徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

森達也 テンイヤーズ~日本人の10年間/LB2005年12月号

2009-05-22 18:26:55 | お仕事プレイバック
--森さんはオウム真理教のA広報部長を追った『A』で一躍注目されましたけれども、事件から10年経ってテレビ報道の変化をどう考えていますか?

森 瑣末な部分でいったらテロップが増えたとか、ナレーションが過剰になったとか、要するにわかりやすさが加速しましたよね。それは三段階スライド方式なんですよ。オウムによって危機管理やセキュリティなどの意識が刺激されて、不安の裏返しで共同体の結束志向と異物への排除意識が高まっていく。危機や不安を煽ったほうが視聴率や部数は上がりますから、メディアもその構造に加担する。まわりくどい内容より単純な情報が好まれるから、善と悪や黒か白などの二元論が、メディアと市民社会との相互作用で加速する。(中略)

--テレビも企業である以上は営利を追求するのも当然なんでしょうが、それにしてもこの数年は身も蓋もなくなっているような印象があるんですよ。

森 企業メディアの限界もありますよね。営利追求は企業の最大のダイナミスムですから、そういう意味では商業主義とジャーナリズムというのは絶対相反するわけじゃないですか。かつては相反の中でみんな悩みながらやっていたんだけれど……悩まなくなっちゃったんですよね。企業の論理とジャーナリズムの論理が矛盾しなくなっちゃった。一致し始めちゃいましたよね。(中略)

--先ほどいわれた「わかりやすさ」という意味では、もうわかりにくいものとか面倒くさいものを排除していく中で、森さんはあえてわかりにくいものを撮ろうとしている、書こうとしているという印象があります。流れに対する反発心みたいなものはありますか?

森 反発はあるんでしょうけれど、あえてわかりにくく撮っているんじゃなくて、わかりにくさをわかりやすくする過程の中で絶対失うものはあるわけです。テレビがその代表だけれど、四捨五入しちゃうんですよ。躊躇もなく。ひとつの方向から見て、これがすべてだというような傾向がすごく強くなってきているんですよね。それは損をしていると思うんですよ。そういう見方をしていると、人生はつまんなくなっちゃいますよ。(中略)

--確かに想像力がなくなっているっていうことはあるんですが、逆に妄想は激しくなってきているような気がしますね。

森 主語がない妄想です。これは一番性質が悪くて、「許せない」とかの言葉が典型ですよね。

--確かに(笑)。

森 誰が何を許さないのって、よくわからないですよね。たぶんカッコつきで、主語は「我々は」とか「国家」という主語になるんでしょう。そうすると述語は暴走しますからね。自分に責任はないわけだから、そういう意味での妄想は肥大していますね。
LB中洲通信2005年12月号 特集「戦う男」より

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