に増大することが組織委の試算としてわかった、との報道があった。組織委の武藤敏郎事務総長も、運営費は1.8兆億円との一部報道に「確固たる数字は持ち合わせていない」と述べ、否定も肯定もぜずお茶を濁したが、間違いのない数値であろうと勘繰られる。

 競技会場の整備費やテロ対策の強化といった警備費の増大、人件費や資材の高騰のほか、選手らを輸送する首都高速道路に専用レーンを設置するための補償費、会場周辺の土地賃貸料など、当初は見込んでいなかった費用が追加されたことによるとの話であるが、6倍とは驚き、桃の木である。計画のずさんさには、唖然、茫然、愕然である。

 オリンピック・パラリンピック開催経費には、主に公的資金で賄われる会場・インフラ整備費と、民間資金で賄われる大会運営費があるそうだ。組織委員会の森喜朗会長は昨年7月、「全体の計画で当初の三倍ぐらい」かかり「最終的に2兆円を超すかもしれない」と発言していたそうだが、先の1.8兆円も計画段階の予想値であるので、2兆円を軽く突破することは間違いないだろう。

 この運営資金は、原則として民間資金、すなわちスポンサー費用等によって賄われるとのことであるが、赤字ともなれば公的な資金を投入せざるを得ないであろう。また国や東京都が負担する会場等整備費には、税金が投入される。

 2020年東京五輪・パラリンピックの仮設施設の整備費が招致段階の計画の4倍相当の約3000億円に膨らむ見通しとなっていることが今年5月始め明らかになった。建設費の高騰などが理由であるが、物価上昇率が2%に達せられなくて頭を抱えている日銀総裁が聞いたらうらやましく思うであろうか。4倍との値は驚くべき値の筈であるが、運営費の6倍増との値を聞くと、逆によく抑えたとも思ってしまう。金銭感覚がすっかり麻痺してしまっている。

 当初、競技会場については新設の恒久施設は都、仮設施設は組織委が整備することになっていたが、組織委は自ら賄いきれないと判断したのであろう、東京都、政府で費用分担の見直し協議を進めているようだ。

 国は1千兆円を超える赤字を抱えているのに対し、財政的には裕福な東京都には多分な要求がなされるであろう。今度の日曜日に都知事選が行われるが、東京都知事候補は誰も経費削減が必要と言っているが、東京でも恐らく大幅な赤字となるであろう。

 過去に行われたオリンピック開催の収支は、モントリオール五輪が大幅な赤字、ロサンゼルス五輪では黒字だったと言われているが、インフラ整備等五輪後にも使用できる整備費の扱いはどうなっているのであろうか。東京では計画段階より、4倍、6倍増加となるの話は出ているが、その内訳を是非公表してもらいたいものだ。開催後でも生きる金であればまだしも、招致の際に使った不透明の金の使い道等は許されない。東京五輪はすでに大量の公的な資金投入が必要なことが目に見えている。東京オリンピックが開かれる2020年は財政収支(プライマリーバランス)を黒字化する国際公約の目標年でもある。財政規律を意識したオリンピック開催に努めなければならない。国の代表である遠藤五輪相よ、しっかりしていただきたい。
2016.07.27(犬賀 大好-254)

宇宙への挑戦と宇宙ビジネスへの展開

2016年07月23日 09時47分54秒 | 日々雑感
 現在地球上に住む人間は、73億人と推定される。20世紀初頭におよそ16億人だった世界人口は20世紀半ばに25億人となり、20世紀末には60億人にまで急増した。国連の「世界人口展望」では、21世紀半ばには90億人を突破、その後は増加のペースが鈍化していくものの21世紀末までに100億人を突破するだろうと予測している。世界の人口が100億人に達する場合、種々の問題に直面する。

 食料問題、エネルギー問題、気候問題等様々であるが、その抜本的解決には目下当てが無い。そこで解決の糸口を宇宙に求めるのもその一つであろう。地球外に人類が進出するのも一つであるが、未知への挑戦は思わぬ可能性を見出すかも知れないからだ。

