風を感じて~子宮頸がんの記録~

2007年7月に子宮頸部小細胞癌と診断され子宮と卵巣を摘出後、抗がん剤を6クール投与。2010年3月肺転移しました。

告知 3 (C病院 小細胞がん編)

2009-04-08 15:26:56 | 告知まで
告知1で子宮頸がんと告知され、
扁平上皮癌(へんぺいじょうひがん)という組織型だと検査結果がでていました。

告知2では子宮温存の話を聞き、その後病院をC病院にすると決めていました。


2007年8月中旬
C先生に、次の外来はご家族と必ず一緒に来てくださいと
わざわざ自宅にまで電話を貰っちゃったもんだから
母とS君と3人で病院に行く事に。

でも記憶が確かなのはここまで。
C先生の細かいニュアンスなど、はっきりは覚えていません。

以下は先生の話した事と自分で調べた補足を付け足しています。


子宮頚癌の中の「扁平上皮がん」という組織型を伝えていたが
私は「小細胞がん」という組織型だと分かりました。

子宮頚癌の組織型は大きく分けて
「扁平上皮癌」と「腺癌(せんがん)」の2つに分かれるけれど
「小細胞癌」はとても稀なタイプでとても悪質である。

「扁平上皮がん」は子宮頸癌の中で
70%ぐらいを占め
5年生存率も90%位ある。

「腺がん」は30%ぐらいを占め
扁平上皮がんよりも予後が悪い。

その2つを足したら100%じゃんっと思っていたら
小細胞がんはC病院でも
1年に1人いるかいないかぐらいだそうです。
そしてがん細胞の性質はとても暴れん坊で
早期に転移しやすい。

「ここで10年医者をしてますが
今までに3人しか担当した事がありません」
と言われました。

腫瘍の形がその中の一人にとてもよく似ていたので
緊急に検査に回したそうです。
(この間「でかっ・・・でかい」って言ってたのはそうだったのね)


後で論文サーチで調べると
開院以来、数人程度とかでも論文発表があるので
C病院はそれでも多い方なのかな。

「小細胞がんはとても進行が早く、転移しやすいので
一刻も早い処置をしなければなりません。」

「小細胞がんは肺に出来ることが多いです。
子宮にできるのはとても 少ないですが
肺と違い、子宮ごと摘出する手術が可能です。」

「なので、大変申し訳ないけれど、小細胞がんである以上
子宮の温存は出来ません。
卵巣を残せると言ったけれど、卵巣も摘出します。」

2007年8月初旬にはC病院で治療が決定していましたが
私の手術の順番は10月でした。


「ですが10月だと手遅れになります。
この意味を分かって下さい。
手術を早めたとしても9月中旬ぐらいになります。」


「とても進行が早い癌なのです。
このC病院でなくても構いません。
1日でも早く、ここより手術をしてくれる病院があるのなら
そちらでの治療を勧めます。」


これから別の病院を探し、受診し、検査をしたとして
9月中に手術をしてくれるかなんて保証がありません。
今ここでの手術を決めれば、少なくとも半月は早めてもらえるし
それが一番早くなるのでは、と思いました。

このまま、C病院でお願いしますと伝えると、
その場で電話をかけ始めて
更にもう一週早めようとして下さいましたが、結論は出ずでした。

前もチラリと思ったのですが
この先生は「生きる」事に重点を置いているので話されるので
生存率とかはあまり口にしません。(この後の治療や説明においても)

扁平上皮がんなら生存率が90%あると言っていたから
高い生存率なら口にするのかもしれないのですけど
小細胞がんはそうではない、としか言いませんでした。


あと、症例が少なすぎて
データとしては成立しないというのもあるのかな。

最後にC先生自身が
「医者から直接の電話なんてロクな電話じゃないよね」
といいました。

確かに。

C先生からの電話

2009-04-07 12:30:56 | 告知まで
2007年8月中旬

C病院で治療する事に決めた事だし
翌週の外来日まで穏やかに過ごそうと決めていました。
というか午前の深い時間までダラダラと寝てただけですけど。

S君はこの週に夏休みを取っていて、1週間の休日です。
やっぱり癌発覚後はバタバタしてましたらからね。
S君も一緒になってゴロンゴロンしていました。

次の外来日まで、あとちょっとという日だったのですが
そんな時、C先生から自宅に直接電話がかかってきました。


簡単な挨拶の後
次の外来日に来る時に必ず家族を連れてきてください、と言われました。

何だか雲行き怪しいというか、イヤ~な予感です。
普通次の外来で言えばは内容自体は伝わるのに
それを言う為に「家族と必ず一緒に」なんてさ。
まぁ子宮頸がんは確定してるんだから、それ以上ってことだよね。
深く考えたくないなぁ。


でも今さら考えても次の外来日まで何が変わるわけじゃなし
結局その日はゴロゴロして過ごしました。


C病院で子宮温存希望と伝える

2009-04-06 10:59:11 | 告知まで
2007年8月初旬

子宮温存を希望する為に再度C病院に一人で行きました。
あまりS君を何度も休ませる訳にはいかないと思ったし
自分の中の温存の決断もして・・・一人で大丈夫との判断です。


ですが、看護師さんは
「今日は何しに来たの?」という内容の言葉。

何でそうなるの?

