中川輝光の眼

アトリエから見えてくる情景
paraparaart.com ArtDirector

亀井静香さんの言動に違和感を感じます

2009-09-30 | 政治・経済を考える
返済猶予制度金利も検討対象 亀井金融相が意向

 亀井静香郵政・金融担当相は30日午前のTBS番組で、中小・零細企業や個人を対象にした債務の返済猶予制度について「最初から金利を対象外にすることではない。実効性のある中身を考える」と述べ、元本だけでなく金利も検討対象にすべきだとの考えを示した。鳩山由紀夫首相は29日に元本のみの返済猶予に言及したが、金融相は「首相の言う『友愛』は言葉だけで言っても仕方がない。(首相と)齟齬が起きるはずがない」と強調した。制度導入への閣内の慎重論には「今の段階で閣内で議論することではない。私が責任を持って案を作る」と語った。(NIKKEINET)

 亀井静香さんの言動に、違和感を感じます。たしかに、中小企業・個人を含めて厳しい経済状況にあることは周知のことです。しかしながら、「今の段階で閣内で議論することではない~私が責任を持って案を作る」といった姿勢は、大臣の横暴ともとられかねない。亀井静香さんは気持ちに素直な人、それが魅力で支持者も多い、この「返済猶予制度」に関わる言動には異質なものを感じてしまう。何故か、おそらく「その感情的な物言い」に多くの国民は「一抹の不安」を抱くのだと思います。この一時的な救済策が、もしかすると日本経済の根底を揺るがす「引き金」になるのではないかと…経済を考えるときに不可欠なのは「先を見通す眼」と「ソロバン勘定」です。亀井静香さんには、残念ながらそのどちらも備わっていないように思います。であれば、多くの人の言葉を素直に聞くことも寛容です、それから正解を導いたとしても遅くはありません、無論恥ずかしいことでもありません、むしろ大臣として賢明です。回り道でも、つまりは国民のためになるのですから。

  ブログランキングに参加しています 


赤松農水相「シートをはる?新たな水源を確保する?」

2009-09-29 | ニュース

赤松農水相「シートをはる?新たな水源を確保する?」

赤松広隆農林水産相は29日の閣議後の記者会見で、農水省が79年度から建設を続けている大蘇ダム(熊本県産山村)について、「地域のみなさんの期待に応えられるように努力をしていきたい」と述べ、完成を目指す考えを明らかにした。同ダムをめぐっては総選挙前の7月下旬、熊本入りした民主党の鳩山由紀夫代表(当時)が「無駄」と発言し、中止を示唆していた。 赤松農水相は「農業用水がほしいという地域の要望で造ったもの。今、もめている八ツ場ダムや川辺川ダムと違う」と強調。09年度までに事業費592億7000万円を使い、工事の進み具合は99.9%であることを説明した大蘇ダムでは、湖底から水が漏れて計画通り貯水できない状態になっていることが判明している。水漏れ対策について赤松農水相は「シートをはるのか、新たな水源を確保するのか、現地に行って地元の話を聞き、調整を図っていきたい」と述べた。(アサヒコム)

「率直に言えば底の抜けたダムを造ってしまった」―。大蘇ダム(熊本県産山村)を建設している農林水産省の近藤基彦副大臣が地元説明会で頭を下げた。竹田市荻町などに農業用水を供給するためのダムが、本体の完成から四年を経ても計画通りに貯水、給水ができない状態が続いている。農水省は今秋までに水量確保策を示すとしているが、期待したダムに裏切られてきた地元農家との溝は深まるばかりだ。(OITA_P)

赤松広隆さんの「甘い判断」に、官僚の意思や地方行政の利権が見え隠れする。「水漏れのするダム」なんて欠陥そのものですよ、「工事費すら払いたくない」と思ったとしても不思議はない。赤松広隆さんはダムを前にして怒るべきですよ、国民の目線で考えるなら・・・結果は歴然です。赤松広隆さん、判断を誤ることで、これから以降の方向が定まらなくなります。

