中川輝光の眼

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国民の多くは政治にも政治家にも懐疑的であり「国民感情」を反映するなら「大幅削減」しかありません

2011-10-21 | 政治・経済を考える

「1票の格差」是正に向け、民主、自民両党は現行の小選挙区比例代表並立制を維持した上で、各都道府県に1議席ずつ優先配分する「1人別枠方式」の廃止を先行させる方針。今国会中の関連法案改正を目指す。公明党をはじめ他党は現行制度の抜本改革を主張しており、調整は難航しそうだ。具体的には、民主党が「5増9減」と「6増6減」の2案を、自民党が「0増5減」案を提案する。格差が2倍を超える「違憲状態」(最高裁)を早期に解消するため、今国会に衆院選挙区画定審議会(区割り審)設置法改正案を提出し、成立させたい意向。両党は比例代表の定数削減も掲げているが、合意形成を優先させる観点から、踏み込まない考えだ。これに対し公明党は、小選挙区比例代表連用制、同併用制、中選挙区制復活の3案を提案する見通し。共産、社民、みんなの3党なども、比例に重点を置いた制度への移行を主張するとみられる。(jijicom)

民主党が「5増9減」「6増6減」、自民党が「0増5減」、公明党が「小選挙区比例代表連用制、同併用制、中選挙区制復活」、いずれも民意(国民感情)を無視している、ダメです。国民の多くは政治にも政治家にも懐疑的であり、「うんざりしている」と言っていい、「国民感情」を反映するなら「大幅削減」しかありません。一票の格差をなくするのは当然ですが、衆参議員定数を2~3割削減していただきたい、小選挙区で落選した候補者が比例で復活というのも良くない、大幅な「改善」を望みたい。「政党政治」も思惑先行の離合集散を繰り返すのであれば、政党の箍を外して「勉強会」程度のグループにし、「政党助成金」もついでに廃止すればいい。政治家は、原則個人としての理念を掲げ、国民に支持を求めるべきです。世界を見渡せば、これからの「日本の舵取り」はより一層難しいものになる、政治が変わらなければこの国の未来など到底描けない。

      ぱらぱらあーと編集長日記-bana11



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1 コメント

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intelligentsia (noga)
2011-10-21 22:51:16
英米人の脳裏には、現実の世界があると同時に、非現実の世界観 (world view) がある。

現実の世界を現在時制の内容で表現すると、非現実の世界は未来時制の内容として表現できる。
現実の世界と非現実の世界は、英語では一対一の対応がある。
そして、現在時制の内容に対応した未来時制の内容が過不足なく考えられる。

真実は現実の中にある。が、真理は考え (非現実) の中にある。
現実は真実である。現実の内容として述べられる非現実は嘘である。
時制がなく、現実と非現実の区別がつかなければ、本人は嘘ついてるという自覚はない。
話の内容が現実離れしていることに違和感がない。

現実の内容は五感の働きにより得られるが、非現実の内容は瞑想により得られる。
現実の世界が過不足なく成り立つように、考えの世界も過不足なく成り立っている。
もしも、考え (非現実) の世界に矛盾があれば、それを見つけて訂正しなければならない。
自他が協力して構想の中の矛盾を丹念に淘汰すれば、非現実の世界は現実の世界と同じ広がりと正確さをもち、場当たり的な発言の内容とはならない。

日本語脳は、非現実の内容を脳裏にとどめ置くことができない。
それは、日本語には時制がないからである。
日本人は常に実を求めている。現実にとどまることのみを信じている。
日本人の考えは、現実の外に出るものではない。
現実を現実の外にある理想に導くものではない。

西遊記に出てくる孫悟空は、自己の有能さに得意になっていた。だが、釈迦如来の手のひらの中から外に出ることはできなかった。孫悟空には、世界観がないからである。

英語の時制を使うことができない英米人は、子供のようなものである。
だから、非現実の世界を考えることができない日本人は、12歳の子供のように見える。

考えがなければ、議論ができない。
日本では「議論をすれば、喧嘩になります」と言われている。
意思は未来時制の内容である。
時制が無ければ、恣意となり、その思いは公言にもならず宣言にもならない。

物事の決着は、談合により行われる。
そこには、公言も宣言も必要でない。
意見を述べようとすると「理屈を言うな。理屈なら子供でも分かる」と言って相手にしない。
もっぱら恣意と恣意のすり合わせを行って決着する。いわゆる、どんぶり勘定である。
和をもって貴しとなすためには、金を配るしかない。これも馬鹿の一つ覚えか。
現ナマは、現実の内容であり、日本人には信用の証となる。

究極の人生目的は、狭義の自己利益・金を得ることにある。
国内では、学閥など序列を作って自己利益を確保しようとする。それで、忠義が尊ばれている。
人間が縦一列に並んで他を入れない密な人間関係である。
序列作法の励行により、序列の外に出られない島国根性が植えつけられる。だから、玉砕を覚悟する。

国内においても、国際社会においても、日本人は金を配って存在感を示そうとする。
これもひとえに社会の中での序列順位向上のためである。
だが、日本人は内容のない発言により信用を失うことが多い。
それでも、日本人は人類のために貢献している。
だが、その貢献の仕方は、発言のない家畜が人類に貢献するのと似たところがある。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
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