My Life After MIT Sloan

組織と個人のグローバル化から、イノベーション、起業家育成、技術経営まで。

プエルトリコ紀行(2) -リゾートホテルと滝と夜光虫と大自然

2010-07-19 23:55:58 | ●メキシコ・中南米

暑い三連休でしたが、皆様はどこかにいかれましたか?
日が変わる前に、前回のプエルトリコ旅行の記事の続きを上げておこうと思います。

1.Rio Grandeのリゾートホテル

「女二人旅行なんだから、いいホテル泊まらないとつまらないでしょ」ということで、
San Juanから車で約40分、Rio GrandeにあるGran Meliaという高級リゾートホテルに泊まったが、
ここが値段の割には最高に良かった。

このホテルは、ホテル以外にコンドミニアムやゴルフ場などがあるコンプレックスの中に立っていて、
横ではJ.W.マリオットが建設中だった。
金融危機が無ければ、もっとさまざまな高級ホテルが併設されてもっと豪華になっていたのかもしれない。

何が良いって、部屋がとても広いのと、プールの設備が最高だった。
昼のプール。
プールの水の中に、バーが立っていて、水につかりながらいすに座ってお酒を飲める。
飲みながら泳いだり。

夜のプール。
ホテルのバーでカクテルを頼んで、プールサイドでゆっくりと飲みながら語り合うとか最高に気分がいい。

puertorico - home

ちなみに、ホテルの客室は2階建て・8室ずつの建物に入っていて、それがこんな(人口っぽい)南国ジャングルの中にあるんだな。
ロビーやレストランのあるメインビルディングに行きたいときは、部屋から呼ぶと、電気自動車がいつでも迎えに来てくれる。

唯一、ホテルのレストランの中の食事が不味いというのが難点か。
食事は絶対に外でするとか、買ってくることをお勧め。
どうやらあの悪食のアメリカ人が食べても不味いのか、ピザとかを注文している人たちすらいた。
(ピザ屋の出前がホテル内に入っていくのを数回見た)

2.エル・ユンケの国立公園と滝

Rio Grandeから車で5分くらいで公園の入り口に着き、そこから車で山道を20分ほど上がっていくと滝に行くためのハイキングロードの入り口がある。
そこから歩いて30分くらいのところに滝がある。

ハイキングコースは、亜熱帯らしいジャングルのような植生が面白い。
ハイビスカスなども結構咲いていて、きれい。

こういうところをずっと30分ほど下っていくので、ビーチサンダルはお勧めしない。
ビーサンで来て、バテているアメリカ人を数グループ見た。

滝に到着。
これは結構すごい。

さて、アメリカ人というのはどこの観光地に行っても、滝つぼで泳いでいる人がいる。
メキシコに行ったときもこういうアメリカ人をたくさん見た。
反射神経に近いんじゃないかと思うが、水着を中に着てきたりして用意がいい。
若い人だけでなく、結構なお年の方も、イモを洗うように泳いでらっしゃる。

水は結構冷たくて、13度くらいしかないと思うのだが、「キャー」とか言いながら泳いでるんだよね。
(私はワインドリンカーなのでこのくらいの温度は手で触ると割と正確にわかる)
足を入れたら「わっつめたい」って思わず引っ込めるくらいの温度よ。
アメリカ人って脂肪の皮が厚い方が多いから、余り冷たいの感じないんですかね?と思わず憎まれ口を叩いてしまいたいほどの元気さ。

日本の西表島とか石垣島をたずねたことがある方は、雰囲気が似ていると思われるが、
こういう亜熱帯ジャングルが初めての方は、非常に楽しめると思う。

3.BioBayの夜光虫 (Bioluminescent)

プエルトリコの観光名所のひとつで、島の東端Fajardoから2時間ほど、夜光虫の光る海をシーカヤックするというツアーがある。
これは美しかった。
カヤックのオールをこぐと、オールの動きに沿って夜光虫が海の中まで光るのだ。
手を入れて動かすと、手に沿って光る。
私たちのときはちょうど小雨が降っていたので、その雨が水面に当たるたびにぽつぽつと光っているのがとても幻想的だった。

カメラ禁止なので、写真を見せられないのは残念。
(弱い光なのでどうせ特殊なカメラでないと撮影は困難だったと思うけど)
でもPuerto Rico Biobay でイメージ検索すると、写真がたくさん出てくると思う。

約40分ほど、マングローブの生い茂ったCanalをカヤックで漕いでいくと、大海原に出る。
そこでみんなでカヤックを寄せ合って、ツアーガイドの話を聞くのだが、なかなかスピリチュアルな経験だった。
夜光虫の光る理由を科学的に説明してくれて、最近は海が汚染されて、夜光虫が光らなくなっているという話と共に、環境問題への興味を喚起してくれるものなのだが、
真っ暗な海の上で、みなでカヤックを寄せ合っているだけで、不思議な気持ちになる。

帰りは同じ道をCanalをこいで帰る。
水流が逆流だったので、帰りのほうが大変だった。

ちなみに、私たちは空港でパンフを見つけて、電話して翌日の分を予約するという泥縄ぶりで間に合ったが、
本当に混雑してるときだと満席の場合が結構あるらしいので、旅程がタイトな人は事前にネットで調べて予約しておくのが良いだろう。

こんな感じで、プエルトリコではかなり大自然を楽しめた。
アメリカって大自然の国で、どの国立公園もすごいけれど、こういう亜熱帯の面白さも一つの国で味わえるのはすごい。

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プエルトリコ紀行(1) Puerto Rico料理とBacardy見学

2010-07-14 13:26:40 | ●メキシコ・中南米

5月末に、ボストンでの親友と二人でプエルトリコに卒業旅行に行った。
まあ最近、技術とか経営の話ばかりで、つまらない人にはつまらないと思うので、ここらで2回にわたって、プエルトリコのことを書きます。
いつもながら、旅行中に私が思ったことや考えたことを交えつつ、若干偏った評価で。

プエルトリコは、米国領で、キューバ、そしてドミニカ共和国のさらに先にある島だ。
Puerto Ricoはスペイン語で豊かな(Rico)港(Puerto)という意味。
昔はスペイン領だったので、米国領とはいえ、公用語はスペイン語である。
正確に言うと、英語も一応公用語なんだけど、標識とかは全てスペイン語で、英語しゃべれる人なんてほとんどいないんだわ。

2回に分けて書くけど、最初の1回は食べ物とか料理とかそのあたり、2回目は自然とかリゾートホテルのこととか書こうと思う。

1) プエルトリコはアメリカと同じ車社会だった→ 旅行前にレンタカーは手配すべき

プエルトリコのSan Juan(サン・フアンと読む)空港から降りた後、結局レンタカーを借りた。
スペイン語系の国ってどこも結構公共の交通機関が発達してるから、レンタカーなんて借りなくて良いかと思っていのだが、甘かった。(調査不足)
空港から出ているバスは、町まで一人当たり20ドル(約1800円)とかホテルまで60ドルなどとありえない高さ。
一方、レンタカーは一日30ドルに保険・燃料その他あわせて一日60ドルちょい、といったところであり、とても安い。

サン・フアンの街に泊まってそこからツアーしか使わない旅行ならともかく、移動を伴う場合は絶対にレンタカーを借りないと採算が合わない国。

2) プエルトリコの主食。イモとサウザンアイランド。

で、まあ空港の観光案内のお姉さん(3人いるガイドのうち彼女しか英語が話せない!)にお勧めされたプエルトリコ料理に行ってみる事にした。
店の人が民族衣装を着ている、地元ではかなり有名なお店らしくて、店に着いたら少し人も並んでいた。
行きたい人は、空港の観光案内所で場所を聞いてください。

お店では奥にあるバーカウンターに通されて、そこで私は早速マルガリータ。友人はピニャコラーダを頼んだ。
で、「モフォンゴ」っていうプエルトリコ料理の定番と、タロイモとかヤムイモの揚げ物料理を頂いた。

その後、プエルトリコ料理の店というのには、2回くらい行ったのだが、どこに行ってもイモの揚げたのが出てくるのは免れないようだった。
おイモもいろいろあって「こういうイモもあるんだぁ」という驚きもある。

そして、そこに必ずソースとしてついてくるのがサウザンアイランドドレッシングだ。
イモでも、焼き魚でも、何でもこのソースをつけて食べるのだ。

別の日に行ったプエルトリコ料理の店では、クラフトの市販のサウザンアイランド(写真中央)に加え、
にんにくを大量に加えた自家製サウザン(写真左)も用意している始末。
ちなみに自家製の方がおいしい。

プエルトリコ料理というのもいろいろあって、もっと高級なやつはいいらしいのだが、
私たちは「庶民の食するものを食すべき」というモットーの下(シャレではない)、庶民料理ばかり食べたからイモとサウザンアイランドばかりだったのかもしれない。

3) バカルディ工場見学

先に食べ物関係を終わらせてしまう。
最終日には、バカルディの工場に見学に行った。
酒好きの私が、行かないわけには行かない、プエルトリコの観光名所である。

要点を言うと、バカルディの醸造・蒸留工程などは全く見せてもらえないので、ワイナリー()やスコッチの蒸留所()や、サントリーの工場に見学に行ったような面白さは全く無い。
バカルディ社の歴史とか、バカルディを使ったカクテル作成の実演など、基本的にはマーケティング要素ばかりの見学になる。
メインは試飲とお土産やさん、って感じだ。
それでも、雰囲気は伝わってくるし、歴史もそれなりに面白いし、試飲はタダで2杯まで何でも飲めるし、お土産やでは希少なバカルディグッズが格安で手に入るので、押さえるべき観光名所のひとつ。

右の赤い建物がお土産やさん、左の空洞が試飲バーカウンターである。

このバーカウンターでは、バカルディそのままやバカルディを使ったカクテルなどが2杯まで試飲無料。
私は1-2本はバカルディを買って帰る予定だったので、バカルディセレクトとバカルディ8年を2杯ストレートで試飲した。
結局セレクトが濃密な黒糖のような香ばしさと甘い香りで気に入ったので、2,3本土産用に購入。
友人は、モヒートとキューバリブレを飲んでいた。

キューバリブレは、ペプシやハバナクラブを使ってはならず、コカコーラ+バカルディでないと、キューバリブレって呼ばないんだってさ(笑)
じゃあ、ハバナクラブやペプシを使うとどうなるかというと、「ラム・コーク」だそうだ。
なるほど。