  ブログランキングに参加しています 


中西悟堂著「野鳥と生きて」「かみなりさま」を読む

2009-09-29 | 本の紹介

中西悟堂著「野鳥と生きて」「かみなりさま」を読む

日本で初めて鳥の保護を唱え、「日本野鳥の会」を創設した中西悟堂さんの「野鳥と生きて」「かみなりさま」を読む。中西悟堂は、「日本から飼い鳥をなくそう」と雑誌「野鳥」を創刊した人です。「野鳥」という言葉は、中西悟堂が好んで使っていた「造語」です。鳥だけが友達だったという中西悟堂にとって、これはひとつの「思想」そのものだったのかもしれません。今では忘れられてしまった感のある「中西悟堂」ですが、金沢を歩いていると、古書店や文化施設などでよく目にする著者名です。金沢では、少し市街を外れると「野鳥」を目にすることもできますし、その鳥の声を聞くこともできます。

  ブログランキングに参加しています 


赤字垂れ流し「放漫経営」や借金政策による「傲慢計画」から見えてくるもの・・・

2009-09-25 | 政治・経済を考える

JAL再建に抜本策=公的資金「必要なときは必要」-鳩山首相

 【ピッツバーグ時事】訪米中の鳩山由紀夫首相は24日深夜(日本時間25日昼)、ピッツバーグ市内で同行記者団に対し、日本航空の経営再建について「今までの政権と違う新しいスキーム(枠組み)を考えていきたい。再建計画はもっとしっかりしたものをつくる必要がある」と述べ、前原誠司国土交通相直属のタスクフォースを中心に、政治主導で抜本的な再建策を講じる考えを明らかにした。首相は、日航への公的資金投入について「必要なときには必要になるかもしれない」と可能性を認めた。その上で、「そう(経営破綻)ならないようしっかりしたものをつくる」と強調した。これに先立ち、首相は、前原国交相から日航再建問題について電話で報告を受け「ぜひ速やかに対処してもらいたい」と、再建策取りまとめを急ぐよう指示した。亀井静香金融相が中小企業・個人向け融資の返済を猶予する法案を検討していることに関しては「モラトリアムをするかどうかは与党3党、政府内で議論しできるだけ早く結論を出したい」と表明。沖縄県の米軍普天間飛行場(宜野湾市)を含む在日米軍再編計画の見直しに関しては「米国との関係では、アフガニスタンの問題が先だ」と述べ、アフガンへの民生支援策を固めた上で、米側との協議に入りたいとの認識を示した。 八ツ場ダム(群馬県長野原町)の建設中止の方針に地元が反発していることに対して、首相は「政権が代わり、今まで進めてきたことをやめることはあることだ」と述べ、変更は考えていないことを示唆した。(jijicom)

 日本航空を経営破綻に追い込んだのも、八ツ場ダムに絡む利権構造にしても、前政権の負の後始末に他ならない。赤字垂れ流し「放漫経営」や借金政策による「傲慢計画」から、見えてくるもの・・・。これまでの硬直した政官財の利権システムと、長きにわたり、そこに胡坐をかいてきたトリマキたちの姿を、わたしたちはしっかり目に焼き付けておくことです。この人たちに、この国の政権を二度と渡してはならない。とはいうものの、民主党にこういった芽が無いとは言い切れない、わたしたちはこれからの政権をも、しっかりと見ていくことです。

