風を感じて~子宮頸がんの記録~

2007年7月に子宮頸部小細胞癌と診断され子宮と卵巣を摘出後、抗がん剤を6クール投与。2010年3月肺転移しました。

管の数とアイスノン

2009-11-21 11:53:52 | 手術後2日目~
術後すぐというのは、色々体から管が伸びています。

腕には点滴の管が刺さり、
尿管にはカテーテルが入っていて、
点滴棒の下の尿バッグに尿がたまります。
背中にはモルヒネ入りのプラスチックバッグをぶら下げていました。

ただドレーンとよばれる両足の付け根から伸びている管は私の場合無し。
これは同時期に同じ手術をした患者さん達に
なんで私より2本管が少ないのか?とよく聞かれました。

病棟担当D女医に同じ質問をぶつけてみると
C先生の方針です、との分かるような分かんないような返事。

ドレーンから出てるのはリンパ液?
リンパ廓清してるしね。いっぱい出てるって事かしら。
んで何で私はその管いらないんだ?

D女医は体内で吸収されるから、という論理でしなかったと言われました。
新しいやり方なのかな、その頃ドレーン無しというのは病棟で私だけ。

D女医は続けて
ま、ドレーン入れないと高熱がでる場合もあるんですけどね・・・

えっ私も38度までは熱がでましたよっ!

んでも、ドレーン無しで高熱というのは、ハンパない高熱になる場合もあるそうで
その後外来になった時
「熱出るかな~と思ったけど出なくて良かったね~」と
C先生からも言われました。
38度じゃヒヨッコって事でしょうね。

でも体感的には38度あると結構だるいっすよ・・・

その熱があった時
看護師さんにだるい事をいうとアイスノンを持ってきてくれました。
アイスノンが効いてるのかどうかもよく分からなかったのですが
次第にブヨブヨとなり生暖かくなるアイスノン。

そうなるとやっぱり冷たいのが欲しい。
ブヨブヨのアイスノンは頭がぐらぐらして気分が悪いし。
でも「だるい」とか「苦しい」は言えても
「だから○○が欲しい」とは中々いいづらい。

そういうのは医師とか看護師が決めるもので
患者が侵しちゃいけない気がしてました。

でもKさんと(前回はココで登場)おしゃべりしていた時
ふいにKさんが
「かもちゃん、アイスノン取り替えてもらいなよ」
「・・・・やっぱりそう思う?でも看護師さん点滴取替えにきてもアイスノンの事言わないし~」
「でも全然冷たくないでしょ?」
「言ってもいいのかな?」
「大丈夫だよ」
というやり取りの後、病室に顔を出した看護師さんに頼み
交換してもらえました。

そっかー、自分の希望って言っていいのか~(にんまり)
ここで初めて気付きました。

この後、抗がん剤の副作用で口内炎なった時も
「薬下さい」といえるようになったし
(薬もあるけど・・・って言われてからだったけど)

同じく抗がん剤投与後、外泊できるなら
土日外泊したいと希望を言ってみたり
(条件付きでOKが出た)

誕生日は出来るだけ入院したくないと言ってみたり
(先生は採血を早めてくれたけど、結局白血球数が戻らなくてダメだった)

自分の希望をいうと、案外協力しようとしてくれる先生や看護師もいるんだなぁと感じました。
でも良い患者仮面をかぶって、つい「大丈夫です」と自分で言っちゃう時もあるし
「そーゆーことは出来ません」とバッサリ斬られた事もあるのですが。

でも入院が続いている内に、分かっていく当たり前のことも
患者にとっての初めての経験が必ずある訳で、
言った事が通ればラッキー!ぐらいに考えて
どんどん言ってみた方がいいのかなと、今は思います。

主治医がきた!

2009-11-19 21:13:04 | 手術後2日目~
どこにって、マイ病室に(笑)

手術後に声かけはあったのかもですが、全く記憶にありません。

術後1日目もあったのかもしれませんが、全く記憶にありません。

2日目のほんの少し歩けるようになったあと、ひょっこりと現れました。


ベッドの先にあるカーテンをあけ、
調子はどうか?的な事を聞かれたように思います。

その時はまだ廊下に出て歩いてはいなかったものの、
術後1日目までとは違って気分もいいし
起き上がれるし、少しは歩けたし、上り調子な感じ。
でもまぁその他はまだ殆ど寝てるだけだけど。
点滴には色んな管が一杯で身軽に動けるのはまだまだ先の話っぽい。

先生は
「これからも看護師さんに体位を交換してもらいながら頑張って!」
といい、軽やかに去っていきました。

ま、術後2日目の患者の様態としては至って普通ということでしょうか。

ですが???なのは・・・
これからも看護師さんに体位を交換?


