My Life After MIT Sloan

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春分のチチェン・イツァー-メキシコ旅行(8)

2009-04-05 11:30:27 | ●メキシコ・中南米

チチェン・イツァーは、遺跡としては観光地化されすぎているところがある。
カンクンからの観光客がひっきりなしにやってくるし、リゾートホテルなんかも近くに多くて
、希少性が薄いというか。
遺跡へのロマンを雰囲気で感じられるようなところは少ない。
でも、建物の種類の多さ、レリーフなどの保存状態のよさはマヤの遺跡群の中でもピカ一。
想像力を働かせれば、観光客が多くても、古代の空間に身をおくことが出来る。

特に今回は、春分。
マヤの蛇の神様ククルカンの影を拝むことが出来る特別な日。

ツアーは、Equinox Tourという、通常のツアーより長く5時頃までチチェンにいることが出来るものがあったので、それで行くことに。
ツアー会社はホテルからUxmalの時と同じ、MAYA HERITAGE。

朝9時にツアーバスがホテルに迎えに来た。
バスはUxmalのときよりずっと大きなバスで、参加者も20組強。

今回のツアーガイドは、若くてエネルギッシュなマヤ人のSamさん。
高校までは純粋にマヤ語ばかりの世界で育ったが、大学に入ってからスペイン語を学び始め、ガイドになって3年目、という。
英語のツアーをやり始めてまだ2年たっていないそうだが、ぺらぺらしゃべっている。
ガイドは資格が必要で、収入も高い、割と社会的地位も高い仕事だ。
ずっとマヤで育ったのに、そういう職業に就けるって言うのは相当の努力と地頭のよさが必要だろうな、と思う。
実際とても頭の回転の速い人で、説明もうまく、面白かった。

Meridaを出発して、約2時間でチチェン・イツァーに到着。
すごい車の数で、駐車場が足りないらしく、離れたところにある駐車場で降りて、そこからシャトルバスに乗せられていくことになった。

1. El Castillo (エル・カスティージョ)

チチェン・イツァーは600年代に作られた旧チチェン・イツァーと10世紀にもう一度ここに遷都してきたときの新チチェン・イツァーの二つの部分に分かれる。
後者は、当時メキシコ高原を支配していたトルテックの影響を強く受けており、より洗練された様式。
まずは新チチェン・イツァーから。

遺跡の入り口から少し歩くと、すぐにチチェン・イツァーを代表する巨大ピラミッド、El Castilloが見えてくる。
高さは約25メートルあるそうなので、ブラキオサウルスと同じくらいだな(なんのこっちゃ)

このエル・カスティージョは、生贄などの儀式を行う神殿として使われていたそうだ。
また建物全体が、カレンダーのようにマヤで使われていた二つの暦、祭事に使われていた太陽暦と、農耕に使われた太陰暦の二つを象徴するように作られている。
ガイドのサムが、地面に絵を書きながら、説明する。

ピラミッドの全ての面についている階段は、それぞれ91段。
4面なので、全部で364段。
それにピラミッドの頂上の一段を加えた、365段は太陽暦で数えた1年の日数を表しているらしい。
それからちょっと忘れちゃったけど、どこかに52という数が出てきて、これが太陽暦と太陰暦が52年に一度一致することに対応しているらしい。

北側の階段の下だけは蛇の頭がついている。
これがククルカン、という蛇の神様の頭で、これが春分・秋分の日に見られるククルカン降臨の際の頭になる。
よく見ると舌が人間の舌みたいだったりして、確かにただの蛇じゃないことはわかる。

ククルカンはもともとトルテカの神様で、このあたりがトルテカ文明の影響を

しばらく写真撮影をした後、一行は球戯場のほうへ。

2. ジャガーの神殿

マヤの王様の名前にはジャガーの名を冠したものが多い。
ジャングルの中の文明だったマヤでは、ジャガーが強さの象徴としてあこがれられてたらしい。

この神殿はジャガーの像を祭ったもので、球戯場に面している。
球戯場との位置関係から、ここは王や貴族が例の球技を見るための特別な建物だったのではないか、と考えられてるらしい。

3. 球戯場

そして球戯場。
あの、生贄を決めるための球技が行われたところ。

プロテクターを肩と腰とひざに巻き、重さ5キロもあるゴムの球を打ち、石の輪に入れる。
輪に入れることが出来たチームが勝利者で、そのチームのリーダーが生贄となったという。

球技は、雨が降らないとき、雨がやみ終わらないときなど、天候が厳しいときに行われたという。
状況が良くならなければ、更なるゲームが行われ、生贄が供される。

球戯はいろんなバリエーションがあったらしく、他にも野球のように棒を使って球を打ち、石の輪に入れるものなど、いろいろあったらしい。

サムの説明によると、この球技をやって生贄に供されたのは、庶民ではなく貴族だったらしい。
球は重く、扱うのに相当練習が必要だが、庶民は農業に忙しく練習などしている暇はない。
他にも装飾とかいろんな証拠から貴族だと考えられているらしい。

王や貴族を生贄として供出する、というのは他の文化でも聞いたことがあるからな。
そうなのかもしれない。

石の輪の拡大図。

そして球戯場のレリーフ。
首を切られる生贄の首から7匹の蛇が生えてきている絵や、骸骨が戦士の服を着て戦っている絵など、なかなかグロテスクなレリーフが多い。

4. Cenote(聖なる泉)

チチェン・イツァーには河がないので、マヤ人たちは雨水と地下水だけが生活農耕用水だった。
地下水を取るためのこういう大きな湧き水が30近く見つかっており、その中でもこのCenoteは、生贄を放り込むために使われていたものと考えられている。