記念写真用に、大量のバカルディが並んでいる。
当然、私も有名なセクシーポーズで取りましたよ。
しかし本人が余りセクシーでないため、フラッシュ焚きそびれた写真をご提供で。

4) プエルトリコは酒税が安い

米国の州の多くは、ハードリカーの酒税が高いところが多いのだが、プエルトリコはほとんどタダらしく、非常にお酒が安い。
バカルディも、マサチューセッツなら20ドル、カリフォルニアなら15ドルが相場だと思うが、工場では一本9ドルで売っている。
だから一ケースとかドカ買いしてる人も結構いた。
あれを飛行機で持って帰るのか。がんばるなあ・・・。

それ以外にも、空港でかなり色んなお酒が安く売っている。
私が驚いたのはこれかなあ。
ドンペリの2000年ビンテージ、135ドル(約12,000円)。
もちろん、中身が壊れてる可能性は否定できませんけれども。

5) オールド・サンフアンの街並み

さて、料理の話はともかく、オールド・サンフアンの街並みがとてもきれいなので、それもここで紹介。
オールド・サン・フアンの街は、かつてスペイン領だった頃、外敵から守るため、美しい城壁に囲まれている。
その城壁がところどころ残っていて、国道を走っていると見えるわけで、なんともアトランチックな雰囲気を醸し出している。
雰囲気的には、イギリスのウェールズ地方やスペインの古い街の城壁に囲まれた街を髣髴とさせる。

街には、見学可能な城壁が二つあって、そのうち、Castillo San Cristobal (カスティージョ・サンクリストバル)の方に行った。
城壁から海を見下ろす風景。

オールドサンフアンは、城壁以外にも、コロニアルな建物が素敵な街だ。
これは町の中心部で、市の関係の建物らしい。

旧市街の中心部にある、公園の風景。

街を歩くときは、市営の駐車場に駐車するのが良い。
大体3時間で5-8ドルが相場だ。

次回は、プエルトリコの大自然について書きます。→ プエルトリコ紀行(2) -リゾートホテルと滝と夜光虫と大自然

 

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チアパスの先住民の村を訪ねる:チャムーラとシナカンタン-メキシコ旅行(17)

2009-04-14 07:49:45 | ●メキシコ・中南米

チアパスの先住民を訪ねるツアーは、どこのツアー会社に頼んでも、
結局チャムーラとシナカンタンという二つの村をバスで訪ねるものになる。

チアパス州はメキシコで最も貧しい州のひとつと言われる。
先住民の村を訪ねるツアーは、この州の大きな観光資源のひとつなのだ。

春休み前のこの時期、わざわざ内陸のサンクリストバル・ラスカサスまでやってくるお客は少ないようで、ツアーに参加していたのは10名ほどだった。
メキシコの大学に研究で来ているというアメリカ人の女性3名と、あとは英語の通じないフランス人カップル、
メキシコ人カップル、そしてアメリカ人の子供連れの家族。

■チャムーラ村

サンクリストバル・ラスカサスから車で30分以上走ったところに、ようやく現れるチャムーラ村は、
キリスト教と土着の宗教がミックスした、とても独特の文化を持っている。
このトーテムポールが、まさにそれを物語っている。

村に着くと、ツアーガイドの青年が、なにやら怪しい店に全員を連れて行く。
そこには、いろんな種類の「Posh(ポッシュ)」というお酒が売っている。
薬草をテキーラに漬け込んで作るらしく、変わったにおいがする。
そのお酒は、体を清めるためのお酒で、教会に行く前に、皆が飲むものだそうだ。

ものすごいアルコール度数の高い酒で、すぐに酔っ払う。
なるほど、この酩酊した状態で、儀式を執り行うのか。
別に観光客は飲まなくてもいいのだが、世界中の酒を飲むのが好きな私は当然飲む。しかも2杯。

これが広場にある教会。
この村では、人々が「ものに魂が宿る」と信じており、更に「写真を撮ると魂が取られる」と真面目に信じているので、
余りむやみにカメラを向けてはいけない。
写真を撮るときは、撮っていいか、といちいち尋ねるのがコツである。

教会の中は、異世界だった。
たくさんのろうそくがちりばめられており、とても暑い。
床には藁がしいてあり、服を頭までかぶった女性がたくさん床に座って、なにやら怪しげな祈祷を行っている。
そして、色んな薬草などを燃やしているのか、独特のにおいがする。
それぞれの女性の前に、信者がひざまずいて座っている。
みんな、さっきの強いお酒を飲んでいるので、この暑くて独特のにおいの中では、トランス状態だ。
これは、本当に怪しい。
写真厳禁なので、写真はないのだが、ずっといると、自分もおかしくなりそうなので、外に出てきた。

外に出ると、ツアーガイドの青年がいて、彼と立ち話をする。
この村出身の青年なのだが、実はスゴイ人だった。
チャムーラ村の学校を一番優等で卒業したので、州の奨学金が出ることになり、それでアメリカに留学したのだそうだ。
アメリカに留学した彼は、初めて、メキシコという国がどのような財政状況に置かれ、
その中で、チアパス、そしてチャムーラという村がどのような立場に置かれているかをまざまざと知る。
何故、自分の村はこんなに貧しいのか、1994年に大変だったのはメキシコ危機の影響だったこと。
結局チャムーラの村が、国の援助を受けずに自立するには、観光の促進しかないと考えた彼は、地元に戻って、ツアーガイドの会社をやっているのだ。

広場の真ん中では、民族衣装を着た女性がたくさん並んでいる。

これは何?とガイドさんに聞くと、実は国の政策で、チャムーラ村における女性の立場向上のため、女性にだけ、政府の補助金でお金が配られるという話だった。
要は、国のお金で、女性にへそくりを提供するということらしい。
そんなことをしても、結局家計に吸収されてしまって、女性の立場向上とは何の関係もないのだけど、とツアーガイドは履き捨てるように言った。

暇なので、市場の方に行ってみた。
市場はかなりの人でにぎわっている。

トマト、ホワイト玉ねぎ、アボガド(グワカモレ)、唐辛子・・・。
貧しい街だけれど、食生活は豊かなのだな、と思わせる。

こんな内陸の地だから、鮮魚はないのだが、あらゆる種類の干し魚がある。
そんなものが、日本以外の国にあるなんて知らなかったから、これは驚いた。

しばらく市場を楽しんだ後、自由散策の時間が終わり、バスに戻る。
次のシナカンタン村へ出発だ。

途中、川で洗濯する女たちがいる、こんな光景が。
本当に貧しいんだな、と思った。

■シナカンタン村

シナカンタン村は、交易中心で特産品も何もないチャムーラと違い、色んな工芸品を作っていることで有名なところだ。
観光客向けに、伝統工芸品を作っているところを見せる、小さな一角があり、そこを訪ねた。

色とりどりの美しい織物。
全て手織りで、ここで買うと、500ドルみたいな法外な価格を取られる。
(それでも買っていく金持ちアメリカ人がたまーにおり、そういう人たちが彼等の生活を支えてるわけだ)

実際に織っているところを見学。昔ながらの機織をつかう。
向こうにいるのは、織物に、さらに刺繍を施す人たち。
ひとつの織物を織るのに、1ヶ月近くかかるそうだ。

本当に、こういうのを見ると、資本を投下して織機でも買えば、もっと大量に生産できるのに・・
などと思うが、こういうのは大量生産したら、価値を失ってしまうのだろう。
ここで手織りで織っているから、500ドルの価値があるのだ。

別の家の中では、ここの特産の緑色のとうもろこしを使った、トルティーヤをいただいた。

とうもろこしの粉を少量の水で練った生地を、丸く広げる。
広げるときは、なにやらビニールのようなものを使っている。
これが便利らしい。

そして、それを釜の上で焼く。
ちょっと不衛生な感じはするが、焼いているので大丈夫と言うことだろう。

近くに見えるのが、その緑や赤紫のとうもろこし。

ガイドさんが、そのトルティーヤに、地元のトマトや玉ねぎを使ったサルサソース、アボガド、
ヒヨコマメ、そして、ヤギの乳から作ったカッテージチーズなどをはさんで、我々に振舞ってくれる。

おなかが空いていたせいもあって、とても美味しかったから、つい二つも頂いてしまった。
そして、ここにもポッシュが・・・。
いろんな種類の果物をテキーラに漬け込んで作っているようで、いろんな種類がある。
2,3種類試す。

正直テキーラを何杯もショットで飲んでいるようなものなので、2,3杯も飲むと酔っ払う。

先住民のツアーは不思議なツアーだった。
この現代に、こんな風に伝統の宗教や、生活を守って暮らしている人たちがいるのか、というのを
実際に見るのは驚きで、まるでタイムスリップしたような気分になる。

(メキシコ旅行の記事はとりあえずここで終わりです。読んでくれて有難う!)

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高原都市サンクリストバル・ラスカサスの朝-メキシコ旅行(16)

2009-04-14 07:18:07 | ●メキシコ・中南米

2009年4月に途中で終了していたメキシコ旅行記を再開(2010年4月)。
流石に1年前のことなので、記憶が曖昧だけれど、色々なことを忘れないうちに書きとめるため。

前日夜11時にパレンケを出発したバスが、サンクリストバル・ラスカサスに到着したのは午前4時だった。
とても眠い。しかも信じられないほど寒い。
厚手のスキーウェアを着ているのに、まるでボストンに帰ったような寒さだ。
しかもおなかが空きすぎて気分が悪いが、午前4時ではどこも店はやっていない。

午後6時頃になり、ようやくバス乗り場の売店が開き、お菓子を購入。

これ・・・。
アメリカでは良く売られているポテトチップス、Laysそのままなんですけど・・・。
パクリ?(後で調べたらLaysのメキシコバージョンだった)
しかも、Clone Warsって何?おまけまでStar Warsのパクリですか?

