モゲログ

汎発性脱毛症になりましたが元気です。自分のこと、家族のこと、子どものこと。家づくり育児ブログ??になってきました。

カール・ブッセみたいに

2009-10-29 22:23:48 | なか
2009年10月29日

 明らかに空気は悪かった。

 煙草の匂い、3年前にはやった香水、サラリーマン風の中年から出る加齢臭。すぐ横では、ずっと前に家庭も仕事もなくしたような老婆がコインサンドに年金を入れている。しわくちゃな手で、しわくちゃになった千円札を、だ。
 すべての人が幸せになってほしいと願うけれど、それは傲慢だし偽善だとも思う。それでも願わずにはいられない。

 昔こんな話をしたことがある。
「幸せ」についてだ。

 幸せの総量はきっと決まっていて、それを人が奪い合ったり、なくしてしまったりするんだと僕は言った。でも、そうじゃないと彼女は反論した。総量が決まってるんじゃない、幸せの数は確実に減っているんだよと諭すようにいった。
ツルゲーネフの「初恋」を10代で読まなかった人は不幸だとも彼女は言っていた。
 「幸せ」の数が徐々に減っていくのはそんな理由なのだろうか。

 どうやら取り合うものではないことだけは何となくわかってきた。
「幸せが何かを考えている時点で、幸せにはなれないのかもしれないね」
彼女のしわが笑ったのを僕はしっかりと記憶にとどめている。



 カール・ブッセの言っていた「幸い」はどこにあるんだろうね


 おやすみ
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ねだるな、勝ち取れ!!

2009-10-28 21:26:25 | なか
2009年10月28日

 モゲログは永遠に不滅なり

 「学ぶ」という言葉の語源は「まねぶ」つまり真似をするということからきているそうだ。どんなこともまずは自分の目指すべきものを真似てみる。これって案外大切なこと。初めて手にしたヤマハのパシフィッカで最初にひいたのは、やっぱりディープ・パープル。かきならす6弦は和音ともコードともいえなかったけれど。とにかく弾きたかった。

 真似てばかりではいけないけれど、どんな興味の入り口にも自分の憧れるスタイルがある。問題はそのあとだ。まなぶ材料がなくなったとき、どうしようかと途方にくれる。そんな時こそ自分のスタイルを築くチャンスなんだと思う。

 心病むとき、大きな障壁に立ち向かったとき。それは「真似ぶ」ものがなくなった瞬間だ。もう見本をねだってちゃいけないってことだ。勝ち取りに行こうか。


 なぁ・・・モゲログも。

 
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贖罪ってやつですか

2009-10-23 23:59:10 | なか
2009年10月23日


「恥の多い生涯を送って来ました。自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです」(人間失格)
---際立つのは世の中の営みの不可解さ。

 
 どうも謝らなければいけない人がたくさんいるような気がする。
もし、地球最後の日が来たなら、謝罪行脚をしようと思う。

 
 
 明日はきっといい日だから大丈夫さ。
 涙を誘うものならかなぐり捨てろ。
 良いことばかり思い出して、余計な心づかいは忘れちまおう。
 あれ?
 なんだろ結局・・・
 なんだか吐きっぽいぞ


 風邪でした・・・。
 
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君がために僕は生きよう

2009-10-22 00:00:00 | なか

2008月10月22日

 「空っぽの一日を与えられたらどうしよう?」
 彼はきいた。
 「寝ればいいさ」
 僕は答えた。
 「一日楽しむには本でも読めばいいかもしれないね。でも空っぽってことはそれ すらないんだ。仕事?・・・ないない。ギター?・・・もちろんない。」
 「頭を休めればいい」
 僕は続ける。
 「人間は空想好きな動物だと思うけれど、その中身を詰め込むものも、容れ物も 与えられなかったら、恐怖とも少し違った虚無感でたまらなくなる。前提すら与 えられないことは悲しい。とくべき命題もそこからは生まれてはこないから。悲 しい」
 「君は不安なんだな」
 「不安・・・とも違う」

 安心なんてものを感じないから不安は不安でない。心が立ち騒ぎ、まどろみの幕さえ容易に下がらない。奇異な想念の正体はなんだろう。たぶん自分がいちばん知っているはずなんだと、誰かが不意につぶやく。そうだ、一番恐ろしいのは留まること。






2009月10月22日


 コンタクトの汚れが気になる。
いくら目洗っても、網膜にしみ込んだあの光景は忘れない。
 

 去年のこの日。


 ・・・彼は死にました。 
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素敵な赤いカーテンにしようか・・・とりあえず

2009-10-21 00:03:16 | なか
2009年10月21日


 有名な「マッカーサーの地図」というものがある。
 私たちが知っているメルカトル図法で描かれた世界地図を、さかさまにみたものだ。何だかバランスがひどく悪いようにも思うし、世界の中心点がずれたような違和感が残る。新鮮さでいえば、海がおもったよりも広くみえるし、南半球にほとんど陸地はない驚きがあったりする。
 日本の周辺に着目すれば、日本海はまるで大きな湖のようにも見えてくる。北九州地方では天気のいい日に朝鮮半島が見えるそうだ。実際近いってことか・・・。少し見方を変えるだけで新しい気付きがあるから不思議だ。
なんのことはない、地図をさかさまに見ただけなのにだ。

