風を感じて~子宮頸がんの記録~

2007年7月に子宮頸部小細胞癌と診断され子宮と卵巣を摘出後、抗がん剤を6クール投与。2010年3月肺転移しました。

今日出来たこと

2010-04-30 14:58:49 | 再発後抗がん剤1~6クール目
今日出来たこと

ごみ捨て
ネットで時計の電池を購入
家計簿
ネットバンクの預金整理
プロバイダのID等登録と整理
生協の受け取り

たったこれだけだけど
どれもちょっと前までは出来なかった事。

朝イチのごみ捨ては日差しを浴びて気持ちよかった。
ごみを捨てにいけて嬉しくなる日がくるとは思わなかったけど(笑)

ネットで色々な登録やら購入やらが出来たのも嬉しい。
退院直後はPCをいじくり回すのも疲れてたしね。

ただ良かったとは思うものの、まだまだ時間はたっぷりある。

自分に出来る事は何だろう。






バッグ

2010-04-29 10:46:52 | 再発後抗がん剤1~6クール目
骨折して歩けなくなってからというもの
当面の目標は普通の生活をすること。

家事全般と料理と服に着替えて日中を過ごす。
これが出来ればいいんだけどまだまだ無理。

でもほんの少し左足に体重をかけて(1/3加重)
歩くことが出来ました。

これだけでもかなり嬉しい。


一方抗がん剤の副作用の一つである脱毛も進んでいまして
あらかたツルツルに近くなってきました。
ポヤポヤと残っている髪も数少なに。

外出時には以前購入したウィッグを使ってるんですけど
前と違って「被り物感」が強くなってきたとか
被っていると汗疹が出来るとかの理由で買い替えを検討中です。

買い替えにあたって、ウィッグ=かつら独特の悩みがあります。

外来で病院に行く時持っていくのは、ちょっと大きめのバッグ。
又は両手が空くショルダーバッグも便利。

今私が持っているセミロングのウィッグだと
肩掛けバッグもショルダーバッグも毛を巻き込んで
左右にずれる感じ。

今までは肩掛けを手提げバッグのように持っていましたが
ショートのウィッグにしたら解決できそうですね。
それともやっぱり微妙にずれるのか。

買い換えた場合、レポする予定でいます。

採血の結果

2010-04-27 12:53:41 | 再発後抗がん剤1~6クール目
昨日は婦人科と整形外科の外来でした。


婦人科では白血球3300、好中球が36%
一番白血球が下がっているであろうこの時期に
3300(好中球も1000以上)あったので
採血は1回でクリア。
次回の入院日がGW明けすぐとすんなり決まりました。