私の中では
「温存希望ならまたおいでっていったじゃないっっ!!」
と語気荒く思ったのですが
「考えた結果、子宮温存の希望なのでまた来ました」と伝えました。

それでも「あぁ、そうでしたね。」という感じにはならず
「来ちゃったわよ~」と言う感じで、C先生にも
「この間は色々話したと思うけど、それでもまた来たというのはどういう事?」と再度聞かれました。
先生にしてみれば「可能性低くてもやりたいという言質」を取りたかったのかな。


どんどん、一人ぼっち感が増します。
一人で来るんじゃなかったかも。

何故B病院で相談しなかったのか説明するほどの時間は与えられません。
(何より私は夫婦で決める問題だと思う部分もありますが)

B先生は子宮温存治療についてC先生という事が違っています。
(放射線やるとか、生存率とか)

そしてC先生の外来担当曜日を外してB病院で相談するとなると
また1週間来るのが遅くなります。


B先生に子宮温存したいという気持ちを伝える為だけに
診察を1週間遅らせる事が出来ませんでした。
治療法についてB先生の見解を改めて聞いたとしたら
混乱するのではという思いもありました。


でもそれを説明するだけの時間は与えられないのです。
来てもいいと言われたから来たのにな。
やっと決断したのに。
外来の困ったちゃん扱いをされている気分です。

この日はとても混んでいたしのですが
この話の後、内診になりました。

内診台で更に待った記憶があります。
C先生が内診する直前に、誰かに別の話を聞かれそのまま話し込みました。

子宮温存を望むんだし、今さら内診台が嫌だとは思いませんでしたが
先生が来ないので、看護師さんがタオルをかけ直してくれました。
せめて一旦内診台を降ろしてくれればいいのに。
内診台で待たされると事というより
先生の話がいつ終わるかもわからないので
すぐ診察できる状態にしておこうという判断が悲しいです。

やっとC先生が内診台へ来てくれて診察開始です。
(多分)腫瘍を見た先生は一言
「でかっ・・・でかい」

でかいと言われても・・・今の私は何もいえんよ・・・


何だかため息連続の外来でした。

それでも病院を出た時
これで子宮温存に向けて一歩を踏み出せたという思いになりました。


今の自分より、この時の方がよっぽど強かったかも。

温存希望すると家族に伝える

2009-04-05 09:39:48 | 告知まで
私の家族もS君の家族も、今まで
「私の体を一番に考えなさい」と言っていました。

どちらの治療にするか明言こそしませんでしたが
温存よりも摘出する前提で励ましてくれていました。

なので改めて温存希望すると伝えに行きました。

それぞれに話したのに帰ってきた言葉は同じです。

「二人で決めたのならそれでよし、がんばりなさい」


私の親とS君の親は
雰囲気とか、話し方とかまるで違うんですけどね。

でも見た目の雰囲気ではなく
中身が似ていると思う時があります。
どちらも体育会系だと思います。
余計な事は一切言わないです。

ありがたいなぁと思いながら
また治療を頑張らなきゃと思いました。

選択

2009-04-04 12:45:09 | 告知まで
3月24日 3月25日 の続きです。

子供を産むのではなく
授かる努力をする事を私は出来るのか?

授かるというのは、ある種受身の姿勢です。
性別はもちろんですが、健康かどうかも分からないのです。

ですが授かる為には積極的に
不妊治療を行わなければなりません。
温存手術で自然妊娠は難しいだろうと思いました。


金銭面の問題もあります。
がんの治療費だってまだ予測もつかないのに
それが終わったら不妊治療。
そして出産例はまだ日本で数例しかありません。


その治療に挑めるのか?


