風を感じて~子宮頸がんの記録~

2007年7月に子宮頸部小細胞癌と診断され子宮と卵巣を摘出後、抗がん剤を6クール投与。2010年3月肺転移しました。

手術当日とY看護師

2009-06-24 19:18:31 | 手術前まで
朝6時過ぎに浣腸を済ませ
8時半には身支度も終え
いわゆる手術着に着替えて、荷物を持って手術室に歩いていきました。

本当は義理母も来る予定だったのですが
当日は台風直撃の日だったので
S君が電話で大丈夫だからと言い
付き添いは実母とS君の2人になりました。

看護師さんが来られ、一緒に歩きました。
実母もS君も私を今まで通りに扱ってくれつつ
励ましてくれるのですが
当の本人は未だに現実感がないままです。

頑張ってね!とS君が言ってくれてるのに
頑張るのはC先生だから!と返し、
すぐ眠っちゃうんだろうな~とぼんやり思っていました。

おちゃらけた物言いで歩いていたので
看護師さんは「すごく仲がいいんですね、愛だわ~愛よっ」
といわれました。

私としては結構この言葉にゲンナリしてまして。
S君とは仲良く暮らしてるつもりではいますが
それなりにケンカする時もあります。
仲がいいのね~という言葉に揶揄を感じて受け取っちゃったんです。

「そんな事ないですって!」などと明るく返答しましたがヒネてましたね。

でも何度もこの看護師さん(Yさんといいます)とこの先何度も話す内に
病院内で唯一といって良いほど、心の内を話す事が出来るようになり
心の中で皮肉と受け取った事を後に反省しました。

そしてY看護師さん、実母、S君と笑顔で手を振りながら別れ
手術室手前のベッドの上に横になりました。

ベッドに横になるとそのベッドは動き出し
みんなと別れて何だか一人ぼっちになった気がします。
今まで手術に実感が沸かなかったのに、いよいよとなると何だか怖いなぁ。
さっきまで全然平気だったのに。

あ・・・と思いました。
実母もS君も看護師さんも支えてくれてたんだ・・・
私が気付かなかっただけ?
執刀するのは先生でも、手術を受けるのは私自身なんだ。
当たり前の事なのに、みんなと別れてからじゃないと気付かなかったよ。


テレビで見るのと同じような手術室に着くと
背中に麻酔を打たれます。

数を数えていても、眠くならず変だなと思ったのも束の間
一応目を閉じてやるか・・・と思った瞬間から記憶がありません。


病棟担当医のD先生も執刀医のC先生もその後来られたのでしょうが
全く記憶はなく・・・目が覚めたのは夕方でした。

手術時間は6時間33分だったそうです。


動脈採血

2009-06-23 23:09:49 | 手術前まで
手術前に動脈から採血をされました。

やってきたのは研修医E先生でした。
E先生は体育会のラグビー部にいそうな感じのガッチリ体系。
研修医だからなのか、THEお医者さん!という感じがありません。
いうなれば、学校で教育実習の先生が、
まだ教育者というより
お兄さんお姉さんの雰囲気を漂わせている感じでしょうか。
私も話しやすい先生でした。

動脈採血は通常行われる静脈からの採血と違い
注射針を直角?と思うほど立てて、尚且つ深く針を刺します。

通常ソケイ部(足の付け根のところ)から採血する事が多いようです。
しかし動脈ですから、触って血管を確認する事は多分出来ないと思います。
当たりをつけてエィっと刺してるように見えたのは気のせいでしょうか?


