昨日の総選挙、予想はされていましたが、見事な歴史の変換点となる結果が出ました。この総選挙についてはあえて書きません。書いたらアクセスは増えるでしょうが、私そこまでの論者ではないので・・・。
で、エントリタイトルの「国民審査」ですが、一昨日にこの「国民審査を考えてみる」と題して、少し書いてみました。私の考えです。しかしこの国民審査は、大切な制度ですが全く活かされていないところに形骸化された問題点があります。
今回、私もブログ作ってから初めての総選挙、つまり国民審査でもありました。この所何やら所用多く、いつでも読めるように国民審査資料を選挙公報と共にカバンにいれ、木曽へも神戸へもお供させましたが、結局資料に目を通すことはありませんでした。つまり白紙な状態で望む事になってしまいました。
そこで、もうかれこれ何回目かの総選挙、つまり国民投票で、初めての棄権をしました。最高裁判事の顔も業績も信条も知らぬまま、白紙で出すわけには私自身の信条が許しませんでした。
私の住まう所では、投票所ではまず受付で名簿と対象し、選挙区の投票用紙を交付されます。名前を書いて投票箱に入れ、次に投票所入場券の半券で比例区と国民審査の投票用紙を交付されます。その際、半券を渡す際に「国民審査は止めます。資料読んでないので・・・」と言い、初めての棄権をしてしまいました。
比例区の名前を書いている時に後でゴチャゴチャ言うてる声が聞こえましたが、そう有ることではない行為で、事務的に「どうするべ」と困っていたのかも知れません。これ棄権(拒否)することは認められていますので、投票したくなければハッキリその旨言うことです。
もっと言えば選挙の方、例えば衆議院総選挙の場合、選挙区だけ、或いは比例区だけ棄権する事も出来、この両方も棄権出来ます。そして投票総数からは除かれます。そんなことなら初めから投票所へ行かなくても同じですけどね。でも選挙に行ったという事実は残ります。(実際にそんな人がいるらしい)