砂漠の朝

大人になれない人の育児日記。
奇跡講座ワークブックを実践中。

10月30日

2022-10-30 10:35:28 | 奇跡講座ワークブック
奇跡講座 ワークブック編(565日目くらい)

【レッスン174】 レッスン157とレッスン158の復習


私は受け取るように与えることを学びます(レッスン158)

昨日書いた、「ゆるす」について、まだまだ、ゆっくり、じわじわと
私の心が書き換えられているような感じがしています。
どんなことも、どんな状況も全てを受け容れて許す、
「許したら幸せになれる」「許さないといけない」そういう次元でなく
「許すことしか出来ない」という諦めに近いもの。
ということは、イコール、人は「幸せにしかなれない」、本来。

「許せない」「なんらかの罰を受けて欲しい」
「私と同じ思いをしてくれない限り納得できない」
「”あいつは不幸” という設定をして、なんとか精神を保つ」
私は人と関わるとなぜか最終的にそんな思いになってしまう。
なぜそんなふうになるのかわからない、と不思議がる人に対して、
それを証明しようとしたり、わからせたい、解って欲しい、
ずっとそう思ってきました。なぜにみな善き人で、私はそうじゃないんだっ。
本気でそれで40年以上いじけてきました。

そうなってしまうのも、しようがないと、いいのだ。昨日から
そんなふうに思えています。どんな私でも大丈夫なんだ。
そう思うように頑張らなくても、最初からそうで、単に
元通りになるだけなんだから。そしてどうあがいてもだめ。
良い意味で。


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10月29日

2022-10-29 08:46:10 | 日記
12年前に再開したピアノ、床ずれ気味ですが、最近、
自分なりに手ごたえを感じております。かつて取り組んだ曲は、
もう既にその当時のレベルで仕上がっており、今となってはむしろ、
弾きにくいのですが、そんなにがっつり練習していなかった曲や、
新しく譜読みをしていて楽しいと思える曲は、いくら練習しても
疲れないし、楽しいです。

昔の先生が聞いたら、何にも変わってないなぁと思うと思いますが。
確かに、感性の話出されたら終わりです。えぇ。ひとりで楽しんでる
だけですから。なんとか、人と共有できないものかと模索した日も
ありましたが、どうしても出来ない。

「人前で楽々弾けるようになれば、聞いている人に感性を引き出して
もらえないだろうか?」
今、ふとそんなことが頭に浮かんだ。なんだか確信に近い。

私は、いつも間違わず完璧に弾けるようになる練習をしている。
しかし、娘のダンスを見ているとき、完璧に踊る娘より、間違ったり、
ちゃんと覚えていない娘を見るのが好きだ。そこは親似で完璧に
踊ろうとする娘しかいないのですが。勉強に関しては、なぜか
口うるさく言ってしまう。あまりに娘のだらしなさに!
だがしかし、勉強できないからなんだってんだ。それすら本人の宝物だ。

私も姉も、おそらく父も、社会に対して「適当」「ゆるゆる」「だめさ」と
いう感覚を知らない。社会を戦場だと思っている。油断してはいけない。
なめられたら終わり、下に見られたくない。。
しかし、それを守ったとて、果たしてパーフェクトな人生だろうか?

とは言ってもですよ、それはそうかと、ならばそういうふうにしてみよう
と思っても出来るもんでもないですよ。だから、私は娘に厳しくなってしまう。
姉はその娘や私に不満を感じる。父は姉に要求する。死すときまで。


だから、ゆるせる側がゆるすことでしか癒されない。頼まれたら引き受ける。
これはだめなことかもしれないと思っても。ゆるさない心は存在しない。
あったとしてもゆるす心に到底かなわない。



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10月28日

2022-10-28 10:31:45 | 奇跡講座ワークブック
奇跡講座 ワークブック編(563日目くらい)

【レッスン174】 レッスン157とレッスン158の復習

「神」の中へ私は今入っていきます(レッスン157)

このレッスンをやるときは、偶然か必然かわかりませんが、とても
穏やかな気持ちになります。なので、しばらく続けております。
まさに、沈黙と信頼の日。しかしブログに着手してしまった。。。

ひとつ懸念事項があるが、”おまかせ” しています。放置というより、
行動するにしろ、しないにしろ、神の存在と、神の子であることを
忘れずにいる。とにかく忘れずに。忘れたらすぐに思い出せるように。