 現在、地球の遥か上空を莫大な費用をかけて国際宇宙ステーション(ISS;International Space Station)が周回している。ISSは、地上から約400km上空に建設された巨大な有人実験施設で、現在は主に宇宙空間が人体に及ぼす影響や、それを防ぐ方法等が研究されている。ISSは将来、月や火星等に遠方航行するシャトルの燃料補給や、新ステーション開発時の前線基地としても運用可能とのことだ。これも人類の宇宙への進出の可能性を見出すための試みだ。

 また、ISSではその他各種実験も行われており、件数で多い実験としては「高品質タンパク質結晶生成実験」だそうだ。タンパク質はその分子構造が特性を決定付け、精密な構造が解析できれば様々な新薬製造や治療に役立ち、有用な医学医薬品は最初に作った者に莫大な利益を与える。しかし、当初期待していたほどには成果は出ていないようだ。

 そこで米国はISSの限界に気が付き始め、2030年代の有人火星探査の実現に力点を移している。そこでISSへの物資の補給は民間企業に、乗組員の移動はロシアに任せている。日本人宇宙飛行士、大西卓哉さんは7月9日ロシアのソユーズロケットでISSに到着し、約4か月の滞在生活を始めた。

 現時点では米国は新型の宇宙ステーション建造計画を持たないようだが、中国は独自の宇宙ステーションの開発を進めているようで、2018年ごろ本格的な建設を始めるそうだ。中国当局の計画では、今年9月宇宙ステーションの前段となる宇宙実験室「天宮2号」、10月には有人宇宙船[神船11号」を打ち上げ軌道上でドッキング、宇宙飛行士が実験室で1か月滞在するとのことだ。

 ISSは15か国が参加しているが中国の参加は無く、独自に道を開こうとしている。しかし、莫大な資金を必要とするため各国に参加を呼び掛けているが、予算や計画の透明性に問題があり、参加にはリスクがありそうだ。アジアインフラ投資銀行(AIIB)と同様に、まず米国や日本の参加は無いだろう。

 米航空宇宙局(NASA)はISSからは一歩退いたが、代わりに民間企業による宇宙ビジネスへの参入・拡大の動きが活発になっている。ブルー・オリジン社は、昨年11月、自社で開発したロケットを打ち上げ、地上に垂直着陸させることに成功した。米国スペースX社も、洋上の無人船めがけてロケットを降下させ、垂直に起立した状態で軟着陸させることに今年4月、成功した。いづれもロケットの第1段部分を回収し再使用できれば、打ち上げコストを大幅に圧縮できるからだ。

 日本の衛星打ち上げ用のロケットH2Aは世界的にも信頼性の高さを誇る。更に平成32年の実用化を目指して開発中の次世代大型ロケット「H3」(仮称)は、打ち上げ能力は1.5倍、費用は約半分という高性能を誇るはずであるが、これまでと同様使い捨てタイプであり、コスト面で太刀打ちできるか懸念される。
日本のH2Aロケットは、民間企業の三菱重工の製造であるが、国からの支援が無くてはやっていけない。米国の民間ロケットも多分国からの補助金が出ていると想像されるが、そのロケットを観光用等のビジネスに利用しようとする野心もある。

 宇宙への挑戦は人類の未来を探る研究的試みと思い込んでいたが、既にビジネスとしても成立しそうなのだ。宇宙ビジネスは、打ち上げ用ロケットばかりでなく、・衛星利用関連、・衛星製造関連、・地上設備(通信関係)、・宇宙観光、・保険などの関連サービスなど多岐にわたる。米国では既に10社以上が名乗りを挙げているそうだ。このように、民間企業の宇宙ビジネスへの参入意欲は大きいが、日本では欧米の発想に追い付けない。

 日本の成長戦略は、農業改革等既存のシステムの改革に限られ、新たな需要を喚起する性質のものは観光産業位であろう。宇宙ビジネス等、新たな需要を生み出すのが本当の成長戦略であると思うが、日本の官僚、政治家からはこのような発想は生まれない。
2016.07.23(犬賀 大好-253)