食べているうちに、少しずつおなかが空いて気持ちが悪いのは直ってきて、更に空も明るくなってくる。
バスターミナルの旅行代理店も店を開けたので、そこに行って早速「先住民の村を訪ねるツアー」を申し込み、
荷物も預かってもらった。

身軽になったので、早速街歩きに乗り出す。
朝早いので、まだ歩いている人は少ない。

サンクリストバル・ラスカサスのバスターミナルは、町の一番南の端っこにあるので、
街の中心部に行くには、そこから北上していく感じになる。
この写真のあたりは、まだ街の中でも余り栄えていない部分だ。

10分くらい歩くと、漸く街の南側の公園にたどり着く。
まだソカロではないのだが、樹もたくさん植わっていて、道も広くてきれいになってくる。

このあたりでホテルを探すことにする。
ふと入った脇の道が朝の太陽に照らされてとてもキレイだったので、ふらっと入る。

結局この道沿いにあるホテルのひとつと交渉して、入ることにした。

「先住民ツアー」まではまだ時間があるので、公園のそばのカフェに入ってゆっくりすることに。
サンクリストバル・ラスカサスは、高原だけあって朝はとても寒いけれど、町並みが美しく、落ち着きがある。
南ヨーロッパ風のたたずまいがありながら、家はカラフルに塗り分けられてメキシコらしい。
メキシコで最も貧しい州のひとつであるチアパス州とは思えない、美しさだ。

入ったカフェの中。

朝の日差しが程よく入る、吹き抜けのカフェには、最初お客は我々だけだったが、
だんだん欧米人の観光客を中心に、席が埋まってきた。

ここでLonely Planetと地球の歩き方を読みながら、旅の計画を立てる。

頂いたのは、カプチーノとケーキ。
ケーキはとても甘くて食べきれないのだが、カプチーノは美味しかった。
そう、サンクリストバル・ラスカサスはコーヒーでも有名なところなのだ。

カフェで2時間ほどゆっくりして、約束の10時が近くなってきたので、またバスターミナルまで戻る。

次の記事→ チアパスの先住民の村を訪ねる:チャムーラとシナカンタン-メキシコ旅行(17)

 

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炎のカクテルとパレンケの町-メキシコ旅行(15)

2009-04-11 23:50:12 | ●メキシコ・中南米

ヤシュチラン・ボナンパックのツアーを終えて、バスがパレンケに着く。
ADOのバスターミナルで降ろしてもらい、今夜のサンクリストバル・ラス・カサス行きのチケットを買う。

ツアーで仲良くなった、ワシントン州で農場を営むおじいさんとしばし話をして、別れる。
ワシントン州に遊びに来たときは、ウチに泊まりに来なさい、と名刺を頂く。

パレンケは本当に小さな田舎町だ。
街のはじからはじまで歩いて10分かからない。
観光客の目を向けさせる面白いものも何もない。

ツアーで出会ったヨーロッパ人の観光客が、
「パレンケは本当に街としては何も無い、汚い街だ。」と忌み嫌っていたけど、嫌われる理由もなんとなく分かる。
文化的背景を何も感じさせないのだ。
エキゾティックな街の趣とか、遺跡をほうふつとさせるかけらとかは、何にも無い。

CD屋さんから大音量で曲が流れ、レストランも安い鶏肉をビールと提供するような小汚い店ばかり。
服屋さんもも変にアメリカナイズされた安物の既製品ばかりで、伝統工芸っぽいものを売っている店は無い。
ただの発展途上国の田舎町なのだ。

だけど、私はなんとなくこの町が気に入った。
こここそ、「人が生きてる」って感じがするのだ。

観光に従事する人たちと、その人たちに食事や買い物を提供して仕事をしている人たち。
ツアーバスが朝6時から走っているような街だから、人々の生活は朝早く夜早い。
みんな、規則正しいまじめな生活をしている。
そうやって稼いだお金で、大音量で最新のヒット曲が流れる店でCDを買い、安物の既製品の服を買って、おしゃれしてるんだ。
そういう、この街の経済が端々から見えてきて、とても面白いと思った。

ソカロの中央の石段に座って、しばし街を見回す。
それから、ソカロのそばにある、この街では高級レストランに分類されると思われるレストランに入ることにした。

お、何かバーカウンターがちゃんとしてる。
中にいるのは、白人の観光客ばかり。

料理の値段は、一皿100ペソ(650円)くらいなので、この街の物価を考えれば高い方。
昨日入った店では60ペソ(400円)くらいだった。
まあ全体的にとても安いけどね…

パレンケでは川魚のティラピアが美味しいことが分かっているので、またティラピアを頼む。
ライムをふんだんにかけて、ビールで頂く。
ビールはボヘミア・オブスキュア、というメキシコにしてはちょっと濃い目の黒ビール。

店員さんのお勧めで、デザートは「クカラッチャ」というカクテルを頼むことにした。
あ、どっかで見たことがある、青い炎を上げるカクテルだ。

グラスにはテキーラ。
ブランデーグラスに入っているのはカルーア(コーヒーリキュール)。
それから炭酸飲料。

まず、金属のカップにカルーアを移し、ライターでよく熱する。
するとリキュールに青い火がつく。

おおお、美しい。。

熱した別の金属の器に、火がついたカルーアを移しかえる。
まるで青い炎が注がれているみたいで、きれい。

また移しかえる。
最後に、テキーラが入っているグラスに、このカルーアを移し、炭酸を入れる。
何も起こらない。

店員さんが、グラスを手で押さえて、振動を与えると、3つの液体が一気に混ざって、泡がばっと出る。

めまぐるしい一瞬のわざなので、写真におさめることが出来なかった。
最後はこんな感じ。

素晴らしいパフォーマンスに興奮し、それだけで美味しい気がするが、味は普通。
ただ、コーヒーリキュールに炭酸を混ぜたことは無いので、新鮮な感じ。

いやー、でもあまりにもパフォーマンスがすごいので、是非機会があったら「クカラッチャ」頼むことをお勧めします。

最後に、テキーラを頂く。
(まだ飲むのか)

メキシコで有名でアメリカでは飲めないテキーラが飲みたい、といったら、
1800とDon Julioが出てきた。
どちらも、熟成期間がもっとも長いAnejo(アニエホ)だ。

色がちょっとちがう。
薄いほうが1800のAnejoで、濃いほうがDon JulioのAnejoだ。

すっかり酔っ払って、チップもいっぱいあげて、レストランをさよならした。
11時発のサン・クリストバル・ラス・カサス行きの夜行バスに乗り込むためだ。

次の記事は→ 高原都市サンクリストバル・ラスカサスの朝-メキシコ旅行(16)

 

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彩色の壁画と吠え猿のボナンパック-メキシコ旅行(14)

2009-04-11 10:37:33 | ●メキシコ・中南米

メキシコ旅行、これだけ書いてまだ半分の日程も終わってないのは、ちょっと書きすぎなんじゃないか、という気もする。
が、まあいいや。

旅行の話だけだと間延びするんで、間にMBA生活の話を挟みながらお送りします。

Yaxchilan遺跡を見終わり、レストランで食事をした後、一同はBonambac(ボナンパック)遺跡に向かう。
途中でマイクロバスを降り、現地人の別の男が運転する車に乗り換える。
どうやら、このあたりは運転手やガイドの縄張りがあるらしく、遺跡に近づくには縄張りの人の車に載らないと行けないようだ。

ほとんど舗装されてない、がたがた揺れる道を30分ほど走って到着。
ボナンパック遺跡は小さいので、滞在時間は50分ほど。
4時5分に帰って来い、とスペイン語で言われて、自由解散。

入り口から少し歩くと、交差点というべきかわからないが、草ばかりの別の道と交差している

この広大な草っ原の向こうには何があるのだろう。
ちょっとわくわくしてくる光景だ。

しばらく歩くと、遺跡のあるグラン・パレスが見えてきた。

グラン・パレスから見た神殿。
ボナンパックはこの大きな神殿と、2,3の小さい遺跡が残っているのみ。
この神殿の中に発見された彩色絵画が、この遺跡の売り物だ。

グラン・パレスを覆う草原の草の緑が美しい。

神殿に向かう階段はかなり急だが、よく整備されている。
体を斜めにして登るとそんなに怖くはない。

神殿の前にあるレリーフ。

これもメキシコ・シティの国立博物館に略奪されずに(笑)、ちゃんと遺跡内に残ってくれている。
体は男の体をしているが、魚のような目と口、鳥のような大きなトサカがついた面をしている。
説明が無いのでわからないけど、これは何かの神様の像なのだろうか?

ヤシュチラン・ボナンパックはどちらも遺跡の重要文化財の残存率が高く、遺跡内で楽しめるのが良い。

これが、有名な神殿内の彩色絵画。
美しく着飾った男たちが、マラカスのようなものを持って並んでいる。
いったいどんな顔料で色をつけたのだろう。
赤、だいだい、黄色、緑、青。すごくカラフル。

神殿の外にある、別のレリーフ跡。
何か表面が炭化してるんだけど。。

遺跡の周りのジャングルの森からは、「ふぉぉぉっー、ふぉぉぉっ-(↑)」
という動物の鳴き声が聞こえる。
地元では吠え猿、またはイエローモンキーといわれている、猿の一種らしい。
イエローモンキーっていうと、そういう名前のバンドがいたよね。

この森のどこかにいるんだけど。。
声のするほうを目を凝らして探すんだけど、見つからない。

代わりにきれいな赤いオウムみたいな鳥を発見した。
そういえば、このあたりって、野生でオウムが普通にいるのでびっくりする。
日本でもアメリカでも鳥かごの中でしか見たことが無いからね、遺伝的に作られた観賞用だとなんとなく思っていたよ。

1時間はあっという間に過ぎ、車に戻る。
帰りは行きよりもずっと早くて、3時間もしないでパレンケに到着。

このパレンケの二日間は本当に楽しかった。
思いっきり非日常を楽しんだ感じ。
特に秘境好きにはおススメ。

次の記事→炎のカクテルとパレンケの町-メキシコ旅行(15)

 

楽しかったパレンケの二日間ももうすぐ終わり。夜行バスでサンクリストバルに行きます。クリックして応援してください!