それを続けていると、そして自分では耐えられそうもないことが
何でもないように思えてくる。自分の中で、確かに感じている恐怖、
恥ずかしさ、気まずさ、怒りのはずが、なんだかふわふわしたもの
になっているような。

最近人に会ってないから、かもですが。


ワークブック続けます。

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10月24日

2022-10-24 12:22:05 | 奇跡講座ワークブック
奇跡講座 ワークブック編(559日目くらい)

【レッスン173】 レッスン155とレッスン156の復習


私は完璧な神聖性の中で「神」と共に歩きます(レッスン156)

「誰が私と共に歩いているのだろうか」

1日千回言わないといけないそうです。1分に1回言ったとして、
10時間で600回、、。11時くらいから始めて未だに3回くらいしか
言えてない。道のり遠し。

*

昨日の食事会は結局、姉と私と娘の3人だった。
ピザを食べ、スペアリブを食べ、ジュースを飲み飲み、
ケーキを食べ、キーホルダーを買ってもらい、姉のワンこ
と散歩!娘にとってはスペシャルデー!

娘を家に帰した後はまた、姉とドライブをしながらおしゃべり。
何度も姉の自宅にたどり着いたが、お喋りが終わらずまた
車を回し、コンビニに入って小腹を満たし、ガソリンも入れ、
またお喋り。。。結局6時間もそれをしていた!

7月にあった父の腰痛事件で、決裂したかにみえた姉との
関係でしたが、単に、いつものきょうだい喧嘩、という感じで、
私の中ではもはや姉は、”私達の矢面に立ってる人”、という
何もかもを被ってしまう人、となった。
申し訳ない気持ちもある。正直、姉の家族のために私等を
切ってしまってもなんら問題はなく、もう既に何度も
切られた感覚でいて、むしろ姉の方が優しさか寂しさゆえ
私達を捨てきれず、こうやって何事もなかったように連絡
してきてくれる。

寂しさ。

みんな寂しい。それでいい。という話で終わった。
姉よ、すまん。こんなに冷たい妹しかいなくて。
ついに姉は、「母は再婚で、私達には会ったことのない姉がいる」
という話をしてきた。衝撃だったけど、どうも
寂しさ故の創作としか思えず・・・ごめん。
「父に聞いてみたら?」とあまりにデリカシーのないことを
言ってしまった。

姉は全身全霊で生きており、自我がどんどんなくなっている
ように見えた。いつも本心でないことを喋っていると言っていた。
その場に相応しい受け答えをただ出てくるのに任せている、と。
だから、一緒にいる人は、自我を好き放題させてくれるから
楽しくお喋りできるのだ。。

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10月23日

2022-10-23 09:11:04 | 奇跡講座ワークブック
奇跡講座 ワークブック編(558日目くらい)

【レッスン173】 レッスン155とレッスン156の復習 

私は一歩退いて、神に道案内をしてもらいます(レッスン155)

このワークブックに関することを心にキープしておけば、
本当に、何もかも楽しめたり、充実を感じられるのですが、
気付いたときには、娘にイラッとしているので、もう
その時点より以前に、キープ出来ていないということです。

どうして忘れるのだろうなぁ。

*

今日は、姉たちとピザ&パスタ屋さん(最近一緒に行くときピザ&パスタ
が続いている)へ。苦手なデパート&人ごみ、レストラン、
そして夫がいないので、ずっと娘を気にかけないといけない。
そして姉。この難関。キープ出来なければ、地獄。

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10月22日

2022-10-22 18:04:10 | 奇跡講座ワークブック
奇跡講座 ワークブック編(557日目くらい)

【レッスン172】 レッスン153とレッスン154の復習 


目に見えるものと、それに関する思いの全ては幻想だと思えば、
イライラしたり、がっかりしたり、ということはありえないはず
なのですが、今は、思い出すのが精一杯で、だいたい忘れてしまいます。
思い出せても実践できていなければ同じです。

とにかく「思い」を修正していくことだけを頑張りたいです。
忙しいはずなんです。それを徹底することが出来れば!
なかなか出来ないのですが。

いつも神さまと共にあります。思いだけが私です。



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10月21日

2022-10-21 12:25:34 | 奇跡講座ワークブック
奇跡講座 ワークブック編(556日目くらい)

【レッスン172】 レッスン153とレッスン154の復習 

私は、神の「聖職者」のひとりです(レッスン154)


