mitakeつれづれなる抄

普段いろいろ見聞き感じ考え、そして出かけた先で気になることを書き綴ったブログです。

名古屋城へ行ってみました

2017年09月16日 | 名古屋
 アメーバのブログにも書きましたが、名古屋城天守閣の木造再建を前に、この秋にも天守閣の入場禁止の措置がとられるということで、障害者手帳で入場できる、ということで、9月13日(水)、行ってみました。

 名古屋城は身近にあり、いつでも行けるような感じですが、地元の人間故、かえって足が遠くなったりします。

 考えてみれば、普段姿の名古屋城へは行ったことが無く、これが初めてであります。これまでは名古屋城夏祭りの特別開催か、1989年の世界デザイン博覧会で名古屋城自体が会場となった時です。

 名古屋駅からは名鉄バスの基幹バスで市役所停留所へ。横断歩道を二つ渡り、市役所交差点北西角の地下鉄出入り口は、名古屋城に近い階段ということで、このような形の門。高麗門というそうです。


 人の姿は写しておりませんが、観光客の方多いですね。名古屋一で最大の観光地です。名古屋観光ルートバス「メ~グル」が平日から満員になるのはよく分かります。

 それと、この市役所駅が名古屋城に近く、その一方で次の名城公園駅で間違えて降りるお客さんが少なからずいるそうなので、この市役所駅を名古屋城駅に改名しようという動きがありますが、私は反対です。市役所駅は市役所駅で、復唱として「愛知県庁」と共に「名古屋城」と併記すればよろしいのではないかと思います。
 また市役所駅は、名古屋城の最寄りではありません。最寄りはバス停の名古屋城正門前です。

 ここから北へ100mほど行った所が、東入り口。


 石垣の中を行くと、二の丸庭園そばの東門。


 ここから本丸の天守閣は遠い遠い。地下鉄一駅分あります。


 二の丸庭園は、徳川の名古屋城が出来る前の、那古野(なごや)城があったとされる場所です。




 重文の東南隅櫓と、天守閣。


 東南隅櫓の石垣。


 本丸へ入ります。




 敵が石垣を登って来る者に対して、鉄砲で対劇する孔。


 桝形を構成する石垣。




 桝形を抜けると、復元されている、木造本丸御殿正面車寄せ。


 初めて見ます。これまでは建物の礎石だけでした。


 本丸御殿は一部が公開されていますが、私は入りませんでした。杖傾向では、中へ上がれませんので。

 本丸前から天守閣。


 この光景は、デザイン博覧会や、夏祭りではお馴染みでした。


 ここの左手、即ち本丸御殿が建っているところで、夏祭りの薪能が開催されていたのですが、今はどこで能舞台を組んでいるのだろう。

 小天守の石垣が、どうも緩いらしい。


 天守閣の耐震性不足の告知。


 なので小天守のスロープは使用停止。


 替わって、仮設の階段を設置。


 大天守の石垣。


 石垣を担当した大名家の紋様が残っています。

 石垣の復旧は、こういうものも元通りの位置に組まねばなりません。

 下から見上げる。


 大天守の中へ入り、先ずは最上階へ。有名なシャチホコに跨れられるところ。

 これ、実物は初めて見ます。

 鎧兜。


 昭和20年5月14日の空襲で焼ける前の名古屋城。


 名古屋の町人文化を再現した展示コーナー。






 やがて照明が落とされ、ほぼほぼ真っ暗に。脳出血後遺障害の私には危険危険。


 なんとか僅かな灯りを頼りに慎重に歩き、腰掛があったので腰掛けます。
 やがて朝に。


 昼間の様子。


 夜はかくのごとく真っ暗。


 〇八は名古屋市の市章でもあります。


 町民のくらし。


 蒔絵を凝らした籠。伊藤次郎左衛門祐民などは、こんな籠に乗っていたのでしょう。


 1階まで降りて、伝説の金の茶釜レプリカ。江戸時代創建当時からのシャチホコが空襲で焼け、溶けた金が塊となっており、そこから新ためて溶かして、茶釜にしたというもの。実物はどこかの収蔵庫にあり、たまに茶会で使用されるそうです。


 城内の模型。南、本町御門からの方向。本町御門は、今の外堀通本町の交差点。


 天守閣の骨組み模型。


 1階から出るときは、小天守を通らず、車いすルートでエレベータで地上へ。本丸御殿がよく見えます。


 本丸から北へ不明門から出ます。


 大天守の石垣。この石垣調査が必要で、そのために天守閣入場停止の措置が取れれるはずでしたが、調査開始が少し遅れているそうです。


 この北は外堀。しかも高低差があります。


 外堀の向こうは名城公園。ここは戦前は練兵場でした。そもそもが低湿地で、標高2~3m程度。名古屋城のある名古屋台地とは標高差がゆうに10m以上はあります。
 ゆえにここに西からの守りを固めるために、城を築いたわけです。


 今は工事で外周を二の丸へは行けないので、一旦本丸に入ります。この姿も後暫くだと思うと、やっぱり寂しい。

 寂しいと同時に、横のエレベータがなんとも滑稽です。
 徳川の名古屋城にはエレベータはありませんが、木造復元ではなんとエレベータが設置されるそうです。これでは本物寸分たがわずではない!とは思いましたが、今の私がまさしくそうで、階段がために最上階のさらに上の展望台までは行けませんでした。やっぱり、木造復元でもエレベータが必要なのかなぁ。複雑な心境。

 そして名古屋城天守閣は、木造化を前に石垣が耐えうるかを調査しますが、その文化庁からの許可が遅れているのかな、調査自体が遅れているのかな、どちらかの事情で遅れ、天守閣の入場禁止は先に伸ばされています。

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