整形外科では術後4週経ったという事で
加重をかけても良いと言われました。
リハビリ科に行かなくてもよいと言ってもらえたので
自宅で徐々に体重をかけていきます。


早く走ったり座ったりしたいです。


明日は外来

2010-04-25 06:48:00 | 再発後抗がん剤1~6クール目
明日は婦人科外来日です。
採血をして次回の予約日を決めるだけだと思うのですが。

白血球があまり下がらないことを祈ります。

この所落ち着いた毎日が続いています。
相変わらず、思うように動けないイライラはあるのですが
そう思ったからと言って、動けるようになるわけじゃなし。

明日は病院にいきますが、その後のゴールデンウィークは
入院も抗がん剤もなし。
また同じような生活が続く予定。


自分の体調が安定してくると
日を置かずメールで近況を知らせてくれた友人を思い出します。

元気にしてるかな。
また入院する時連絡してみよう。

そうだ、明日の外来は整形外科の外来もあるんだった。

1日がかりになりそう。

整形外科で骨折した足を見てもらい
もしかすると加重
(骨折した方の足に少しづつ体重をかけること)
が出来るかも、と期待しています。

となるとシャワーだけでなくお風呂も入れるようになるかな。

便利小物 マジックハンド

2010-04-24 14:53:51 | 再発後抗がん剤1~6クール目
コメント欄で教えて頂いたのですが

車椅子生活にとって便利な小物を買って来ました。

マジックハンド   ¥499


家の中だと2~3歩歩ければ、事足りる用事は数知れず。

私の場合軸足で1歩までが取りにいけるラインです。

なので2歩くらいの距離、例えばテーブルの向こう側にあるソファの上のリモコンなどは取れませんでした。


いちいち家族を呼ぶのも悪いし~・・・で結局我慢しがちだったのですが

マジックハンドがいいよと教えてもらい、目からウロコ!早速購入♪。

いきなりとっても便利です。  

ゆだねるという事

2010-04-23 16:14:08 | 再発後抗がん剤1~6クール目
ゆだねるという事がとても苦手です。
というか、自分でやってしまいたい衝動に駆られます。

朝起きて窓を開けたい。
汚れたタオルは自分で洗濯機へ。
お茶くらいは家族の分まで入れて。

実際はテーブルの向こうにおいやったティッシュ一つでも
頼まなければ取ることが出来ません。
申し訳ないなぁという気持ちがいつも付きまといます。


でも私に出来る事はゆだねるという事。

これは足首を「骨折」したからであって
「抗がん剤」をしたからではありません。
でも四六時中吐き気があるのだから関係はあるか。

今吐き気が治まってきて
骨折ともようやく向き合えるかなという気持ちになってきました。

なるようにしかならない。
骨折はいずれ治るので、車椅子生活が生涯続く訳ではない。
(といいつつこの事も考えさせられました。車椅子で果敢に生きてる人沢山いるな)

だから今私は何も出来ないこの状態を受け入れるしかないのだ。








今までの経緯

2010-04-21 13:20:09 | 経緯
今までの経緯


2007年7月 
     自覚症状は水っぽいオリモノ。 
     近医を受診。すぐに紹介状を渡される。
     翌々日、大学病院で子宮頸癌と言われる
(この時の組織型は扁平上皮癌)


2007年8月 子宮温存の望みをかけ別の大学病院へ行く。
      子宮を一部だけ残し、妊娠の可能性を残す手術を希望するも
     組織型が小細胞癌と判明した為、断念。
      また子宮だけでなく、
      卵巣やリンパ節も切除する必要があるといわれる。

2007年9月 広汎子宮全摘術を受ける。
      病理検査でリンパ節転移なし。
      Ⅰb-1期(腫瘍2センチ大)

2007年10月~2008年3月
      病理検査でがん細胞を取りきれたと言われたものの
      予防的措置として抗がん剤を6クール行う。
      (IP療法 シスプラチン・イリノテカン)
      その後退院。

2008年3月~2010年1月
      1年10ヶ月の間、経過観察。
      途中腫瘍マーカーの微増はあるものの、CT上は何も写らず。
      髪の毛も伸び、普段と変わらない生活へ。

2010年2月   腫瘍マーカー(NSE)が
       25という今までの倍近い数値を見せる。
       PET-CT撮影。

2010年3月    PET-CT、脳MRI、CT、気管支鏡検査の結果
        子宮頸部小細胞癌の肺転移であると確定。
        大きいもので2センチ。4つ確認。
        肺炎併発。
        左足首骨折。

2010年3月~8月(予定) 
        抗がん剤を6クール投与。
        EP療法(シスプラチン・エトポシド)


       


抗がん剤2クール目が終わりました

2010-04-20 06:08:21 | 再発後抗がん剤1~6クール目
抗がん剤の投与も終わり、昨日家に帰ってきました。


感想は・・・長かった~~。

でも考えてみれば1週間なんですけれどね。

終わって本当に良かった。

でも既に3クール目をやりに病院に行く事を考えただけで、
拒否反応が作動します。

やっぱり吐き気です。
これさえやりすごせれば、大分楽になります。
寝ちゃったりとかすると時間稼げるし。

最近は吐き気止めも沢山種類があるので使わせてもらっています。

イメンド
デカドロン
ノバミン
他にも色々


むむ、なんだかまだ吐き気の残党がいる感じ。
少し休憩します。



2クール目 入院しました

2010-04-13 11:40:05 | 再発後抗がん剤1~6クール目
こそっと更新

2クール目の為入院しました。

今日は朝一で採血。
腫瘍マーカー(NSE)を調べてもらいました。


腫瘍マーカー前回(3月)77から・・・

今回15.2まで下がってました!!

やったぁ!!!