私の現状、心の状態とは関係のないところで、本来の私が
本来の目的を持って生きている、と思っています。

この現状、辛いのか辛くないのか、それさえもちょっとわかりません。
辛いフリなのかもしれません。誤魔化しているのかもしれません。
でも、私が考えていることは間違いなので、受け容れつつも手放します。

日曜日、姉の犬と遊ぶ予定でしたが、その前に皆で食事、となりました。
はぁ。いろいろ面倒だなと思いますが、そんな思いは嘘なので、
それにまつわる「なんやかんや」をまとめてそこに置いときます。
ハイ!(置いた)金欠なのになぁ(置く!)
誕生日プレゼント用意しないといけない?(それはそうだな)
気持ち、思い、を手放す。プレゼントに思いを込めない。
神と共有している思いで。

相変わらず、やるべきことをやっていません。これから起こるかもしれない
出来事に関するいろいろな思いも、どんどん手放さないとです。なのに、
いつもそれに振り回されてしまいます。昨日も娘は泣きました。
「学校で最悪」だったのに、それを私はわかっていたのに、
あまりのあれにまたもぶちぎれました。よその子、と思えば可愛いもんです
我が子となると、なんとか楽しく、出来ないものかと
思案してしまう。それが、空回り。うまく出来ない。それはそれでいいのに
いつも私は娘を心理的に傷つけてしまう。
そして、娘は「おかあさんのことぜんぶわかってるから」という。
「おこりたくないのに、やさしくしたいのに、おこっちゃうんでしょう?」
と。

私は、娘が怒りを知ったとき、こんなふうに対処できるのでしょうか?
神頼み以外に何が出来る。



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10月20日

2022-10-20 06:25:00 | 奇跡講座ワークブック
奇跡講座 ワークブック編(555日目くらい)

【レッスン172】 レッスン153とレッスン154の復習 


無防備こそが私の安全です(レッスン153)

確かに、何も準備せず、頑張らず、ちゃんとせず、ただただ
そこに居る、それがどんなに最強かしらん、と思います。
しかし、髪は伸び放題、パサパサ、白髪も目立つ・・・
鏡を見ると、ため息しか出ませんが、外へ出ると案外平気だったり。


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10月19日

2022-10-19 04:14:28 | 生活
先週の金曜日から娘に、「お迎え要らない」と言われていましたが、
金曜日は、少し待ちましたが、気になって結局行きました。

月曜日、ついにひとりで登校。帰りは一応迎え、からのお友達の家へ。
火曜日、お父さんと登校。帰り、遂にひとりで。
家で待っていましたが、下校を15分過ぎたので、迎えに家を出たところ
娘が目の前まで歩いて来ていました。

同じ帰り道のお友達たち。家に呼ばないにしても途中まで一緒に
帰れないものか?と、勝手に思ったり。

はい。違いますね。わかっています。それは仲間はずれにあらず、
娘がぼっちというわけでもない。ただ、何かをきっかけに、何の前触れも
なく、それと関係してないところで、突然怒りとなって爆発する。
思春期が恐いです。

長過ぎる年月、娘と楽しく過ごしたい。

そのためだけに、奇跡講座ワークブックをやっているのに、日々
娘はどんどん成長している。焦る。大きくなればなるほど、
嫌いと好きの差が激しくなってくる。

娘が大好きなのだけど、他の子らと比べてしまう。他の子と比べると
絶望しかない。しかし、お父さんと一緒にいる娘には、希望があるように
みえる。結局、私の投影。頼むから、お父さんに似てくれ。

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10月18日

2022-10-18 10:39:52 | 奇跡講座ワークブック
真実と矛盾するもの

個人的な意識(五感、嬉しさ、悲しみ、痛み、つまらない、
楽しい、快感、優越、劣等、敗北感、恐怖、睡魔、空腹、排泄、
面白くない、退屈、忙しい、つらい、疲労、緊張、
安堵感、安心感、安全、思案、哲学・・・・・・・・・)

とにかく意識に上がってくるもの。身体に関すること。
それらの一部を例外として真実とするなら、真実は真実でなくなる。

・・・これのどこが包括的なんだろうか。と思ったり。
しかし、これらは全て「死」す身体に関するものなので、
やっぱり幻想となる。

この身体を基盤に、幸せになることは出来ない。
これらの意識に埋もれて、神と共有している思いがあるはずだ
ということですね。そして、まだ見つけられていない。


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10月18日

2022-10-18 09:55:35 | 奇跡講座ワークブック
奇跡講座 ワークブック編(553日目くらい)