グアテマラ国境のヤシュチランへ-メキシコ旅行(13)

2009-04-08 12:37:46 | ●メキシコ・中南米

このエントリは、このブログで最多の写真を使うことになるかも。
ヤシュチラン遺跡に行けたのは本当に素晴らしい経験で、写真を選ぶのに相当苦労した。
今回のメキシコ旅行で一番、心が躍る旅だったと思う。

Palenqueの町から、Yaxchilan(ヤシュチラン)遺跡とBonanpac(ボナンパック)遺跡へのツアーが出ているが、町を出るのは何と朝6時と早い。
どちらもグアテマラとの国境近くにあり、国境近くの川に着くまで車で4時間。
更にYaxchilanに行くにはボートで1時間近く河をさかのぼる必要があるのだ。

今回のツアー参加者は、アメリカはワシントン州で農場を経営しているというおじいさん、メキシコ出身で一人旅が大好きなおばちゃん、フランス人のインターセクシャルのカップル、30代後半と思われる日本人の男の人一人と私。
加えて、グアテマラのフローレスに行くという人たちが乗っていて、小さなマイクロバスがひしめき合っている。

アメリカ人のおじいさんとメキシコのおばちゃんとは一緒に遺跡も見て回ったうえ、いろんな情報交換をして、とても仲良くなった。

早朝の車からの風景。
なんとなく、ケニアとかタンザニアっぽい。

こうやって見ると、低木が多く、確かにこの地域がサバナ気候(Aw)なんだっていうのがわかる。
ただ場所によっては熱帯雨林がうっそうと茂っているところもあるので、マイクロに気候が違うんだろうね。

8時半くらいだろうか、朝食を食べる場所、というのに到着。
ブッフェ形式なので、絞りたてのオレンジジュース、炒めご飯に黒豆の煮たものをかけたものを頂く。
メキシコに来て発見したことの一つが、この地域で出てくる黒豆って本当に美味しい、ということ。
どんな料理にも付け合せで出てくる、この豆が、とても旨みがあって、いくらでも食べられるのだ。

10時過ぎに、バスは川岸に到着。
ここからボートに乗って川上り。
ついにYaxchilan遺跡。

ちなみに、今まさに船に乗り込まんとしている黄色い服の人がメキシコ人のおばちゃん。
おばちゃんはとってもチャレンジャーで、常にいろんなことに最初に挑戦するのである。
右側にいるのが、アメリカ人のおじいさんとフランス人のカップル。

船だけ見ると、ベトナムやタイの光景を思い出す。
チャオプラヤ川を下る船のツアーみたいな感じ。

ところが実際に河を登り始めてみると、景色が東南アジアのそれとはまったく違ってきた。

またマニアックな話になるけど。
東南アジアはモンスーン気候(Am)で、生えている木々がもっとこんもりとしたものが多く、濃い緑色なのに対し、ここはやっぱりサバナ気候(Aw)なんだとおもう。
木の形を見ても、逆三角形で枝が上側に広がっているものが多いし、色も濃い緑から薄い若草色まで多種多様だ。
このあたりのカラフルさがサバナ気候っぽいと思う。

次々に変わる美しい景色に興奮して、船がどんなに揺れても船酔いなどまったく感じないほどだった。
ボートに乗っていた45分がいつの間にか経っていた。

ボートがヤシュチランに到着。
ここもまた、水の青、木の緑が多種多様で美しい光景。
ほんと、絵を描きたくなってくる。

じゃーん、ヤシュチランの地図です。

自由時間2時間のうち行けたのは、写真の黄色いエリアのところだけ。
本当はグラン・プラザからしばらく歩いたところに衛星のようにぽつんと存在する遺跡にも行きたかったんだけど、時間切れでだめだった。
また来よう。(っていつ?)

まずは最初の目的地、Manuna Acropolisへ。
ジャングルの中、階段を登っていく。

うっそうとした茂み。
屋久島や西表島のジャングルツアーを思い出す。

約5分ほどでAcropolisへ到着。
茂みの司会が開けたと思うと、大きな遺跡が突如現れる。
すごい、まさにジャングルの中に遺跡を発掘したような気分。

まずは階段を登る。
階段も上りやすく修復されている。

一番上まで上がると、Palenqueのときみたいに、天井がなく、壁の跡だけところどころ残っているところがたくさんある。
どんな建物だったのだろう、と想像力が膨らむ。
写真を取りまくる。

建物の中に段差があり、階段のようなものでつながっているところ。
小さく仕切られた部屋の跡。
通路のようなところ。
扉の跡。
載せるときりがないので写真は載せないけど、想像力を掻きたてられるところ、逐一写真を取って楽しむ。

どうやら、ここでちょっと時間を使いすぎてしまったようだ。

山道をまた降りていき、グラン・パレスのほうへ向かう。

このあたりからメキシコ人のおばちゃんと一緒に行動。
おばちゃんはスペイン語しか話せず、私は片言のスペイン語と英語をしゃべれるので、それを使って、残りは手振り身振りで話す。

グラン・パレスに着くと、大きな建物が行く手をさえぎった。
どこから向こうに抜けるのだろう、と思っていると、おばちゃんが、この通路を通っていくんだ、と建物に通じるくらい通路を指差す。

本当か?と思いながらおばちゃんに付いて行く。
途中、真っ暗で何も見えないところを通るが、少し行くと前方に光が見えてくる。

おばちゃん、正解でした。

どうやらこのおばちゃんは(そういえば私は名前も知らずに会話していた)、ヤシュチラン遺跡に来るのは今回で2回目だそうだ。

通路を抜けて、グラン・パレス側から取った建物の写真がこれ。

たくさんの扉で出来た、神殿のようだ。

建物の裏側に回ると、まさに今遺跡の発掘作業をしている人たちがいた。
遺跡の石組の上の草や土を払っているところ。

遺跡の一部が、表面に出始めているのがわかる。

これから、学者が来て、発掘作業を進め、石組みの崩れたところは修復したりして行くのだろう。
Palenqueにせよ、Yaxchilanにせよ、遺跡自体が発見されたのは遠い昔のことなのに、まだ発掘中の建物がたくさんある。
なんて気の遠くなるような作業なんだろう。
私が死ぬまでに、発掘が終了するんだろうか、と思った。

こちらはグラン・パレス側にあって、最近発掘されたばかりの遺跡。
名前はまだない。

グラン・パレスの眺め。
美しい緑と空の青。

おっと、きれいなトカゲを発見。
腹の色が青いのだ。
こんなきれいな色のトカゲ、はじめてみた。

グラン・パレスの中央から、来た道を振り返る。

先ほどの建物が小さく、生い茂る高い木々の中に見える。

さらに振り返る。

この風景も、まるで「天空の城ラピュタ」を思い出す。
美しい緑の木々の中に、残る古代の石組みの遺跡。

おばちゃんと一緒に、グランパレスから南側に上ったところにある、建物に行ってみることにする。

険しい階段をしばらく登る。
おばちゃんは40代くらいに見えるが、結構元気で、わりとひょいひょいと登っていく。

上りきったところにある建物がこれ。

上部のレリーフと、空高くそびえる屋上の格子状の壁に圧倒される。
本当にマヤ遺跡に来たーって感じで、心がどきどきしてくるのがわかる。

実はこの屋上の壁は一部で、当時はこれよりも高く壁が聳え立っていたらしい。
いったいこの格子状の壁は何のためにあったのだろう。
何のためにそんなに高い壁を作ったのだろう。

しばらく建物を見た後、またグラン・パレスに降りていき、パレス周辺の建物やレリーフを見る。

このレリーフはグランパレスに面した小さな建物の中に展示されているもの。

裏側の保存状態が特によく、鏡を使ってみることが出来る。

グランパレス北側の小さな建物。

気がつくと、グランパレス中央部では、なにやら怪しい儀式が始まっていた。
みんな白装束で、ペットボトルの水を使ってなにやら唱えており、大変怪しい。

最初は何かの新興宗教だろうか、と遠巻きに眺めていたが、どうやら観光客に当時のマヤの儀式をついた意見させるためのものとわかり、安心して近づく。

写真を撮っていいか、と聞くと、どうぞ、といわれたので、とりあえず一枚取ってみる。

こんな感じで、緑に埋もれ、想像力をかきたてる石組みの遺跡を見ているうちに、あっという間に2時間が経ってしまった。
本当に美しい景色で、ここに張った写真にも納まりきらないほどだった。
もっと長い時間居たかった。

名残惜しくも、Yaxchilanを去る。
上陸したのと
同じ場所から、ボートが出る。

帰りも、行きと同じジャングルの中の川を下りながら、バスが止まった場所へと急ぐ。
次々と移り変わる景色にまったく飽きることがなく、自然の色と表情に感心してはシャッターを押し続ける。

帰りは下りなので、行きよりも早く、30分程度で元の船着場へと到着する。

そこからツアーのおじさんが、車で30分くらいのところにある、レストランへと連れて行ってくれた。
このレストランはおじさんの秘蔵っ子だという。

屋根の作りも、テーブルクロスもしゃれていて、とても田舎のレストランとは思えない。
料理の味もなかなか洗練されていて(もちろん都会の洗練度とは比べ物にならないけど)
美味しかった。

まだYaxchilanの興奮が冷めやらぬまま、バスは次の目的地ボナンパックへと進む

次の記事→ 彩色の壁画と吠え猿のボナンパック-メキシコ旅行(14)

 

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アグア・アズルの滝-メキシコ旅行(12)

2009-04-07 22:02:23 | ●メキシコ・中南米

Palenqueからの滝ツアーは通常、Agua Azul(アグア・アズル)とMisol-Ha(ミソルハ)の両方を訪れるセットなのだが、今回Misol-Haが工事中で行けなかった。
その代わり、Agua Azulで長い時間遊べる、というもので、パレンケ遺跡とあわせて100ペソに値下げされていた。
「歩き方」には150ペソと書いてあるので安いよね。

Agua Azulまでの道のりは長い。
直線距離では70kmも離れていないが、道路状況が悪いので、マイクロバスで2時間くらいかかった。

途中、昨日書いたような貧しい村をいくつか通る。
村の道路には車がスピードを落とすためのBumpが複数あって、そこを通るたびに車が激しく振動する。
後部座席の人はたまったもんじゃない。

村では、女子供、時には男たちが道路沿いに座ってこちらを見ている。
車がちょっとでも止まると、子供たちが物を売りにやってくる。
焼きバナナ、タマレス、
トルティーヤのお菓子みたいなもの、マヤ暦のキーホルダーなどなど。

正直、治安の面は「歩き方」に書いてあるほど昼間は悪くない。
ただツアーでなく普通のミニバスに乗ると、恐らく停車するたびに子供の物売りがまとわりついてくるので、それを避ける意味でもツアーでよかったと思う。

それにしても、子供たちはせっせと物を売って働いているのに、この道路沿いでただ群れている男たちはなにをやっているんだろう?
地道に農業をやるより、国からの
援助や、女子供が観光客に物を売るほうが楽に稼げるから働くのをやめてしまった、良くある途上国の悪弊か。