そんな事、看護師さんに一度もされてませんけど~???

実は母には、足を組み替えたり、腰を浮かせて左右に軽くひねったりはしてもらっていました。
その後看護師の従姉妹が見舞いに来た時に
「何でここの看護師は体位交換をしないのか」と聞かれた事もありました。

病院によっては術後すぐの患者に対して
腸の癒着等を防ぐ為に、数時間おきに患者の体の向きを変えたりするそうです。

私は母親が動けない私に代わって、足や体の向きを変えてもらっていたので
看護師がやらない事に、たいして気にはしないのですが
(それに病院によって色々違うと思うし、)

気になったのは、医師はそういう事を全く知らないんだなぁと思った事。
主治医は体位交換を看護師がやってる筈と思っている。
医療行為は医者、看護は看護師ときっちり分業されていて
それを確認する手段はないというか。

ちなみに術後1日目にすぐに歩かされた事の経緯に対して
お見舞いに来た別の元看護師は、
ベッドの角度を朝から少しづつ起こして昼頃から歩かせれば
患者の負担(目がグルグル脂汗タラタラ)は大分減る筈。
なのにずーっと平らなところに寝せて、
自分の手が空いた時に「さぁ、歩きましょう」じゃ目が回る筈だよ。
とプンプンしておりました。

このC病院の看護師さんは、ハードな勤務体制だなと思うし
抗がん剤の管理などは、空いた時間にするなんて事は当然ないので
押さえるトコは押さえてるともいえます。
ただ患者の立場優先で考えると、上記の二人の言うとおりだなとも思いました。

このしばらく後も
おしぼりを今もって来ますからね~といった某看護師さん。
自分で言ったこと忘れて勤務終えて帰っちゃったりとか。

術前にも、夜中のナースコールを一旦自分で切り
(夜中だからスピーカーで対応しない)
ベッドに来るのをしばらく忘れ(そして多分ハッと気付き)
「問題は解決しましたか?」と40分たってからベッドに現れた某看護師さん。

ネタは数知れずあって、追々UPしようと思ってます(笑)

抗がん剤の為何度も入退院を繰り返す内に
段々看護師さんの性格もうっすらと見えてきて
この件は遅れても良いから〇〇看護師さんに頼んでおこう!とか

ナースコールで
「流しの点滴が終わりました~針抜いてください!」と言って
いつまで経っても看護師さんが来ないと
「あ、絶対忘れてるって!もう一回言っとくか」
などと対応できるようになりました。

でもこの頃は、看護師さんとも打ち解けて話せないし
後で来るって言われたのに、来なくても
「忙しいのかもしれないから、あんまりいうと迷惑だわ」などと思って
ひたすら我慢してたりしましたね。
ウブだったなぁ。


手術2日目

2009-11-12 17:27:09 | 手術後2日目~
今までの経緯

自覚症状
告知まで
手術前まで
手術翌日まで


朝6時半にぱちりと目が覚めました。

昨日(術後1日目)とは全然違う感じ。
ん?・・・体が動くような・・・(喜)

立つのも起き上がるのも辛かったのに・・・
もしかしたら歩けるかもしれない。

昨日は何歩か歩いてだけで根を上げ、
看護師さんに抱えられながらベッドに戻ったのに
今日は全然ちがう!!

いや今だけかも、
またちょっとしたら目がグルグル回り
「かもちゃん、やっぱり歩けませんねぇ」なんて言われるのはもったいない。

ここでナースコールだっっ
「あら、かもちゃん歩けたわね、よし合格」なんて言ってもらえるかも。
もう貧血みたいな状態で廊下を歩きたくない。
早朝にも係らず、ナースコールを押しました。

「どうしましたか」と看護師さん。
「えっと~、昨日歩けなかったんですが、今は大丈夫な気がします。見てもらえませんか」
「・・・・・・・・・今忙しいので後にして下さい。今は自分で歩く練習しておいてください。」

今から考えれば
まだ患者さんが起きる前の静かな時間に、
廊下でガラガラうるさい音たてて
歩く練習を許可する訳はないと思いますが。

私は起きぬけの頭で、そうか~看護師さん忙しいのか、
でも後で歩けなくなるとまずいから、早く練習したいなぁと思っていました。
そしてそーっと起き出し、ソロソロと出口まで歩いてみました。
体からはまだ管が点滴棒につながり、そっと歩いても結構ガラガラ音がします。
5歩程度歩いてまたベッドに戻りました。
でももう一度確かめるように出口まで往復してみました。
(朝6時半ですから、もうちょっと後にすれば良かった、同室だったKさん、ごめんなさい)