【レッスン171】 レッスン151とレッスン152の復習 

今日は、152の方を。

昨日、「この世界を信じることしか出来ないのであれば、
その延長線上で、神さまも信じればいいんじゃないか?」と
思ったら、すごく目の前が明るくなったのですが。今日の
レッスン152を読み返してみると、またも迷路に。

まず国語。

「それが自分自身の決断でなければ、誰も喪失に苦しむことは出来ません」

原文も否定の否定の否定。No one と、loss とか unless
で結局何が言いたいのか。今までの文章でだいたいわかるのでしょうが
そうやって読み進めると必ず煮詰まる。

「自分で決断しているから苦しい」ということだろうか?

後々の文章から、そういう意味になるかな。タイトルの決断とは、
目的が違うから混乱するんだなぁ。。タイトルの決断は、「神を
信じる決断」で、説明文の中の決断は、「病気や喪失についての
決断」と解釈すれば矛盾しない。


「真実は全てを包括する」という文章の後に、
「正反対や例外を受け容れるな」と。矛盾しているように感じるの
ですが・・・?本当に理解していれば、矛盾してないのでしょうね・・。
文章で説明できるものでないのでしょうから。

*

真実は、皆でひとつの意識(神の子としての)、
真実でないものは、個人の意識。個人の意識を、神と共有する
意識(まさにこの360個のワークの言葉)に変えていくこと

えー。無理っしょ。(振り出しに戻るの巻)


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10月17日

2022-10-17 15:52:32 | 生活
今日から娘に、お迎え要らないと言われていましたが、雨が降ったら行く
と、約束していたので行きました。そして、先週からお友達の家へ行くという
予定どおり、小雨だったこともあり、そして私も一緒にお友達の
家まで行けば私が迎えに行ける!ということで、3人で向かったのですが・・・。

学校を出てすぐに土砂降り。

往復でびしょ濡れになりました。帰って来てシャワー入って、
お迎えの5時前までゆっくりしています。やるべきことは
たくさんあるのですがね。

先週からもやもやしていたことについて、ほんとどうでもいいな
と思えたら、今日は、すごく間逆だった。ほんと、子供って心読める。
そんな浅い表現バカみたいだけど。なんか、、計り知れねぇ。です。
大人は子供を100%信じるべきだ。学ぶべき(あえて「べき」)
ことは多い。子供というより、神さまの仕業、なのかなあ。

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10月17日

2022-10-17 15:39:21 | 奇跡講座ワークブック
奇跡講座 ワークブック編(552日目くらい)

【レッスン171】 レッスン151とレッスン152の復習

午前中、レッスン151の復習をやっていました。
この世界を私は疑っていない、という、何気ない文章がひっかかり
ずっとそのことを思っていました。
この世界は幻想(嘘)、しかし、本来の私は疑うことを知らないので
どうしても信じてしまう。ならば、一体どうしたらいいのだろう?
それを取り消して、神さまを信じるなんて、出来ないんじゃないだろか?

このパラドックス!しかし、絶望感はありませんでした。

その瞬間、そのノリで、神さまも信じればいいんじゃないかな?
ということが浮かんだら、なんだかとってもラクになりました。


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10月17日

2022-10-17 12:38:37 | メモ
神の子は疑うことが出来ない。よって、

この世界を信じている → 本来の私
この世界を信じさせている → 自我

この世界の安全とこの身体を守る、ということは、これらが実在すると
信じている。「守る」ということは、敵がいるはず。
敵とは、分離したものたち。仲間を作るのも同じこと。ベースが同じ。

この構図を信じているのは、疑うことが出来ない神の子である本来の私たち。


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10月16日

2022-10-17 12:01:15 | 奇跡講座ワークブック
奇跡講座 ワークブック編(551日目くらい)

【復習 序文】

これから、レッスン151から170までの復習です。

相変わらず、151、再度読み返すと、あれだけ繰り返し読んだにも関わらず、
新鮮で、ハッとさせられます。最初にやった9月初旬頃の記事を読んでみると
違う箇所にビビッときている様子。ふむ。

今日は、ちょっと目から鱗的なことに気が付きました。
疑うことが出来ない本来の(神の子である)私。ということは、
この世界&身体を信じているのは本来の私ということになる。


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