滝に着いた。
まずは滝のそばのレストランで腹ごしらえ。
そこにもいろんな子供たちが物を売りに来る。
その隣で、レストランのオーナーの子供たちと思われる子達が、楽しそうにおもちゃで遊んでいる。
こんな小さな村でも(だから?)、子供たちの運命は親の財産と才覚によって決まるのだな。

ひゃっほー、結構大きな滝だ。

着替えてる観光客や水着も多いので写真は取らなかったけど、たくさんの人が水着で泳いでいる。

このあたりは水が深くて(恐らく水深3,4メートル?)流れが速く、泳いでいる人は少ない。
私は実は学生までは水泳選手で、泳ぐのは得意。
このあたりの人がいないところでぱちゃぱちゃと流れに逆らいながら遊んだ。

とはいえ、夜行バスで来て疲れているので、無理はせず早めにあがる。

水は最初冷たいのだが、入っているうちに慣れてくる。

着替えて、河を更に上に登っていくと、更なる滝が現れる。

下流を見渡す。
水の青、空の青、山の青がそれぞれの色あいをみせる。

絶景かな。

水の青の微妙な色合い、山の緑の色合い。
岩に漱ぐ水、苔むした岩。
見ているうちに久しぶりに絵を描きたい気分になった。

私の母が絵も描く人で、私も大学の頃まではよく描いていたのだが、大学院生になって忙しくなった頃から一切描いてない。
忙しさと余裕のなさで「描こう」という気が起こらなくなってしまったのだ。

「描きたい、描こうかな」と思うのは本当に10年ぶりくらいだろうか。
それでも、実際に描く時間は忙しいMBA生活にはないんだけどね…
でもそう思える心の余裕が出てきたていうのはすばらしいことだ。

アメリカにいる間に、絵描き旅行でもしようかな、と思った。

次の記事→グアテマラ国境のヤシュチランへ-メキシコ旅行(13)

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ザパティスタ解放軍のおみやげ-メキシコ旅行(11)

2009-04-07 10:31:39 | ●メキシコ・中南米

パレンケがあるチアパス州は、メキシコでもっとも貧しい州だといわれている。
先住民の割合が多く、その多くが農業など第一次産業に従事している。
パレンケの町じたいはただの田舎町の様相だが、ちょっと離れたところにある村を通ると、本当に貧しいのがわかる。
掘っ立て小屋を崩したような、こんなところに人が住めるのか、というところに人が住んでいる。
たくさんの人が道路沿いに立って、ただずっと道路を見ている。
遺跡でも、ほんの6,7歳の子供たちが、石を削って、マヤ暦のキーホルダーを作って売っている。

1994年、北米自由貿易協定(NAFTA)が結ばれたのをきっかけに、先住民の生活を守るべく立ち上がったのがザパティスタ人民解放軍(Ejército Zapatista de Liberación Nacional, 通称EZLN)だった。

余談だが、90年代は、アメリカの共和党政権の、農業を中心とした貿易自由協定の嵐が吹きまくり、日本もだいぶ被害をこうむった。
今でも思い出すと頭にくるが、当時日本勢が隆盛を誇っていた、半導体やスーパーコンピュータなどの分野で、実質輸出制限を課せられる一方、アメリカの農作物を輸入させられるという、かなり不平等な自由協定だった。
(一方で、誰かのお膝元のこんにゃくいもは関税11倍を死守するなどという馬鹿みたいな話もあった。今でもこんにゃくいもは11倍のまま、そして自給率は100%なんじゃなかろうか)
余談終わり。

メキシコもその嵐の中、アメリカとの貿易自由協定を結んだ。
それは当然、メキシコの農業、とりわけチアパス州のような人口の大部分が先住民で、農業に携わっているような地域には大打撃を与えた。
Zapatistaは、先住民の権利を守るべく立ち上がった、人々のヒーローだったわけだ。

あれから15年が経ち、ザパティスタの評価もだいぶ変わってきた。
最初こそ、ただのゲリラやテロではない、懐柔作戦も取れる、真に先住民のことを考えている団体、と言う評価だったけど。
チアパスでは今でも人気なのかな、と私たちは思ってたが、お膝元のサンクリストバル・ラスカサスに行った時、そうでもないことを発見した。
メキシコ政府も先住民に対してだいぶ寛容な政策を取るようになり、支持者が少なくなってきているようである。

それでも観光客にはまだまだ需要があるらしく、お土産やさんに行くと、ザパティスタグッズが色々売っている。

パレンケ遺跡で、まだ7歳にもならないような小さな女の子が店番をしていた。
何ともかわいそうになって、この女の子から小さな財布をお土産に買ってみた。
そこにザパティスタの統領である、覆面をかぶって銃を持つマルコスの人形が売っていたので、写真を撮ってみた。

町で、ザパティスタのかわいいTシャツが売っていたので、いつも個性的なTシャツを着ている友人にお土産として買うことにした。

次の記事→アグア・アズルの滝-メキシコ旅行(12)

 

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ジャングルのマヤ遺跡パレンケ-メキシコ旅行(10)

2009-04-06 20:50:05 | ●メキシコ・中南米

早速朝8時にツアーバスが出発し、パレンケ遺跡へ。
4時間、ガイドなしで遺跡内を自由見学。
思えば、メキシコに着てからガイド付のツアーばかりだったので、初めて自由行動を楽しめる気がする。
私は自由行動が好きなタイプなので、水を得た魚のように遺跡内に駆け込む。

パレンケ遺跡の入り口は、それこそ熱帯の植物園のようだ。
割と人工的に造ってあるところもあるが、背の高い熱帯雨林気候の木々が鬱蒼と茂っているのは見もの。

1. Temple of inscription (碑文の神殿)

入り口を登りきると、広い草原に出る。
そこに、3つのピラミッドが並んでいる。
思わず「うわー、ついに来たー」と叫んでしまいたいような、壮大な眺めだ。

「碑文の神殿」はその中のひとつで、最も大きく、高さ23M。
発見当時に大量のマヤ文字で書かれた碑文が見つかったため、そのように言われるらしい。
今はその中身はメキシコ・シティの博物館にあるらしい。
マヤ遺跡を旅してると、出土品の多くはメキシコ・シティにあって、その場には無いんだよね。しくしく。
いつかは行かねば。

遺跡はだいぶ修復されていて、美しい。
ジャングルの鬱蒼とした森の中に突然こんな大きな建築物が立っているから、余計感動が大きいのかも。

右側に見られる、わらぶき屋根がついた神殿の中には入ることが出来て、ここには、緋の女王の石棺というのがある。

3つのピラミッド(神殿)の奥には、パレンケ遺跡でもっとも有名ともいえる、宮殿の遺跡が見える。
まだ朝8時半なのに、結構な人だ。
中には、昨日バスターミナルでであった「子連れバックパッカー」もいた。
まだ乳のみ子のような小さな子供をお父さんが背負って、バックパックの旅を続けてるってすごい。

それにしても、やっぱりパレンケは規模が大きい。
昨日行ったチチェン・イツァーもいろいろ残っているとは思うけど、パレンケは建物の数、大きさからして圧倒的だ。

2. Palace (宮殿)

この宮殿はすごかった。
下手に修復されてないので、それが余計に想像力を働かせてくれる。

宮殿の下から、天文観測所だとされる塔を望む。
外壁の柱には、一つ一つレリーフが施されているのが見える。
結構保存状態も良い。

急な階段を上っていくと、建物の規模が非常に大きいことがわかり、二度驚く。
遺跡の石の間に少しずつ草も生えていて、「天空の城ラピュタ」を思い出す。
卓越した天体観測技術や、宇宙船のようなものが描かれている、というところも「滅びた科学文明」って感じがするよね。
宮崎駿もこういうところから着想を得てつくったんだろうね。

こちらが、その天体観測所だと思われている建物。

この建物の下側の、石が朽ちはじめているあたりが好き。

こうやって、かつて建物の壁だったりしたところがところどころ残っているところを歩きながら、想像力を膨らませるのが楽しい。
ここが部屋だったんだろうなとか、王は普段どこに住んでいたんだろうか、とか色々想像して楽しむのである。

この遺跡は地下通路だけではなく、地下水路も組まれていたそうだ。
ところどころに水洗トイレ、とされているものが残っている。

これが水洗トイレ、らしい。
この手前の石のところに立って用を足したのかな。

地下通路も多い。
うちひとつで、取った写真。

洞窟のようだけど、天井はちゃんとマヤアーチの特徴を備えている。

入り口から少し離れたところに博物館があり、そこにこの宮殿の復元レプリカがおいてある。
外壁の上部には格子状の建造物が高く積まれていたらしい。

実際に遺跡にいながら、この建物がもともとはこんな壮大な建物だったんだろうな、と想像すると、ちょっとどきどきしてくる。

3. ジャガーの神殿

Lonely Planetにはパレンケ遺跡の詳しい地図が載っており、(「歩き方」には無いのだが)、それによると、碑文の宮殿の裏側に道があり、そこにいくつかの神殿が残っているようである。

早速行ってみることにした。

背の高い溶樹が道を阻む。
溶樹に寄生する木々も、みな亜熱帯のものばかり。

2,3分、ジャングルの中を歩くと、石の表面が赤茶けた建物が見えてくる。

脇の階段を登って、建物の中に入ることが出来る。
中には、地下につながる階段があって、真っ暗なのだが、怖いもの見たさで携帯の液晶の明かりを頼りに、恐る恐る入ってみる。

しかし特に何も無かった。
びくびくしながら地上に戻る。

こんなところまで見に来る観光客は我々くらいしかいないのか、と思っていたら、黄色いシャツを着たラテン系っぽい白人がやってくる。

話してかけてみると、英語がちゃんとしゃべれるので観光客かと思っていたら、彼は実はジモティーで、ツアーガイドをやっているらしい。
親切に、ここから沢に下りる道を教えてくれ、更に沢でザリガニや貝など、パレンケ料理に使われる魚介類を見せてくれた。