高速増殖炉 ”もんじゅ” の運命

2016年07月20日 09時14分29秒 | 日々雑感
 原子力規制委員会の勧告を受けて、文部科学省は高速増殖原型炉 ”もんじゅ”の在り方を検討してきた。その結果、日本原子力研究開発機構内のもんじゅ運転管理部門を本体から分離し、3百数十人程度の新法人を作る案を固めたとのことである(7月2日報道)。

 かって、”もんじゅ” は夢の原子炉ともてはやされたことがあった。核燃料を燃やして発電し、燃やした以上の核燃料を生み出すと期待されたからである。このためには、現在主流の原子炉に比較して格段に難しい技術的な問題を解決する必要がある。その一つが、通常の原子炉では水を冷却水とするが、そこでは液体ナトリウムを使用することである。高速増殖炉では放出された中性子を減速させないようにするためである。金属ナトリウムは融点が98℃で容易に液体化できる利点はあるが、水と反応すると激しく燃える厄介な物質である。

 “もんじゅ”は1995年にナトリウム漏れ事故を起こし、2010年には燃料交換装置の落下事故を起こした。それ以降も機器の点検漏れなどの不祥事が相次いだことを受け、原子力規制委員会は原子力機構には安全に運転する資質が無いと結論つけ、廃炉を含めた今後の対策を立案するように迫っていた。

 そこで文科省は四苦八苦して改善策をまとめたのだ。それによれば、保守点検などの技術面には原子炉のプラントメーカや電力会社からの出向者をあて、経営面では民間企業で組織運営の経験が豊富な人材を活用するとの方針を示した。原子炉の中でも高速増殖炉は極めて特殊な技術であり、熟知した技術者はそう多くはいないであろう。新法人の設立にあたり、これまで従事してきた人々の処遇は不明であるが、これまでと同様に活用せざるを得ないのではなかろうか。
 
 ”もんじゅ”は、例え廃炉にするにしても相当な規模の組織は必要であろう。現在、燃料交換装置が故障中で燃料棒の交換もままならないらしい。前に進むにも、後に退くのも問題山積みであるが、現状維持だけでも、年間500億の費用を使う「お荷物」状態のようだ。このような状況下では、どんな組織を作ろうが、担当者の士気が上がる筈は無い。先の点検漏れなどの不祥事は、士気の低下の典型例であろう。

 更に、技術的な困難さや採算性の悪さから、海外で作られている高速増殖炉はフランス以外殆ど撤退を決定しており、技術者の一層のやる気をそいでいることだろう。そもそも、福島第一原発の廃炉も先が見えない。廃炉で生じたごみも処分法が未だ決まっていない。これまでの発電で生じた使用済み核燃料も各発電所で行き場が無く、近い将来満杯になる。八方ふさがり状態である。

 ”もんじゅ” は核燃料サイクルにおける必要不可欠な要素でもある。各発電所に保管されている使用済み核燃料も六ヶ所再処理工場で再処理される筈であったが、2016年7月現在稼働していない。原子力政策は既に行き詰っているのだ。文科省としても、厄介者の”もんじゅ”をお払い箱にしたいであろうが、それは核燃料サイクルの破たんを決定付けることでもある。

 日本では一旦始めた国の事業はまず止められない。官僚組織には定期的な人事移動があり、自分の任期の間は前例に従って無事にこなせば、次のポストが約束される。方向転換への主張は窓際族入りだ。ここに、問題先送り体質の根源があり、問題が明らかになっても誰も責任を取らない。”もんじゅ”の廃炉の決定は政治家が命令すべきであろうが、原子炉政策全体を見渡せる人材はおらず、官僚の言いなりにならざるを得ない。

 ”もんじゅ” 問題が無くても原子炉政策は破綻状態である。原子力発電は当面の春を謳歌するだけで、問題先送りのデパートである。先進国では原子力発電は自然エネルギーにシフトし始めている。

