砂漠の朝

大人になれない人の育児日記。
奇跡講座ワークブックを実践中。

9月30日

2022-09-30 12:39:02 | 生活
10月~12月にかけて、お掃除計画を立てようと思ってます。
先日のお部屋改造計画については・・・保留です(汗

- 掃除内容リストアップ -

・キッチン(タイル、窓、蛍光灯、コンロ)
・シンク(シンク、シンク上下収納)
・資源ごみ、危険ごみ出し
・壁(要脚立)
・ソファ買い替え
・食器棚、レンジ、レンジ棚
・冷蔵庫
・炊飯器周辺
・シューズボックス
・トイレ
・バスルーム
・カーペット
・衣類整理


はぁ。何年前からリストアップしてるかね?
リストばっかり作ってないで、掃除してこよう。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月30日

2022-09-30 12:23:54 | 生活
悩みのタネだった娘の食事情。いつの間にかブログに書くことも
なくなってます。いつからだろう、大人と同じ献立になってますよ。

だいたい娘が食べられるかどうか?で食材を選ぶ。味付けはたまに
大人味になってしまうときもあるが、副菜とご飯でも大丈夫なような
メニューになってるので、ままOK。

昨日の晩ご飯
・ブロッコリ
・人参ツナサラダ
・焼肉(リトル)大人のみ
・おでん(大根と玉子)

焼肉以外は完食してくれ、今のやりがいはこれだけ。

おとといの晩ご飯
・れんこんとピーマンと人参とエリンギと豚肉の甘辛炒め
・マッシュドポテト
・豆腐のお吸い物

さきおとといの晩ご飯
・さつまいもフライ
・ブロッコリマリネ
・豆腐の味噌汁
・ローストビーフ風(大根おろしがけ)

まさに食欲の秋。メニュー考えるのがはかどる。
さて、今日は何にしようかな。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月30日

2022-09-30 06:09:53 | 奇跡講座ワークブック
奇跡講座 ワークブック編(535日目くらい)

【レッスン160】 私は家にいます。恐れはここでは見知らぬ存在です


私を見た途端に子供たちの顔から笑顔が消える。。 かなり凹む。

9月は、そんなことがあったとしても、ずるずるとネガティブに引き
込まれないように一秒一秒意識しようと思っていたので、ちゃんと
30日の最後の日まで、すぐに切り替え。

恐れは私ではない。

何度となく恐れを全く感じない日もありますが、恐れを感じる日は
なんとも避けられないです。これも必要なことと、思いながら
日々修行です。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月29日

2022-09-29 10:23:28 | 奇跡講座ワークブック
奇跡講座 ワークブック編(534日目くらい)

【レッスン159】 私は受け取った奇跡を与えます


レッスン157は、明らかに何かが違いました。「包まれてる」感覚。
それは、一時的なものだったみたいです。体験。「また元に戻る」とも
確かに書かれていました。そして、ただ今、戻ってる模様(・・;)
この158と159は、相変わらずよくわかりません。
与える&受け取る。おそらく、既に私たちが持ってるものについて
ですよね。。頭でわかろうとすればするほど迷路に。それが
だめなのでしょうけど。

視界に入ってくる人、心に浮かぶ人、全て「神の子」としてみる。

それが、与えることであり、受け取ることだ。と理解していますが、
まぁピンと来ませんよ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月28日

2022-09-28 09:45:25 | 奇跡講座ワークブック
奇跡講座ワークブック、今日は158です。 

「今日私は受け取るように与えることを学びます 」

意味をわかろうとした途端に読めなくなるな・・・
それを踏まえつつ、ゆーっくり読んでいくと、どんどん癒されていきます。

昨日から、「包まれてる」ことを忘れずにいれてます。夜中、または今朝、
一瞬忘れそうになりましたが、すぐに思い出して訂正できました。
崖っぷちでバランスを崩したけれど、一瞬で持ち直して助かった、
そんな感じでした。

「包まれてる」と言っても、私は「そもそも霊(マインド)」なので
包まれてるも何も、という思いもあります。「守られてる」「守護」
とも言うのかもしれないですが、もしそれを言うなら、事故や災害
からのそれではなく「自分の自我」から守るというのが正確だな
と感じます。