「反対側から取らせてもらっていいですか?」
「もう一度やらせて頂きますね」
と何度もいう研修医E先生の額に汗がにじみ始めました。


私は不正出血で婦人科を受ける際、女医さん希望で受診したし
病棟担当医のD先生は女性なので嬉しかったのも事実ですが
何人もの医師に診察される内に
次第に男女の区別はどうでもよくなって来ていました。


もう私の体を好きにしてくださいませっっ!という感じで
何回失敗されても「どうぞゆっくりやってくださいね(ニコっ)」
といい患者を演じておりました。
まぁ後は私寝てるだけですからね。

「あの~もう少しだけ下ばきをずらしてもよろしいでしょうか?」
と恐る恐るいうE先生。
下ばきって・・・すご~く久しぶりに聞きましたよ。
まぁ場所が場所で足の付け根ですから
先生も気を使ってちょっとしか下げなかったですよ。


でも結果は同じで、うまくいきませんでした。
先生も鼻の頭にまで汗をかいて一生懸命やってくれたのですが
結局手首から取る事に。

ここで2回程失敗しましたが、その後何とか無事に採血完了です。

動脈採血をする意味は、
確か酸素量を調べると言ってたような気がします。

E先生の他にも抗がん剤の針刺しなどで、
担当以外の沢山の研修医に刺してもらいました。
私の血管は割と丈夫なほうかなぁと自分では思っているのですが
やっぱり何度もさしていると潰れがちに。

検査技師さんに採血されるとき、
青タンになってる血管に刺さなくてもいいのに・・・と思った事もあるのですが
「やっぱりそこにあると分かってるとそっちに刺しちゃうのよねぇ、ごめんね」
と言われた事があり、ふむぅと納得した事があります。
やっぱり失敗するかもしれない血管に刺すより
刺した後がある近辺に刺せは失敗は少ないですもんね。


血管痛がある人は「必ず決まった方の腕にして下さい」とか
希望を言っていました。
抗がん剤+流しの点滴などになると
何日も点滴がついたまんまになりますから
痛さを我慢するには長すぎる時間だし、
結構希望は通るんだなと思いました。

あと採血後はちゃんと指で5分くらい押さえておくのが
やっぱり大切だそうです。(検査技師さんに言われた)
私は最初あんまり気にしてなかったのですが
もう何十回も採血されるとやっぱり
血管は潰れがちに、痛さは段々と増します。
抗がん剤がもれると大変ですから、途中から注意するようになりました。

まぁ、この頃はそんな事何にも考えてません。
E先生はに心の中で「頑張って~(萌)」と唱えつつ
「大丈夫です。痛くありません」といい続けていました。





医師からの手術説明

2009-06-15 20:26:58 | 手術前まで
2007年9月初旬(手術2日前)

C先生から
子宮と卵巣とリンパを取る手術について説明がありました。
D先生(病棟担当女性)とE研修医も同席です。
実母とS君と私の3人で聞きました。

手術式:広汎子宮全摘術+両付属器切除術
及び骨盤内リンパ節郭清術

術前診断は1b1期
(病巣が子宮頚部に限局し、大きさが4センチ以下)

子宮頸癌の中でも小細胞癌というタイプの為、
子宮温存は難しく、根治治療を目的として子宮と卵巣(2つとも)取る。

生理は無くなり、妊娠は不可能。
また卵巣を2つともとる事により
更年期障害のような症状が起こる場合がある。

術中必要に応じて、自己血や輸血をする。
再手術の可能性もある。
顕微鏡により病理検査の結果次第では追加治療(抗癌剤・放射線)も有り得る。


骨盤内のリンパは(全て?)取る。
その為足にむくみが出る可能性がある(リンパ浮腫)
リンパ浮腫により蜂窩織炎を起こす可能性がある。
また開腹手術のため、腸閉塞(イレウス)や感染症、を起こす可能性がある。

子宮の近くには膀胱の神経がある。
なるべく傷つけないようにするがこの手術を行うと、
『おしっこにいきたい」という感覚が無くなったり、薄れたりする。(排尿障害)

リンパのう腫になった場合は必要に応じてドレーン挿入。


こんな感じで説明がありました。
でもこの時はリンパ浮腫もよく分からないし、
更年期障害って耳にしたことはあれど、実感などはないので
説明を聞きながらも「ふ~ん、へぇ~ほぉ~」という感じでした。