まぁ上限値10~12.0ぐらいまでなので
まだ微妙に高いですけど。

でも1クール目で77から15.2まで下がってくれてると思うと嬉しいです。


今日は採血のみなのでのんびりしてます。


家で過ごしながら

2010-04-12 06:27:59 | 再発後抗がん剤1~6クール目
家に帰ってきてから10日が経ちました。

骨折して病院にいるとき
一握りのご飯と少量のおかずが食べられなくて
修行だと思って無理やり口に詰め込んでいました。

でも家に帰って来て、食欲が無かったのは最初の日だけ。
ご飯と焼海苔だけでペロリと一膳食べるようになりました。

やっぱり骨折によるストレスだったのかな。
ふだんはストレスがたまると過食に走ってたけど
今回の骨折ではど~んと落ちるというか
何も食べたくなくなってしまいました。


明日から2クール目の抗がん剤の為入院します。
初日は採血等の検査だけなのですが
明後日からはシスプラチンとエトポシドの点滴が始まります。

炊きたてのご飯やお刺身ともしばらくお別れです。
左足が動かないのに、抗がん剤の副作用が来るのかと思うと不安ですが時は待ってくれないもんね。

やるしかない。頑張ってきます。


簡単!ウィッグスタンドの作り方

2010-04-11 11:25:41 | ウィッグスタンド 作り方
段々と髪の毛が抜け始めています。

前回の抗がん剤の時に作ったカツラを使おうと思っていますが
前回、ウィッグスタンドを作ったのでそれも一緒に出してきました。

といっても、作り方はとても簡単です。


材料は
2Lのペットボトル
1.5Lの炭酸飲料ペットボトル
塩300~400g(重りになるものならなんでも)
最後に包む布(私は大きめのバンダナサイズのハンカチ)




1 2Lのペットボトルの上1/3を切り取る。
(ロングの場合は1/4ぐらいの方がいいかも。
私はセミロングのウィッグでした。)



2 塩300~400gを2重にしたビニール袋に入れ、
1のペットボトルの中に入れる。
3 1.5Lの炭酸飲料ペットボトルを2のペットボトルに逆さにして入れる。



4 布で包んで出来上がり(私はセロテープで留めただけ)


私はウィッグだけを知人が通っている美容室で調達しました。
ウィッグスタンドだけ送料かけて購入するのもなぁ・・・と思ったので
家にある材料で作ってみました。

転移と原発の違い

2010-04-10 06:06:04 | 再発後抗がん剤1~6クール目
気管支鏡検査の結果、
私は子宮頸部小細胞癌の肺転移と診断されました。

肺原発の小細胞癌とどう違うのか、最初よくわかりませんでした。

気管支鏡検査の入院の時、呼吸器内科の病棟にいました。
医師達も呼吸器内科の先生です。

この先生達が若いながらも、スパッと質問に答えてくれるので
私はとてもお気に入りでした。

使える抗がん剤は何種類程度あるのか?
婦人科の医師は2種類と答えたけれど、
呼吸器内科の医師はもっとあるというではありませんか!

それに看護師さん達もキメ細やかで、とても居心地がいいのです。

私はこのままずっと呼吸器内科で入院したくなりました。
だって現在は肺に腫瘍があるんだし婦人科で入院するより、
色々な種類の抗がん剤があるといってくれている医師の許で治療を受けたい!


それを率直に医師にいうと、先生達はこれまた機敏に動いてくれて
積極的に受け入れようとしてくれました。

・・・しかし結果からいうと
私は婦人科で治療を受けることとなりました。
先生達には感謝しています。

理由は肺の腫瘍は子宮頸部小細胞がんの転移であるという結果がでたこと。
(転移性であるという事がはっきりしない場合もあり、その時は呼吸器内科での治療も可能だったかもしれません)

それともう一つ大事な事が!!
肺原発の小細胞癌だったら使える抗がん剤は何種類もあるのに
転移性の小細胞癌たと使える抗がん剤は激減するという事実です。

婦人科の医師が2種類程度しかない、とボヤいていたことも間違いではなかったようです。
今でも信じられない気持ちなのですが・・・

これがドラッグラグってこと?

