ブログ早春賦節

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追悼記4~母に認知症の兆候~

2018年01月20日 | 追悼記

母に認知症の徴候が現れ始めた、日常の家事、雑務を放棄してしまったのだ
(実家の事を何もしない弟の生活態度に嫌気が差したのだろうと自分は推察するが)

結果、実家では父が、家事全般を行う事になったが、元々、家事全てを母に委ねてきた高齢の父に、
それら雑務を切り盛りする事はできず、

弟も、流石に必要に駆られてか、お弁当等を手配してくれた様だった
弟なりに頑張ってくれたと思うが、頑張る所が違ったように思う

突発的な事象、イベントには、弟はとてもよく対処してくれた
母の日等には、プレゼントを贈るのは当然のようにしてくれたし

寄席等にも、両親を連れていってくれたようだった


突発的イベントの象徴的出来事だが
認知症が出始めた母が、健康器具のルームランナーを購入したが、玄関に置いただけで
まったく使用しない
邪魔なので父が処分したところ母は、「今、使おうと思っていたのに」と癇癪を起こし発狂

見かねた弟が、夜中にマラソン仲間に連絡し高級なルームランナーを数十万の言い値で譲って
もらって玄関に設置したらしい、、、無駄とは言わないが
そんな努力は不要である、ほっとけば疲れて朝には治まってるだろうに

ソレよりも日常生活における、玄関の掃除をヤレと自分は思うのだが、日常の雑務、特に
掃除関係は、何故か頑なにまったくやらないのだった

 

もう7年程前になるか?

見かねて、自分が地域包括支援センターに相談したが、高齢の両親だけの世帯なら介護保険で
ヘルパーを使えるが、弟が同居しているとソレは難しいとの事

確かに、弟が躁鬱病とは言っても身体は健康で公務員として働き、週末マラソンを楽しむ健常者だ
そんな働き盛りの者が同居している状況で、掃除が出来ないからと介護保険でヘルパーは、自分の
心理的にも頼みずらかった


なら、弟に実家を出てもらえば(自分も、ソノ方が介入しやすいし)と思いそれと無く父に促したが、
ソレは絶対にしなかったし弟も最後まで実家を出る事はなっかった

それが両親を心配した弟の優しさなのか?勇気がなかったのか?単なる優柔不断だったのか?
自分には理解できなっか

 

今、思えば自分が何とかしなければいけない状況だと思うが、
自分が世帯主(もしくは成る予定)なら自分がするが、そうでないなら頼まれない限り普通はしないだろ

それが常識だ「分かれよ」と心の中で叫んでいた、特に父に向かってだったと思う
自分がふらふらしていて経済的にも安定しないので、父は公務員の弟に家を託したかったのだろう
(自分も、その方が気楽でいいと思ったのも事実だった)

だが

実質的な世帯主であるはずの弟には届かず、家の事、特に掃除はまったくしなかった
忙しくて出来ないなら、お手伝いさんを頼むなりして、管理すべき状態だったが、その気もない

弟はソレについて悪気があるわけでもなく、実家では本当に小学生の様な感覚で暮らしていたように思う、
その視点で見れば、全ての事は両親がやってくれる訳だから弟の態度にも納得はいく

現実はソレを許さない状況だったのだが、躁鬱病を理由に父はソレを許していた
ソレが愛なのか?ソレが可愛くてしかたなかったのか?だたのめんどうくさがりの逃げなのか?
自分には不明だが


いずれにしても弟に世帯主としての自覚は、まったく芽生えなかった
お手伝いさんと言わず、自分に「バカ兄貴、実家の手伝いに来い」と言えば、いくらでも
行くつもりはあったが、世帯主の自覚無しの弟は、当然、自分への協力要請もしない


いくら実家とはいえ、弟が継ぐ事になっているところを、自分が弟以上に積極的に関与する
ことは筋ちがいだし、
何より現に自分は東京のマンションに暮らしていてココ(実家)には年に数十日立ち寄る程度なのだ、
それで弟より積極的に実家の事を考え掃除するなど、バカらしくてやってられない

自分は、弟の世帯主としての自覚の無さに苦慮し、一応、自覚する様に態度でしめしていた
つもりだった、、、「何もやらないなら、出て行け」との態度である

世帯主の自覚を持つにはコレ(一人暮らし)が一番であると思ったからだが、父が、ソレを嫌がった
「俺がやるから、これでいい」と言わんばかりの態度を取るのだった

 

「なら、俺は知らないから、勝手にすれば」
と大人気なく心の中で毒づきながら、自分は東京へ戻るのだった

 

こうして実家は、経済的には(弟は公務員として勤務していたし父も公務員だったので退職後の
年金もそれなりにあったようなので)困窮していなかったが、生活の質は年々急速に低下していった


だが、ソレは外で暮らす自分が見て、その様に思うだけであって実家で暮らす本人達は、まったく
そうは思ってないのだ、まったく掃除しないのは普通の日常なのだ、正に悲劇を超えて喜劇である

と家族の中で、自分だけが、思いより実家から遠ざかるのであった

 

                                        つづく

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スウェーデン式死の片付け、に共感

2018年01月15日 | 日記

ネットのニュースで「スウェーデン式死の片付け」ってのが世界で話題
とあって記事を読んだ

要約すると夫を亡くした高齢のご婦人が、身の回りのいらない物を一年掛けて処分し
小さなアパートへ引越した、その考え方や実践法を(子供に促され)綴ったもの
らしい

賛否はあるようだが、自分は素晴らしいと思った、
が、認知症の母には無理か?