手術が失敗したら?なんて全く考えなくて
待ってる母とS君は手術時間が長いと大変だろうなぁ、とか
そんな事を考えてました。

「何か質問は?」と聞かれたので
予定手術時間を聞くと7時間との事。
長いなぁ。

おしっこに行きたい感覚が無くなると言われても
なってみないことにはわからん!という感じで
まぁその時なってみたら考えましょうかね、と先延ばしにしました。

更年期障害に似た症状というのは、卵巣欠落症の事で
女性ホルモン(エストロゲン)の分泌が無くなる事によって
出る症状全般をまとめてこういうようです。

症状的には卵巣欠落症=更年期障害と考えてますが
更年期障害ってなにさ~??
あれって性格も関係あるっていうけど、本当に?

よく名前は聞くけどさ、実際どうなん?、汗とか、ほてりとかだけだっけ?
実際何と何があるの?あ~わかんねぇ。

今までにも何回か説明を受けてはいたのですが
どうもイメージが湧かず、再度、卵巣切除による更年期症状には
どんなものがあるのか教えてください、と聞いてみました。

C先生は目に見える症状と目に見えない症状に分けて説明をしてくれました。
自覚症状としては
ほてり、発汗、不眠、イライラなどがあり
目に見えない症状としては
骨粗しょう症、AMI(急性心筋梗塞)HL(高脂血症)などが考えられる。
また最近になってアルハイマー病と関係がある事もわかってきた。

ただ、これらの症状は「必ずなる」という事ではない。
必要な場合はホルモン療法などを追加し対処していく。

今から思うと丁寧な説明でした。
でもリンパが無いこととか排尿障害、更年期障害もピンと来ないのは変わらず。

術後、症状が出たものもあり、無かったものもあります。
また今無くても、イレウスや浮腫は術後何十年たっても発症リスクがあるので注意が必要かなとは思っています。


下剤開始

2009-06-11 22:31:05 | 手術前まで
手術3日前から下剤が開始となりました。
食事も注腸食に切り替え。味気ないけどまぁしょうがない。
飲み物はまだOK。

プルセニド2錠
下剤とはいえあんまり効かないなと思いました。
私は小学生の頃から極度の便秘症。
朝冷たい水や牛乳を一気飲みしてもいつも全く効果はありません。
繊維質の食物、飲料も思ったほどの効果は無く、
便秘薬を飲むとお腹の痛みを伴った便意が数時間後突然来るので
あまり飲みたくありませんでした。
便秘症なのが当たり前になっていて、週に3回お通じがあればいい方。
自分では気にしなくなっていました。いい事じゃないとは思ってたけど。

だからこの日から注腸食に変わり、下剤を飲んでちょっと期待してたのですが
何となく期待はずれ。どんだけ便秘症何だかと改めて思いました。


手術2日前
引き続き注腸食。今日も飲み物はOK。
プルセニド2錠
ラキソベラン1本

その前に浣腸。
初浣腸でした。これもあれぇ?こんなもん?という感じ。
出来るだけ我慢してくださいね、できれば10分最低でも5分、
と言われるも余裕で15分平気。
これ以上トイレ近くで待機してるのもかったるいなぁと思ってトイレへ。
普通浣腸されたらトイレ我慢するのって大変じゃないのかな。

ラキソベランというのは目薬のような大きさのプラビンに入っていて
1滴でも効果があるらしいのですが
手術前という事なのか全部飲んでくださいと言われました。

今度こそお腹グルグルくるかと思いきやそうでもなし。
変だな?ソケイ部も何となく痛いなぁ。
以前C先生にソケイ部の事を言ってみたりしたけども、
意に介されず、そんなもんなのかも。