何度も同じことを考えていて、ふと思ったことがありました。
今までの好き放題やってきた生活を振り返り
充分だったなぁと思ってきたのです。

自分の為だけに生きてきたもんなぁ。

独身時代は自分の好き放題やって、自分の為だけに生きてきた。
享楽的だったり、流されていたり。
結婚生活は人間関係に恵まれていたと思う。
S君や義理母や親戚に煩わされる事は殆ど無かった。


専業主婦だったり、働いたりしたけれど、全て自分の判断だし。
仕事をした時、のめり込むとどこまでも行ってしまう私は
片道2時間の通勤よりも仕事の楽しさで一杯になり
残業というより、その日の内に帰ればOKという位働いていた。

この日に出てくる女性
今日は早く帰っていいよ~と言われて、時計を見たら夜9時。
「私たちの感覚、ずれてきてるかも?」と
顔を見合わせ、二人で笑いあった事もありました。
夜9時に会社を出てても家に着くのは夜11時だしね。

その頃S君も仕事がとても忙しかったけれど
早く帰ってくれば食事の支度もしてくれたし
休みの日は家事をしてくれていました。
手伝うというレベル以上です。

文句は殆どありません。
細かい喧嘩は沢山あったけど
S君や周囲から助言をもらったとして、
それを熟考する時間なんて作らなかった。
毎日が忙しくも楽しい日々だった。


S君は
仕事を続けるもよし、辞めるもよし。
続けている間は頑張ってお金を貯めよう、
辞めたら二人でたくさん遊びに出かけようと
私はどこまでもお気楽に勤めを続けていました。


もう充分だ。
好き放題やって、それを咎められもせず
逆に周りから支えてもらった。

高給取りじゃなかったけど、
そんなに働き、稼いでどうしようと思ってたんだろう。
マイホーム?
でも癌になっちゃったよ。譲り渡す子供もいないよ。

マイホームは波打ち際に作った砂の城のような思えました。
どんなにお気に入りのお城を作っても、大きい波で消えてしまう。
あの世におうちは持っていけない。


もう物質的な価値観は充分だ。
まだ見ぬ「子供」の為に努力する時間は残っている。
子供という「あなた」に会えるかもしれないなら
それにまつわる苦難を受け入れられる。


子供が授かった後に
もし癌の再発が分かったとしても
S君と私が選び取った人生だ。
それでも子供を…と最初に望んだのはS君本人。
私は後悔しないと思える。
「あなた」に会いたい。
癌になってから初めて涙が出ました。


子宮温存の可能性を求めて
C病院に行こうと思いました。


S君がそう言うとは思わなかった

2009-03-25 12:20:33 | 告知まで
昨日の続きです。

まさかS君が温存を強く望むとは思いませんでした。

いや、思ったっていいんですけどね。
生存率は相変わらず、10%下がると勘違いしたままですよ。

私がいうなら分かります(言ってなかったけど)
ドラマというより、ショートコント並にビビッている私を前に

「(私の)生存率が下がっても、産める可能性があるならそっちがいい」
とS君が言ったんですよ。


S君は普段優しいし、男尊女卑も無いし、
家事もするし、私にはもったいない旦那さんだと思っていたんですけどね。


なのに何故。。。


くどいですけど、私がいうならわかりますよ~~。

それに生存率下がるかもしれないけど・・・の
「けど」が私を更にヘコませます。

いいの?S君?それでいいのっっっ!!!
と思ったのですが・・・・



ふと、
そうだよね、S君子供が大好きだったよね。
結婚して普通に父親になる事を望んでたよね。
私もごく普通の結婚をしたつもりでした。


私はいつも子供というのは
産むか、産まないか、の二択だと思っていました。
選択肢はいつも自分の側にあると信じて疑わなかった。
産もうと思えばいつでも産めるような気がしていた。
例えリスクがあっても不妊治療とかもあるし・・・なんて考えもあった。



うまく言えないのですが
授かるという概念が無かったような気がします。
命というのは母親の「産む」意思だけではないんだと
初めて思った気がしました。

産むのではなく
授かる為の努力なら
今からでも出来るのかな?






家族と子宮温存を相談する

2009-03-24 12:05:20 | 告知まで
それぞれの実家に子宮頚がんの事・子宮温存の事を報告しました。
全員が集まったわけではなく、それぞれ、全部個別に話してます。


母にがんの事は前に伝えていましたが、その後の事を伝えに行きました。
母は励まし、今の時代子供を産む事が全てじゃないと思うと言ってくれました。
まぁこれは癌発覚以前から言っていたことでもありますが
でも嫁にいったのだから、きちんと義理母に謝りなさい、と
実家らしいお言葉でした。


義理母は
身体の事を一番に考えなさいね
毎日お仏壇でご先祖様に無事を祈るからと
またまたありがたいお言葉でした。
子供を産んだからって
将来安心なんて事は絶対ないんだから、という言葉もあり。
本当はS君の子供の顔を見たいだろうに、と思ったのですが
そんな事は一言も言いませんでした。

S君は多少短気な所はありますが
とても優しく、しっかりした人です。
この義理母の許で育てて貰ったからこそだなぁと
義理母への尊敬もあります。


C先生の話は
子供の事を真剣に考えなくては、と思いましたが
子宮温存を望んだとしても確率は5割、というのは
正直低いなと思いました。

妊娠・出産の確率は更に低いのだし
ここはやっぱり温存ではなく、標準治療の子宮全摘か・・・
などと自分では思っていました。

子供の話はやはりS君の同意が必要だと思い
思い切って
「どう思う?
C先生は最善の治療をしてくれると思うけど、
B先生は生存率下がるっていってた。
産める可能性を残したいけど、
正直可能性の薄さを考えると気持ちがへこむんだ」
割と素直に言ったと思います。


