カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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復活節 第二主日 

2016年03月29日 | 神父様からメッセージ(C年)
 

 芸術家はどのようなものでしょうか、芸術家は生きている瞬間を愛し大切にしながら、その中で自分の心、体、想像力を尽くしてその神様からいただいた大切な瞬間を感謝を込めて実らせています。その時、偉大な大作が生まれます。同じようにキリスト信者は復活祭の時を生かして、大きな喜びを味わい、神様との偉大な出会いができます。その時、信仰の大作を見るようになります。復活されたイエス様をキリスト信者の共同体の中で見いだすようになり、それは復活祭の大変素晴らしい経験となります。
 「ヨハネによる福音書20・19-31」
 使徒たちの間に、イエス様が復活されてから確かに不信感も広がった時がありました。使徒トマスのように仲間の使徒たちの言葉を信じないで、自分の経験によるイエス様との出会いを求めていた人もいました。トマスはイエス様と出会った時に、自分の手を傷跡に当てさせていただいたことよりも、イエス様がもたらした平和にとらわれました。イエス様がもたらした「平和」はめでたき挨拶だけではなく、同時に希望と預言になり、実現された出来事でした。「平和があなた方にあるように」とは、あくまでもイエス様(神様)のみ言葉ですから、人間の為の贈り物であり、おっしゃることは実現されます。それを受け入れる人、その平和を受け入れる共同体は変わり、豊かになって、新しい理想の中で生きるようになります。イエス様の平和の中で生きるキリスト信者は、意味深い喜びで満ちた人生をおくります。当福音書の個所は三つの部分に分けられています。第一部はイエス様が聖霊を贈り物として与えます、第二部はイエス様と使徒トマスとの対話、第三部はヨハネ福音書のしめくくりです。
第一部 イエス様の使命の中で、もっとも重要なところは人に聖霊を送ることです。その贈り物の中身、あるいはその心は罪の赦しです。それに従って、聖霊に支えられた使徒たちの使命は罪の赦しを告げて、それによって、神様の心を見せることです。第二部 使徒トマスの不信仰は当時の使徒たちの共同体の中で問題になってきた不信感を表しています。当時、ある人にとってイエス様の復活を信じるために弟子たちの証言が足りなくなってきて、自分の経験によって信じる人も現れました。しかしその疑問について、イエス様自身がこたえるようになりました。弟子たちの証言によって(つまり、見ないで、自分の経験がなくても)信じる人は幸いです。第三部 ヨハネ福音書のしめくくりは福音書の目標を表しています。福音書はイエス様の人生を語る書物というだけではなく、イエス様は神の子であり、メシアであることを信じる為にいくつかの「しるし」を集めてくださった書物です。だから福音書は歴史的な記録ではなく、記録を並べた資料でもなく、信じる為に、永遠の命を生きるために書かれた書物であり、皆の心が大きな喜びで満たされる良き知らせなのです。          モヨリ神父

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