風を感じて~子宮頸がんの記録~

2007年7月に子宮頸部小細胞癌と診断され子宮と卵巣を摘出後、抗がん剤を6クール投与。2010年3月肺転移しました。

検査入院前に緊急入院

2010-03-23 07:49:34 | 2009年9月頃から検査入院まで
前日から左胸と、その裏っかわの左肩甲骨が
前より更に痛いなぁ~とは思ってたんですよ。

痛み止めのロキソニン2錠飲んでも中々効かないし、
たまりかねてもう1錠飲んでやっと効く感じ。

あと数日で検査入院だし、それまで頑張ろうと思っていました。

ところが3月10日の朝、おきた途端に激痛。推定朝6時。

咳がしたい。
なのに左胸と丁度そこを貫通した辺りの肩甲骨が痛くて咳が出来ない。
咳をしなくても左胸は痛くて、咳が出そうになる時は激痛。
起きる直前痛い方の左胸を下にして横になっていたせいか
その下の左手は全く動かず、しびれた状態。


とりあえず布団から出たくて、もがいていたら
S君が気が付いてくれ、起こしてくれました。

背中をさすってもらいながら、大きな痰がゲホッと一回でました。


激痛・・・でした。

S君は会社があるし
私は15時から日帰りのCT撮影。

でもこんな状態じゃ、CT撮影どころか起き上がることすらできません。

これ以上の心配を母親にはかけたくないと思って遠慮していたSOSを
早朝にも拘わらず、S君に電話をかけて母に来てもらいました。

その後、痛み止めロキソニンを3錠飲んで少し落ち着きましたが
咳や痰を出すときの激痛は相変わらず。
母に肺と背中を押さえてもらわなければ痰も出ず。

病院に電話をかけ、すげなく断られるも
午前中の診察に来ていただけたら、何とかなるかも、と言われ
すがる思いで10時に病院に行きました。

呼吸器内科からレントゲンを撮るようにいわれ、その結果

・・・左肺がまっ白~
肺炎を併発していました。

それに加え、痰(血痰含む)を出す時の激痛
何もしなくてもおこる左肺と背中の痛みを

訴え・訴え・・訴え・・・
(明日から検査入院予定なので、できれば今日は帰って欲しい病院側、
空きベッドを緊急で探すのも大変らしい)

私のレントゲンが「エライ先生」方にも廻り見てもらったようで
段々と「緊急入院も可、というか必要・・・」となってきました。


その後ベッドに付いたのが午後4時。

でも『薬を今調達しにいってるからもうちょっと待ってね』
と言われ続け・・・・

やっと薬が届いたのが午後8時。
無我夢中で飲みました。

しばらくしてサァ~ッと引く痛み。
咳や痰が出ても痛くはありません。

幸せ~~。

飲む前にある程度説明を受けて飲み、その後まじまじと袋を眺めてみたら

1つ目 オキシコンチン
2つ目 オキノームとありました。

他にもメジコンとかロキソニンとか10種類くらいはありましたけど。
始めて手にする薬はこの2つ。



ほほう 麻薬ですか

何か真打ち登場って感じがしました。



咳と一人舞台とある朝の出来事

2010-03-21 06:44:29 | 2009年9月頃から検査入院まで
2月中に3月の検査の日程だけおおよそ決まり、
あとは自宅待機です。

後日決まった検査をも含めたり、歯医者を加えると
2月23日 歯医者
3月1日  外来 問診のみ
3月10日 CT撮影 レントゲン・採血
3月11日 脳MRI撮影 検査入院(前日に早まったけど)
3月12日 気管支鏡検査
3月15日 外来 問診のみ
3月17日 蓄尿
3月18日 骨シンチ

なんだかこの予定を見ると
2月後半と3月前半はそんなに病院予定が無い。

2月後半は舞台観劇の予定を入れていて
これだけは絶対見たいと思っていました。

見れそうだな~と思ったのも束の間
気になるのは私の止まらないゲホゲホ咳。

家族からは他人の迷惑になるし、
体調が悪くなったら困るからキャンセルしなさいと言われましたが
気持ちは治まらず、何とか観劇できる術はないかと考えました。

ミヤコ蝶々さんの一生を演じる戸田恵子さんの
『なにわバタフライ』という舞台。
それもひとり舞台で小屋は小さめ。
咳どころか、ため息一つでも周りに聞こえます。


どうしたら咳を止められるだろう。
この際観劇中の一時的なものでよい。

誰かと喋ろうとすると余計に咳がでる。
お腹が一杯でも空き過ぎていてもよくない。
寝ている間は咳が出ない。
マスク着用時は安定するときもあり。
咳止め薬は多少の効果はあり。

ならば舞台を見るタイミングを上記にビッタシ合わせれば
他のお客様に迷惑をかけずに観劇可能なのではないか?
もちろん意に反して咳が出れば、
途中退席もありえるという前提で。

一緒に行くS君に事情を話し、
マスクを携帯し、咳止めを飲んでおく。
電車の中では喋り過ぎない。
観劇直前にコンビニおにぎりと水分を少しとる。
落ち着いたところで、劇場に入る。