母や義理母同様、身体を一番に考えなさいとS君は言うと思ってました。



思ってたのですが・・・



「温存して欲しい・・・」




・・・・・・・・ってどういう事?
・・・・ことば通りだよね。多分。







C病院(子宮を一部温存する話)

2009-03-23 12:32:04 | 告知まで
C病院はB病院以上の混雑でした。

全国からこの病院目指して来る方もいるそうです。

片道1時間半で「遠い~」などと言ってる場合じゃないのかも・・・
という気もして来ました(遅い?)
今日はS君も一緒です。

2時間以上待ちましたが、
私の後にも沢山の患者さんがいます。
一人一人にじっくりと話してくれる病院なのかなと思い
待ち時間は苦になりませんでした。
自分にも時間を割いて話して欲しいですしね。

やっと名前を呼ばれ、部屋に入ります。
子宮温存についてじっくりと説明してくれました。
(B病院は画像を貸してくれています)


普通Ⅰb-1期ならば子宮全摘が標準治療。
子宮を一部残す為には、
残しても大丈夫かどうかを確認する為に
色々な検査を行います。

でも検査でお腹を開けてみる訳にもいかないので
どんな検査をしても100%大丈夫とは言い切れません。
50%、80%と検査で確率を上げて行き、手術に望みます。

検査や手術中にがん細胞の広がりが見られた場合は
子宮を全部摘出する標準治療に切り替えます。

ざっとこんな感じの説明だったと思います。

私の場合は腫瘍の大きさ(2cm大)からみて
この手術に望めるかは半々だそうです。
80%の確率で出来ると言いたい所だけれど
私の場合は5割。
その5割を高いと思うか低いと思うかは人それぞれでしょう。
もしそれでも子宮温存を望むならば
また来て(来院して)下さい、と言われました。


何だかB病院の先生(長いのでB先生)と言ってる事が違うな~と頭が混乱してきます。
B先生は、生存率は10%くらい下がるけど、とか
放射線もするとか言ってた訳です。
この時B病院の先生とC病院の先生の言葉の重みは同じです。


私にしてみればC病院で温存しなかったら、B病院で治療する訳ですから
どっちのいう事も「医師」が言ってた正しい事だと思ってたんですよ。
それでC先生に
「あの・・・放射線とかは?」と聞いたんですね。

C先生は
温存の話を聞きに来たのに、何故に放射線?
と訳分からない顔されました。

ホントは生存率下がるってどれ位ですか?
とも聞きたかったけれど聞けずじまい。

10%位変わるとB先生に言われた生存率が
C先生の説明するやり方でどの位縮まるのか?という疑問があったんです。
C先生は、子宮温存を可能な限り検査で調べ
手術中にも(リンパ節転移とかがあったら)
すぐさま標準治療に切り替えるって言ってた訳です。


B先生の「話を聞いてきたらどう?」というレベルの話ではありません。
強い出産希望がある事が前提でC先生は話されています。
だからこそ「子宮よりも命優先にさせてもらうよ」と言ってるわけです。
ホントは生存率を聞きたかったけれど、焦点は違うんだなと思ってきました。

C先生は「生きる」事を前提に話しました。
だからリスクを話していても
「危ない結果が出たら、回避する為に標準治療に切り替える」なのです。
B先生はがんになって○○期なら生存率はこの位、と最初にはっきりいうタイプです。

可能な限り、生きるという側に立つ先生と
客観的にみてリスクが〇〇%あるという先生の違いなのでは、と思います。

どちらが正しい先生という訳ではありません。
言われてる事の正誤はともかくですけど。


結局、5割の確率をどう考えるかを課題に診察室をでました。

検査結果とC病院

2009-03-17 13:31:56 | 告知まで
2007年7月27日
B病院へ検査結果を聞きに行きました。

「やっぱり癌だっだよ~」と先生は相変わらず軽やかな声でいいました。

もう私も「癌」自体は受け入れたというか
「しょーがないな」レベルまで来たというか・・・
先生、次どうすればいいんですかっっ!と
人任せではありますが、次の段階に進まなきゃと思っていました。


