モゲログ

汎発性脱毛症になりましたが元気です。自分のこと、家族のこと、子どものこと。家づくり育児ブログ??になってきました。

ヒューマン・ビヘイビュアー

2009-11-29 22:12:38 | なか
2009年11月29日

 最近起こったことを書いておこうと思う。

 星の数ほど楽曲はあるのに結婚式で余興の曲がかぶったこと。
 ステージの幕が自分の30Wのマーシャルのアンプを持ち上げていったこと。
 バーボンハウスでシングルとダブルの分量がわかったこと。
 初診で血を抜かれ6000円も取られたこと。
 ゴットハンドのばあちゃんと仲良くなったこと。
 プロのジャズミュージシャンと恥ずかしながらセッションしたこと。
 原稿の締め切りが過ぎていたこと。
 親しい友人がエジプトに旅立ったこと。
 
 本当は一つひとつ感慨深いエピソードがあったはずなんだけれど、時間がたつと語るほどでもない気がしてくる。自分の身の周りでは恐ろしいくらいのスピードで物事が動いているのに、それに気がつくにはだいぶラグがあるような気がする。

 語りたくなったら語ろう。
 何かを毎日語っていることは逆に病的だ。
 でも、全く語らないことも病的だ。

 睡眠不足を解決する手段を一度教わったことがある。それは、「眠らないこと」だそうだ。でも、朝必ず決まった時間に朝食を食べなけりゃいけない。

 
 この一文を引用していいかよくわからないが最近読んだ本の一節だ。
 「もし、僕たちが年中しゃべり続け、それも真実しかしゃべらないとしたら、真実の価値など失ってしまうのかもしれない」《風の歌を聴け:村上春樹》



 語ることは小さな謎の問答をするようなものだ。自分のやっていることはその問答を謎のまま誰かに問い返すこと。無自覚じゃない。むしろ確信に満ちている。

 強がって今日を終わらせたいと思う。
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造形好きなおおかみ

2009-11-23 08:55:06 | なか
2009年11月23日

 結婚式がありました。

 動物占いをしたら、造形好きなおおかみですと言われました。


 200回目を迎えたモゲログ。


 パソコンの調子が良くないのでこの辺で・・・
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心の中に夢をしまっておく場所を空けておけ

2009-11-20 02:41:41 | なか
2009年11月18日

 いつの間にやら冬がやってきていたような・・・
 住宅の窓から見える木々はその葉がいつの間にか数えるほどしかなくなって、それでも風に飛ばされまいと気を張っているような気がする。空々漠々たる想いってのはこんな感じなのかもしれない。そんなとらえどころのない焦燥が全身から流れ出て、今の季節に追い付けない自分の中の季節感がおかしい。

 小学生のころ、冬には必ずマラソン大会があって、いやだという気持ち以上に冬になってしまったことをよく実感した。子ども心にはクリスマスや冬休みが楽しみなものなんだろうけれど、北風が肌を刺すような登下校はそれはそれで嫌だった。 あの頃は、裏とか表とかそんなものなくて、すべてが本音で自分の感情をいっぱいに表現してた気がする。子どもなんだから当たり前か・・・。嬉しければ喜んだし、悲しければ泣いた。理不尽なことがあれば怒った。でもやっぱりだんだん世の中や自分のおかれた環境がどんなものかを知っていくと、人と比べて落ち込んだり、本心とは裏腹な行動をとるようになっていく。世の中が建前で塗り固められたものだって気づくのが早すぎたのかもしれない。もっと素直でいればよかったと思うけれど、今となってみればどうでもいいことだ。

 子どもだって器用に「いい人」を演じることがある。そうすれば必要以上の痛みとか、心配をされなくて済むのだ。そして、不思議と人は集まってくる。人にやさしくする時に本心でなかったとしても、結局は自分に「いい人」の評価が下される。そうしていかなければ心地よい環境を手に入れることができなかったんだと思う。それは既存の環境から少なくともマイナスにならないようにと願う本能的なふるまいだったのかもしれない。自分を守るように。

 人を分析する以上に自分を分析することは難しい。それは真に客観性を持ちえないからだ。分析の材料に私見や私情が絡みつき、真情を得ない。永遠に解読されない不等式をさもしたり顔で眺める。まさに「僕って何?」の世界だ。

 残念ながら成人してしまったらもう自分の本質など変わりもしないことは自明のような気もする。今まで苦労しながら得てきた処世術である。自分が順応してきたものを新しい眼を持って見直すことはなんによらず愉快なものではないからだ。

 でも少し考えてみよう。「人間は変わらない」で終わってしまえば残りの生は色身のないものになる。まずは自分のすべてを自分に披瀝して、自己と向き合うほかない。たしかにそうすることは難しい。誰しも自分にとって自分は決して誇れた人間ではないからだ。でも、人間なんて独善と強欲であふれていて当然だ。自分に目をそむけてはいけない。自分の醜さに目をつぶってはいけない。そうすれば心の中に誇れるべき自分が見つかるかもしれない。そしたらそこに好きなものを入れればいい。愛だの、夢だの理想だの。

 マーチン・ルーサーキングはこう言っていた。
「心の中に夢をしまっておく場所を空けておけ」

 もちろん、その前に詰め込まれた荷物を何とか自分で整理するほかないのは、日曜日の部屋のかたずけも一緒だ。

 冬はそんな季節なのかもしれない。
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甘えとか弱さじゃなく

2009-11-16 22:51:40 | なか
2009年11月16日

「・・・甘えとか、弱さじゃなく・・・」
 こんな歌詞あったよね。

 自分のなかに「弱いこころ」と「強いこころ」があるとして、先立つ不安におびえたり目先の損得や一瞬の愉楽はいつも「強いこころ」をくじけさせる。迷いや悲しみよりも時間を浪費していく「弱いこころ」のほうがはるかに問題だ。惰性で何かをしたり、だらだらと日々を過ごしていくことほど無駄なものはない。