うっひっひ~!!歩けるぞ~。
歩けるのは今だけではないかと不安に思ったのも束の間、
術後の回復は順調に進み、術後1日目の立ちくらみはその後起こりませんでした。

このときはまだ抗がん剤の治療は知らなかったのですが、
抗がん剤は投与後何日も副作用が続きます。
ですが私に行われた広汎子宮前摘出手術というのは、
日に日に自分の体が回復していくのを実感できました。

まぁ、まだ水が飲めないのが辛かったですけど
この時点では酸素マスクが取れただけでも嬉しくて
(酸素マスクで喉が痛いほどカラカラだった)
少しづつ快方に向かっている気がしました。

そうこうしているうちに、他の患者さんも起きてきて
なんとなくザワザワしてきたので、晴れて廊下を歩きました。
無事トイレまで歩けてOKとなりました。

同室のKさんは、とても楽しく優しい方で
kさんが先に退院する日まで、色々な事を話しました。
入院について何も知らない私にシャワーの予約の仕方を教えてくれたり、
今まで知らなかったイケメン医師の事とか・・・
イケメンじゃない医師の事とか・・・
患者ならではのガールズトーク満載でした。
今思い出しても楽しかったなぁ。

手術後2日目・・・を書こうと思ったのですが

2009-11-05 01:35:11 | その他
今までの経緯

自覚症状
告知まで
手術前まで
手術翌日まで

この続きになります。
続きを書くのはものすごく久しぶりぶりなのに
それにもかかわらず、未だにブログ覗いて下さる方もいて
急かしもせんと、ほんとにありがとうございます。

えっと
子宮頸がんの治療前とは体質が随分と変わったように思います。

そして手術前後ではなく「今の」気持ちや体調を
ブログにUPしたくてたまらない時がありました。
逆に全く頭に浮かんでこない時も。
体調下降の時もありました。

でも自分なりに生活していくと結構体調は大丈夫です。
この『自分なりに』ってのが大事で。
医師の診断の下にって事とは全然違います。

体調が悪化していくのを何度か経験し
この辺までいくと日常生活が不便になるな~
と線引きし、その手前で気をつける。

がんじゃなくっても
寒気がしたら、暖かいお風呂にしっかりつかるようにしたり
無理せず、自重するように心がけたりするでしょ?

それの子宮・卵巣摘出、リンパ節廓清バージョンという感じです。。
医師の説明はもちろん下敷きにあって、
細かい、生活の知恵みたいな感じの事。

沢山あるのですが、1つ例を挙げると
風呂あがりの、汗の引かない内に夕飯の支度はしないとか(笑)
私の場合、体に熱がこもる感じになると中々元にもどりません。
どこがというより、ものすごい不快感。

我慢の限界まで動き回っていると
その後半日くらい起き上がれなくなります。

でも限界まで我慢しないように対処していくと
何でもなく過ごせることも多いのです。


具体的にいうと扇風機の前で涼むと調子が良くなります。
自宅以外のところで体に熱がこもった時は
外の空気を吸うようにします。
ちょっと冷たい空気を吸えば体調がよくなる事が多いです。
電車の中は熱こもりに近い感じになるので不安になってたのですが
「例え不義理をしても、途中下車しよう」と決めてからは楽になりました。
逆に焦りも消えて何事もなく到着する事も多いです。
可能なら、なるべく早く家をでて
途中下車しても大丈夫なようにすると
気分はより楽ちんに(とにかく対処療法)

もちろん卵巣欠落症と思われる症状ですからお薬は処方されてます。
ただ上記の事を気をつけると、私はより楽に生活できます。

これに限らず決めている「マイルール」は山のようにあって
尚且つ「組み合わせ」もあります。
上のように体が熱い、まだそれ程ひどくはないけど・・・てな状況の時は
コーヒーやチョコレートなどの刺激物も控えよー(+扇風機ね)とか(・・;)))

時々は失敗を繰り返す時もあったり、
気をつけていてもドンドン体調が下降してしまったりして
「元に戻るのに数日かかりそう。ぐえ~つらいよなぁ、」と思ったりも。
逆にいうと、同じ事を何度も繰り返す内に
復活日も予測できる事もあったりしてます。

このブログには
これから手術される方とか
抗がん剤後どうなっちゃうんだろう思ってる方とか
退院したら元の生活に戻れるんだろうと不安に思ってる方とかも
見てる可能性としては充分ある訳で。

経緯をすっ飛ばして
「辛~いっ」だけを書くと
激しく誤解を生むかな?などと思ってしまいました。

人間にいらない臓器は無いだろうから
臓器を摘出すればそりゃ色々あるだろうけど
ちょっとした事を気を付けながら生活していけば
結構何でも大丈夫(意外と何でも出来る!)

と、前置きした上で


では、いってみよ。
あ~、もう日付が変わってしもうた。
明日にしようか(えーい根性なしっ!!)