   ブログランキングに参加しています 


どうやら自民党には「派閥の力学」が生き残っている

2009-09-19 | 政治・経済を考える

どうやら自民党には「派閥の力学」が生き残っている

18日告示された自民党総裁選には、前外務政務官の西村康稔氏、元法務副大臣の河野太郎氏、元財務相の谷垣禎一氏が立候補した。3氏の記者会見では、重鎮と若手議員の世代交代や派閥政治の象徴とされる森喜朗元首相をどうみるのかが焦点となった。 「森喜朗さんに派閥を解消すべきだと言って解消するか。絶対しない。しかし河野総裁のもとで派閥の果たす役割は何もない」。18日の記者会見で森氏を名指しして批判した河野氏は、総裁選の推薦人集めで派閥の領袖から妨害を受けたことも明かし、「総選挙で全く懲りていない方がいる」。その上で、森氏について「そろそろ出処進退をお考えになるべきだ」と引退を促した。また、派閥会長らベテラン勢に支持を広げる谷垣氏にも「派閥を足場にするスタイルは間違っている」と批判の矛先を向けた。 森氏をめぐっては、総裁候補最有力とされていた舛添要一前厚労相が、森氏や青木幹雄前参院議員会長と会った直後に不出馬を表明したことから、党内にも警戒感が強まっていた。 かつて「加藤の乱」で森(元首相)おろしに加担した経験のある谷垣氏だが、「みんなでやろうぜという考え方。特定の方は総裁選で議論しない」と述べ、河野氏の仕掛けた争点設定には乗らない考えを示した。河野氏からの批判には「派閥を足場にすることは全く考えていない。今後の行動でみて頂きたい」と切り返し、「若い世代が育っていることを示したい」と若手の登用にも余裕を見せた。 森氏の地元石川県庁へ出向して以来のつきあいという西村氏。「森氏に出馬の了解を頂いたが、頼ってお願いもしていない」と言葉を濁した。所属していた町村派を離脱したことを強調し、人事については「(派閥から)中立的な立場で適材適所に行う」と語った。 西村氏が「無名からのスタート」、河野氏が「バランス感覚のなさ」と若さを強調するなか、谷垣氏はひとり自信を見せた。「結果は後からついてくる」(アサヒコム・山下剛)

どうやら自民党には「派閥の力学」が生き残っている。前外務政務官の(無名?)西村康稔さん、石川県では商工課長でしたが、担ぎ出した馳浩さん北村繁男さん森喜朗さん岡田直樹さんはすべて県選出の自民党議員でもあり、何らかの意図が働いたと思われても仕方がないのかもしれません。河野太郎さんが指摘するように、今回の「自民党総裁選」には「再生」への起点となる「清新さ」が欠かせない、「古い体質(派閥力学)」の影を見せてはいけないのです。そういう意味では、河野太郎さんが適任かもしれません。国民の多くは、自民党の再生を願っています。以前の自民党でないことは周知のことです、健全で論理的な政党として再生してほしいのです。

   ブログランキングに参加しています 


不慣れな「市場との対話」に課題があることは予測されたことです

2009-09-18 | 政治・経済を考える

鳩山内閣:「市場と対話」課題 閣僚発言に過敏に反応

財務相に決まり首相官邸に入る藤井裕久民主党最高顧問=2009年9月16日午後4時19分、平田明浩撮影
財務相に決まり首相官邸に入る藤井裕久民主党最高顧問=2009年9月16日午後4時19分、平田明浩撮影

 16日発足した鳩山新内閣に対してエコノミストや証券アナリストからは「税金の無駄を排除し、マニフェストの主要政策を実行してほしい」など期待する声が上がった。一方、この日の東京市場では、新閣僚の発言を受けて円相場や銀行株が反応する場面もあり、不慣れな「市場との対話」に課題を残した格好だ。金融・郵政担当相に決まった亀井静香氏が15日、銀行融資の返済を猶予する制度(モラトリアム)の導入を検討すると発言したことを受け、16日の東京株式市場では業績悪化の警戒感から3メガバンク株が軒並み値を下げ、前日終値比1.5~1.9%下落した。亀井氏の発言で市場が動いたことに対しては、「民間の活動に国が口を挟むような言動を繰り返すと市場の警戒感は高まる」(証券アナリスト)と批判する声がある。また、財務相に就任する藤井裕久氏が為替介入に否定的な発言をして円高が進んだこともあり、バークレイズ・キャピタル証券の森田京平チーフエコノミストは「新政権は、市場への影響に配慮した対話の姿勢が必要」と話す。藤井氏の財務相起用については「官僚と政治の両方を熟知しており適任」(三菱UFJ証券の藤戸則弘投資情報部長)と評価する声が多い。しかし、予算の組み替えなどで財源がひねり出せず、国債が追加発行され、長期金利の上昇につながることを警戒する声は根強く、みずほ証券の上野泰也チーフマーケットエコノミストは「10年の参院選を配慮して歳出の優先順位がゆがめられないよう、厳しい姿勢が必要」と指摘している。(毎日JP)