 どうしたらそんな状況から脱却できるのだろうかと考えたことがある。楽なほうに流れる自分を断つことは、絶望から立ち上がるよりも確固たる決意が必要だ。何かに絶望したときその反動は大きな決意にも変わりえるけれど、怠惰な自分や惰性で生きる自分を奮い立たせる決意はなかなか難しい。だからこそ、意図的に自分の強いこころを奮い立たせるきっかけを作るしかないのだろう。

 自分の甘えを助長する「弱いこころ」と上手に付き合っていくことは大切だ。
 もちろん、楽なほうに逃げてしまっても別に誰も困らない。でも、やっぱり私たちは潜在的な危機感を甘えや弱さにもつわけで、それを突き詰めれば、人間としての能力や魅力、もっと言ってしまえば尊厳にもかかわる大切な問題だからなのだと思う。
 よく、どんな職業でも計画し実行したことを反省し、またそれをフィードバックして次に生かしていくということを行う。それは、よりよいものを目指すという意味合いもある。しかし、それ以上に作業や業務が惰性にならないための緊張感を保つという役割も果たしている。反省したことが次に生かされるということ以上に、反省すべき点があるとチームで共通理解することは、業務全体の引き締めになるからだ。ここでは、一個人の弱さに通ずる、集団での弱さを垣間見ることができる。

 少し話は変わるけれど、甘えや弱さにまみれることに比べれば、迷いや苦しみは決して無駄なものではないと思う。
 「絶望しても悪いことばかりではない」とそのエネルギーを向上心に変えてしまうのもどうだろうか?
 勇気ある一歩は熱湯に入るよりも、ぬるま湯から抜け出すことのほうがはるかに難しいことを私たちは知ってしまっている。

 偉大な一歩を自分で踏み出したい。 
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スタート・イット・アップ

2009-11-12 22:11:05 | なか
2009年11月12日

 「何を書こう」と正直に思う。
 まっさらな白紙の上に言葉を置いていくことは簡単だけれども、なかなかその真意を正確に伝えることはできないし、自分が考えていることを上手に伝えることは難しい。そもそも伝えることが目的なのかも怪しくなってくる。絵具の試し塗のように次々と言葉が鮮やかな意味をもってくれればどれだけ自己養生になるんだろうと思うけれど、そんな偉大な詩人のようにはいかないし、結局それができても空虚さは残るんだろう。

 どんな時も人は感情を吐露せずには生きていけない。それはストレスを発散させるとかそんな類のものもあれば、切々と根本的な内情を何とか解決させたいともくろむことでもある。現実をもっともよく知悉している人でもそうだろう。

 じゃあ、なぜ今自己養生の一つとしての書くことがなくても平気なのか。
 その答えは2つ考えられる。一つは自己養生そのものが必要ないということ。そしてもう一つは書くことが自分の感情の整理には最良ではないということだ。ただ、やっぱりそれは「言葉」の世界での話だ。
 
 考えるってことは人間に与えられた特権のようにも思うけれど、こと感情に限っては理性的でないほうがいいことが多い。感情を理性的にとらえるには無理がたくさんある。知的になればなるほど人間は現実的な感覚を失っていく生き物だとも思う。ヘミングウェイ、芥川、太宰、その末路は結果同じ終着点をみる。

 「もう大丈夫だよ」そう言って遠い目をする友人の気持ちを察することは、行間を読み取ることに等しい。有機的な人の感情に理性で立ち向かうのは迷妄が深まるばかりだ。自分にとって上等な感情は理屈を語る前に言ってしまったほうがいい。思春期の恋愛感情みたいなものが、割と心地よい安堵をもたらしてくれるんじゃないかと思う。逆説的だけれど、だからこそ自分の気持ちと付き合うことは大人になればなるほど難しいと思うんだな。


 
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さいどうぇい

2009-11-03 22:42:52 | なか
2009年11月3日


 もうひとつの誕生日
 10年ぐらいだろう。この一年は長く感じた。それはいいことなのか悪い事なのかはわからない。アメリカの自己免疫疾患にかかった人の話じゃ体は芯までむしばまれないけれど、心がむしばまれるんだって。

 だからなに?もう心はとっくにむしばまれていますよ。少なくとも、そんな奴がたくさんいるのを知っているし、まともな人間って方がおかしいんだから。

 世の中には健康か不健康か、健常者か障害者か、そんなくくりでは見えるものも見えなくなっていくし、触れることができるものにも触れられなくなる。

 まともでないのは自分が一番知ってる。それはみんないっしょ。みんな持ってる…心に内在した生きづらさを。それが際立つんだ。今の自分には、それは苦しくもある。まともな人間なんて怪しいけれど、少なくとも器用に生きることはできる。まともなふりはいくらでもできるからだ。
 でもまともでないふりはできない。これって案外大切なことだと思う。みんなまともじゃないからだ。

こんなこと考えて過ごすのもあと少しかな。人生のおおいなるより道ですよ。
メルローでもあけましょうか?
いや…やめとこう


この一年どうだったかって?

最高に最低だったよ
最低な最高だったでもいいけど
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