手術前日
注腸食に加え21時以降飲み物も禁止。
マグコールP50g

また浣腸。
昨日よりかは短いけど、まだまだ我慢可能。
昨日は我慢してるという感じも無かったから効いてるんだと思う。

加えてプルセニド2錠
便秘症という感じはもう無い。


手術直前の朝
最後の浣腸。
同病棟の人が『浣腸されたら、殆ど我慢できなかったよ』と言っていた意味がやっとわかりました orz。
歩いてトイレに行くのもつらい。
というか足を1歩出すのがつらい。
でもこれで最後だし、我慢できなかったらそれでいいよと看護師さんに言われ気が楽になりました。


あともう1コ
「便秘でお腹が張っちゃってウエストがパンパンなの~」と昔言っていたけど
便秘が改善されてもウエストには全く変化はありませんでした。
まぁ薄々全部脂肪だとは気付いてたけど。

この嘘はS君にはもうしばらく黙っていよう・・・と心に決めました。

入院したらドクターが3人になった

2009-06-08 21:08:12 | 手術前まで
C病院では入院すると
C先生だけでなく、もう一人医師が担当してくれました。

病棟担当医のD先生です。
入院当日に早速病棟まで来てくれて、ご挨拶する事ができました。

D先生は見た目可愛らしい女性でしたが
C先生のアシスタント的な存在という訳ではなく
手術をもこなす医師でした。
またこの先殆ど毎日病室に顔を出してくれ、
細かい病状や術後のあれこれなどを見てもらえました。

C先生は手術の執刀医だし、会って質問したりする事も出来ますが
手術や外来日など長時間会えないときもあります。
2人いることにより、痛みや不安などを、
スムーズに解消出来る事も多かったです。

もう一人研修医で、E先生ともご挨拶をしました。こちらは男性。若っ。
研修医の先生は必ずしも全ての患者に着くという訳ではないのですが
今回手術関連まではE先生とも一緒です。

この2人の先生とは入院当日にご挨拶できたのですが
肝心のC先生とは何日も会えずじまい。
何となく看護師さんにも聞きそびれて
やっと今日から下剤開始!の時にC先生が現れました。

真っ黒に日焼けしたC先生。

・・・やっぱりお医者様だけあって、その日焼けは海外ですか?
クルーザー焼けとか?
絶対、日サロでは無いですよね。
などと妄想が働くもそんな事は言えず・・・

「えっと、今日から下剤開始かな?がんばってね」とにっこり笑われて
「よろしくお願い致します」というのが精一杯。
C先生は足取り軽やかに、あっという間に病室から出て行きました。

私はこのC先生に必要な事をキチンと伝える、というのがとても不得手です。
後になってあぁ言えば分かりやすかったのに・・・と反省したりと
今でも外来後に思ったりしてます。

でもとにかく先生にも会い、入院にも慣れて来て
下剤開始!となりました。







子宮頸がん 子宮頚がん 小細胞がん 子宮頸部小細胞がん 子宮頸癌 子宮頚癌 小細胞癌 子宮頚部小細胞癌 





入院 (手術編)

2009-06-03 20:49:14 | 手術前まで
2007年8月末

入院の為、朝9時半ごろ病院に着きました。

窓口に行き、書類やIDバンドを貰います。
しばらく待った後、係りの方と一緒に病棟に行きました。

自動血圧測定器があり、待っている間に自分で計るように言われました。
まぁ、上は普通かな~。下が80ってやっぱ高いのかも・・・
などと思っている内に看護師さん登場。
部屋に案内されます。

落ち着いた声の看護師さんでちょっと安心♪
この看護師さんが担当だと話しやすいかも、と思い
担当看護師さんですか?と聞いてみるも
「私は主任なので、担当を持たないの」との返事。
そっか~。そううまくはいかんのね。
担当看護師は後でまた挨拶に来るからと言われました。

入院日に2回目の貯血予定だという事を話して
ナースセンターに一声かけてから行ってもらえばOKとの事。
他にも肺活量とか、心電図とか行くべき所を指示されます。


IDバンド(名前と生年月日、入院NOが印刷されたもの)を手首に巻かれ
入院患者なんだと実感が沸いてきました。
これはシャワーを浴びてる時もずっと着けっぱなしで
退院まで外しません。
(外してもらうと娑婆に出た!という気分になりモチが上がりました)