沢からイレギュラーな道を通って、南のほうの神殿郡に向かう。

4. 太陽の神殿

南の神殿郡で最初に現れるのがこの建物。
建物上部のレリーフや屋根の上の格子状の壁が美しく残っている。

とりあえず上まで登ってみる。
パレンケは、他の遺跡と違って上まで登れるところが多いので、全部登っているとそれなりに疲れる。

この写真はお隣の高い建造物、十字架の神殿から取った写真。
太陽の神殿を登っても、上部のレリーフや壁は見えないのだが、ここから見るととても綺麗に見える。

太陽の神殿と呼ばれる所以は、内部の壁面に太陽のシンボルである戦いの神(God L)が描かれていたからだという。

5. 十字架の神殿

南の神殿郡でもっとも高い建物。
パレンケ全体で見ても、最も高い建造物なんじゃないかと思う。

この写真も、更に隣にある「葉の十字架の宮殿」という建物から取った写真だけど、そのほうが建物の屋根の上にある格子状の壁などがはっきりと見える。

この階段も全部登って上まで行く。
神殿の中には、タバコを吸うGod Kの姿が。
ちょっとわかりにくいけど、丸い目をした横顔が太い葉巻をくわえ、そこから煙が上下に広がっているのがみえるだろうか。
「歩き方」には「タバコを吸う老人」とか書いてあるけど、これって老人じゃなくて、一応神らしい。
歩き方、たまにいい加減なんだよね。

建物の裏側に回ると、パレンケの壮大な遺跡が一望できる。
宮殿、碑文の神殿、それから今見てきた太陽の神殿など。。
あまりの壮大さにしばし時を忘れてたたずむ。

かなりの量の汗をかいていたので、風が気持ちいい。

6. 葉の十字架の神殿

お次は隣の丘を登ったところにある神殿。
建物の壁の人の形のような穴が特徴的。
この穴は、人だけでなく、とうもろこしの葉っぱをも同時に表現しているらしい。

入り口はマヤアーチの形をしている。

階段は登りきると結構な距離。
かなり疲れる。

7. 北の神殿グループ

中央の宮殿を裏から周り、遺跡の北側へ。
ここには、また階段の配置などが多少違う神殿が3,4つ連なっている。

このあたり、Lonely Planetを見ても特に説明が載っていないので、何に使われていたのかとか、特徴とかすでによくわからない。
建築様式の微妙な違いなどを観察して楽しむ。

これでもか、と思うが一つ一つの神殿の階段をちゃんと上まで上りきる。

8. Group I, II, III

このあたりは「歩き方」にはまったく載っていないが、近年発掘されている遺跡で、まだジャングルに埋もれている。
名前もまだ無い、というか「太陽の神殿」みたいな通称はなく、Templo 42などと呼ばれている。
個々の建物に番号すらついておらず、単にGroup名だけで呼ばれているところもある。

正直、これこそがまさに遺跡!と興奮。
ジャングルの中にありながらも、しっかり部屋の壁の跡とか残っていて、どんな感じの部屋割りだったのかとかわかるじゃない!

この写真は貴族の屋敷だったと考えられているところらしく、大きな土間のような玄関に加えて、複数の部屋の跡がある。
メインと考えられる建物の後方に、水路をはさんで低めの部屋がたくさん並んでいる。
この部屋はなんに使われていたんだろう?
立派な石造りの部屋を馬小屋や従僕の部屋に使うわけ無いだろうから、女性たちの部屋だったとか?
マヤって一応一夫多妻だったらしいからね。

などと、新しい仮説を考えて遊ぶ。

集合時間に近づいてきているので、惜しむらくも去る。
パレンケはこういう周囲の発掘中の遺跡も入れると500以上の建物があるらしいので、私みたいにそういう建物が好きなマニアックな人は1日しっかり時間をかけて見るのが良いのかもしれない。

次に来たときは…っていつだろう、それ(笑)

次の記事→ ザパティスタ解放軍のおみやげ-メキシコ旅行(11)

 

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夜行バスでパレンケへ-メキシコ旅行(9)

2009-04-06 07:53:59 | ●メキシコ・中南米

チチェン・イツァーからホテルに帰ってきたのが夜7時。
本当はこの日の夜もメリダにとまるはずだったのだけど、旅程を変更してサンクリストバル・ラスカサスに行くことにしたので、夜行バスでパレンケに行く。

すでに今晩分の部屋代は払ってあるので、普通にホテルに帰り、シャワーに入る。
一日遺跡を歩き回って、汗だくだったので、部屋が確保されていてラッキーだったな、と思う。

パレンケは、ガイドブックで初めて見たときから、「ここに絶対行きたい」と思っていたところ。
町も小さな田舎町だということなので、Meridaのような都会とは違う真新しさを感じられるだろうと楽しみにしていた。

メリダ発パレンケ行きは、ADOの一等バスが10時に出る。
ターミナルで、日本人の女の子の一人旅のバックパッカーに会う。同じくパレンケに行くらしい。

この旅で日本人の女の子のバックパッカーに会うのは2回目。
ここ数年どこにいっても、日本人バックパッカーは男より女の子のほうが圧倒的に多い気がするのだが、気のせいか?
私の周辺でも、日本人の男は「ちゃんとしたホテルに泊まらないとやだ~」とかひ弱なこと言ってる輩が多く、女のほうが逞しく旅を
しているようだが…
別にバックパッカーの多寡がどうこうってわけじゃないが、大丈夫か、日本人?と一瞬思う。

バスがメリダを出発。
最後に美しいメリダの夜景を拝む。
Meridaは小さな街なので、3日もいると飽きてきたが、こうして一日早く町を出るとなると、それはそれで寂しい。

夜行バスの中は寒い。
いつの間にか寝てしまうと風邪を引く。
ので、ちゃんとした防寒具が必要。
私は、ボストンで飛行機に乗る前着てきたスキー用ジャケットが大活躍。

そうこうしているうちに眠くなり、いつの間にか寝てしまった。

目が覚めると、すでに植生がだいぶ変わっていた。
ユカタン州のメリダ周辺は、ジャングルといっても、サバンナ気候(Aw)らしい
植生で、背の高い木が少なく、低木(Bush)に覆われている感じだった。
乾季と雨季も比較的はっきりとしていて、私が訪れたのは明らかに乾季だった。

が、このチアパス州のパレンケ周辺は、Af(熱帯雨林気候)に近いんじゃないかという植生だ。
背の高い木が多く、うっそうとしている。まさに、ジャングルって感じだ。
WikiによるとここもまだAwらしいんだけどね)

余談だが、私は中高の頃、地理が大好きで、ケッペンの気候区分は当然暗記していた。
旅行をすると、CfbだのDwだのって頭の中でよく駆け巡っている変な子だった。
旅行先で、植生などが本当に違うのを目の当たりにし、気候の違いを考えるのは結構楽しいのである。
余談終わり。

バスがパレンケに着いたのは朝7時近く。
早速明日のボナンパック・ヤシュチラン遺跡のツアー会社と今夜の宿を確保しなければ。
Lonely Planetによると、4,5個のツアー会社が紹介されていたので、片っ端から当たってみる。

まず、バスターミナルの隣にあったツアー会社に入ってみる。
「地球の歩き方」に450ペソ~と書いてあったツアーが、850ペソで提供されており、おっさんが「特別650ペソにまけてあげるよ」と言ってくる。
いや、いくらなんでもそれは高いだろ、と思ったが値段交渉の余地があまりなさそうなので、店を出る。

次の店。
おねえちゃんがちょうど店を開けようとしたところだった。
同じツアーが550ペソ。まあこれくらいなら良いか、ということでDone。
ついでに話を聞くと、パレンケ遺跡とアグス・アズルの滝に連れて行ってくれる一日ツアーが100ペソだというので、申し込むことにした。
パレンケは自分でもいけるが、滝のほうは山賊が出るとかで危険なので出来るだけツアーで行けとどのツアーガイドにも書いてあるのだ。

ホテルもその辺りにあったNikte-haという清潔で安いホテルを確保。
ちゃんとお湯も出る。
1階にインターネットカフェ(カフェは出ないが)がついていて、便利だった。

あとで「歩き方」を見たら、地図に載っていた。
ちなみに外観はこんな感じ。(夜に取った写真)

こういう小さくて安いホテルに泊まると、いよいよ途上国を旅している感じがしてわくわくする。

次の記事→ ジャングルのマヤ遺跡パレンケ-メキシコ旅行(10)

 

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春分のチチェン・イツァー-メキシコ旅行(8)

2009-04-05 11:30:27 | ●メキシコ・中南米

チチェン・イツァーは、遺跡としては観光地化されすぎているところがある。
カンクンからの観光客がひっきりなしにやってくるし、リゾートホテルなんかも近くに多くて
、希少性が薄いというか。
遺跡へのロマンを雰囲気で感じられるようなところは少ない。
でも、建物の種類の多さ、レリーフなどの保存状態のよさはマヤの遺跡群の中でもピカ一。
想像力を働かせれば、観光客が多くても、古代の空間に身をおくことが出来る。

特に今回は、春分。
マヤの蛇の神様ククルカンの影を拝むことが出来る特別な日。

ツアーは、Equinox Tourという、通常のツアーより長く5時頃までチチェンにいることが出来るものがあったので、それで行くことに。
ツアー会社はホテルからUxmalの時と同じ、MAYA HERITAGE。

朝9時にツアーバスがホテルに迎えに来た。
バスはUxmalのときよりずっと大きなバスで、参加者も20組強。

今回のツアーガイドは、若くてエネルギッシュなマヤ人のSamさん。
高校までは純粋にマヤ語ばかりの世界で育ったが、大学に入ってからスペイン語を学び始め、ガイドになって3年目、という。
英語のツアーをやり始めてまだ2年たっていないそうだが、ぺらぺらしゃべっている。
ガイドは資格が必要で、収入も高い、割と社会的地位も高い仕事だ。
ずっとマヤで育ったのに、そういう職業に就けるって言うのは相当の努力と地頭のよさが必要だろうな、と思う。
実際とても頭の回転の速い人で、説明もうまく、面白かった。

Meridaを出発して、約2時間でチチェン・イツァーに到着。
すごい車の数で、駐車場が足りないらしく、離れたところにある駐車場で降りて、そこからシャトルバスに乗せられていくことになった。

1. El Castillo (エル・カスティージョ)

チチェン・イツァーは600年代に作られた旧チチェン・イツァーと10世紀にもう一度ここに遷都してきたときの新チチェン・イツァーの二つの部分に分かれる。
後者は、当時メキシコ高原を支配していたトルテックの影響を強く受けており、より洗練された様式。
まずは新チチェン・イツァーから。

遺跡の入り口から少し歩くと、すぐにチチェン・イツァーを代表する巨大ピラミッド、El Castilloが見えてくる。
高さは約25メートルあるそうなので、ブラキオサウルスと同じくらいだな(なんのこっちゃ)