この所為かどうかは分かりませんが(苦笑)
観劇中咳が出ることを止められました。
大きな咳の波が2回程来ましたが
一つは劇場が静まり返る、とてもいいシーンだったので
お腹が波打ちながらも咳は出さず、
その後拍手をしたときは、
戸田さんの芝居を邪魔しなかったことに加え
芝居そのものにも感動していました。

咳を我慢しながら感動するってのは始めての体験でした。

実はこの日は私の誕生日だったので、
その後飲みに行ったり、ケーキを食べたり
楽しく過ごしました。

この調子の良さはその週いっぱい続き、
コントロール出来るかな~などとも思ったり。

やはり咳は一旦出だすと止まりにくく、
咳のしすぎなのか胸も痛み、
その痛みは肩甲骨まで響きましたが
もうある程度慣れもでてきて
人と会うときは、観劇を見るときの心得を比較的守っていれば
うまくいっていました。

私の咳はウィルス性ではないので
人に移す心配はありませんが、やはりマスクは常に持っています。
逆に私がウィルスを今もらうのは、やはりかなりリスクも伴う事でしょう。

なのになのに・・・
束の間の幸せな1週間がすぎると
私の体は激変しました。

段々と痛みを伴う咳が増えてきたと
感じる日が増えてきたなと思ってはいましたが
3月10日の朝、
起き上がる事も咳をする事も出来なくなっていて
左手は痺れて動かず、右手だけをバタバタさせている私を
S君が見つけて、私を布団から起こしました。

風邪の可能性は何%

2010-03-19 18:36:10 | 2009年9月頃から検査入院まで
思い返してみると2009年秋ごろから
腫瘍マーカーが微増を示したからといって
特別に大きな不調があった訳ではありません。

でも頭の隅っこにマーカー値上昇の事があって
やりたい事はぜったいやる、と後延ばしにしたくない気持ちがありました。

2009年暮れ~年明け1月にかけて
忘年会や
中の良い友達とのおしゃべり
中学時代の恩師と会ったり
ディズニーシーでうまい棒を沢山食べたり
フリマやアウトレットで気が済むまでお買い物したりとか。


それが2月になると一変して
歯医者と病院、市販薬の書き込みばかりになっていきます。

肺に「怪しげなモノ」があると言われたのが2月17日。
先生に「9割方再発(転移)だと思う。一応呼吸器内科も受診してきて」
と言われ、婦人科から呼吸器内科へ移動しました。

呼吸器内科の指示で採血とレントゲン撮影。
先生は聴診器をあて、画像とカルテを見ながら
「急いだ方がいいね」とだけいいました。

・・・・なのですが
気管支鏡検査をやる為の日付予定は3月12日!となっていました。

3月12日って遅くない?(この日は2月22日)

マーカー値が上がったと分かったのは1月27日。
婦人科外来が2月1日。
PET-CTは2月13日。
婦人科からPETの結果を聞いて、呼吸器内科へ行ったのが2月22日。
呼吸器内科の気管支鏡検査が3月12日。

少なくともPET撮ってから1ヶ月あいて、まだ検査やるってのはどーなんでしょ??
何か一つくらい治療という名のものが欲しくなって来ました。


婦人科の先生も遅いと思ったらしく呼吸器内科へ電話しています。

・・・・その結果

どうやら呼吸器内科的にみて
子宮頸癌の再発、転移ではなく
肺原発の癌の可能性もあるそうです。

それには気管支鏡検査をしなくてはならず
この検査は入院して行うようで、
ベッド、検査ともに取れる日が2月22日の段階で
3月12日(入院日は3月11日)しかないとの事。

ここで原発か転移かどうかを謝ってしまうと
治療法に非常に影響が出る為、というか大きく治療法が違ってくる。
・・・そうなので仕方がないという結論になったようです。


婦人科の先生は
90%再発、数%原発、という言い方をしましたが・・・・・

私は1月の末にS君から風邪を貰いました。
初期症状も経過もS君とそっくりで。

違うのは、S君が1週間程度で治ったのに対し
私は今でもゲホゲホ・・・・

うす~い望みだとしても
気管支鏡検査のあと、がん細胞が見つからない、なんてことはないのかな。
PET検査の後でこんな事いうのも変ですが
私の症状はS君とそっくりなんですよ。

その可能性を0%とはしたくない、という思いでした。

PET-CTを撮る

2010-03-17 10:58:14 | 2009年9月頃から検査入院まで
昨日の続きです。

「もうちょっと誤差とは言えないかも知れない」と
医師に言われました。

もちろんこのNSEという腫瘍マーカーが癌の確定にならない事も
25.5という数値が次回下がる可能性がある事も事実です。

ただ私の場合
数ヶ月の間、微増ながらも上昇し続けた事などから
PET-CTの予約を取りました。
これが2月1日。

検査は約2週間後の2月13日。
ちょっと間隔が開くなぁと思いつつも、
その頃風邪をひいておりまして、
咳がゲホゲホ出ているときよりも
治ってからの方がいいなぁとぼんやり思いました。


検査結果は2月17日。
そしたら左肺に4つ程「何やら怪しげなモノ」が写っていました。

もしかして、もしかして・・・
ええっ。風邪ひいて咳が出て、
何だか治まらないな~と思っていましたが
もしかして「怪しげなモノ」の仕業ってこと???