この時の「組織診検査報告書」の所見には
扁平上皮癌と書いてあります。
まだ小細胞がんとは診断されてません。


「ClassⅤだから、がんって事だね。」
そういいながら細胞診検査報告書のⅤの所を赤ペンでグルッと囲みます。

「扁平上皮がんっていう一番多いタイプになります」
今度は組織診検査報告書の扁平上皮癌のところを赤ペンでギザギザします。

血液検査は正常値、
CT画像でも子宮頸部以外で異常は見つかりませんでした。
これで改めて1b-1期の可能性が高まりました。


それでないと『子宮を一部残す話』はありえないですからね。


「ご家族には話したのかな~」と先生が聞きました。

家族と言っても同居家族はS君だけ+母に話したと伝えました。

この頃義理母にはまだ連絡していません。
今まで孫はまだなの?などと言われた事は一度もなく、
それでも子供産む気がある事を伝えると
そっと御守りを渡してくれるような義理母でした。
義理父は癌で他界しており、看病経験もあります。
私の身体を一番に考えてくれるだろうと容易に想像できて
それだけに、迷惑をかけて悪いなぁ・・・という気持ちでいました。



でもこのニュアンスを医師に説明しにくいのです。
事実だけを話し終え、医師が受け取ったのは
母には言えるが、義理母には言えないでいる嫁、となった気がします。
カルテにも何やら書き込んでるし。


違うって!義理母は孫抱かせてくれないのっ!なんて絶対言わないよぉ~~。
ていうか、自分第一!の私自身が自分の事しか考えてませんから!
万が一何か言われたって自分に都合よく動きます。
自慢できることじゃないですけど。

先生は
この間の説明(←子宮を一部温存する事)は考えたのかな」と繋げます。

この時、上記のように思ってたくせにそれをはっきり言えませんでした。


積極的に検査や治療は受けて来なかったけれど
S君は子供が好きだし
健康なら子供は諦めてません。

だから「そりゃ、産めるものなら産みたいですけど・・・」
とゴニョゴニョした訳です。

心の中は「でも勇気がありませんから全部取っちゃって下さい」です。
生存率下がると思ってたしね、
家族も来づらい遠くの病院へ一人ぼっちで入院している姿が目に浮かび、
それは寂しいと思いました。


「遠い病院は嫌です」
「遠くないよ、近いって!」
「私この病院で治療したいんです」
「僕が手術したら、全部取っちゃうよっ」
「それでいいです」
「話だけでも聞いて来たら?このB病院ではやってないんだから」
「・・・・・・・」
「温存しないなら、またB病院に戻って来てもいいし」
「・・・・・ホントですか?」


このようにしてC病院へ行く事になったのです。

カミングアウト

2009-03-16 14:30:06 | 告知まで
2007年7月21日~26日までの間
検査結果が出る前までに癌の事を数人に話しました。


まず母親。
B病院で言われたことをそのまんま話しました。

母親の性格上
呆然としたり、泣き崩れたりはしないだろうと予測してましたが
やっぱりその通り。

案の定、淡々と
Ⅰ期で見つかって良かったじゃない~と言ってくれましたが
CTの結果も出ていないので
母親はⅠ期ではない場合も考えていたと思います。


私はこの時先生からⅠb-1期と言われて
単純にそうなんだ~と思っていましたが

CTで他の臓器に転移していると判る可能性もあれば、
手術中にもっと癌細胞が広がっていると分かったり
術後の病理検査でがん細胞が取りきれなかったとわかったりと
可能性としては色々ある訳です。


その辺は割とロジカルに考えるタイプの親なんですが
この時は何も言わなかったです。

実家近くの喫茶店でご飯を食べながら
色々迷惑かけるかもしれないのでごめんね、的な事を言ったように思います。
CTの結果が出たらまた連絡すると言って別れました。


その後、仕事上でお世話になった先輩とお茶しました。
先輩といいつつ同い年の女子なので、9割タメ口での会話です。

でも癌の事を話したら泣かれてしまい
しまったっ!言うべきじゃ無かったかとアセリまくりました。

でも癌の看病経験があるので、話を省略しても通じていきます。
翌週に何十人もの仕事関係のおじ様が集まる宴会があったのですが
キャンセルする旨を伝え、
こっち関係は任せてくれていいから、治療に専念してね!
と言ってもらい素直に甘えることにしました。


S君に子宮頚がんの事を話す

2009-03-13 09:04:13 | 告知まで
2007年7月20日の夕方~夜の話です。

CTを取り終えて病院を出ました。
陽は傾いたものの、日差しはキツく暑かったです。


朝から何も食べていないのに食欲はありませんでした。
まぁ、『がん告知日』だから、当たり前のような気もするけれど。
食べなきゃだよな~と思うもの、買い物と夕食の支度をするのも今日は面倒です。

S君はこよなく家食を愛する人ですが、酒があるなら外食も大好きという
いたって普通の人(笑)でもあります。
このところ外食は少なかったので、行く!っていうかなと勝手に読み
もう買い物をする気ゼロになってました。