でも事実ならあがいても受け入れるしかないし。
とりあえず1個目(シスプラチンとエトポシド)の治療が始まったばかりだし。

納得はいかないけれど、受け入れなきゃいけないのかな。





骨折の手術後

2010-04-09 06:10:46 | 再発後抗がん剤1~6クール目
とにかく心細くて友達に電話したのもこの頃です。

朝起きて身支度を整え、朝ごはんを食べ薬を飲み終わると9時ごろになります。

そして朝9時の時点で私に出来るのは寝ることだけです。
起きたばかりで寝るしかないという事実。

婦人科病棟に入院しているけれど、
抗がん剤投与は終わっているので特別な治療はありません。

逆に言えば、抗がん剤治療が終わっていて
骨折、手術の事だけを考えていればよいのですから
それはよかったともいえるのですが。

そして手術の時に入れられた硬膜外麻酔がまだ背中にぶら下げていました。

この硬膜外麻酔は痛みを緩和させるので
足の痛みは殆ど感じません。
その代わりお腹全体、足先まで痺れというか、
太ももをつねっても感覚がにぶくなりました。

・・・・・って今だからこんなに端的に打ってますけどね。
その時は何が何だか分からない訳ですよ。
左足の感覚はなくなるし、
お腹全体が麻痺したようになるし
腸だって自分のいう事を聞かないから失便しちゃうし
その度に訴えても
「あ~、エピドラ入れてるからね~、仕様が無いかも」
などという返事が返ってくるばかり。

例えばだけど
いま痺れがきているのは硬膜外麻酔の影響が強いと思う。
これは硬膜外麻酔が切れるまでは痺れは続く。
逆にいうと麻酔が切れれば痺れは治まってくる筈だ。
失便など不自由な事も麻酔が切れ次第治まってくるから
あと2~3日頑張ってほしい。

という説明があれば、
これは一過性のものだ、麻酔が外れるまでの辛抱だと
自分に言い聞かせる事が出来たのではないか?

おもらしどころか失便ですからね。
う○ちをしたという感覚さえも無いんですよ。
トイレに連れていってもらっても、出たかどうだかさえもよく分からない。

私は何故こうなってしまったんだろうとその時は落ち込みました。

友達に電話をかけ、元気な声を聞かせてもらってしのいでいました。
特別な事を話さないでいても、元気をもらえます。
短い会話でしたけれどとても助かりました。

その内に硬膜外麻酔も切れ、痺れていたのも徐々に感覚が戻ってきました。
トイレに行っても感覚が戻ってきて嬉しくなりました。





抗がん剤の入院中に骨折

2010-04-08 06:15:21 | 再発後抗がん剤1~6クール目
時間は夜中の3時。
初めはあ、転んじゃったよ、と思っただけでした。

すぐに看護師さんが来て、自分で立てますか?とききました。

立てません。
左足首は自分の意思では動きませんでした。
そのときは捻挫かなぁとぼんやり思いました。
捻挫であって欲しいというか。

車椅子で待機し、レントゲン室へ。
撮影後部屋を出た途端、
医師が左足は折れていますね、ときっぱりいいました。

(片)足は2本の骨で体を支えているのだけど
左足はその両方が折れているのだそう。
右足は問題なし。
左足の2本の骨が折れているのは手術の対象になるそうです。

それを聞いてガックリとなりました。
自分で招いたこととはいえ、抗がん剤入院の最中に骨折、手術なんて・・・

夜中の出来事でその日は足を固定して寝ました。

次の日から翌々日にかけて整形外科の先生と婦人科の先生が協議し
緊急オペの準備となりました。

緊急枠で手術出来た事がとても嬉しかったです。
もう待つのも限界!という追い詰められた気持ちでした。

家族も大変そうなのが、手に取るようにわかり
再発でも抗がん剤でも泣かなかったのに、
この時はオイオイと泣いてしまいました。

S君も実母も働いており
実母は朝7時前には仕事場に向かいます。
S君はもう少し遅いものの、フルタイムで働いた後
私の入院先に来るのです。

足を骨折したら、自分で出来る事は限られており
例え2歩歩けば手が届くものも誰かに頼まねばなりません。

歯を磨くのも一人では無理、
着替えも無理
看護師さんに頼むのは限界を感じました(忙しすぎるからね)

その分家族に甘えることになり
疲れてるのに申し訳ない、
それでも通ってくれる母とS君に感謝でした。