 街を見下ろす赤いカーテンのような鮮やかな夕焼け空も、街の風景の傷口をかくす包帯にみえることもある。
 
 見方を変えて憂鬱になる・・・なんて、そんな時もあるけれど、もし勇気があればいろいろなもののとらえ方をしていきたいと思う。内実に迫れば迫るほど、勇気とエネルギーがいることだ。その見返りは大いなるひらめきであったり、逆に陰惨たる失望であったりもするからだ。

 
 人を分析するのは難しい。
家族や友人、恋人、愛する者ならなおのことだ。
世界地図を逆さに見て、新鮮さを得るくらいがちょうどいいのかもしれない。

 深刻になるような話題でもないね・・・これ。




 新型インフルエンザに注意しましょう。
手洗いは大事だそうだけど、うがいは何の意味もないらしい・・・よ。
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拾いすぎてはいけません。でも・・・すべてを大事にもたなくてもいい

2009-10-20 00:04:41 | なか
2009年10月20日

 「秋晴れ」とはこのことを言うのかと思った。雲ひとつない。山に向かって空の青は広がっていて、稜線が近づくと微細なグラデーションのようにその色は白く薄れていく。澄んだ秋の夕映えもいい。夜にはオリオン流星群が見られるのだろうか。

 飽きもせずに何か景色を眺める経験はあまりない。そんな素敵な景色に巡り合える時ほど、その場に長居することができないものだ。いざ勇んで素敵な景色に出会おうとしても、案外なんの感動も感興もなかったりする。そういう意味で日常は面白い。

 出会おうと思っても出会えないこともあるし、そうでないこともある。何かとの出会いは複雑であるけれど、「ひと」であり「もの」であり、出会いそのものが奇跡的な確率をたどっている。もし一年前に出会った人に、今出会うなら、それは同じ出会いにはならない。人は日々変化も成長もするからだ。もちろん毛がなくなることもある。過去の自分にもうだれも出会えないと考えるのは、さみしくもあるが、結局その分新しい何かが自分に加わるわけだ。


 時間軸と場所、人間が交差し、ものがあふれるこの日常で、一つ一つの出会いはやっぱり貴重だとしか言えない。もちろん背反する「別れ」も大切なことだ。
私たちは何かを拾ったり、こぼしたりしながら今を生きている。
拾いすぎてはいけないし、すべてをこぼさないように無理をしなくてもいい。

 自然体で、心地よさを感じられるように生きてみよう。
 少しの勇気以外、人は生きるすべを知っていると思うからだ。
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憧憬の念

2009-10-19 00:44:21 | なか
2009年10月19日

 芸能界の薬物汚染が問題になってだいぶたつ。もういい加減、のりピーはどうでもいいし、それを話題のタネに暴露本を出版する人間がいるんだからその人のセンスを疑う。そもそもそんな話題の需要に世間のセンスを疑いたくなる。そういえば光市の母子殺害事件だって被告の少年を実名で記した本が書店に並ばれだした。出版業界が根腐りを起こすのもうなずける。タレント本とミステリー大賞の本しか売れなくなったらどうなるんだろう。こわいこわい・・・


 薬の話に戻ろう。以前、といっても60年代、70年代、芸事をする人間にとって薬物はピザにかけるタバスコのようなものだった。それこそ村上龍がセンセーショナルに文壇へ登場したころだ。その頃は米軍の海兵隊の影響もあるのだろう、今よりはるかに薬物汚染は広がっていた。実際にお国は違えど、ビートルズもエリック・クラプトンだって、コカインどころかヘロインも大麻もやってたんだから。クラプトンはご丁寧に「コカイン」という曲まで作っている。何が言いたいかといえば、音楽の教科書にビートルズをのせている国としてはもっと根本的な議論がなされてもいいんじゃないってこと。必要以上にタブー視しないほうがいいこともある。

 もちろん覚せい剤や合成麻薬を容認するなんてことは絶対だめだと思うけれど、そうじゃなくて人が薬物を使う心理とか、状況とか考えなければいけない。多くの薬物常習者の考え出したアイディアと芸術を称賛しているのは我々なんだから。薬物の正確な知識はけっして学校では教えてくれない。「ただ危険だ」「身を滅ぼす」とか。
 大人もいけない。暴力団への資金元になるからとか、うわっぱりのモラルや道徳観だけではもうだれも納得しない。これは薬物に限った事でもないけれど・・・。