うん、おかしな文章になってます。本来「自分の自我」なんてのは
ないのでしょうが。あえて。私は、今まで、外野に傷付けられている
という認識でしたので、それに対しての言葉になります。「自分自身
から守っている」という意味です。傷付けるのも、傷付くのも、自我。
自我から本来の私を守る。本来の私は防御すらしないから。

ここで新たな疑問。この「自我から守る」と思ってる自分も自我なわけで。
だいじょぶか?私。とりあえず、自我が何かを今、ワークブックで知識
としては理解しているつもり。
自我=身体(=死)=罪=幻想

奇跡講座ワークブック153にて、「無防備であることが私の安全です」
とあったが、まさに、この自我に対して無防備でないといけない
ということだと思ってます。思ってるというか、そうでないと
私は苦しい!(キレたおばさん

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月27日

2022-09-27 17:52:35 | 奇跡講座ワークブック
例えば、誰かが私をみて怒ったり、不安になったり、恐がったりすること
について、頭では理解出来てたのですが、最近、これは、私には全く関係
ない、という実感がある。

以前なら、そんな出来事があった日にはもう、落ち込んで落ち込んで
絶望的な気分になってたのですが。こんなことにならぬよう
必死になることだけが私の生活でしたが。これが、自分の心の持ちようでは
どうにもならなくて、これがあるせいで、誰に対しても閉鎖的になったり。
優しい人はいるけれど、そういう人は、だいたい友達がたくさんいて、
その友達は、私を見てきっと「何あの人、信用できないよ」
そう思うとコミュニティなんて絶対無理。
今でもそう思ってる自分はいますが。

最近、そんなネガティブな思いが機能しないんですよ。平気というか。
以前は虚勢を張ってた。また信頼されるために
仮面をかぶって無害ですよアピールしないといけんのかな?みたいな。
今は気持ち的に余裕があります。

*

「これは相手の問題だ、という話でもない」というところが新しい。
そう思っていたからいつまでも解決しなかったんだ。
自我 vs 真実 なのよ。これ。自我 vs 自我 ではない。
問題は相手にあるか、私にあるか、という議論自体が何の意味もないのです
ね?
ふむ。ガッテンしかないなぁ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月27日

2022-09-27 14:26:58 | 奇跡講座ワークブック
奇跡講座ワークブックは、現在157です。
ひたすら、「包まれてる」「一緒に歩いている」という感覚を忘れずに
ということだけを気をつけています。忘れないように。

*

2週間くらいもやもやもやもややや~っとしていたことに、
光が差してとても安堵しております。そして、安堵するといろんな
ことに気付きます。これは「メッセージ」ですか?これが「神の声」
なのですか?
相変わらず、私の中にあるらしい「声」はうんともすんともいいませんが
きっと届いていると信じています。信じられるようがんばります。。



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月23日

2022-09-23 09:58:03 | 奇跡講座ワークブック
奇跡講座 ワークブック編(528日目くらい)

【レッスン158】 今日私は受け取るように与えることを学びます


読もうと思えば思うほど、何も入ってこない。こんなときは一旦ストップしよう。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月23日

2022-09-23 09:42:42 | 奇跡講座ワークブック
奇跡講座 ワークブック編(528日目くらい)

【レッスン157】 神の存在の中へ今私は入っていきます


ワークブックを始めて528日くらいと書いていますが、もう2年は経ってる
と思います。「考え方」「概念」という点では理解はしていますが、
当たり前ですが、ヴィジョンは達成されないし、神の声は全く聞こえないし。
ただ、いじけなくなった(笑)
夫に対して、答えのない(実際は味方になって欲しい、何でも受け止めて
欲しいという目的が隠れてる)愚痴をダラダラ言うこともなくなったし、
落ち込んでも、全否定したりすることなくなったかもしれない。
どんなクズと思われてもいいやという開き直りです!(ださ
でもそれは単に年をとっただけ、とも言える。なんせ48ですから。
年女ですから。

恐れが何の機能も果たさない。その恐れを引き起こしているものへの
価値判断をやめる。自分が不幸だと思うのは神を不在にしているから
自分が幸せなのは神と共にあるから
と、神を原因にしていく。結構、今の私には真実です。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月21日