熱を測ったり、血圧計の結果の紙を渡し
一通りの説明を受けた後、外出、外泊の説明をされました。

外泊といっても好き勝手に出来る訳ではなく
医師の許可と帰るべき理由(入院に必要なものを取りに帰るとか)が
無ければ出来ないとの事でした。

「紙に書いて提出するから、気をつけてね。
時々遊びに行く理由とかを書いちゃう人もいて、
師長から却下されたりとかもあるの。」
そう言ってにっこり笑われました。

・・・・
・・・・
・・・・
(しばしの間)

何か看護師さんから、私の言葉を待たれてるような?
「何かありますか?」的な感じ??
気のせい?

でも何か分からない。さっき病院に着いたばっかり。
看護師さんとお医者さんに言われる事は守ろうと思ってたけど
入院のいろはとか分かりません。・・・はぁ(ため息)

主任看護師さんは再度にっこり笑い
(そんな事は気になさらないで)という感じで去っていかれました。
なんだったんだろう??

その後は隣りのベッドの方にご挨拶したり
検査、貯血などで病棟から離れたりで
ふと気付くと金曜日の夕方。
手術前にする事ってなんだろう?と思うもののよく分かりません。


今から思うと、入院前にやることは
下剤を飲む事に尽きる気がします。
食事は注腸食と呼ばれるものに変わります。
おへそを綺麗にしたり、陰部の毛を剃ったりもします。

ただし!手術の3日前からでした(私の場合)

私の手術日は1週間後です。
土日は教授回診とかも無いし
つまり初日の検査と貯血が終わると
2日間、な~んにもやる事はないのです。

さっきの看護師さんの間はたぶんこれかな?
外泊希望かどうか聞かれていたような気がします。
2日間特に何するでもなくでしたから、外泊は可能だったのかも。
ベッドが空いている時、入院となった為なのかな~と思いつつも
真相は闇の中です。


まぁ、この時は初めての入院で、家に戻っても落ち着かなかっただろうし
意外にベッドでのんびり出来てお気楽でした。

この後、抗がん剤で入退院した時は外出、外泊希望満々で
どうしたら外出、外泊可能になるかを聞き、一生懸命努力(というか食べて)
許可をもらいまくりました。
例え抗がん剤の副作用があっても家に帰りたくてね~。
同時期に抗がん剤をやっていた方の中には、
外泊可能とはいえ、副作用があるのに家に帰りたくないという人もいたので
これは人それぞれ違うのだと思います。


初めての入院の時はそういう事自体考える事も無く
最初の2日間は、病院食(それも注腸食じゃない普通食)を食べながら
病院内にあるレストランやコーヒーショップに行ったり
コンビニや売店を散策したり、
テレビをダラダラ見たりであっという間に過ぎていきました。

医療費を立て替えずに済む=現物給付について

2009-05-27 12:03:30 | 手術前まで
健康保険による診療を受けている人で
入院予定または入院中のかたは

手続きをする事により高額療養費の立替が必要なくなります。
(高額療養費の現物給付)

この手続きは
手続きした月から有効になるので、
入院前にやっておければ面倒がありません。
遡りはないので、
どうせやるなら最初からやっておけば楽ですね。


手続き方法
加入している健康保険の窓口で「限度額適用認定証」の申請をする。
 その人の所得によって負担額が違うので 
 役所が所得を把握していない場合は、源泉徴収票や課税証明書などの
 書類が必要な場合があります。
 (印と身分証明書も)

 国民健康保険の場合は市町村役場
 社会保険の場合は会社の総務部などが
 申請先になるかと思います。 


それを入院時に保険証と一緒に病院に提出していました。


まぁ過ぎちゃった場合は
自己負担分を一旦支払い
後で(2~3ヵ月後)に払い戻しを受ければいいので
損や益があるという事はないんですけどね。

この制度、月ごとの計算になるので
例えば5月1日~末日の医療費と、5月15日~6月15日の医療費では
治療内容が同じでも、
自己負担金が変わってくる場合がありますね。