 不慣れな「市場との対話」に課題があることは、予測されたことです。亀井静香さんの「銀行融資の返済猶予制度(モラトリアム)」に関わる発言は、いかにも唐突で市場に与える影響も少なくはない。日本は、グローバル経済のひとつの軸であることに間違いなく、藤井裕久さんや亀井静香さんの発言は充分考慮したものでなければならない。日本の動向が、これからの世界経済に与える影響は大きくなるばかりだと思います、くれぐれも慎重に・・・。しかしながら、亀井静香さんの「返済猶予制度」にしても、藤井裕久さんの「為替不介入」にしても、大筋では間違っていないと思います。間違ったのはTPO(発言のタイミング)の見極めです。

   ブログランキングに参加しています 


鳩山新内閣は「経済界の不安」を早急に解消すること

2009-09-17 | 政治・経済を考える

写真

初閣議を終え、記念写真に納まる鳩山首相と新閣僚=16日午後、首相官邸

鳩山新内閣に産業界、期待と不安

 鳩山由紀夫新内閣の発足を受け、産業界からは景気回復に向けた政策の継続を期待する声が相次いだ。一方で地球温暖化対策の強化など企業や財政の負担が増す政策に対しては、戸惑いの声があり、未知の政権との間合いを計りかねている。 新政権は家計支援などで個人消費を刺激し、内需主導の経済成長を目指している。エコカー減税などの効果で新車販売が上向きつつある自動車業界は「2010年度以降も何らかの刺激策の継続を望みたい」(日産自動車の志賀俊之・最高執行責任者)と要望する。 (NIKKEINET)

 わたしたちの多大な期待を背に「鳩山由紀夫新内閣」が発足したものの、市場関係者からは不安の声が聞こえてきます。要因は、為替・金融・産業の方針に懸念がある(不透明感)ためと推察されます。世界経済が回復基調にある中、日本は「経済指針を明確に示すこと」「市場の動向を軽視しないこと」など慎重に歩を進めていく必要があります。とりわけ「経済界の不安」を早急に解消することが大切です。日本の財政を考える時、輸出産業のウエイトはこれからも大きいと思います。

   ブログランキングに参加しています 


松下良著「加賀野菜それぞれの物語」の紹介

2009-09-13 | 文化を考える

松下良著「加賀野菜それぞれの物語」の紹介

京都には京野菜があり、加賀には加賀野菜があります。寒暖の差が大きい、しかも雪に閉ざされる金沢には、食の文化が育つ要素があります。この要素は、江戸時代の京都とよく似ている。少し違うところがあるとすれば、加賀藩の食文化には「魚料理」の周辺として発達してきた領域があることです。食文化が育つには、その土地がはぐくんできた土壌(環境)が大きくかかわっているといえます。松下良さんの「加賀野菜それぞれの物語」にも書かれている、金沢の特性でもあるのです。ところが、この本に書かれているのは、こういった特性(特徴)が失われてきていることを指摘しています。野菜が持つ個性(味や食感)が大切にされない現状というものがあります。わたしたちの生活が「食文化」と無縁になっていることに、起因する。秋から冬、これからは日本酒がおいしくなる、「おでん」の季節でもある。言い換えれば、「源助大根」の季節ともいえるのです。野菜も品種が絶えると、口にできなくなることも現実にあり得るのです。国々の、土地土地の「食文化」を支えていきたいものです。