2022-09-21 13:20:04 | 奇跡講座ワークブック
奇跡講座 ワークブック編(526日目くらい)

【レッスン156】 私は完璧な神聖性の中で、神と共に歩きます


朝から恐怖心しかなかった。秋らしい涼しい気候のおかげで体調は
良かったのでイライラもなく、娘が家を出るまでレゴで遊ぶことも
出来たが、恐怖心。天気とは裏腹に悪い考えに捉われることはよく
ありますけど、今日もそれだろうと。

昨日お迎えのときに、娘が、帰りが同じ方向の他3名と違う方向へ
行くのが見えたので、「おーい」と名前を呼んだけど、気付くものの
中々来ない。ようやく来てくれて帰ったが、いつも一緒のお友達の
ママ、探すだろうな、、、、と帰りながら気付き、帰ってきたのに
メールするのも白々しいし。それからずっと後悔と、この小さなミスが
将来何を引き起こすのか?それとも積み重ねか?と思うと。
これが恐怖心の発端となった出来事です。

昨日は思いはありつつ、家事をしながら奇跡講座ワークブックを
やっていたので、今日なんとか保ってますけど、お迎えの時間に
なったらどうなるか。。どきどきです。授業参観も行けなかった。
(表の理由は咳、ですが)

今日は、レッスン156ではなく、157をやった。157というより
「神に包まれている」を感じながら、生活をしています。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月20日

2022-09-20 14:19:04 | 奇跡講座ワークブック
奇跡講座 ワークブック編(525日目くらい)

【レッスン155】 私は一歩退いて、神に道案内をしてもらいます


問題(分離)はひとつ、答え(神と一体)もひとつ。

頭ではわかっていたのですが、今日急にストンと腑に落ちました。
あー!という感じ。

なんでしょうね。これは。いやわかってたし。なのに、今発見したような
今気付いたようなこの感覚は。また自我の悪戯かな。ほれほれ!みたいな。
これが好きでしょう、と。一歩先に進んだ感じ。誰かを出し抜いた感じ。

私が気付こうが気付くまいが、開眼した気になろうがなるまいが、
神は感知しない。
・・・もうっ!感知してくれ!

はぁはぁ。
どのレッスンだったか、「この世界から脱出出来ないが、その原因から
脱出できる」というのがちょっとわかったかもしれない。
娘が良い子だから幸せ → ×
娘がいるから幸せ → △
私も娘も神の子であるから幸せ → ○

原因が変われば、幸せになれると。
はい、無理です。またも壁。のらりくらりはぐらかされてる感。
それが事実だと認めても、真実だと受け入れても、
この身で、この心で生きていくことに何も、変わりはないことを
実感するばかり!!!鶏と卵論争になってしまう。

幸せになれないと幸せになれない。みたいな。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月20日

2022-09-20 08:45:34 | 奇跡講座ワークブック
昨晩、娘とレゴで遊んだ。ご飯も食べず、風呂も入らずにやっていたら
気付くと8:45(手話ニュースの時間)

こんな日いいな。娘も「たのしい」とひとり呟いていた。
私がこんなゆるゆるな日は、夫が過干渉気味になるが、その夫も
細かすぎて伝わらないものまね選手権を見てたのでお互い関与せず。

連休明け、病み上がり、先週のやなことをまだ引きずってそうな感触、
昨晩のママさんのメールに気付けず連絡が遅れたこと、宿題、学校での
娘のこと、全ての不安材料が完全に私の手元から離れているような気が
します。「あ、対策、解決、なーにも出来ないや」と、なんだか晴々
したような、安心したような気持ち。

今日はとってもスムーズに家を出た娘。出る直前まで私もアイロンを
かけていたので動画閲覧している娘に何も干渉しなかった。

娘に何か辛いことがあったら、それがわかる年齢になったら、
私は一体どうすればいいのか?どうなってしまうのか?
何をどう捉えたらいいのか?