 未来に対する明るい希望が無いところに、人材は集まらない。大学において原子力関係に進学を希望する学生の推移はどうなっているか分からないが、多分じり貧状態ではなかろうか。これまで、原子力発電を支えてきた人材が定年退職する前に、廃炉事業を積極的に進めるべきではないだろうか。

 文科省も ”もんじゅ” 問題は、組織の問題より、将来に対する夢の有無の問題であることを心すべきである。
2016.07.20(犬賀 大好ー252)

核兵器規制と銃規制を考える

2016年07月16日 09時19分28秒 | 日々雑感
 オバマ大統領は、7年前プラハで核廃絶を訴え、ノーベル平和賞を受けた。今年5月、G7後の広島訪問で、”米国のような核兵器保有国は、恐怖の論理にとらわれず、核兵器無き世界を追及する勇気を持たなくてはならない”、と格調高く演説したが、米国にとって銃無き社会の実現の方が身近な問題ではなかろうか。

 今月5日、6日 ルイジアナ州、ミネソタ州で黒人男性が警察官に射殺される事件が相次いて起こった。これに対する抗議デモが全米に広がり、ダラス市中央部でも数百人が参加するデモがあった。この種の事件やデモは米国では珍しくないが、今月8日の事件はISによるテロを思い出させた。

 すなわち米テキサス州ダラスでデモを警備していた警察官が12人撃たれ5人が死亡した事件である。今回の事件は黒人の単独犯であり、米陸軍予備兵でアフガニスタン派遣経験もある人物だったらしい。犯行理由は「最近の警官による射殺には我慢ならない。白人、特に白人の警官を殺してやりたかった」と、人種差別のひどさを訴えている。

 テロとは暴力による恐怖を政治的な目的のために利用することであろう。人種差別は政治的な問題でもあり、今回の事件で政治的な要求がなされたかは不明であるが、テロの一種と呼んでもよいだろう。米国のために軍で訓練を受けた人間が米国社会で同胞の殺しを行うとは、事件の根深さを暗示している。

 オバマ大統領は、このような事件が発生するごとに議会に対して銃規制の強化を訴えてきた。大統領は議会審議が進まないことに業を煮やし、大統領の権限が及ぶ範囲で銃規制を強化することを決断した。大統領令では、銃器を購入する際の身元調査を強化することを柱として、銃器の安全技術の向上等が盛り込まれた。

 しかし、全米ライフル協会(NRA: National Rifle Association of America)の政治圧力だけでなく、国民も大統領の銃規制案を必ずしも支持しない状況からすれば、銃器による死亡者数を減少させるための効果は少ないと推測される。

 他人が持つ銃への疑心と恐怖は、人々を更なる銃信奉へと駆り立てる。実際、事件がある度に銃の保有者は増加するとのことだ。これは国家間の軍拡競争と全く同じ構造だ。

 核兵器禁止条約(NWC)は、核兵器の全廃と根絶を目的として起草され、2007年コスタリカ・マレーシア両政府の共同提案として正式に国連に提出されたが、未だ発効されていない。また、昨年4月に行われた拡散防止条約(NPT)再検討会議も、実りの無いまま終了している。核廃絶の流れに強く反対しているのが、米英仏ロ中の核保有五大国だ。核保有国と非保有国の対立が目立っているが、根にあるのは各保有国における他国が持つ核兵器の疑心と恐怖であろう。

 このような遅々とした動きにオバマ大統領は、大統領令で ”核先制不使用” の宣言を含めた核軍縮策を検討していると、米紙が今月12日報じた。しかし、抑止力維持の立場から共和党などが反発するのは必至と見られている。

 銃規制にしても、核軍縮にしても、それを妨げる根本原因が他人に対する疑心と恐怖とすれば、その疑心暗鬼を解消するように、努力する必要がある。核軍縮は世界中の人々が対象であるが、銃問題は国内問題であり、米国民内における疑心暗鬼を解消すればよい。この意味では、核問題より銃問題の方がはるかに簡単な筈だ。オバマ大統領は、国内の銃問題を解決しない限り、世界の核廃絶は到底無理だと、言えるかも知れない。
2016.07.16(犬賀 大好-251)