外食と(勝手に)決めれば話は早い。
夕飯までにはまだ時間があるな、と思い本屋に行きました。
自覚症状3にあるように「子宮会議(洞口依子著)」を持ちレジへ。


何だかフワフワした感覚で、癌と納得したものの現実感がないままです。
でもこのまま一人家に帰り、ソファに座ったら
「現実」が襲ってくるような気がしました。
その現実をきっと一人では受け止められない。家に帰りたくない。


なのでS君から電話が来るまで駅の近くのコーヒーショップに入りました。
「子宮会議」を読み進めます。
辿った経過は違うんだけど
少なくとも孤立無援の一人ぼっちではないと思えて来ます。


夜になりS君と連絡しあい、結局近くの居酒屋へ行きました。
現実感のないままS君に
「どうやら私は子宮がんらしい」と伝えます。


S君は「自分が先だと思ってた」「でも癌ってもっと先の話だと思ってた」と言いました。

今まで癌になったら・・・という話をしなかった訳ではありません。
でもやっぱり、ずっと先の未来の話でした。

45才過ぎたら全身の検査した方が良いんだって・・・とか
50才過ぎたら何かしら病気とお付き合いする事になるのかな・・・とか
60才過ぎても元気でいたいもんだね、
いや、最近は年をとっても元気な人が多いからね~など
いつか来るけど、今ではない、未来の仮定の話。

たまに保険の話、市での検診時期の話などもあったかな。


結局、居酒屋で子宮温存の話も含め、話したものの
どうするかなど、具体的な話はせず終わりました。
第一、どうすればいいのか知識自体がありません。


私はS君と一緒に食べている内に
「やれるだけやって、駄目ならしょうがないよね」と言う事が出来ましたが

これって「そうだよね」と気軽に相槌を打てる問いでもないので
S君を心配顔にさせるだけになってしまいました。


自分では「まな板の上の鯉」気分だったです。

造影剤とCT撮影

2009-03-12 12:20:16 | 告知まで
B病院から提携病院へ向かった私は・・・またしても待合室で2時間待ちです。
(予約時間近くに行けばよかった。まわりには何にもないし!)


それでも予約時間より15分も早く名前を呼んでもらえました。
撮影着に着替えて横になります。
造影剤を使った事があるかどうか聞かれ、無いと答えました。
造影剤はより正確な判断をする為にCT撮影などで使われるようです。
それは体に入ると一瞬にして体が熱くなり、
例えていうならお酒を飲んだような感じになります。
CT撮影自体は始まってしまえばあっという間に終わります。
撮影だけですから痛み等はありません。


看護師さんが、検査が終わったら一杯お水飲んで、造影剤を流しちゃってね。
最低でも1.5Lくらい飲むように!その方がいいと思うわよ~
最初が肝心だからねっと言ってくれました。


CT撮影をする際に血管から造影剤を注射しながら撮影するのですが、
軽い副作用からごくまれにショック死を起こす方もあるという事で、
必ず同意書にサインしてから使用されます。


造影剤によって呼吸困難・意識障害、血液低下など
重い副作用が起きる確立は0.04%(2千人に1人)未満、
ショック死なんてのは10万人に1人未満で
まぁ殆ど大丈夫でしょうと解釈し、サインしました。


5%(20人に1人)以下の確立で
軽い副作用(吐き気・動悸・頭痛・かゆみ・発疹)
が出る場合があるそうですが、無治療で軽快すると書いてあります。


ショック死とか呼吸困難とかの字ばかりに目がいき、
無治療で軽快すると書いてある“軽い副作用”なんか
読み飛ばしていたんですけどね。


ちゃっかりとその後、かゆみと発疹が出てきました orz
次の日はまるで首筋に赤い天の川があるみたいになりました。


後になって、看護師さんの「お水を一杯飲んで流した方がいいと思うよっ」との
言葉を思い出したんですけど、
結局暑い日にペットボトルのお水2口ぐらいしか飲まなかったのです。


確かに同意書にあるように無治療で自然に治ったんですけどね
赤いプツプツが何日も消えないし、かゆいし、治まるまでイライラしました。


造影剤は軽くても副作用が出た場合、
次回から使用されない場合があると後になって聞きました。
もちろんCT撮影は出来ますけれど、
初めての時は副作用の有無は調べようがないですよね。


看護師さんは、お茶よりお水よっ、
終わって数時間以内に沢山飲むように~と言われていたのです。
軽いとはいえ、水も飲まず、症状が出た私に
説得力はないと思いますが・・・
反面教師になればと思い記事にしました。


尚、入院後何人かに副作用が出たか聞いてみました。
私の周りでは特別な事をしなくて症状が出なかった人ばかりでしたから
同意書の通り、ある確率でそうなる人もいる、のだと思います。

2009年5月追記
久しぶりに造影CTをとりましたが
待合室のポスターに
「水を沢山飲みましょう」的な事が書いてありました。
やっぱりそうなのね~と一人納得。





子宮頸がん 子宮頚がん 小細胞がん 子宮頸部小細胞がん 子宮頸癌 子宮頚癌 小細胞癌 子宮頚部小細胞癌 



告知 2(子宮温存の可能性)

