mitakeつれづれなる抄

普段いろいろ見聞き感じ考え、そして出かけた先で気になることを書き綴ったブログです。

JTB時刻表通巻1000号

2009年04月23日 | 本と雑誌

Ccf20090423_00001  かつては「交通公社の時刻表」、今は「JTB時刻表」と称している大型の時刻表が、2009年5月号で通巻1000号となりました。1000号ですか。月刊誌で1000を超える誌はどのくらいあるのだろう。

 時刻表については一般にも関心が高いですし、私のような鉄ヲタのほか、鉄道趣味の大きい部分である列車の運行時刻が掲載されている事から、これまでにも鉄道趣味誌でも取り上げられることが多く、歴史は大体覚えてしまいました。

 全国版の時刻表は、今はJTB時刻表とJR時刻表の二つがあり、私は国鉄監修時代から続いているJTB時刻表を愛用しております。いや正直なところ「JTB」などという横文字は鬱陶しく、いまだに「時刻表交通公社版」とか昔のように「交通公社の時刻表」とよんでいます。

 さて、このJTB時刻表、大正14年に日本旅行文化協会から「汽車時間表附汽船自動車発着表」として発刊されたのが始まり(誌名は調べました)。その後月刊化され、戦後の混乱期は四つ折の紙に主要駅と主要列車だけを印刷したもの(復刻版にあり)まで発行され、昭和40年代は運賃改訂で国会の議決が通らず、同じ号(通巻番号)で異なった内容(運賃関連のみ)の時刻表が発行されたりと、時代の波に大きく翻弄された雑誌でもあります。

 

 さて、私と交通公社時刻表との繋がり。「何年」と書くと私の年齢が分ってしまいますのであえてボカシますが(笑)、小学生の時から続いています。ぶっちゃけ小学三年生の時から。夏休みに火傷で入院した時に親類の誰かが病室に持ってきて、置き忘れた物を発見したのが始まり。その時の衝撃ったら忘れもしませんでした。

 「時刻表」と書いた表紙に綺麗な風景の中を行く列車。「なんだこれ?」と手に取ると、中は数字と文字の羅列。よく分らず一旦は手から離しましたが、もう一度手にして落ち着いて見ると、ある規則性がありました。記された数字はページの上から下に行くにつれ段々大きくなります。また左から右に行くのも大きくなり、凡例を見てみると「列車云々…」。

  「そうか!、これ列車の運行時刻なんだ。こうやって決められて走っているんだ」

 この驚きは明治の昔、鉄道が走り始めた頃の「ページ先生」が作ったダイヤグラムをこっそり偲んで見て、列車運行時刻の原理を知る事となった担当者の驚きと同じ物と思います。以来nn十年、私が一番長く愛読している書物となりました。

 その後鉄道については、鉄道ピクトリアルという(中身が)硬い趣味誌を発見、時刻表の比重は少し下がったもの時刻表は相変わらず読みふけ、そして鉄道ジャーナルという雑誌も発見して、以来今に続いています。それにしても小学生で鉄道ピクトリアルを読んでいたなんて、ませてますね。

 こうして愛読書となった時刻表は、私の鉄道好きに拍車をかける事になりました。また地理にも目覚める事になり、索引図の駅名を一つ一つ読み、読めない漢字は本文の駅名欄で。そう、私は漢字の多くは、学校教科書ではなく時刻表から覚えたものです。

 

 時刻表は月刊誌です。ただ流石に毎号買ったことは無く、概ね四季毎とダイヤ改正号の年4~5回程度。四季毎というのは、季節・臨時列車の運行が掲載されるため。値段が安かった昔はもう少し多かったですが、三ヶ月連続で買ったことは小学生の頃から含めて一度もありません。

 今回、JTB時刻表が2009年5月号で通巻1000号になるということで、買おうかどうか迷いました。5月号は買わない号なので。でも1000号という節目の号。次の2000号まで待てないので、買ってしまいました。こうしてブログにも投稿できますしね。


鉄道日本文化史考

2008年12月13日 | 本と雑誌

Book  書評を書くのは私としては大変おこがましいのですが、OCNのブログ人に標準で付いているカテゴリに「本と雑誌」というのがあり、一寸これに該当する記事を書いてみます。

 先般図書館で借りてきた書に表題の通りの書物があります。鉄道の歴史書というのは数々あれど、その多くは技術発達史や構成人員の変遷に関わる部分など、あくまで鉄道事業者側からの視点に留まってきたきらいがあります。

 しかし鉄道は利用者や運送する物があって成り立つもの。その民俗的背景で述べた資料というのが些か少なく、そんな鉄道史に関わる考えを述べた書がこの「鉄道日本文化史考」です。

 明治維新と共に日本に現れた鉄道。そこに用いられる言葉の背景は今までの史書には記載が無かったのですが、この書では文化的背景とその時代に暮らす人々は、いかな社会的な通念を持っていたのか、読んでいる私としてはむしろ鉄道から当時の民俗的な状況がいかなものかが分かりかけます。

 

 どうしても鉄道というのは運送する行為のみに目を向けられて、利用者は運送を要求する、事業者はそれを果すと共に従事者に相応の教育を施す。この両者には知識の面で大きな隔たりがあります。従事する立場でも無いのが知識を得る必要は無いのですけど、しかしそれは鉄道というのが隔絶された世界に留まってしまい、正史の面でますます文化的背景の考察が行われ難くなります。

 その鉄道に対する無知の結果が郷土史研究で時々出てくる明治の頃の「鉄道忌避」の考え。宿場が寂れるなど旧来の産業保護で鉄道を遠ざけたという話はよくありますが、その殆ど(或いは全て)は鉄道の技術的面で街道から離さざるを得ない線形となります。それが何処をどう誤解されたのか、郷土史家の多くは未だに鉄道忌避の考えをもっておられるようで、これも鉄道の正史では機械的な技術史に傾倒して、文化・民俗的な視点が欠けていた結果でしょう。

・鉄道日本文化史考
・宇田 正 著
・思文閣出版
・5,500円
・ISBN 978-4-7842-1336-8