只今、実家を片付け中であるわけだが、母(現在入院中)の衣類が凄い量
かなりを町のリサイクルや買取に出したが、まだまだある
置物やら壷やらもそこらじゅうにあふれている

いつか使うと捨てられずに包装紙から割り箸まで、何でもとっておくのだから
たまったものではない

その遺伝?なのか、急逝した弟も捨てられず棚はいっぱい、入りきれないモノを
箪笥や押入れの前に積み上げるから奥にしまったモノは使えず、似たモノをまた
買って積み上げる

そんな部屋で暮らしていれば、それは、ストレスも増すだろうに、、、、

 

以下、記事からの抜粋だが

私は友人に説明した。父が亡くなった後、母が1年かけてどのように自宅を片付け、
小さいアパートに引っ越したか。
地下室から屋根裏部屋まで、要らないと思ったあらゆるものを母はすっかり処分してしまった。
片付けをしていた母は楽しんでもいたよ、と話した。

実際のところ、あまりに物をため込みすぎると、一つ一つの物を十分に味わうチャンスは二度と来ない。
ほこりをかぶったままにして、その揚げ句、死んでしまうなんて。
母は自分のすべての持ち物を一つ一つ順番に味わい、思い出に浸った。母は幸せそうだった。

 

こんな片付けを弟としたかったのだが、弟はもういない
母は認知症で使いもしないが、なくなると癇癪をおこす
父は幸い元気だが、昭和の悪癖か?家の整理等は母にまかせていたため
整理、整頓等、何をどうしていいかわからず、自分に怒鳴られ、うろうろ、
おろおろ

 

この記事の考え方が、普及するといいと思うが、日本人には向かない気もした

自分も母の棚のこけしを処分しようと思ったが、壊れた数点だけで他は保留してしまった
甘い、実家の片付けは、まだまだ、続くな、、、、

 

 

 

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実家の片付け

2018年01月06日 | 日記

新年も明けて、もう6日だが、実家の片付けが、まったく終わらない
特に大きな家ではない、極普通の二階建ての家だが、
東京で暮らす狭いマンションの5~6倍は広い、おまけに、車庫、土蔵まである

追悼期でも少し書いたが、その全部が乱雑にモノを詰め込んだ状態、、、
本来の世帯主であった弟は躁鬱病で実家の事は何もぜず、母は認知症でせず、
父は日常のゴミだしがやっと、、、

二人兄弟だった弟の急逝で、自分がやるしかないのだが、正直うんざりする
悲しみや思い出に浸る間もない、、、
弟、両親が実家で暮らしていた訳だが、ビンや缶等も十数年間、捨てた事がなく、
誰も、捨て方も分からないのだ、、、

ましてや、衣類や家電など処分するはずもなく、使わないであろうゴミが
そこらじゅうに積み上がっている

いい加減にしろ!ふざけるな!

「十数年も掃除してないって、ここはキチガイの館か?」
「何で今さらオレが?十年前にテメエ達がやっておくべき事じゃねぇのか?」
と、父にどなりちらしながら進めているが、
まだ、スタートラインにも立てない感じだ

どうせ、こうなるなら、もっと早く、十年前、いや、五年前にオレに渡せば
弟の癌の進行も違ったのでは?
その決断もできず、世帯主の自覚の無い弟を、認め庇い続けた事の責任を
父には認識して取って欲しいモノである、、、

が、、、、無理か

流石に、ソレを問い正す勇気も今の自分には無い、ソレをやると今度は父が倒れるのでは
という心配を無視出来ないからだ
心情的には、かまわない、寧ろ問い詰め反省を促したいが、やはり、ソレは本意ではない
甘い自分も確かにいる


父は幸いな事に元気なのだが、現状のキチガイ状態に慣れ切っているのか?
自分には我慢ならない乱雑ぶりなのだが、この状態が快適なのか?
父は片付けようとはしない、そのくせ横に居て「ソレは使う」とか十年間も
使ってないであろう物を指していわれると、イライラどころではない
怒り爆発である

親戚は、自分に「親父さん、もう年だから、、、」と言うが
十年、いや二十年前からやってないのは年のせいか?と問いなおしたい
だからといって、答えが返ってくる訳ではなく孤立感が深まるだけだが


業者に入ってもらって処分するしかないとは思うが、一応は何があるのか
把握したいと思い整理しているが、マジで、きりがない、、、
しかも、自分のモノならいざ知らず、あるのは90%以上が、母か弟のモノ



今更、オレに宜しくって渡されても困る、正直、知った事か!?である

と毒づきつつ、自分を上手く誤魔化しながら、気がふれない程度に、把握に努めよう
と思う、今日この頃である


何もしてやれなかった弟への、せめてもの罪滅ぼしの意味も込めて、、、、

 

 

 







 

 

 

 



 

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