泉のそこからは子供、女性も含め、遺体が30以上見つかっているという。

今、ホテルの部屋でルームメートが「アイスエイジII」を見てるんだけど、そこでFire Kingに祭り上げられたお調子者の動物が、王様気分を味わった後、生贄として、火の穴に放り込まれるシーンがあった。
火の穴がちょうどCenoteと同
じような形をしていたり、Kingに祭られてから投げ込まれたり、というあたり、ちょっとマヤっぽいかも、とちょっと思ったりした

El Castilloへの帰り道、サムにマヤ語の文法が実はモンゴル語に似ている、という話を教えてもらう。
抑揚によって意味が変わるところ、有声・無声が区別されるところなんかは中国語に似ているそうだ。

考えてみたら、マヤって陰と陽の考え方があったりして、東アジアにちょっとにてるのよね。
言葉や陰陽の考え方のようなものは、古代のモンゴロイドがベーリング海峡を渡ってアメリカにたどり着く前からあったのだろうか、と不思議に思った。

5. 戦士の宮殿と千本柱

エル・カスティージョのすぐ東側、石柱がずっと遠くまで続いている。
名前がなぜ「戦士」なのかは良くわからないが、生贄の心臓がこの宮殿の上にあるチャック・モール像の上に捧げられたらしい。

 

チャック・モール自体は、この遺跡内のあちこちにある。
頭と足を上げて、お尻でバランスをとっているような格好をしていて、顔だけこちら側を向いている。
そのへこんだおなかのところに、心臓を置いたらしい。

と書くとすさまじいが、チャック・モール像そのものは結構かわいい。
などと罰当たりなことを言ってみる。

石柱は近づくと結構大きくて美しい。
が何に使われていたかはわからない。
ただ、トルテカ文明にも似たようなモチーフのものがあったとかで、トルテカの影響を受けた証とされているらしい。

ガイドのサムによると、マヤ人はトルテカに建築を学びに行っていたらしい。
というのは、トルテカから来たと思われる装飾具や建築の影響などはあるのに、トルテカ人の骨は一切見つかっていないのだそうだ。
だから、トルテカ人と交易をしていたほか、マヤ人がトルテカにあこがれて、建築を学びに人を送っていたと考えるのが主流らしい。

6. El Caracol (天文台)

新チチェン・イツァーに属する部分は大体見終わったので、今度は南側にある旧のほうに行く。
早速、6世紀のマヤの天文観測所の役割を果たしていたとされる、カラコルが見えてくる。

マヤ人はとても高度な天体観測技術と計算能力を持っていたとされ、遺跡の随所にその片鱗が見られる。
特に困難な、金星など惑星の動きを予測することすらできていたらしい。
(そうでないと説明できない建物がいくつかあるとか)
で、その高度な天体観測を支えていたのが、このカラコルということらしい。

上部の丸いドーム上の部分が天体観測に使われていた、というが、現在の天体観測所と同じ形をしてるって話として出来すぎじゃないの、といつも思うのだが。

7. 尼僧院

更に南に進んでいくと、出ましたPuuk様式。
なんかUxmalあたりを髣髴とさせるような建物が建っている。

やっぱり雨神チャックだらけ。
しかもUxmalやKabahで見たチャックより、若干目つき悪い?

しかし新チチェンと比べてみると、確かにPuuk様式って洗練度に欠ける。
こんな大量にチャックだの渦巻きだの並べてみたりしてね。
当時のマヤ人がトルテカ文明にあこがれて、いろいろ真似をしてみたっていうのがよくわかる。

8. 高僧の墳墓

これもなぜ高僧の墳墓というのかわからないが、地球の歩き方にはそう書いてある。
新チチェンのEl Castilloに良く似ているので、旧チチェンのEl Castilloにあたるものなのではないかと思うのだが。

正直、よく整備され修復が進んでいる新チチェンよりも、こういうちょっと壊れた遺跡の多い旧チチェンの方が、より遺跡っぽい感じがして私は好きだ。

9. いよいよ春分のEl CastilloのShow

さて、お昼ご飯も食べて3時。
いよいよ本日最大のハイライトとも言える、春分・秋分だけに見られる光のショーの始まりだ。
毎年、この日には5万人の入場者があるそうだが、この日もそんな感じだ。

とりあえず、後ろのほうに場所を確保。じりじりと暑いのだが、寝て待つこと30分。

だんだん前のほうに人が集まってくる。
すごい人の数だ。

階段の影がさーっと一直線になった。

しかし、なかなかうまく影が出来ない。
さっきから太陽が分厚い雲に覆われてしまっているのだ。

これってそもそも雨を降ってほしいものなんだから、正しい方向性なんじゃないの?
しばし待つ。

次に太陽が現れたときは、すでに三角形が出来始めていた。

前のほうから地響きのような歓声がわきおこる。
当時のマヤ人もこんな感じだったんだろうか。

次に太陽が出てきたときは、先ほどより更に三角形が成長していた。
もう少し待つと、この三角形の山の部分が成長して、ぎざぎざの蛇が降りているように見えるらしい。

ちなみに春分前後の2日も、それらしきものは見えるが、綺麗に三角形になるのは春分の日だけだという。
そんなにセンシティブなものなのね。

今年の春分はNGだったけど、おととしなんかは綺麗に見れたらしく、YoutubeでEquinox ChiChen Itzaなどと検索すると出てきます。

空を見るともう雨が降りそうなので、最後まで待たずに出てくることにした。
集合場所の入り口付近に着くと、ザーッと雨が降り始めた。
ちょうど良いタイミングだったらしい。

次の記事は→ 夜行バスでパレンケへ-メキシコ旅行(9)

 

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