このエル・カスティージョは、生贄などの儀式を行う神殿として使われていたそうだ。
また建物全体が、カレンダーのようにマヤで使われていた二つの暦、祭事に使われていた太陽暦と、農耕に使われた太陰暦の二つを象徴するように作られている。
ガイドのサムが、地面に絵を書きながら、説明する。

ピラミッドの全ての面についている階段は、それぞれ91段。
4面なので、全部で364段。
それにピラミッドの頂上の一段を加えた、365段は太陽暦で数えた1年の日数を表しているらしい。
それからちょっと忘れちゃったけど、どこかに52という数が出てきて、これが太陽暦と太陰暦が52年に一度一致することに対応しているらしい。

北側の階段の下だけは蛇の頭がついている。
これがククルカン、という蛇の神様の頭で、これが春分・秋分の日に見られるククルカン降臨の際の頭になる。
よく見ると舌が人間の舌みたいだったりして、確かにただの蛇じゃないことはわかる。

ククルカンはもともとトルテカの神様で、このあたりがトルテカ文明の影響を

しばらく写真撮影をした後、一行は球戯場のほうへ。

2. ジャガーの神殿

マヤの王様の名前にはジャガーの名を冠したものが多い。
ジャングルの中の文明だったマヤでは、ジャガーが強さの象徴としてあこがれられてたらしい。

この神殿はジャガーの像を祭ったもので、球戯場に面している。
球戯場との位置関係から、ここは王や貴族が例の球技を見るための特別な建物だったのではないか、と考えられてるらしい。

3. 球戯場

そして球戯場。
あの、生贄を決めるための球技が行われたところ。

プロテクターを肩と腰とひざに巻き、重さ5キロもあるゴムの球を打ち、石の輪に入れる。
輪に入れることが出来たチームが勝利者で、そのチームのリーダーが生贄となったという。

球技は、雨が降らないとき、雨がやみ終わらないときなど、天候が厳しいときに行われたという。
状況が良くならなければ、更なるゲームが行われ、生贄が供される。

球戯はいろんなバリエーションがあったらしく、他にも野球のように棒を使って球を打ち、石の輪に入れるものなど、いろいろあったらしい。

サムの説明によると、この球技をやって生贄に供されたのは、庶民ではなく貴族だったらしい。
球は重く、扱うのに相当練習が必要だが、庶民は農業に忙しく練習などしている暇はない。
他にも装飾とかいろんな証拠から貴族だと考えられているらしい。

王や貴族を生贄として供出する、というのは他の文化でも聞いたことがあるからな。
そうなのかもしれない。

石の輪の拡大図。

そして球戯場のレリーフ。
首を切られる生贄の首から7匹の蛇が生えてきている絵や、骸骨が戦士の服を着て戦っている絵など、なかなかグロテスクなレリーフが多い。

4. Cenote(聖なる泉)

チチェン・イツァーには河がないので、マヤ人たちは雨水と地下水だけが生活農耕用水だった。
地下水を取るためのこういう大きな湧き水が30近く見つかっており、その中でもこのCenoteは、生贄を放り込むために使われていたものと考えられている。

泉のそこからは子供、女性も含め、遺体が30以上見つかっているという。

今、ホテルの部屋でルームメートが「アイスエイジII」を見てるんだけど、そこでFire Kingに祭り上げられたお調子者の動物が、王様気分を味わった後、生贄として、火の穴に放り込まれるシーンがあった。
火の穴がちょうどCenoteと同
じような形をしていたり、Kingに祭られてから投げ込まれたり、というあたり、ちょっとマヤっぽいかも、とちょっと思ったりした

El Castilloへの帰り道、サムにマヤ語の文法が実はモンゴル語に似ている、という話を教えてもらう。
抑揚によって意味が変わるところ、有声・無声が区別されるところなんかは中国語に似ているそうだ。

考えてみたら、マヤって陰と陽の考え方があったりして、東アジアにちょっとにてるのよね。
言葉や陰陽の考え方のようなものは、古代のモンゴロイドがベーリング海峡を渡ってアメリカにたどり着く前からあったのだろうか、と不思議に思った。

5. 戦士の宮殿と千本柱

エル・カスティージョのすぐ東側、石柱がずっと遠くまで続いている。
名前がなぜ「戦士」なのかは良くわからないが、生贄の心臓がこの宮殿の上にあるチャック・モール像の上に捧げられたらしい。

 

チャック・モール自体は、この遺跡内のあちこちにある。
頭と足を上げて、お尻でバランスをとっているような格好をしていて、顔だけこちら側を向いている。
そのへこんだおなかのところに、心臓を置いたらしい。

と書くとすさまじいが、チャック・モール像そのものは結構かわいい。
などと罰当たりなことを言ってみる。

石柱は近づくと結構大きくて美しい。
が何に使われていたかはわからない。
ただ、トルテカ文明にも似たようなモチーフのものがあったとかで、トルテカの影響を受けた証とされているらしい。

ガイドのサムによると、マヤ人はトルテカに建築を学びに行っていたらしい。
というのは、トルテカから来たと思われる装飾具や建築の影響などはあるのに、トルテカ人の骨は一切見つかっていないのだそうだ。
だから、トルテカ人と交易をしていたほか、マヤ人がトルテカにあこがれて、建築を学びに人を送っていたと考えるのが主流らしい。

6. El Caracol (天文台)

新チチェン・イツァーに属する部分は大体見終わったので、今度は南側にある旧のほうに行く。
早速、6世紀のマヤの天文観測所の役割を果たしていたとされる、カラコルが見えてくる。

マヤ人はとても高度な天体観測技術と計算能力を持っていたとされ、遺跡の随所にその片鱗が見られる。
特に困難な、金星など惑星の動きを予測することすらできていたらしい。
(そうでないと説明できない建物がいくつかあるとか)
で、その高度な天体観測を支えていたのが、このカラコルということらしい。

上部の丸いドーム上の部分が天体観測に使われていた、というが、現在の天体観測所と同じ形をしてるって話として出来すぎじゃないの、といつも思うのだが。

7. 尼僧院

更に南に進んでいくと、出ましたPuuk様式。
なんかUxmalあたりを髣髴とさせるような建物が建っている。

やっぱり雨神チャックだらけ。
しかもUxmalやKabahで見たチャックより、若干目つき悪い?

しかし新チチェンと比べてみると、確かにPuuk様式って洗練度に欠ける。
こんな大量にチャックだの渦巻きだの並べてみたりしてね。
当時のマヤ人がトルテカ文明にあこがれて、いろいろ真似をしてみたっていうのがよくわかる。

8. 高僧の墳墓

これもなぜ高僧の墳墓というのかわからないが、地球の歩き方にはそう書いてある。
新チチェンのEl Castilloに良く似ているので、旧チチェンのEl Castilloにあたるものなのではないかと思うのだが。

正直、よく整備され修復が進んでいる新チチェンよりも、こういうちょっと壊れた遺跡の多い旧チチェンの方が、より遺跡っぽい感じがして私は好きだ。

9. いよいよ春分のEl CastilloのShow

さて、お昼ご飯も食べて3時。
いよいよ本日最大のハイライトとも言える、春分・秋分だけに見られる光のショーの始まりだ。
毎年、この日には5万人の入場者があるそうだが、この日もそんな感じだ。

とりあえず、後ろのほうに場所を確保。じりじりと暑いのだが、寝て待つこと30分。

だんだん前のほうに人が集まってくる。
すごい人の数だ。

階段の影がさーっと一直線になった。

しかし、なかなかうまく影が出来ない。
さっきから太陽が分厚い雲に覆われてしまっているのだ。

これってそもそも雨を降ってほしいものなんだから、正しい方向性なんじゃないの?
しばし待つ。

次に太陽が現れたときは、すでに三角形が出来始めていた。

前のほうから地響きのような歓声がわきおこる。
当時のマヤ人もこんな感じだったんだろうか。

次に太陽が出てきたときは、先ほどより更に三角形が成長していた。
もう少し待つと、この三角形の山の部分が成長して、ぎざぎざの蛇が降りているように見えるらしい。

ちなみに春分前後の2日も、それらしきものは見えるが、綺麗に三角形になるのは春分の日だけだという。
そんなにセンシティブなものなのね。

今年の春分はNGだったけど、おととしなんかは綺麗に見れたらしく、YoutubeでEquinox ChiChen Itzaなどと検索すると出てきます。

空を見るともう雨が降りそうなので、最後まで待たずに出てくることにした。
集合場所の入り口付近に着くと、ザーッと雨が降り始めた。
ちょうど良いタイミングだったらしい。

次の記事は→ 夜行バスでパレンケへ-メキシコ旅行(9)

 

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メリダのお勧めイタリアン-メキシコ旅行(7)

2009-04-04 13:22:25 | ●メキシコ・中南米

また記事の流れには関係ない話ですが、Fulbrightの研修は早速一日目が終わりました。
普段見られないアメリカを垣間見ることが出来るプログラムが多く、楽しいです。
詳しい話はまた後でUpします。

さてさて、Meridaの街の紹介に戻って…
入ったイタリアンレストランの名前は「Pan y Vino」(パンとワイン)という名前の店。
ソカロの北側すぐのところにあって、いつも目の前を通るのだがメキシコ人で盛り上がっているので、美味しいのかな、と思っていた。

住所は、Calle 61沿い、Calle 62 y 64 です。

パスタの種類と具を組み合わせて選ぶことが可能。
チーズが大好きな私は、クアトロ・フォルマッジ・クリームソースにパッパルデッレを頼むことにした。

パッパルデッレといえば、トスカナ料理の定番、と思っているのは私だけかもしれないが、トスカナ生まれのパスタで、幅広、クリーム系にとても合う。

いや、これがとても美味しいので感動した。
メキシコでこんな美味しいイタリアンが食べられるとは…
メキシコではパスタはやわらかくふにゃふにゃになるまで茹でるとか聞くので、若干不安視していたのだが、何のことはない、しっかり腰があって美味しかった。

ワインは、流石にヨーロッパ物は少なく、ほとんどチリワインなど南米のものかアメリカのもの。
今回は、チリワインとしては有名なコンチャエトロのピノノワール。

最初はピノのくせに、メルロのような濃い味わいが面白いと思うが、正直だんだん飽きてくる。
まあ、そういうワインだから仕方がないのだが。

ワインはともかく、料理は本当に美味しかった。入ってよかった。
Merida観光を考えている方にはかなりお勧めです。

次は→ 春分のチチェン・イツァー-メキシコ旅行(8)