月初めに入院してその月内に退院するのが得ということになります。
でもまぁ抗がん剤等の入院で
「10日~2週間の入院→白血球の回復を待ってまた抗がん剤」なら
あまり医療費に差はないのかな。


同一科で同一病院の計算になるので
婦人科なら婦人科だけでの計算です。
入院と外来も別計算です。


あと1年内に4回目の入院以降は更に自己負担金が下がります。
私は4回目以降入退院の会計の時、あんまり変わらないなぁ~と思いつつ
特に窓口に聞きもせずにいたら
退院後、数ヵ月たって、支給申請書類が届き、口座にお金が振り込まれました。

手術、抗がん剤などが一段落した後だったので、ちょっとしたお小遣い感覚でした
(違うって~)
認定証毎回渡してたのに、何でだろう??


食事療養費、室料差額、文書料などの保険外負担には適用されないので
毎月多少の上下はありますが
それでも医療費の目安になるので助かりました。



入院準備のおかいもの

2009-05-25 16:16:58 | 手術前まで
どこかに私と似たような事をする人がいるかもしれない・・・
やっぱりそんな事するのは私ぐらいか。

いや写真集を2冊購入するオタがいるのだから(保存版と鑑賞用ね)
入院準備でも同じ事をしないとも限らない。

同じ靴や洋服を色違いで揃えるタイプなら危ないかも。


なんの事かというと、T字帯の事です。

開腹手術を受ける際に用意するものの一つに
T字帯と腹帯がありました。

T字帯は割と安価で、大抵手術を受ける病院の
売店にあるのではないかと思います。

T字帯は何に使うんだろう?(フンドシのようなもの・手術直後の下着代わり)
予備は必要?多くても別に困らないよね。
腹帯も2枚と書いてあるけど、乾かない内に汚したらどうしよう。

C病院ではT字帯1枚、腹帯2枚を用意して下さいとありました。

結局T字帯は5枚も購入。
腹帯はT字帯程安くないのに、何枚も手に取り・・・
やっぱり1枚位多めに買っておこうと
病院売店の方に3枚渡したところ

「そんなに腹帯はいらないと思うよ」と一言。

結局T字帯は1枚しか使いませんでした。
(病院によって違うのかも)
多めに買っても困りはしませんでしたが
未だに使う事もありません。

あの時、売店の方に言ってもらえなければ
腹帯も多めに買っていた筈。
ありがたや。

手術直後は動けませんが、
足りなきゃすぐ売店で購入できるので、その時で充分事足りました。

この他にもプラスチックコップ(とストロー)があれば
吸い飲みはいらないと書いてあったのに、2つとも用意したりしてました。
結局私はプラスチックコップしか使いませんでした。


C病院での入院案内に書いていなかったもので
あったら便利だったものはS字フックかな。

ベッド横の小さな引き出しの脇にS字フックをかけておくと
コマゴマした物を引っ掛けられて
起き上がれないときでも、手に取りやすかったです。

あと・・・・自分でも何でそんな事したんだろうと思うのが
パジャマ購入のとき、ある場所へ行ったことです。

そことは「○ちゃん☆本舗」でした。
いつも寝るとき着ているのは「Tシャツ+短パン」の組み合わせだったので
入院の際指定された「前開きパジャマ」を買いに行ったのです。
開腹手術をするのでから、お腹のゴムが調節できるパジャマなど
傷口に優しいと思いました。
実際入院した時、経産婦さんは結構このパジャマ多かったです。

一度は妊娠の望みを繋ごうとして、ダメになったというのに
何でまたって思いますが、
その時はダメになっちゃったもんはどうしようもない、
必要なものを買いに行くんだと思ってました。

