名古屋の観世流能楽師で行う、青陽会能。昨日私の誕生日である7月30日に今年第二回めの能があり、拝見いたしました。
演目は、能・清経、狂言・子盗人、能・殺生石。他に仕舞が五曲。
清経、シテは京都在住の武田大志師。名古屋の観世流の先生方は、名古屋と京都若しくは神戸かけもちで活動されている方が結構多く、大志先生もその一人。先生の先生、職分の先生がそちらの方なので、いろんな所でお見かけするわけでして。
清経。戦ものの能の一つで、平清経が戦の場へ向ったものの、討ち死にではなく入水自殺を図ったと留守を預かる妻は聞かされ、形見の品を受け取るも、悲しみのあまりに床に伏したところへダンナ、つまり清経の亡霊が現れ、最後の戦の模様を語り、入水した様子を舞を舞いながら語るも、十徳の法力により成仏できた・・・、というあらすじ。
この清経を武田大志師が演じたのですが、京都の地で鍛えられているのか、声の張りは素晴らしい。このブログで何度も書いていますけど、名古屋の能楽師は他流を含めてどうも声が小さい(弱い)方が多いような気がしています。しかし大志師は面をかけていても(能面を着けていること)、まるで生身の人間が話しているかのよう。実際、清経を観ていても一瞬、中将の面が人間の顔に見える時が何度もありました。
よく無表情のことを「能面のよう」といいますけど、実際の能面は、気持ちがギュッと凝縮したもので、演ずる中の人の芸次第で、生きた顔になってくるものなのです。それを若手の若手である大志師で観え、ドキッとしました。
狂言の子盗人は、盗みに入った家で物色の途中、良い着物がみつかり剥いだところ、そこには赤子が。その赤子をあやしているうちに家人が戻り、ハチャメチャとなる狂言。
この家の主人に、大野弘之師が演じていました。久しぶりです。いや、狂言尽くしの会では出ていらっしゃるかもしれませんが、以前に体調が宜しくないともうかがい、気になっていました。私が能を観始めた頃、名古屋の和泉流狂言で、佐藤友彦師匠と共に活躍されていた方で、釣狐の披きも拝見いたしております。僅か3分程の出番でしたけど、久しぶりに拝見でき、また元気そうで良かったです。
殺生石。下野国那須野に、上を飛ぶと鳥も落ちるほど近づく生き物を殺す不思議な石。それは都にいた玉藻の前という宮廷の女が、狐の化け物であることを見破られこの地まで逃げたものの、追っ手に討たれてしまい、その怨念が石に取り憑いたというもの。
能のカテゴリで「五番目の能」に分類されるこの曲、生き物が死んでしまうという程の強い力の石が、大きな存在感を出しています。訪れた高僧と里の女、実は殺生石そのものとの問答に怪しい雰囲気を醸し出します。そして女は石の中に隠れ、高僧の力で石をかち割り、中から鬼神が現れます。この怪しい雰囲気と石が割れる直前の緊迫した空気が五番目の能の良さで、私は好きだな。
シテの鬼神を演じた吉沢旭師、つつがなくまとめたと言う感じでした。声の張りもありましたし、安心して拝見できました。そして地謡末席の角田尚香師、一番の若手ですね。頑張ってくださいね。