  ブログランキングに参加しています 


動物保護施設「ティアハイム・ベルリン」の日々

2009-09-12 | 文化を考える

動物保護施設「ティアハイム・ベルリン」の日々

人間が住む高級マンションの話ではない。ここは動物保護施設「ティアハイム・ベルリン」。元は1901年に設立された施設だが、2001年に約50億円かけて建て替えられた。犬たちは庭付きの個室で思い思いに過ごしている。明るい日差しの下で昼寝をしている犬もいれば、屋内でエサを食べている犬もいる。床暖房が完備されているから、厳しいベルリンの冬でもこごえることはない。順番に数匹ずつ、直径約50メートルの円形ドッグランに出してもらえる。ほかの犬との追いかけっこを楽しみ、おもちゃで遊び回る。ここでの暮らしに退屈することはないし、運動不足とも無縁だ。約100人のスタッフが世話にあたり、病気やケガをしたら十数人いる獣医師がすぐ治療する。かみ癖やほえ癖があればしつけも施される。そんな日々を送りながら、新たな飼い主がやってくるのを、犬たちは待つ。期限はない。「犬を見に行こうか」犬を飼いたいと思うドイツ人がそう考え、まず目指すのがここティアハイムだ。取材で訪れた5月中旬の日曜日も、多くの来訪者が犬を見て回っていた。「いつも眠そうにしている。この犬は性格がよさそうだ」「このくらいの大きさなら家でも飼うことができる」家族で意見を交わしながら、1匹ずつ檻ごしに見ていく。日本のペットショップで目にする、子犬を抱えた子どもが「かわいい!」と歓声をあげるような場面には出くわさない。捨てられた成犬を、家族として迎え入れることが可能か、あくまで冷静に検討する場なのだーー。(AERANET)

世界のペット事情も、国によって大きく変わる。ドイツの動物保護施設「ティアハイム・ベルリン」に、ひとつの解決策を見ることができる。前提として、ペット産業の課題を考えることも大切なことです。しかしながら、人間の冷徹さ(モラルの欠如)のしりぬぐいのようにも思える事もしなければならない。歴史を振り返れば、このような社会システムも少しづつ成熟していくのかもしれない。

  ブログランキングに参加しています 

 


犬たちはなぜ捨てられ殺されなければいけないのか

2009-09-11 | 文化を考える

犬たちはなぜ捨てられ殺されなければいけないのか

「~飼い主に捨てられた犬にはどんな運命が待っているのか。東日本のある自治体で、殺処分の様子を取材した。午前9時30分、いつものように犬舎の壁が動き始め、この日は柴犬やビーグルなど9匹の犬が殺処分機に追い込まれた。処分機の広さは約3立方メートル。うっすらと明かりがともっている。そのなかを、犬たちは所在なげにうろうろとし、何匹かは側面にある小窓から、外の様子をうかがう。処分機の入り口が閉じられると、すぐに二酸化炭素の注入が始まる。犬たちはまずガタガタと震え、息づかいが荒くなる。処分機上部に取り付けられた二酸化炭素の濃度を示すメーターの数値が上がっていくと、苦しいのだろう、次第に頭が下がってくる。1分もすると、ほとんどの犬は立っていられなくなり、ゆっくりと折り重なるように倒れていく。恐らく、自分の身の上に何が起きたのか、理解できた犬はいなかっただろう。なぜ、自分がこんな目に遭うのか、わからないまま死んでいったのだろう。殺された犬たちのほとんどが、飼い主側の事情によって捨てられたのだから。こうして2007年度には、全国で12万9937匹の犬が地方自治体に引き取られ、うち9万8556匹が殺された。犬たちはなぜ捨てられ、殺されなければいけないのか。~」(AERANET)

先日、TVニュースを見ていたら、河川敷に多くの犬(屍骸も)が過酷な環境に放置されている情景が映し出されていました。このような悲惨な光景に怒りを覚え、いつまでも残像として消えることがなかった。ところが、AERAのこの記事にさらなる衝撃を覚える。これは、現代の「ガス室」ではないか。何故、このようなことが「平然」と行われているのか。子どもの頃、海岸を歩いていて、十数匹の犬が首をロープで繋がれたまま浮いているのを見たことがあります。それを境に、海で泳ぐことはなくなりました。その時の光景を、わたしは鮮明に覚えています。犬にしても、猫にしても、人間以上の情愛があることを、わたしたちは知っているのに・・・。

  ブログランキングに参加しています