 高校のころ、まだマジック・マッシュルームが合法ドラッグだったから、観賞用か何かの乾燥した幻覚キノコをみんなでかじってみた。でも、ひれ酒のひれみたいにたいした味もせずもちろん気分も全く変わらなかった。タバコよりも手軽だ。
世の中にはグレーゾーンみたいな薬物もたくさんある。
 精神科での治療はほとんどが薬物治療だ。カウンセリングなんてものはほとんどない。その人の気分を型にはめ込んでその医師が判断した最良の薬物治療がおこなわれる。それも現実だ。

 最後に、レイチャールズのうたを・・・と思う。彼もヘロイン中毒だったが、それを断つことに成功した人物。楽曲として皆さんにご紹介できないのは残念だけれど、もし機会があればCDを探してみてほしい。ちなみに自分は市立図書館で中学生のころ見つけた。


『ジョージアよ

 懐かしい君の歌

 そっと届くよ

 松葉を透く

 月光のように

 感じるんだ

 その腕が

 差し伸べられるのを

 瞳がぼくに

 微笑みかけるのを

 やさしく・・・・』

 
 彼に光があったのは4歳までだけだ・・・。ヘロインにおぼれた日々。心の隙間に入り込んでくるのは視世界への憧憬の念なのだろうか。
きっともっと単純だろう。そう信じたい。
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ハリーポッターに毛が生える呪文を教わりたい・・・

2009-10-18 00:28:19 | なか
2009年10月18日

 時には人間腹立たしい思いに駆られることもある。
 どうしようもなく誰かを憎み、その憎しみは耐え難いほどの重い荷物となって足腰ではなく、直に心臓にぶら下げられるようだ。世の中が怒りで満ち満ちていることは一つの事実である。今日もまた誰かが怒り、泣き、喚いているんだろう。

 でも・・・怒りは君を幸せにしただろうか?

 『怒りにまかせるには人生は短すぎる』
 (アメリカン・ヒストリーX)

毛は生えませんが怒りません・・・
 
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サボったのはブログだけ?

2009-10-17 23:44:59 | なか
2009年10月17日(土)

カウンセリング研修をサボったモゲログです・・・


 こころの病に線引きをして名前を付けるのはどうも好きでありません。以前、朝青龍のごたごたの中で、彼を診察した精神科医だか心療内科医だか知りませんが3人とも別の病名で診察をしていました。結局その人のさじ加減なんでしょうか。もちろんこんなことを言ったところで カウンセリング研修をサボったいいわけには・・・ならんよね。

 実はこれは深いわけがあるんですよ。その日は6の日だったんですが・・・いや違う違う・・・。


 久しぶりのモゲログ、ブログの書き方も忘れちまったよ(笑)


 心配してくださった方すみませんでした・・・ただの怠けです。怠慢です。炬燵から抜け出せないのと同じです。でもどんなに心地よい炬燵からも抜け出さなくてはいけません。

映画をたくさん見ました。この2週間。「シャイン」「タクシードライバー」「ミリオンダラーベイビー」「アメリカンヒストリーX」「パッション」そしてなぜか20世紀少年・・・。だから仕事が遅くなるんですよね。

 モゲログはいっそう文芸色を出しながら、どっかのおっさんが作っている「週刊あれこれ」みたいなブログを目指します(嘘)


 今日の日にさようなら・・・
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『手まわし』と『ゼンマイ』

2009-10-08 23:34:22 | なか
2009年10月8日

 おじさんの治療室の書架には、一面タイルのようなファイルが所狭しと並べられていた気がする。そのひとつひとつには、子どもの自分には決して解読できない6点の文字が浮き出ていた。

 回転する円筒に櫛状に並んだ細長い鋼片によって音階盤をはじくオルゴールのような魅力。その文字たちは幼い自分に意味を与えられることなく、秘めた魅力を潜ませただけだった。手まわしもゼンマイもそのころの自分にはなかったからだ。

 第46回点字毎日文化賞に全盲のエッセイストで外国通信社勤務の三宮麻由子さんへの受賞が決まった。4歳で視力を失い上智大フランス語科へ入学した。その経歴は私たちには計り知れない苦労があったろう。外国通信社への入社後、現在は英語ニュースの翻訳を担当しているそうだ。
 
 エッセイを見て、彼女の「言葉」への距離感にとても好感をもった。
『エッセイはライフワーク、翻訳はデイリーワーク、どちらも大切な仕事です』

 仕事をすることは生きること。でも「仕事」の中身を決めるのは自分であることも大切なことだ。収入源になっている毎日の業務や労働ばかりが仕事ではない。ある意味で自分を自分たらしめる行動こそが「仕事」ということもできるのではないか。私たちは働くことが仕事だと考えてしまうけれど自分にしかできない、自分ならできること、もっといえば『自分が自分であるため』の何かをきっと持っているんだと思う。少しややこしいかな?
 三宮さんにとってはそれは「言葉」だったのだろう。


 今の自分には目の前に手まわしもゼンマイも転がっている。
 あとはそれを上手に回して素敵な音色を奏でるだけだ・・・
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