2009-03-11 12:50:36 | 告知まで
2007年7月20日 告知 1の続きです。

通常、子宮を残せるかどうかの境目は1a-1期、
1a-2期~2期になると子宮を摘出する方が多いそうです。


それに当てはめてるみると、1b-1期の可能性を言われた私は子宮を全摘するのが標準治療。
でも最近になって、それ以上病気が進んだ人でも子宮を残せる治療法が出てきたそうなのです。
子宮頸部と膣の一部を取り、残った膣と子宮体部をつなぐ治療法。


・・・ってつまり、どういう事?
赤ちゃんを産む可能性を残せるっていう事?→yes!
数は少ないけれど出産された方もいるようです(この時日本で2例?)
それを聞いて、可能性が残るなら是非とも温存でお願いしますと言いたくなりました。


ですが1b-1期なら即OKになる手術ではないようです。
(がん細胞の顔つきともいえる組織型・大きさ・年齢等沢山基準があります)
あくまで可能性の1つとしてのお話でした。


先生は専門外?という感じで、説明はそんなに詳しいものではありません。

私の記憶の通りに記事をupすると激しく誤解を生むこと必須なのですが・・・


それでも以下の部分はupしないと話が繋がらなくなるので2点upします。

●子宮を全部摘出するより、子宮温存手術は生存率が10%位は下がるんじゃない?(→後でソースを調べたけどそんな事はありませんでしたよっっ。再発率はどちらも同じ位)


●放射線とかやるんじゃない?(これも私の周りにいませんでした。この手術は放射線が必要な患者さんに対してやらない手術だと思うのだけど)



それを聞いて10%も生存率が下がる(と勘違いした)手術に気持ちが萎えました。
追加治療にもビビリまくりです。

妊娠したら絶対に産もうとも思っていたけど、これまでの人生、全然積極的じゃなかった私。


あっという間に子供よりも命!です。
情けないぐらいに「自分大事」に早変わり。
まだ宿ってもいない子供の為に生存率を下げて出産を望みます!って言えませんでした。
(繰り返しますが本当は生存率は同じです)


・・・でも産まない事と産めなくなる事は全然別の話だなぁ。
頭の片隅ではそう思うものの・・・でもやっぱり病気が怖い。


そしてこの手術はB病院では行っていないと言うのです。
「この近くでやっているのはC病院になるね」

先生!それはかなりここから遠いんじゃ?・・・

「遠くないよ。○○㎞ぐらい、駅でいうと△△駅だね。1時間くらい?」


前々回の記事の通り、私はほぼ利便さだけでこの病院を選んでるんです。
家からだと1時間半もかかる所は、もうそれだけで逃げ腰でした。

でも先生は一通り話し終えると、「考えといてね」とだけ言い、私にどうするかは聞きませんでした。


午前中で診察は終わり、血液検査を終えた後、CT撮影をする為に提携病院へ向かいました。











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告知 1 (B 病院編)

2009-03-09 17:19:18 | 告知まで
2007年7月20日

B病院は古い建物でしたが、敷地面積は広く緑豊かな病院です。


婦人科だけでなく、どの科もとても混んでいました。
2時間くらいは待ったでしょうか。やっと名前を呼ばれて中に入りました。


医師は30~40代くらいの男性でした。
物腰柔らかそうな先生です。


どうしました?と聞かれて、Aクリニックで子宮入り口に出来物があるという事でB病院を紹介してもらった事を伝えます。


先生は見た目は穏やかな顔立ちなのですが、快活な話し方で、
「検査結果とか何にも出てないのにココに来たの?」と紹介状を見ながらちょっと不思議そうに言いました。

それが珍しい事なのかどうか私にはよく分かりませんでした。
何しろ紹介状とか大病院とか全てが初めてで比べる術もないんです。


あと、実は紹介状は先生が背中を向けた時に目を細めたら見えてしまいました。


大きい字で「不正出血」(とだけ)書いてありました。

Aクリニックの先生!4文字だけです。

検査結果を待つよりも、急いだ方がいいという判断でココへ送りこんでくれたと思うと感謝ですね。
(多分手書きじゃない文字で前後に紹介状の先生、よろしくお願いしますね、的な文章があると思われます)


検査結果が無い訳ですし、治療目的で来たのですから、とりあえず見てみましょうか~と内診を促されます。
この辺りはAクリニック同様、精神的負担を負わせないよう感じで言われました。
まぁ婦人科では特別な事でないのですから、おのずと言い方も自然になるのかもしれないですけど。