 

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メリダの夜景 - メキシコ旅行(6)

2009-04-03 10:08:21 | ●メキシコ・中南米

記事にはまったく関係ないですが、今BostonのLogan空港にいます。
このところ、月に2回くらいはこの空港にいるような気がする…

Fulbrightの研修でNew Yorkに向かうところですが、なんと4時間もDelayということになり、空港のバーで待っています。
初めてのJet Blueなのですが、Displayを見ると80%以上の飛行機がDelayしてる…
ってどういう航空会社やねん、いくらアメリカでもひどすぎるんじゃないか?、ということでビール2杯目に突入。
2杯目はカウンターのおねえちゃんのお勧めで、クランベリー・エールとかいう如何にもボストンなビール。

隣のおじちゃんも、その隣のご夫妻もみんな同じ便らしく、皆で文句を言う。
が、みんなは「今夜じゅうにボストンを出られれば良いんだが」などとExpectation levelが低め。
ほんと、アメリカってひどい国です。日本を見習ってほしい。

さて、前記事の続き。
CelestunからのバスがMeridaに到着したのは6時半。
帰りはソカロ周辺で降りることが出来る。

辺りはすでに日が暮れ始め、パステルカラーの建物が夕日に照らされて美しい。

この写真は朝に撮ったものだが、ソカロから見た市庁舎。
パステルピンクの外壁と時計台が印象的。

ソカロの隣にあるカテドラルに寄ってみることにした。
ミサが行われているらしいが、観光客も中に入って見学することが出来る。

光の入り方が幻想的。
教会の中を流れるバロック風のミサ曲が、余計そういう気分にさせるのかもしれない。
建築のことは良くわからないが、ドーム上の天井の光の入り方を見ていると、天に昇っていくような気持ちになる。

一度ホテルに戻ってシャワーに入った後、またすぐに外出。
生来アクティブな私にはホテルでゆっくりする、というのは辞書にはないらしい。
ホテルから30分ほど離れたバスターミナルにチケットを買いに行く。
昨日Uxmal・Kabahツアーで出会ったデンマーク人夫妻に影響されて、サンクリストバル・ラスカサスに行くべく旅程を変更したので、明日の夜行便でパレンケに経つことにしたのだ。

帰りに寄った、ターミナル周辺にある美しい公園でのショット。

シュロの木が生えているところが南国らしい。
ちょっとした光の照らし方がすてき。

ソカロもそうだが、この街の公園は本当によく整備され、清掃されている。
警察もよくパトロールしていて、安全だ。
Meridaは観光で持っているような街だから、特に公園など観光客が集まる箇所は警備を厳重にしているのだろう。

公園周辺の建物もパステルカラーが美しい。
オレンジ、黄色、緑、ピンク、と並んでいる。

歩道にランプが埋め込まれていて、下から建物を照らしているのがなんとも幻想的。
建物のドアの上には、ファサードの文様がコロニアル風だ。
いろんな種類があって、それを見て回るのも楽しい。

こちらは公園の北側にある町並みだが、さっきとは違うバリエーションで面白い。

こんな感じで、ゆっくりと美しい町並みを見て歩きながら、ホテルのほうに戻る。
帰りは、ソカロ周辺でいつも現地のカップルでいっぱいのイタリアンレストランに入ってみることにした。

次は→ メリダのお勧めイタリアン-メキシコ旅行(7)

 

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フラミンゴの楽園セレストゥン-メキシコ旅行(5)

2009-04-02 21:53:30 | ●メキシコ・中南米

Meridaについて3日目の朝。
早起きして、セレストゥン(Celestun)自然保護区に行くことにした。

Celestun自体は、Meridaから100kmほど西に行ったところにある漁村。
メキシコ湾に面した入り江がフラミンゴの生息地として有名だが、それだけじゃなく、いろんな種類の野鳥が生息している。

今回はツアーじゃなくて、バスに乗って自分で行く。
Celestun行きのバスが出るNoresteのバスターミナルまではホテルから30分程度。
途中に地元民が集う安い食堂や、市場などがあったりして、寄り道しながら向かった。

旅に出ると一番楽しいのが、そこに住んでいる人たちがどんな生活をしているか、どんなものを食べているかを経験してみること。
地元の人が毎日使っている市場や食堂を見て、実際にそこで買ってみたり、食べてみたりする。
そこから文化や習慣、地域経済の成り立ちまで垣間見られるのがとてもたのしい。

Meridaの場合は、ソカロ(町の中心の公園)周辺に集まっているお店やレストランは、日本人の目から見れば普通のものだが、この国ではとてもハイエンドまたは観光客向けのものと思われる。
言ってみれば東京の銀座のようなものに違いない。
バスターミナル周辺にある、小汚い食堂と市場こそが、この街の普通の庶民の生活を支えていると思われる。

バスは一時間に一本しか出ていなかったので、結局朝9時のバスに乗り込むことになった。
ここから2時間ほどバスに揺られていく。

Celestunまでの道のりで、2,3の村があり、バスが停車する。
どの村も、小さく、掘っ立て小屋のような家がたくさん建っている貧しい村が多い。
日本人の目からすると小さな街にすぎないMeridaが、この地域の人にとってはどれだけ大きな都会なのかが感じられる。

2時間強でCelestun村の入り口にある入り江のバスストップに着く。
「歩き方」には、ボートの発着場所が入り江の橋だけみたいに書いてあるので注意。
バスの終点である村の中心に近い海岸からも出ていて、そこからの船のほうが長い旅を楽しむことが出来る。
(詳しくはLonely Planet参照)

というわけで、海が見えるような村の中心部まで乗って、そこからビーチまであるく。

ビーチに着いた。
綺麗な色の海、青い空。

ビーチに着くと、早速遊覧ボートのおじさんたちがいて、交渉を始める。
他の観光客と乗り合い。6人集まったところで、一人200ペソずつでDeal done。

写真のはじのほうに、乗っている小さな船が、私が乗ったもの。
これが、ものすごいスピードで波の上を走るように海を越えていった。
普通ボートとかって法定速度とかあるはずだと思うが、その2倍くらいのスピードではないかと思うくらい。
波があると、船が本当に「飛んで」しまうほど。
風が強いのに、追い風のはずが向かい風に感じてしまうほどなので、風より速いってことだろう。

10分くらい走ると、ペリカンとサギの生息地を通る。

写真の白いのがペリカン。
動物園の熊のおりの前みたいな、すさまじい臭い。
ペリカンって臭い鳥だったんだなあ。

ただ臭いを別にすると、たくさんの白と黒の鳥が一列に並んでいる光景は圧巻。
なぜかみんな同じ方向を向いている。ちょっとかわいい。
風が吹いてくる方向に向いているようである。

さらに進むと、海の青黒い色とはまったく違う白い水が流れ込んでいるところがあり、そこが入り江だ。
ボートはそこに入り込んでいく。

岸にはマングローブが群生しており美しい。
日本の西表島とも似ているが、それよりもマングローブの規模が大きな感じだ。

入り江には小さな船で漁をする漁師がたくさんいた。
人が一人立って漸く乗れるくらいの小さな船で、棒で水底を掻いて進むもの。
それで小さな網を使って漁をしている。
そんな船じゃ、男が一人一日中働いて取れる魚の量だってたかが知れているだろう。
本当に貧しい村なんだ。
とっさに、来る前にマクロ経済の授業でやった、投下資本をあげると生産効率があがるソローのモデルを思い出す。

日本だと、戦後の地方の貧しい漁村はこういうのを使っていたかもしれないが、今はどんなに地方自治体が貧乏でも、こんなものを使ってるところはないものね。
Merida周辺は、メキシコの中でも割と豊かな方であるはずだが、それでもこんなレベルなんだ。

しばらく進むと、遠くにピンク色の薄いものが見える。
船がだんだん近づくと、すさまじい数のフラミンゴが集まっているところだった。

 

取った写真を一部切り取って拡大してみた。
こんな感じでずーっと広がっているので、1,000羽くらいいるんじゃないか、という感じだ。

さらに近づく。
船はエンジンを切り、風の力を使いながらゆっくりと近づけるところまで近づく。
とはいっても、フラミンゴまで500メートル以上離れているような感じだ。

望遠が3倍までしかできない、私のサイバーショットで撮った一番近づいたものがこれ。

実際には、人間の目のほうが解像度が高いくらいなので、もっとよく見えるんだけど。

でも本当に美しい。
ピンクも、サーモンピンクの美しい色。
長くてほっそりとした首。

それがたくさん集まっている。

あ、数羽が飛び立ち始めた、と思ったら、群れの半分近くが羽を広げて他の方向へと飛んでいった。
私の存在が気づかれたのかも知れない。

望遠の限界でぼけてしまっているが、ピンク色のボディに黒い縁取りがされた羽が本当に美しい。

10分くらい、フラミンゴを楽しんだ後、船は入り江近くのマングローブのジャングルの中へと入っていく。
そこは静かな湧き水だった。

同じ船に乗っていた10代のメキシコ人の女の子二人組が、水に飛び込んで泳いでいた。
その間、私は川の奥まで入っていって、水が沸いているところを見に行った。

水が湧いているそばには、体長20センチくらいの川魚がたくさん泳いでいる。
近くにいた人に聞くと、ティラピアというらしい。
このお魚、その後パレンケなどでたくさん食べた。

約2時間半のツアーだったが、満喫できた。
一行は入り江の桟橋の所まで乗せられて、そこで降りる。
そこから村の中心部まで約2km程度。

おなかがすいてきたので、村の中心部の砂浜にある海の家レストランのひとつで食べることにした。
早速ティラピアのフライをいただく。

お供は当然Cervesa(ビール)なわけだが、ちょっとこのメニューひどくないか(笑)?

魚なら時価なのはわかるが、なぜビールの値段が?。
客を見てぼろう、って魂胆なのか(笑)

店員を捕まえて、Cervesaを頼みたいけど、値段がわからなきゃ頼めないよ、と言って聞く。
結局30ペソ(約210円)。この地域の物価を考えると高いのだがまあいいや。

そんな感じでゆっくり砂浜でビールとティラピアを楽しんで、4時のバスに乗ってメリダへ帰った。

次は→ メリダの夜景 - メキシコ旅行(6)

 

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