中川輝光の眼

アトリエから見えてくる情景
paraparaart.com ArtDirector

アトリエの花々

2012-05-27 | アトリエの周辺

アトリエの花々

5月も、慌ただしく過ぎてしまった。わたしの周辺(庭)も、それほど手をかけていないのですが、美しい色彩に溢れている。5月は、木々も花々も生き生きしている、これから少しづつ暑くなる。暑いのは苦にならないものの、更に忙しくなる、時間に追われたくないが、その予感がする。

        

 

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アトリエの藤もそろそろ開花かな

2012-04-26 | アトリエの周辺

アトリエの藤もそろそろ開花かな

数箇月、いやここ数年、アトリエの周辺が散らかっている、手が回らないのです。3年前と昨年、藤の枝を切った(剪定した)、切りすぎたように思えたが、どうやら想う形になってきた。庭全体が整うにはあと数年かかると思われる、できるところから始めたい。次々と入ってくる「時間のかかる新たな試み」、創作に関わる時間は有意義ではあるが疲れが増す、庭いじりは一時の休憩時間かもしれない。藤の花ことばは・・・。

         

 

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わたしの庭の片隅にムスカリが咲いている

2012-04-26 | アトリエの周辺

わたしの庭の片隅にムスカリが咲いている

わたしの庭の片隅に、ムスカリが咲いている。今年は、少し遅れて咲いた。ムスカリはユリ科の多年草、原産地は地中海沿岸、東南アジア。花の色は、青、紫、白、濃青、育てやすく、わたしもその昔に・・・ここ数年その姿を見ない。花ことばは、「寛容な愛」・・・。

 

         

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秋の雨蛙

2011-10-07 | アトリエの周辺

秋の雨蛙

数日、同じ場所で見かける雨蛙である。

毎日、同じ場所で、同じ格好で、居るのである。

まるで、その姿は「哲学者」の如くである。

 

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秋の風に誘われて

2011-10-04 | アトリエの周辺
秋の風に誘われて
 
小松市を流れる梯川に沿ってサイクリング、
秋風が心地よい、昔馴染の「喫茶店」で一休み。
このような時間(過ごし方)は、久しいことです。

しかし、コーヒーを口にしながらひとり考えることは「次の制作のこと」、
なかなかのんびりとはいかない。

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中川忠信さん(父親)の死に

2011-06-04 | アトリエの周辺

中川忠信さん(父親)の死に

1日早朝に、中川忠信さん(わたしの父です)が亡くなりました。94歳の永眠です。穏やかな表情に、なんとなく救われたものです。2日に通夜、3日に葬儀、予期できなかった父の死に、この3日間は慌ただしくそして虚しく過ぎ、ゆっくり振り返る時間すらとれなかった。父は、数年前に左足の付け根に金具をつける手術をし、数カ月間のトレーニング(リハビリ)を懸命にし、歩けるようになったものの、これを機に急速に体調を崩すことになってしまった。あまりに誠実な性格のため、人付き合いは上手い方ではなかった。しかし、口数は少なく、心豊かな父は、わたしたち家族には模範でした。或る日、「東北震災」の惨状をTVで見ながら「あー、なんてことを」と繰り返し呟きながら、いつまでも母(88歳)と・・・この世代にとってこのような光景はいつか見た光景と重なるようです・・・父には過酷な戦場が、母には函館の大火が・・・わたしたちのひとつ上の世代にはリアルな場面なのかもしれません。ここ数年です、父が戦争の話をそれとなくするようになったのは、目に涙をいっぱい溜めながら・・・。葬儀後、娘は仲間と共に、事前に計画していた「ボランティア活動(陸前高田)」に向かった。人が生きるには、それなりの理由があるのです。同時に、人は、それ相応の自立心を持たないと生きてはいけないのです。

 

      

 

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「しろ」の訪問です

2011-02-20 | アトリエの周辺

「しろ」の訪問です

数カ月ぶりの「しろ」の訪問です。昨年の夏は暑くて、ずいぶん弱っていた「しろ」、なにせ「老猫」ですから、心配しました。さらに今年の冬は、雪に閉ざされ、厳しい寒暖の差に「大丈夫だろうか」と、その「しろ」が笑顔でわたしを待っているではないか、嬉しいですね。ほんとうに、嬉しいですね。

 

     

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アトリエの古木

2011-01-05 | アトリエの周辺

アトリエの古木

あらゆる生命は、いつしか終焉を迎える。花も野菜も庭の木々も、その周辺に宿る小動物も、そして人も、それぞれに終焉がある。1月早々に、このような「陰鬱な話」でもないのですが、ふと風がよぎるように、わたしは思った。わたしたち絵描きにとって、見えるものから受ける「さまざまな情感」は、とっても貴重で、大切な「イメージの芽」にもなるのです。アトリエの古木を擦りながらそう思ったのですが、昨年の夏の暑さに野菜や花や木々の喘ぎを思い起こしたのです。あの暑さに負けたのは、植物だけではない、わたしもそうでしたが・・・あの時もっと水をやっていれば・・・そう「気持ちが痛む」のです。「自力で生きる」とは言ってはみたものの、多くは「他力」で生きているようにも見えてくる。これら古木にも、淡々と生きた痕跡が明確なエッジとなって表れているのです。それにしても、美しく力強い。

 

     

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明日葉の生命力

2010-12-31 | アトリエの周辺

明日葉の生命力

わたしの畑に自生している明日葉、木枯らしに負けじと育っています。その名の由来が「夕べに葉を摘んでも明日には芽が出る」というだけに、強靭で発育が速い。青汁の原料らしいが、この植物のように力強く生きたいものです。今年も今日で終わりますが、積み残してきたものも多く、それほどの満足感はない。淡々と生きるほどに枯れてはいない、明日を目指すだけの力はもう無い、足元を見つめ残された仕事を誠実に進めたいものです。

 

     

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雑草を撮る

2010-12-18 | アトリエの周辺

雑草を撮る

久しぶりにカメラを手に、アトリエを出る。それにしても撮りたいものが、ない。冷たい空気にさらされて、強固で厳しい空間を構成している、雑草である。4月には、わたしの息子(崇民)がアニメーション制作会社を立ち上げる。起業するための準備をしてきたものの、なかなか難しい。わたしの若い頃を想い起こさせる、デザインの仕事をしながら油絵を描いていたのですが、それは苦しいものでした。喫茶店のイメージデザイン、包装紙から観光ポスター、デザイナーの少ない時代ですから、それなりの収入にはなる、好きな絵を描く時間がない。絵を教えながら好きな絵を描く生活に入る、ごく自然な成り行きだったが、次第にやりたくない「雑用」が増えてくる、人生とはなかなか難しいものです。好きなアニメーション制作だけでは先が見えてこない、CGを使ったデザイン制作もしなければいけない。わたしも、久しぶりにカメラを手にした。わたしができることは、それほど多くない、気持ちだけである。雑草のように生きることで、見えてくるものが必ずある、わたしの心情です。若い人たちには、それ相応の苦渋体験(期間)が必要なのかもしれない。これまで(学生時代を含む)に制作してきたアニメーションの一部を公開しています。

       

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