ですが、行って見て、やっぱりやられました。
とても明るい店内、何と言うか「生命のエネルギー」に満ちていて
これから子宮を取る手術をする私とは
エネルギーの方向が違うという気持ちがしました。
考えれば行く前に気が付くモンですよね。

私はこれから子宮を取るんだと強く強く実感したのを覚えています。
それと引き換えに生きる時間を貰うんだ、と思いました。

手術まえの病院通い

2009-05-22 11:41:51 | 手術前まで
2007年8月下旬

自分の血液を2回に分けて貯血する事になりました。

そして、C先生はもう1週手術を早めてくれていました。
願掛けが叶った気がして、もうこれで大丈夫なんじゃないかと
気分はすっかり手術が終わったかのようです。

外来日と入院前のオリエンテーション、麻酔科説明に合わせて
自己血の予約を入れてもらいました。

それでも治療をお願いしますといった
8月中旬から入院までの2週間の間に
4回病院に行きました。

自己血は出血が多量になった場合に使われるようです。
(私は術中に自己血を全部は使わなかったので、術後自分の体に戻しました。)
まぁ入院まで間があるので自己血が取れたという事でしょうか。
足りない場合は輸血するけどOK?という書類にもサイン。


麻酔の種類と使う種類の説明。
全身麻酔・脊髄麻酔・硬膜外麻酔(こうまくがいますい)の3種類の予定していますと説明を受けました。

麻酔の安全性と合併症の説明と了承のサイン。
麻酔の説明は無料でした。

肝炎・HIV・梅毒の検査もやらせてね、の書類にもサイン。

入院前に準備する物リスト等が書かれた小冊子も頂きました。


そして入院日は8月末に決定しました。

引っ越しとS君転勤

2009-05-13 11:42:48 | 手術前まで
2007年7月下旬

入院前に起こった色々を書いておこうと思います。

7月中旬に子宮頚癌が発覚してアワアワしてる間に7月下旬。

自宅にS君会社から書類が届きました。

開けてみると

『今住んでる社宅を取り壊す事にしたから、半年以内に退去してね。
違う社宅に移るなら、こっちで勝手に決めさせてもらうけど、今は分からないよ。
もちろん社宅を出て自分で住むトコ決めてもいいから、連絡ちょうだい。(←要約)』


社宅を選ぶなら何処に住むのかも分からない。
自己解決なら何処でも住めるけど、不動産屋探しから。


どっちにしろ癌の治療と引越準備は平行してやらなきゃいけないのね。


そして日をおかず、S君からは
「移動が決まりました」と言われました。

最初は訳分からず「へっっ?」と
変な返事をしちゃいました。

出向が終わり、本体へ戻る事に。
仕事内容が全く変わるようです。

癌と引越と転勤。
重なる時は色々な事が重なるというけれど、やっぱり?

でもやるしかない。
全部自分で決めた事じゃないのだけれどさ。
しょうがない。
しようがない。
転勤は私じゃ何も出来ないけれど
せめて迷惑を最小限にしなきゃだね。
(いやホントは転勤の事は私にゃナンもできんので勝手に頑張ってと思ってたかも)



色々考えても事態が変わる訳じゃないので
しゃーない、やるしかないで全てを済ますことに。
まぁこの時、手術前だし、抗がん剤もまだだし
精神的な事を除けば身体は至って元気。(イヤ、癌モチだけどさ)


結果的には、治療も、引越も、転勤も無事?終わったんですけどね。


抗がん剤入退院の間に引越する予定でいたら
引越3日前にインフルエンザにかかりました。

高熱を出しながら床ワックス見積もりの電話をかけるも
当日は当然隔離のお任せパック。
家具置きの指示は配置図を扉に貼り、あとはS君と実母にお願いしました。

引越3日後の熱が下がったところで白血球を測定し
抗がん剤投与の為の入院をしました。


S君は疲れからか熱を出すも頑張り通しで
実母にも床ワックスの立ちあいと片付けを頼んだりして
お世話をかけました。



今のS君、転勤後もうすぐ2年になりまして元気に過ごしています。