***みゆきのペルーでひとり言***

ペルーのリマに住んでるみゆきの独り言。話せなかったスペイン語は果たして話せるようになるのか!?

日系交流ツアー

2005-04-10 | Weblog
日系のツアーは7:45集合。
7:30には岸壁でバスが来るのを待ってた。
日系のみんなを乗せたバスがやってきた。さぁ、ツアーの始まり。
ツアーには、添乗員さんのような役のリーダーさんが3人ついてた。
彼らの紹介に始まり、日系のメンバーの紹介。私は自分で自己紹介をと、マイクを渡された。
久々に人前で話すから緊張したよ。

始めに、リマから70km離れた、Huaralへ。
バスには日系のみんなが座る席は空いてなくって、通路に立ってた。
私も通路を移動したりして、ペルーの話なんかをお客さんとしてた。
1時間半後、ウアラルに到着。日系人墓地があり、日系協会、病院、学校とある。
ここは、農業が盛んなところで、移民でやってきた人達は、ここで綿花、果物なんかを
栽培して生活していた。
墓地は、各地に散在していた骨をまとめた墓を中心にまわりに個人の墓が並んでいた。
私は墓地に着いた瞬間に鳥肌がたった。
お客さんが代表して、日系教会の会長さんに挨拶を。
彼の親戚も移民としてペルーにやってきたそうだ。残念ながら亡くなったそうだが、
場所は違うがしっかり手を合わせていきたいと。
その話を聞いて、私は泣いてた。
移民としてやってきた人達が、この地で頑張ってたんだ、その頑張りが今こうして
ここに建ってるお墓で証明されてると思った。

墓地を後にし、協会、学校、病院を見学し、お昼はパチャマンカ料理(地中料理)を。
リマへ戻り、AELUへ。ここは、スポーツ施設やグラウンドがあり、また知的障害者の施設や日系の学校もある。施設内を訪問し、ここでは日系の若者がリーダー育成の為に活動しているグループと交流。まずは、仲良くなる為にゲームを。その後は、ディスカッション。"日本に行った事はあるか?""日本の事をどう思うか?""両親は何の仕事をしているか?"など。
私も日頃聞かない彼らの思いを聞けてうれしかった。

夕方には、日秘文化会館へ。
日本人移住史料館では、協会の方が説明をしながら案内してくれた。
お客さんはここを楽しみにしてた人が多かったので、ゆっくりみてもらった。
私はその間に、夕食会場に。思った通り、準備は終わってなかった…。
日系の子たちと一緒に、料理を並べたり、ジュースをついだりと。

夕食は刺身や、巻きずし…。お客さんは喜んで食べてた。
私もワクワクしていったけど、舟盛りにはタコしかなかった…。
夕食が一段落した後は、日系からのパフォーマンス。
民族舞踊や沖縄の歌を歌うバンドと、盛り上げてくれて、気が付けば日系のみんなとお客さんが一緒になって踊ってた。もちろん私も一緒になって、ノリノリ。(これって古いか?)

夜はAELUの宿泊施設で宿泊。私はお家に。
子ども達に出迎えられ、やっぱり家が一番と思った。
明日は、ナシラと一緒に出て行く事に。

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2 コメント

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Unknown (カン)
2005-04-14 13:46:29
ん?ブラジルの日系の方を案内したの?日本語で?スペイン語で?



かなり盛りだくさんの内容で疲れたよね。でも充実した一日だったのがよくわかりました。



ワラルにも日本人墓地があるとは知らなかった。時間があれば行ってみたいと思います。ほんとに、想像を絶する苦難の歴史に思いをはせると、なんとも言えなくなるよね。今の日系人の平均して裕福な暮らしのことを考えると、どれだけ苦労してこの異国の地でこれだけの社会的地位を築き上げたんでしょう。若い子達にはもうその苦難の歴史はあまり伝わってないけど、忘れてはいけない歴史です。



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日本の船 (miyuki)
2005-04-15 02:04:58
案内したのは、日本のNGOが企画している船旅でペルーに来たみなさんです。もちろん、日本語です。



日系の歴史。私はただただこれに感動してます。

実は私の親戚もブラジルに渡ったので、同じような苦労をしてたのだろうと、ここで、日系の歴史を勉強する度に思います。



私はこの歴史をたくさんの人に伝えたい!と思ってるのです。
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