正直、ココでの会話は全く記憶に無く、内診後、先生の話が始まった時から突如として記憶が戻っています。


「まだこれから検査に出すから、確定診断は検査の後っていう事になるんだけど、どうみてもこれは癌だと思うから“癌”ていう前提で話を進めるね」と言われました。



あっさり、サラッと・・・の告知でした。


私ドラマの見すぎだったんでしょうか。
癌だったらヤバイ、などと思いつつも、もし言われるなら深刻な面持ちで、画像を指されながら、じっくりと言われるのかと思ってました。
あ、大体まだCT撮影どころか、血液検査さえまだの段階でそれはムリですね。


サラッと最初から「癌」って言われちゃったなぁと思いつつも、Aクリニックで「癌だと困るから」と何度も言われてたので、逆にやっぱり癌だったか!という気もしました。


先生は繊細な顔だちと軽やかな声(地声だと思われます)で更に話を進めます。


がんと思われるデキモノの直径は2cmくらい。
それは子宮下部と膣(ちつ)が繋がっているところにある。
その場所を子宮頸部(けいぶ)という。
確定診断は出せないが、デキモノの直径は2cmくらいという事でⅠb-1期の可能性である。
(4cmを超えると1b-2期になる)
Ⅰb期で治療するなら、通常は子宮を取る(卵巣は残せる)手術になる。
Ⅰb-1期とかⅠb-2期とかは癌の進行度を表すものでそれをステージ(Stage)という。
子宮頸部以外に癌があればStageはⅠb期では無く、Ⅱ期以上になり、治療法も変わるかもしれない。


腫瘍が子宮頸部だけに留まっているかの診断材料としてCTやMRIがあるので、この検査をやりましょうと言われました。どうやら子宮以外にも肺とか肝臓とかその他の臓器も撮影するようです。


ただ、今からB病院で予約を直ぐに取ることは難しいので、提携している別の病院に行くように指示されます。
その場で先生が電話をかけてその日の予約を取ってくれました。


一通り話し終えたあと、先生は丁寧な言い方ながらも「子供が欲しかったのかどうか」を聞かれました。


ですが聞かれた私といえば・・・「へぇ私って癌なんだ・・子宮がんなんだ・・・子宮頸がんって初めて聞いた」・・・と同じところを無限ループ再生に入っていまして・・・ちゃんと答えていたとは思えません。


繰り返しますが、先生は慇懃無礼ではなく、繊細に、気を配りながら話を進めています。文字に起こすとストレートな文章になるのですが、この辺りのくだりはすごく丁寧に話されながら進んで行き、一度も不快な思いはしていません。


子供は前から欲しかったのか?
今まで不妊治療をしたり、しようと思っていたりしたのか?
今現在も欲しいと思っているのか?


先生はこの後、子宮を一部残す事の出来る「広汎(こうはん)子宮頸部摘出術」という聞きなれない言葉の説明をしていきました。









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B病院へ行く曜日

2009-03-06 13:39:14 | 告知まで
紹介状を持って病院に行くのは初めてなので、とりあえず情報収集・・・と思いB病院のHPを見てみました。

そうしたら、明日必ず病院へ行けっと言われたのにっっ





休診日でした・・・・あ~あ~あ~○| ̄|_




気付いたのは夜です。紹介状にはちゃんとB病院宛の文字が書かれちゃってます。
明日Aクリニックへ行き、別の病院の紹介状に書き換えてもらう事も考えましたが、となり駅にあって、イザとなれば歩いてだって行けるB病院の方が何かと便利だし、安心感もあるしで、あっさりと明後日行く事に変更です。
(先生に「明日」って念押しされたけどね~~だって・・・休診日なんだもん)


この時考えたことは・・・
1・忘れ物を取りに帰るのも簡単だし、具合の悪い時はタクシーでワンメーターで行ける。

2・この辺じゃ一番大きいし、入院された事のある人から話を聞いたこともあり、好評だったこと。

この2点でB病院続行を決めたのですが、後日この考えは打ち砕かれます。


忘れ物は家族に頼まなきゃならなくなり、闘病中(違う病院ですが)タクシーで何万もかけて病院と自宅を往復する羽目になりました。
私が好評だった!と聞いた先生は別の曜日の先生でしたし。



まぁ、要は利便さで決めたのに、数ヵ月後に違う形でしっぺ返しされた気分なんです。(B病院にではなく、利便さだけで決めた事に対してね)

結果的には、この先思ってもみない方向へ行くので、この時下した判断は全く役に立ってないとも言えるんですけど。


ぼやきはこのぐらいにして、この時の気持ちは
病名を聞いた訳じゃないから心配したって仕方がないさ、と思いつつも紹介状の中身が気になって、気になって・・・

でも、お昼ご飯をB病院売店のおにぎりにするか、食堂でご飯食べようか迷ったりするお気楽な一面もありましたね。

今回は何かしらの判断なり検査があると思うと、1日半後が待ち遠しかったのです。









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