うぎゃ~!
このときはちょっと頭が真っ白になりました。

腫瘍マーカーNSEの数値

2010-03-16 22:20:32 | 2009年9月頃から検査入院まで
2009年5月に腫瘍マーカーNSEの数値を調べたとき
今までの中で最低値5.1を記録しました。

子宮頸部小細胞がんで、がん発見の目安として使われるのが
NSEのマーカー値です。

定期的に採血して調べるのですが
NSEの値が高値だからといってすぐがんがある!という訳でもないので
あくまで目安です、


でも低いと嬉しい。私の通っている病院では
NSE10.0が上限値でした。

5月に5.1を記録し嬉しかったのですが
その後微妙な上昇を見せ始めました。

9.9→10台前半をうろうろ→10台後半をうろうろ→11台
と上限値近辺を示し続け、
でも主治医は誤差の範囲とも言えると励ましてくれていました。

そして2009年1月 25.5を記録してしまいました。

2009年9月頃からの話

2010-03-16 20:15:36 | 2009年9月頃から検査入院まで
前回の記事「おしっこが出ない!」の記事の通り
残尿測定をクリアし、退院となり
その後抗がん剤を6クール(2007年10月~2008年3月)
を行いました。

薬剤はシスプラチンとイリノテカン。
薬品名はランダとCPT11という名前でした。

その間、癌友と知り合ったり、
髪の毛が抜け落ちてあわててウィッグを作ったり
副作用とか
退院して友達と再会を喜びあったりとか
退院したのに痺れが襲ってきたりとか
それでも遊びに、食べに行ったりとか

まぁ色々とネタはあるのですが
現在検査を色々を行っており
その記憶が新しいうちに記事をUPしたいというのと
振り返りながら、間に抗がん剤の事とかも記せるかなと思ったので
ランダムに記事をUPしたいと思います。

続けてUPする予定でいますが、
その前に友へのメールを返信後
一つ記事を打ちたいと思っています。

おしっこが出ない!

2010-03-12 22:41:29 | 手術後2日目~
さてさて、手術日からずーっと入っていた尿管から入っていた管。
そして天敵棒の下に貯められた尿のバッグ。

手術日からしばらくして、その管とバッグを外す事となりました。

手術は全身麻酔で行われましたから、異物感などはありません。
外すときもあっという間に終わります。
体から管が外れるのはとてもうれしいものです。
一つ身軽になるというか、自由になった気がするというか。

その後しばらくぶりに「おしっこを出す」事にチャレンジする事となります。

どうしてチャレンジなのかというと
子宮近辺の組織の近くには膀胱の神経も通っています。

どうしても膀胱の神経は多少傷つけてしまうそうです。
なので尿管カテーテルを取ったあと、いくら水を飲んでも
おしっこに行きたい感覚にはなりません。

そこで時間になったらトイレに行って、自尿を出そうという訳です。
ところがところがさぁ、便座に座ってもそう簡単におしっこはでません。


普通はトイレに行きたい(と感じるとこを感じなくなる)
         ↓
位置についたら何も考えずにおしっこは出る(ところがここ座ってなにするんでしったけ?というような膀胱状態になる)

         ↓
ここで一滴も出ない方もいれば、多少出る方もいます。
私は100mlでました。
これは多分多い方だと思います。

手術のときの様子を書いた紙を見たところ
『膀胱の神経を 残す ・残さない』の欄に〔残す〕とありましたから。

かといって全く正常に戻ったとはいえず
その後看護師さんにカテーテルを入れて残尿を出してもらいます。

自分ではもうこれ以上でないと思ったのに
膀胱の中はまだ沢山の量の尿があったようで自尿の倍以上でました。


結局3時間ごととか、ある程度時間を決めて看護師さんと共にトイレで計ります。
これを残尿測定というのですが、看護師さんが計る残尿が30ml以下になるまで続きます。

しばらくすると、私の膀胱は昼間は普通に戻っていったのですが
夜は頭だけでなく膀胱もボケボケで残尿が沢山ありました。
3時間ごとですから、例えば夜中の1時の次は明け方の4時です。
看護師さんの後をぼ~と歩いていく私は妖怪ぬり壁のようでしたね。

中々合格出来なかったですが、約2週間弱で全時間帯残尿30ml以下となり
無事に終了しました。

その後1年位は、映画を見ててもトイレを気にしなくていいなどと
都合のいい事を考えておりましたが
その後全く尿意を感じていなかったにもかかわらず
出てきた尿はもう破裂寸前の勢いのよい長い尿でした。
膀胱に負担をかけずぎると腎盂炎等の病気になる場合にあるようです。


さて今の状態ですが、尿意はほぼ術前と同じになっています、
残尿も(多分)大丈夫ではないかと思っています。