今の答え、「娘の人生、経験の邪魔をしない」
何があってもそれは娘に起きたことなので、
娘がたくさんそれに向き合ったり、感情を感じられるようにする。
おそらく、私は自分のことよりも娘のことになると感情が揺れ、
パニックになるかもしれない。それではだめなんだ。本当に。
その、脅威な出来事!として捉えてしまう心、この身が。

ここまで書いておいて、
・面倒だから
・行動を起こしたり、抗議したり出来ない私だから
・味方がいないから

単に、そう思うようにしているだけかもしれない。という意見にも
なりそうです。それが言葉では全く伝わらないところです。それに
あぐらをかくと、はたまた成功体験としてひとつの模範にしてしまった
途端、そういうことになるのかもしれないのです。確かに。

全て手放す、その都度手放す。
全ての出来事、状況、景色に神を感じる練習をする。
神の子である私を忘れない。
私が思っている理由でそうなのではありません。
常に神に包まれている私を忘れない。

何を書いても胡散臭くなってしまうのは、文字だから。言葉だから。
分離したこの身体が解釈するから。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月18日

2022-09-18 13:11:13 | 生活
お部屋改造における現在の問題点

・日々のプリントの山
・日々郵便物の山
・文具(ペン、印鑑)
・学習道具を置く決まった場所がない
(あるが、散らばってしまう)
・夫が料理するときテーブルが低いため腰痛
・部屋が狭い(家具を置くともっと狭くなるかも)
・夫の仕事スペース、仕事道具置き場、外出アイテム(鍵、マスク)置き
・姿見鏡が壊れて使えない
・娘の勉強&動画閲覧&ゲームスペースがない
・薬置き場、現在服用中の薬置き場
・歯磨きスペース

家具屋をまわって、気に入った家具があれば購入して
それに合わせて、その都度、必要なものを買い足していこう
ということになった。ふぅ。いつになることやら。
完成した頃にはもう娘は大きくなって、夫は退職してるかも
しれない。その前に引っ越ししてるかもしれない。
それはそれでいいや。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月18日

2022-09-18 12:34:25 | 生活
お部屋を大改革したいけど、資源ごみすら処分出来ずにいる。

- 改革に必要と思われる家具 -

・学習机
・ベッド(ソファベッド)
・ダイニングテーブル
・ソファ買い替え
・パソコン用イス買い替え
・電子ピアノ
・寝具(敷布団×2、シーツ)

- 改革に必要と思われる処分すべき家具 -

・おままごとキッチン
・簡易キャビネット
・鏡
・パソコン用イス
・ソファ
・寝具


一体何からどうすればいいのやら。動かぬ腰。
私達、このアパート引越しするんじゃないかなぁ?・・・と、なんて
思ったらもはや思考停止。そして、そのお部屋の改革も単に、
自我を強化するだけの作業のような気がして。それは30代で既に
終わってしまった。
だいたい部屋を充実させることは、何かからの現実逃避に違いない。
主に仕事。子育て。自分の存在価値。。そんなこと考え出したとき、
部屋を片付ける。うむ、逃避に違いないがこれこそ避けて通れない。
人には達成感が必要なんだ。その達成感がなかなかに間違ってるんだが。
すぐに手放せたらいいのだけど、快感は癖になっちゃうから。

ということで、動かぬ腰でいいかなぁとこれまた現実逃避です。
よし、私だけで決めるのでなくて、皆で決めよう。そうしよう。



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月17日

2022-09-17 16:20:17 | 日記
中学のクラスメイトが病気で亡くなったという連絡を受けたくらいから、
なんとなく、心に「ポジティブに」というのがある。今まで思ってたもの
とは違う。私の中のポジティブは「明るい」「社交的」という類のもので、
そうでなければならないと多少努力して、うまくいったり撃沈したり。
そのうちポジティブという言葉が嫌いになり。ネガティブを過剰に
信頼してみたり。

恐れがベースだと人は動かせても心は動かせない。気がする。
前向きがベースだと人を動かせなくても心が前向きになる。気がする。

最近、そんなふうに思う。もしかしたら、ベースがどんな思いかは
関係なしに、誰がそうするかによるかもしれない。例え、私がポジティブを
ベースに行動しても、きっと他人様は、ネガティブに捉えるだろう、と、
まだまだ他人の反応をとっても気にする私はやっぱり恐れを捨てきれない
と思うけど、さすがにそれは過去の私で、年齢も年齢でそろそろいろいろ
なものや状況に対してさほど落ち込まなくなってきた気もする。
20、30代の人にご苦労様と言いたいくらいの気持ちだ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする