My Life After MIT Sloan

組織と個人のグローバル化から、イノベーション、起業家育成、技術経営まで。

パイを増やす人とパイを分ける人

2011-12-23 16:39:24 | 8. 文化論&心理学

世の中には二種類の人がいる。「パイを増やす人」と「パイを分ける人」だ。 
「パイを増やす人」は、限られた資源しかない場合に、その資源全体を増やして一人ひとりの取り分を多くしようと発想する人だ。一方、「パイを分ける人」は今ある資源を前提として、分けることに集中してしまう人のことである。

例えば、孤島に飛行機が不時着し、100人の人が島に閉じ込められてしまったとしよう。しかし、飛行機に積まれていた非常食は100人分に満たない。ここで「パイを増やす人」は、まずどのように食料全体の量を増やそうか、という方向に考えを進める。島中を探して食べられるものが無いか、新たに食べ物を作り出すことは出来ないか、海に出て魚を取ってくることは出来ないかなど、新しいアイディアや外に出て行くことで量を増やし、足りない問題を解決しようと考える。一方、「パイを分ける人」はとりあえず今ある限られた非常食を、どう100人に分配するかということが気になってしまい、そちらを先に進めてしまう。誰に多く、誰に少なく渡すのか。それとも全員平等に分けるのか。

世の中にはどちらのタイプの人も絶対に必要である。「パイを増やす」ためには、イノベーションを起こしたり、他の場所に打って出るなど、それなりの気力や能力を必要とするが、これは全ての人に出来るわけではない。出来ない人たちにも、それなりに平等に資源が行き渡るようにするのが「パイを分ける人」たちの役目である。しかし、一般的には「パイを増やす人」が多い方が、社会や組織は前向きに、将来に向かって進むようになるし、「パイを分ける人」が多いと、人々は政治的になり、誰かを排除したりとする方向に行きがちである。

世の中にある多くの問題は「パイを増やす」ことで解決する場合が多い。にもかかわらず、「パイを分ける」方向ばかりに意識が向いてしまうと、全体として伸ばせる余地がたくさんあるのに、誰かを排除しながらの奪い合いになるような、つまらない結果を生む。世の中を前向きに、ポジティブにドライブしていくためには、「パイを増やす人」がたくさんいるのがとても重要なのだ。

人口が増えて食料生産が追いつかない場合、「パイを増やす人」は、イノベーションによって食糧生産を増やすことを考える。かつてのインドの「緑の革命」のように、農地の改良や品種改良、肥料等の使用といったイノベーションにより、全体の食糧生産を圧倒的に増加するような結果を生み出すことが出来る。それなのに、イノベーションを起こすことに投資せず、限られた食料をめぐって争いを起こすのは不幸なことだ。

あるいは、石油などの天然資源が枯渇していく今後、「パイを増やす人」は再生可能エネルギーや省エネの研究に力を入れるだろう。「パイを分ける人」に付き合って、資源をめぐる政治抗争や内戦を起こすのは不幸なことだ。

人口減で国内市場が伸び悩む日本国内で、「パイを増やす人」は競合他社とシェアを奪い合う不毛な戦いをせず、目を外に転じる。海外で大きく成長している市場はたくさんある。そこに出て行って、日本企業にとってのパイ全体を増やそう、と発想し、グローバル化する。現地企業から見れば「パイを取られる」ことになるが、技術移転などで、両者にWin-Winになるような解決策はいくらでもあると考える。

組織で「パイを分ける人」が幅を利かせるようになると、非常に不健全になる。人々は「パイを分ける人」から分け前を多くもらおうと、より政治的に動くようになり、他の人を排除したりするなど、後ろ向きになる。「パイを増やす人」になって、未知の市場を開拓したり、グローバルに事業を広げたりするのは、労力が必要でリスクを伴う。それよりも、リスクをとらずに偉くなれる「パイを分ける人」になったほうがよっぽど良いので、誰もリスクを取らなくなる。新しい企画が企業全体の売上を増やしているのに、その企画は本来うちの部署の縄張りだから勝手に取るな、と縄張り争いになるのは「パイを分ける人」の結果だ。縄張りを破らずに、全体の成長のために「パイを増やす」ように動ける、大志と器用さを併せ持つ人もいるが、その数は非常に限られている。結果として組織が硬直化し、イノベーションは起きず、成長が止まる。

どんな組織にも「パイを増やす人」と「パイを分ける人」はいる。そしてどちらも必要である。
そして必要悪の結果として、硬直化し、成長が止まった組織もたくさんあるだろう。
硬直した組織を前向きに、良い方向に変えていくためにやれることは三つしかない。

1) 自分自身は「パイを増やす人」となって、イノベーションや変革を起こす能力と意思を持ち合わせた人になること
2) 「パイを分ける人」の作った既存の縄張りや規則に一部従い、かわしつつ、不必要に「分ける人」を増やさないようにバランスを取ること
3) 余り世渡りはうまくないが「パイを増やす」能力がある後輩たちを守って育てていくこと・・・

前向きに行きたいですね。

 


大人になっても夢を持ってよいということ

2011-11-13 17:58:13 | 8. 文化論&心理学

みなさま、ご無沙汰しております。
今年5月に最後のエントリをを書いて以来、半年間ずっと書いていなかったブログを久しぶりに再開することにしました。久しぶりに開いたら、いつのまにかFacebookやはてなブックマークとも連携できるようになって便利になっていて、ちょっと浦島な気分。

何故ずっと書いていなかったのか、と言われると、単に創作活動をする精神的余裕が無かったのだろうと思う。仕事も忙しかった。でも、今年1月のエントリ「私が人生の進路変更をした理由」で書いたとおり、「書く」という時間は、私にとって最も大切な時間で、精神的にも一番落ち着く時だ。特にブログは、書くことですぐに人とつながれるのが楽しく、やはり自分のホームベースだと感じている。だから少しでも書く方がよいとわかっていたが、ずっと書いてないと、「あ~すごく面白いことを書かなきゃ~」というプレッシャーがあってなかなか書けなかったりする。正直言うと。

でもそうすると、悪循環にはまって本当に書けなくなる。だから今日は、TPPがどうとか、異論反論が出るようなことは書かず、とりあえずさらっとした話題を書いてリハビリしてみようと思う。

さて。

多くの人は、小さいころ「将来はプロ野球選手になる」とか「歌手になる」とか「世界一周旅行をする」など、いろいろな夢を持っていたと思う。でも、大人になってから「私は絶対にXXになる」「XXをする」という夢や希望を常に持って生きている人って、果たしてどのくらいいるのだろうか。

大学生で就職活動をするころから現実的になり、または挫折を経験して、夢は持たなくなってくる。そして社会人になると、仕事や家庭、あるいは恋愛、単純に日常生活で忙しくなって、夢など持つ余裕が無くなってくる。そして、その日常生活を維持しつづけるために、お金を稼ぐために仕事をし、そのための生活をし、老後のためにに貯蓄する。その中では、おいしいものたべたい、とか、楽しいことしたい、といった小さな目標はかなうかもしれないが、本当に自分が人生の中でやりたいことって、後回しになってないだろうか。そのせいで、自分の中に小さな空虚感がないだろうか。

人生は一度しか生きられない。
自分が小さなころから本当にやりたかったことや夢を叶えないで生きるのは余りにもったいない気がする。

一度、自分が本当にやりたいことを一度思い描いてみたらどうだろうか。バカみたいと思うかもしれないけれど、子供のころの大それた夢をもう一度持って、それを目標として明確にし、それを達成するためにやるべきことを少しずつやってみてはどうだろうか。そうすると、毎日の生活が輝いてくるし、目標に向かって歩んでいると思うことで自分の人生が満たされてくる。

例えば「歌手になる」という夢を持っていた人は、その夢を思い出のタンスにしまって老後に取り出すのではもったいない。今から目指すなら、いつまでにどのような歌手になるのか、というのを、具体的に思い描いてみればよいと思う。そしてそれを達成するために、仕事や家庭の合間の時間を少しずつ、本当に歌手になるために使い、積極的に行動してみたらどうだろうか。

週に一度でもスタジオに通ってボイストレーニングをし、毎日少しずつでも発声練習をする。オーディションの情報を探し、一緒にバンドを組んでくれる人を探す。スタジオの先生や周囲の親しい友人には、自分の夢を話す。夢は目標として達成できるものだという思いを共有できる同士を見つける。自分の夢を周囲に言い続けるのは大切で、そうすると人の縁もあって不思議にチャンスが回ってくることがあるのだ。もちろん、誰もが2009年にイギリスの歌番組で突如大成功したイギリスの48歳のSusan Boyleのようにはなれないし、ならなくてよいのだが、自分として現実感のある夢を達成することは出来るのではないか。

あるいは「スペインに移住する」というのが夢であれば、スペイン語を勉強するのはもちろんのこと、スペインのどこに住むのか、どのような仕事が可能そうか、その仕事をやるために必要なスキルはどういうものか、を具体的に考えて、明確な目標を立てる。あるいは今の仕事から、スペインに近づく仕事に就くためにはどうするべきかを考える。そして情報収集や、語学やスキルを得るために日々の時間を使っていけばよいと思う。

夢をかなえるのは、仕事を引退した老後とか、子供が大きくなってから、と後回しにしている人が多いのではないか。もちろん、仕事や家庭で過ごす時間は楽しいし、小さな幸せもある。また、仕事も子供も責任を伴うものだから、自分の夢などは後回しにして、と責任感ある大人なら誰もが思うだろう。

もし、それで今の自分の生活が満たされているなら、無理に夢を持てとは私は思わない。もし、それだけで満たされていないのだとしたら、たった今から、夢を目標に変えて、自分の時間を少しでも使い始めることをはじめても良いのではないか、と私は思っている。

夢なんて、もう無いよ・・、と言う人へ。そんな人は、今の自分がやりたいことをどうでも良いことでもよいから書き出してみたらよいと思う。書いているうちに、少しずつ、自分の夢というのは固まってくるようになる。人間、大きな挫折を経験したり、大切な人をなくすなどの大事件があったりすると、自分の夢や希望なんて無くなってしまうものだ。でもそういうときこそ、逆に自分の小さなころからの夢に近づくチャンスかもしれない。

私が大学一年のときの同級生に、39歳で大学に再入学された方がいた。彼は昔から医者になりたいと言う気持ちはあったが、別の職業を結局選んだという。ところが30代後半になって大きな病気をされて長期入院し、会社を辞めた。そのときに、一度自分の人生は止まってしまったのだから、ここで医者になるという夢を叶えてみようかと思ったのだそうだ。今はもう医者としてのキャリアを歩み始めて、7,8年はたつのではないだろうか。

思い起こせば私もそうだった。
小さいころから「科学者になって、世の中の人々の考え方や生活が変わるような大きなインパクトのある研究をする」という大それた夢を持っていたけれど、夢破れて、かつその夢よりやりたいことを見つけてしまったため、今は別の分野で仕事をしている。でも、小さいころから一貫して思っているのは、私は人々に勇気を与えて、奮い立たせ、人を動かして、世の中に良いインパクトを与えることがしたいということだった。途中で、結婚して子供を産んでという人生を歩む選択肢もあるかもしれない、と考えてみたり、まあ色々と迷いはあった(でも結局やめた)自分の中で色々なやりたいことの優先順位をつけてみると、日本企業のグローバル化をどんどん成し遂げるとか、物書きとしてたくさんの人の心を動かす、という方が自分の小さいころからの夢に近いということに気がついた。だからそれを目標とし、次は35歳までに何を達成しようかと、具体的な目標を設定することにした。こうすることで、どんなに忙しさに忙殺されていても、自分の芯を失わず、わくわくしながら日々をすごすことが出来る。

こうして、小さいころの心のタンスにずっとしまわれていた、「夢」と言う名の洋服に、現在の自分らしいアレンジを入れて「目標」として仕立て直すと、もう一度着始めることが出来る。そうすることで、小さいころからの自分の人生が、一貫したメロディとして突如、流れ出すようになるのだ。

また、描く夢のいくつかは今の自分の仕事や家庭に結び付けて考えても良い。私の場合、日本企業の組織のグローバル化を何件も成し遂げる、という夢は現在の私の仕事の中で達成できることだ。こういう目標があると、仕事そのものに張り合いが出て、とても楽しくなる。

こういうのを一度書き出してみると、結構楽しくなって、いくらでも出てくる。しかしそこで満足してはダメで、XX歳までに達成する、という目標を立てたら、次にその目標を達成するためにすべきことを明確化する。これが日々の目標になり、あとは大きな夢を達成するために、自分の毎日の時間を使っていく。

大人になって、現実を知るにつれ、「夢」など無くなっていくことが多いだろう。そっと心のタンスにしまって、もう着なくなってしまっている人が殆どじゃないだろうか。ステキな服だから、本当は着たいのに、そんな若いときの服、恥ずかしくて着れないと思っているかもしれない。それで老後にそっと取り出して、目立たないように着てみようとか思ってはいないだろうか。タンスにしまってある若いころの「夢」も、現実感を与えて仕立て直すことで、今でも十分に着られるものがたくさんある。恥ずかしがらずに取り出して、現実的に仕立て直してみたら、日々の生活が「ただ生活するだけ」のものではなくなり、張りのある日々をすごせるのではないかと思う。

私は「どんな夢も、今から目指すには遅くない」なんて非現実的なことは言わない。フィールズ賞を取るとか、世界的なサッカー選手になるとか、ファッションモデルになるとか、歳をとってからでは無理な夢もあるだろう。だけど、それらの「夢」も素材はそのままに、仕立て直すことで、今からでも追い求められるものは結構あるのではないだろうか。大人になって「夢を持つ」なんてバカバカしい、なんて思わずに、一度考えてみたらどうだろう。

参考:
人生には「選択と集中」が大事な瞬間がある -My Life After MIT Sloan (2011/03/08)
私が人生の進路変更をした本当の理由-My Life After MIT Sloan (2011/01/08)


人生には「選択と集中」が大事な瞬間がある

2011-03-08 19:51:03 | 8. 文化論&心理学

色んなことに手を出して、自分の可能性を広げるのが大切な時期もある。
でもずっとそればかりでは、人生で何も成し遂げられなくなる、とよく思う。
特に大人になり、仕事の責任も重くなり、更に家庭も出来たりすると、「自分の時間」がどんどん無くなる。
限られた時間とエネルギーの中で取捨選択をしなければ、何も成し遂げられずに終わるだろう。
その中で何かを達成するためには、別の何かを犠牲にする必要がある。

昔、親日家のシラク元仏大統領の、テレビのインタビューを見て衝撃を受けた。
「日本、特に相撲が本当に大好きなので、日本語を勉強したいと思っているのですが、
政界に入ってからはやるべきこと、やりたいことが多く、日本語の勉強に時間をかけることが出来ません。
自分がもっと時間を取れる人間だったら、もっと日本語の勉強をしたいですが。」

当時中学生で、人生の時間が有限だということに気がついていなかった私は、この言葉を素直に受け取って、大きな衝撃を受けた。
自分がそんなにも好きで、やりたいことを、時間が無いから出来ないなんてことがあるんだ・・・。

シラク元大統領ほど多忙ではないが、大人になって徐々に仕事の責任が重くなるにつれ、この感覚が良く分かるようになった。
そして時間だけでなく、自分のエネルギーも有限だ。
何に、自分の時間とエネルギーをかけるべきかをよく考える。
そしてそれを実行する(これが結構大変)

特に、「大事な瞬間」というのがある。
その期間は集中して、本当に意識して自分の時間とエネルギーを使わなければ、チャンスを失ってしまう、そういう瞬間。

企業経営を見ていると、この「大事な瞬間」がよくある。
世の中で何かがブームになったり、産業の構造変化が起きたりする瞬間は「商機」である。
この千載一遇のチャンスを逃したら、大きな利益を逸する、どころか損失を出したりする。
だから会社の全てのリソースをつぎ込んででも、売り攻勢をかける必要がある。
ところが、いろんな事業に手を出し過ぎたため、この「瞬間」を見極められず、人材や資金などのリソースを融通してその事業に集中する、ということが出来ない企業は負けてしまう。
だから「選択と集中」が大切だといわれるのだ。

これは一人の人生でも同じで、自分にチャンスがめぐってくる瞬間というのがある。
仕事でも、就活でも、留学や勉強でも、恋愛とかでも同じ。
ここで任された仕事でちゃんと成果を挙げれば社内で大きく認められる、とか。
世の中がこの流れになってるときに起業すればうまく行くとか。
あるいは運命の人に出会ったとか。
このチャンスをちゃんと感じ取って、全身全霊をそそぐ。
そのためには、他の欲しいもの、やりたいものを犠牲にするかもしれない。

例えば、私は今年こそワインエキスパートの資格を取るために勉強したい、と思っていた。
が、どうしても今年やりたい他のことを優先させるため、悩んだ挙句延期することにした。
私だって2,3年のうちに色々あるだろうし、いつになったらその資格をとるため、自分のリソースを集中できるかわからない。
けれど、今年しかないだろうその「瞬間」のために、ワインは犠牲にすることにした。
最悪、引退したら出来るでしょう。
本当にシラク元大統領の「日本語」みたいだな、と思う。

ほかの事を捨てて、一つのことに集中した結果得られるものは実は非常に大きい。
後から見ると「捨てた」と思ったものよりもずっと大きい果実を得られ、「捨てた」以上に人生の可能性が広がることがある。
他の方も書いていたが、私にとってMBAへの留学はまさにそれだった。

もう一つ大切なのが、集中しようと決めたことに全身全霊を注ぎながらも、アンテナは常に張っておくこと。
これがリスクヘッジになる。ただし、アンテナは張るだけで、自分の力と時間は余りつぎ込まない。

というわけでとりとめも無いですが、今日は、そんなことを思いました。

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ビジネスとアカデミアの二つの大きな違い

2011-01-16 10:05:55 | 8. 文化論&心理学

先週書いた記事、私が人生の進路変更をした本当の理由-My Life After MIT Sloanにはたくさんの反響を頂いた。
そのコメント欄で、@uranometree さんから以下の質問を頂いた。

Lilacさんはアカデミックからビジネス界へ転身した際に、特有の苦労をされたのではないかと思います。転身した時に感じたギャップや教訓などあったら教えてほしいと思います。

私の経験では、二つほど、非常に大きなギャップを感じたことがある。

1) ビジネスでは、アカデミアで必要とされるほど、分析などへの精度へのこだわりが無い。
ある程度検証されていれば、スピードや実行を確実にする、のがずっと大切。

これは駆け出しの頃に気づいたこと。

アカデミアの世界では、大体の仮説の方向性が正しいと検証されていても、細かい問題点などで矛盾が無いか、非常に精度の高いところまで確かめる。
世界中で複数の研究グループが世界で競いあって、お互いを重箱の隅まで突きあうから、
自分たちが正しい結果を出している、と言うには、それに対抗できるだけの高い精度が不可欠だ。

一方、ビジネスは、戦略の方向性が正しいことが分かれば、それを実行して、儲けにつながればよい。
初期段階での精度より、戦略を実現するための組織を作るとか、競合に負けないスピードでやる方が遥かに結果に影響するため、精度にこだわりが無い。(もちろん企業文化にもよる。規制産業ほど精度にこだわる傾向)

コンサルタントの駆け出しの頃は、アナリストという分析担当をやる。
自社や市場、競合などの分析などを通じて、戦略が正しいかなどを検証する仕事で、一見アカデミアの仕事に似ている。
ところがアカデミアと同じ考え方・習慣でやると失敗する。

例えば、新規事業で、黒字化はいつ可能かなどを検証するエコノミクスモデルを作るとき、
必要以上に細かいレベルまで要素を考えて、時間がかかり、かつ実際にビジネスをやるクライアントが使いにくいモデルを作ってしまうとか。
マーケティングで市場サーベイを作るとき、分析の精度を高めようとするあまり、非常に細かい質問を大量に作り、回答率が大幅に落ちてしまうとか。

こういうことは、分析の精度を上げる目的は何か、どのレベルまで精度を上げれば目的は達成されるのか、ということを常々考えるようになると、この問題は克服されてくる。

「80:20(エイティ・トウェンティ)」という言葉がある。
80%の結果を得るためには、全体の20%の労力ですむが、残り20%を正確にやろうとすると、残り80%の労力が必要となる。
だから、最初の80%の成果を、労力の20%で勝ち取り、あとの80%の力はそれを実行するほうにかけるべきだ、ということ。

2) ビジネスのほうがアカデミアより「人をどうモチベートして結果を導くか」というところにより敏感。人のやる気を上げ、どうやったら気持ちよく動いてもらえるかに非常に労力を割く。

結局、ビジネスの世界では、一人が出来ても何の意味も無く、周囲が動いてくれないと何も出来ないし、何も実行されない。
新しい技術を一人で開発しても、それを売ってくれる人がいないと会社は儲からない。
従って、いかに他の人に動いてもらうか、というところに非常に大きな労力を割く。

また、人の発揮できる能力って、その人にやる気があるか、気持ちよく動ける環境があるか、だけで圧倒的に違ってくる。
特に若い人ほど、自分でやる気や環境をコントロールすることに慣れておらず、
チームの環境をどう設計するかでパフォーマンスが10倍くらい違う。

一方、アカデミアでは、(私の経験と印象論だが)人のやる気やモチベーションに気を配り、労力を使っている人は、ビジネスで生きてる人に比べると多くはなかった。
まず、「正しければ、人は動く」と信じている人の割合が多いように感じた。
実際には、正しいだけでは人は動かないのだが、そのあたりには力を使わない。
かつ「アカデミアを目指す以上、誰もがやる気があるのは当然」と考えていることが多く、やる気が落ちたときの助け舟が圧倒的に少なかった。

私がコンサルタントを始めて、チームメンバーの指導などをするようになった最初の頃は、「コンサルタントはプロなんだから、自分でやる気を醸成して当然」と思っていた。
アカデミアの頃の考え方のままだったのだ。
だから、チームメンバーのやる気や環境をうまく整えることには、あまり力を割かなかった。
最初から能力のある器用な人は問題が無かったが、すべての人がそうとは限らず、いくつか大きな失敗をした、と思う。
いろんな経験を経て、今では圧倒的に人のやる気や環境に気を配る人になった。
一度作った目標や方法論に固執せず、人が力を発揮するためには、柔軟に目標や方法論を変える、というやり方を取るようになったし、そもそもそういうことにこだわらなくなった。

もっともアカデミアにもいろんな方がいる。
私がMITにいたときの指導教官は、人のやる気をどう上げるか、を常に考えている人だった。
こんな逸話もある。
チームの人を活かすということ-My Life After MIT Sloan
チームの力を最大限発揮させるためには、研究テーマすら変えればよいという考え方。

以上、自分のつたない経験に基づいて違いを書いてみた。
アカデミアに長いこといると、ビジネスの世界と確かに価値観や考え方が違うところで、躓くことがある。
けれど、「違う」ことに気づいて、それが何故か理由を探索すれば、何がベストなのかが理解できるようになるし、自分を変えることが出来る。
このあたりはアカデミアらしい習慣なので、感謝、なのかもしれない。

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笑顔のススメ

2010-08-21 23:20:33 | 8. 文化論&心理学

どうでもいいことだが、私は社会人になって以来ずっと、ひとつだけ誓って気をつけていることがある。
それは、自分がどんなにつらいときでも笑顔を絶やさず、人に会ったら挨拶をする、ということ。

家族や恋人とケンカして気分が悪かったり、仕事がうまくいかなかったり、
理不尽なことや腹が立つことがあったり、徹夜が続いて疲れていたり、
自分の役立たずぶりやふがいなさに腹を立てていたとしても、
それはあくまで自分の都合である。
自分の目の前を、たまたま通りかかった人には関係が無い。

それよりも、もしかしたら通りかかった人だって、嫌なことがあって苦しんでいるかもしれない。
自分に余裕が無いからって、挨拶もせず、嫌な顔をしていたら、その人はますます嫌な気分になるのではないか。
それなら、せめて自分が笑顔で話しかけたり、元気良く挨拶をすることで、少しでも彼らに気分良く一日を過ごしてもらえる方がいいのでは、と思うわけである。

最初にそう思うようになったのは、コンサル会社に入った新人のときだった。
新人であろうと何であろうと、高いレベルの仕事をすることが求められる会社だったので、
新人の頃は役に立つ仕事はなかなか出来ず、周囲の足を引っ張ってばかりで大変だった。
それで、自分の役立たずぶりに落ち込んでるくらいなら、周囲のみんなに気分良くいてもらって、
みんなの生産性を上げることで少しでも役に立つべきなのではないか、と思ったのだった。
それ以来、自分がどんなに嫌なことがあっても、落ち込んだ気分でも、笑顔ですごす、挨拶をする、をずっと実行している。

もちろん、自分の心と裏腹に笑顔になるってのはなかなか大変で、思わず笑顔が引きつってしまうときもありますが(笑)
自分が笑うことで、自分自身にも心の余裕が出てくる、というのもあるし、
「笑うかどには福来る」ではないが、笑顔でいると他の人が話しかけてきて、元気をくれるということもあるし。

自分が落ち込んでるときほど、他の人が落ち込んだりする気持ちも想像できるから、
自分が笑顔になることで少しでも、他の人を元気に出来たらいいなぁ、と思うわけです。

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科学者のプライド

2010-07-28 23:36:41 | 8. 文化論&心理学

最近、日経新聞で毎朝一番楽しみにしてるのが、一昨年のノーベル化学賞の下村脩さんの「私の履歴書」。
終盤にかかって、受賞対象になった蛍光たんぱく質(GFP)を発見し、それが徐々に着目されつつある経緯が書かれていて、わくわくしながら読んでいる。

特に昨日の記事は読んでいて、ちょっと感動してしまった。

仮にGFPを私が発見していなかったとすると、代わりに誰かがGFPを発見していただろうか。そんなことは考えられない。仮にそんな予測があったとしても、それを確かめるためには、そのたんぱく質を検出する方法を考案し、(中略) それは膨大な仕事で、誰もやらないだろう。ということは私が発見していなかったら、誰もGFPを発見していないであろう。

これはすごい自信だ。
もちろん、下村先生は、GFPの発見というのがそれほど難しいことだというのを強調するためにこういう書き方をされているが、一方でこれこそが、科学者のプライドだなあと思った。

「自分がやらなければ、他の人には出来なかっただろう。」 と言い切れる仕事をすること。
Only I Can Do。

つい自分に問う。
私はOnly I can doだということを常にやっているか?
学者を目指していた学生の頃や、留学前に仕事をしていた20代の頃は、そんなことを思いながら生きていた気がするが、最近はそうでもないな、と思う。

先週火曜日の、MITメディアラボ石井裕 (@ishii_mit) 先生の講演を思い出した。
講演の中で先生は、「百年後、自分が死んだときに残るものを作るべき」とおっしゃっていた。
それは単純な技術やプラットフォームではなく、思想である、と。

そう言われて思うのが、たとえばドラッカーは100年後にも残っているだろうが、
「もしドラ」は100万部超えても、100年後には残っていないんだろうな、と思ったりする。

物書きとして、100年後に残る、Only I Can Doな仕事をしてみたい、という思いはある。
しかし「そんなことは100万部売れる本を書いてから言え」と誰かに言われそうではあるが・・。

というわけで、今日は100年後どころか、1年後にも残っていないかもしれないような、つぶやきでした。

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Twitterオフ会やりました

2010-07-25 12:17:57 | 8. 文化論&心理学

ご無沙汰しております。
今週の私は、帰国後再開した仕事が早速本格化し。
朝早くから夜遅くまで全力疾走する感覚を漸く取り戻してきたところ。
これからは週末に書きためて、週日に放出する感じにしないと全く更新できないなぁと感じている。

そんな折、日本に帰国していた人気ブログRailsで行こう!の筆者@elm200さんとお会いしてランチをする機会がありました。
前からブログを拝見してて、考え方が合うとは思っていたんですが、実際お会いして意気投合。
それで、@elm200さんと私(@Lilac_log)で共同Twitterオフ会」をやることになり、昨日渋谷で開催してきました。
実際には「共同」と言っても、私が@elm200さんのオフ会に便乗させていただく形で、幹事とかアナウンスとか全部やっていただいちゃったんですが。

結果として、30人を優に越える人数がお集まりくださいまして、大盛況でした。
下は18歳の大学一年生から上は40代、50代(?かな?)まで。
積極的にBlogやTwitterでご活躍の方も沢山おり、議論も盛り上がってとても楽しかったです。
お忙しいところ、来てくださった方、用事・遠隔地のため参加できなかったけれどTwitterで参加してくださった方、有難うございました。

思ったことを箇条書きで・・・。

・「ブログを起点としたリアルの議論の場」って作れるかもしれない、と思った。

一番驚いたのは、来てくださった方の多くが、私のブログの読者でもあり、共通の議論の土台があるから議論が進みやすいこと。
20代の女性起業家や男子学生や証券マンや、30代のメーカー勤務男性と、40代のプログラマー男性が、
初対面で出会った瞬間から、前置きなくガラパゴス問題や電気自動車や電子書籍の議論が始まると言う。
私やelm200さんが、炎上を恐れてほとんど触れていない消費税やリフレの話まで盛り上がる。

そしてこういう議論に触発されて、持ち帰ってブログ記事にされる方もいる。
考えを力強く前に進めるには、ブログとかWritten Communicationは必須。
でも、リアルに会って議論するOral Communicationは、それを推進する燃料になるんだよね。
この両方を持ち合わせたブログプラットフォームになれたら面白いな、と思った。

これが@dankogai さんとか @chika_watanabeさんのような大物ブロガーになってしまうと、
人が集まりすぎて大変だと思うので、こういうのは「中堅ブロガー」の特権、といえるかもしれない。

・半匿名コミュニケーションへのニーズは結構大きい

何度も書いているが、私はこのブログを学歴とか職種はある程度分かるけど、
本名や所属してる会社とかは明かさない「半匿名」という形でやっている。

今回オフ会に来てくださった方にも、同じ立場でやってるサラリーマン・ブロガーの方が結構いて、
会社名とかそういう話抜きに、技術やビジネスや経済の議論をする場を求めている方が多かった。

こういう「ネット発・半匿名コミュニケーションをリアルにも出来る場」をキープしたいですね。

ちなみに、そういう方は「オフ会用名刺」というのを持っていらして、今回、オススメの名刺業者なども教えていただいたので、早速作ってみようかな、と思っている。

・「はてな」とBLOGOSは影響力強いんだな、と思った。

今回来てくださった方には、一応何がきっかけで私のブログを読み始めたのか聞いてみたのだが、
きっかけは「はてなブックマーク」でトップエントリーだったとか、BLOGOSで読んだから、と言うものが多かった。

・私が炎上を恐れて書いていない多くの話題は、読者の方にはウケルらしい

このブログも何度か「炎上寸前」まで行きかけているが、個人的には無駄な炎上は出来るだけ避けようと思うので、
思っていても書いていないこととかは沢山ある。
ところが、実際に話してみて、書いた方が話が進むかもしれないな、と思うものがたくさんあったので、これはそのうち記事にしていきたいと思っている。

私としては、自分の書いたものを読んで、それを元に議論してくださったり、
ファンだと言ってくださったりする方にリアルでお会いするのは初めてで、モノ書きとしてとても嬉しかったです。
これからも、仕事がどんなに忙しくても、モノ書きは続けていきたいという勇気をもらいました。

ところで、渋谷南口ルノアールは、私がMBA受験時代に通っていた塾AGOSの隣にある。
静かなので、塾の行き帰りにお勉強したりするにはもってこいの場所です。
それなのに、昨日は大変うるさく、ご迷惑おかけいたしました。
もうしません・・。
次回は場所を考えないとなぁ・・・。

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世の中にはFとTの二種類の人が-好きか嫌いか、フェアかアンフェアか

2010-06-20 15:30:53 | 8. 文化論&心理学

数ヶ月前、「世の中にはSとNの二種類の人がいる」という記事を書いた。
要は現実的、ファクトベースでモノを捉え観察力があるタイプ(S)と、夢みがちで想像力があり、大局観があるタイプ(N)のふたつ。
完全にどっちかって話じゃなくて、多くの人はミックスなのだが、どちらの傾向が強いかでいうと、世の中はSが強い人がが7.5割を占めるという話をした。(まだ上のブログ記事を読んで無い人は先にお読みください)
MBTIという性格タイプ4軸のうちの1軸である。
ちなみに私は超N。

自分のタイプが気になる方は、こちらなど試してみてください。

今日は別の1軸で、FとTというのを紹介したい。
これはS/Nより理解しやすいと思う。F=Feeling (感情的)、T=Thinking (論理的)ってことだ。
SとNが物事を考えるときにどう考えるか、という傾向を表すものだったのに対し、FとTは物事を判断するときの軸となる。

何かの意思決定をしなくてはならないとき、Fの人は、感情移入して納得できるか、とか、好きか嫌いか、で判断する傾向がある。悪く言えば感情的だが、よく言えば、心優しく、同情的である。
一方、Tの人は、フェアかアンフェアか、正しいか、正しくないか、で公正に判断したいと思う傾向がある。よく言えば公正だが、悪く言えば、冷たい。

意思決定の際に、同じ結論を下す場合でも、Fの人とTの人は全く異なる思考過程を経る。

例えば、アフリカでAIDSに苦しんでいる子供達への募金をするかどうか、という判断をするとき、Fの人は、状況を見て、「ああなんて可哀想に。苦しいだろう。このお金で救われるなら救ってあげたい」、と思いっきり感情移入をして、募金をすることを決める。
一方、Tの人は、「彼等はアフリカにたまたま生まれたがためにこんな思いをしている。他にここまで苦しむ人がいる地域は少ない。一方自分はたまたま先進国に生まれたからお金を稼げている。これはフェアではない。少しでもその格差を縮めるために募金をしよう」などのように、公平に論理的に考えて、募金を決める。

或いは、小さい子供が友人とキャンプに行きたいとねだったとき、Fの人は「他の人が行くのに、この子だけ行かないって事になったら、どんなに友人の中でやりにくいことだろう。それでは可哀想だから行かせてあげよう」というように、子供に感情移入をして判断をする。
一方Tの人は、「多少危険があったとしても、子供の成長過程において、子供がこのような経験をするのは大切だ。だから行かせてあげよう。」というように論理的に効果を判断して決める。

このF/TだけはMBTIのほかの3つと違い、唯一男女で有意な差が見られる軸だそうだ。
女性の6割がFで、男性の6割がTだという。

ただし、F/TもS/Nの場合と同じで、性格の傾向を表したものであり、能力のことではない。世の中には、論理的に正しく判断出来る能力を持っているが、感情的に決める人、というのはいくらでも存在する。
逆も然り。人の気持ちを推し量り、感情を理解する能力を持っていても、公正に判断するのを好む人はいる。

例えば、私は従来の性格は実はとてもFである。
個人的なことになると、ほとんど全て「好きか、嫌いか」で判断しているし、色んなものに感情移入したりする。

ところが、昔の記事「男は生まれながらに男なのではない。男になるのだ」で書いたように、大学以降ずっと男社会に順応してきて、Tの能力が次々と磨かれていった。
物事を合理的に、論理的に判断し、感情をはさまない、ということが訓練され、判断がすばやい。
仕事ではこういう能力を思い切りつかって仕事をするし、このブログのように文章も判断も割りと論理的にするので、ほとんどの人は私がTだと思っている。
でも、わたしって本当はFなの・・・。

さて、このように、Fの人とTの人はものを判断する考え方が違うので、たびたび衝突することがある。
Fの人は、Tの人に対し「何てこの人は冷酷な判断をするのかしら。ひどすぎる」と思うことがあるし、
Tの人は、Fの人に対し「何でこの人、こんなに感情的な判断しかできないのか」と思うことがある。
どちらが良い、とかではなく、相手がどのようなタイプ化を理解することで、F的に言えば、相手との衝突を出来るだけ避けることが出来るし、T的に言えば、無駄な論争をさけて効率的に相手を説得することが出来るのだ。
(ちなみにここで、Fの人は効率なんかより「皆が納得し、衝突しないのが大切」と思っており、Tの人は「衝突を避ける」よりも「正しいことが大切だ」と思っている。)

だから、自分と相手のF/Tタイプを知っておくのは大切だよ、という話。

さてともう一つ面白い話。
MBTIの4つの軸の中で、前に書いたS/Nが最も重要な軸なのだが、ここでNだった人にとってはTかFか、というのは大きな意味を持つ。
Nの人は、その大局的観から、一般にSの人よりも世の中により大きな影響を与えたいと思う人が多いんだけど(Sの人は世の中より自分の楽しみや義務を尊重する傾向がある)、NTの人とNFの人でその影響の与え方が全く異なるのだ。

NTの人は、大局的に物事を捉え(N)、論理的に判断する(T)ことを好むので、一般に物事を新しく発明したり、発見したり、つくったり、という方法で世の中に影響を与えることを好み、また向いてもいる。職業としては、科学者(INTJ)、戦略家・将軍(ENTJ)、発明家・冒険家(ENTP)、アーキテクト(INTP)などを志す傾向が高いし、向いてもいる。アーキテクトというのは、現代の仕事に直すと、建築家というよりは、全体の設計をするようなものを指している。都市設計とか、製品設計とかで世の中にインパクトを与えたい、というタイプである。

一方、NFの人は、大局的に(N)、人の感情に影響する(F)ことを好むので、一般的には、書いたり話したりなどのコミュニケーションをとりながら、世の中に影響することを好む。職業としては、作家(INFJ)、教育者(ENFJ)、ジャーナリスト(ENFP)、求道者・宗教家(INFP)となる。ほかにもコンサルタントやカウンセラーといった職業もNF的な職業とされる。

ここでNの話ばかりしても、一方で世の中の75%を占めるSの人にとっては面白くないと思うので、Sの話もする。Sの人にとって重要な軸は、J/Pである。J(Judging:決めたがり、計画性がある)とP(Perceiving:決めたながり、計画が嫌い、フレキシブル)。どちらも、世の中のことよりも自分のことを尊重する傾向が高く、お金儲けが好きとか、ものいじりが好き、というのはSであることが多い。

SPの人は「今を生きる」人たちだ。プロセスを楽しんだり、とにかく今目の前にあることをやるのが好き、という人が多い。実際にモノを生み出したり、演じたりするのはSPの人たちなのだ。職業としては、役者(ESFP)、芸術家(ISFP)、実行者(ESTP)、技術者(ISTP)。実際に役者や芸術家でなくても、そういうセンスが求められる職業はどれも向いていることになる。

SJの人は、義務や責任というものを非常に重視し、皆がきちっと計画性を持って行動しているかなどを管理したい、という欲求を持つことが多い。学校の先生(ESFJ/ISFJ)、官僚や法律家、弁護士や裁判官(ESTJ)、銀行家や会計士(ISTJ)といった職業だ。この人たちが欠けてしまうと、世の中が回らなくなる、という人たちだ。

最後に残った軸を説明しておくと、E(外向的)かI(内向的)かである。これは、どこからエネルギーややる気をもらうか、という話だ。落ち込んだときに、とりあえず人と話したり、パーティに行ったりして元気になる人はEであり、自分ひとりで過ごして本を読んだり、考えたりしていると元気になる、というタイプはIになる。

このE/I、S/N、F/T、P/Jの4つの軸を使い、計16種類で人間の性格を大体分けることが出来る。
この性格パターンごとに、リーダーシップの取り方や、人生の目的、仕事の仕方や人の説得の仕方が全く変わってくるので、相手がどのタイプか、ということを読み取れると、円滑にコミュニケーションしたり、仕事をすることが可能になるのである。

ちなみに、私、人に話したり、その人の文章を読んだりするだけで、ほぼ8割以上の人のMBTIを当てることが出来るってのが特技なんですよ❤
ま、どうでも良い特技なんですが。

Please Understand Me: Character and Temperament Types
B & D Books
これはウチの会社で、リーダーシップ研修の教科書として使ってる本。
写真をクリックするとアマゾンのページに行きます。英語です。

MBTIへの招待―C.G.ユングの「タイプ論」の応用と展開
ロジャー ペアマン,サラ アルブリットン
金子書房
日本語。作者は違うけど、これの原本もかなり有名な本。


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新しいことを始めようとするとケチつける人は世界中にいます

2010-05-26 07:00:42 | 8. 文化論&心理学

研究でも、起業でも、社内での新しいプロジェクトでも、新規サービスでも、
何か新しいことを始めようとすると、外野から何かとケチがついたりする。

例えば、私が例の修士論文を書き始めた頃は、MITの先生とかは面白いと肩押ししてくれたのだが、
中には「それ、何が新しいの?そんなの10年前から言われてるよ。やる意味あるの?」と言ってくる学生もいた。
ボストンのような学術の街でもこうなんだな、というのは少し驚きだった。

私が書いたのは、コンサルファームにいるとかで、業界全体を色んな角度から良く見ているひとなら、
一度は考えたことがあるかもしれない、良く見られる業界の現象だった。
しかし、現状ではその現象に名前も付いてないし、メカニズムもちゃんと解明されてないので、ちゃんと研究する意味があると私は思ったわけだ。

で、取り組んだ結果、その分野の最先端にいる何人かの先生に、これは面白いから、修論で終わらせず、ちゃんとした論文を書いたら、といわれるまでになった。
やっぱりちゃんと取り組んで良かったんだ、と思った。

逆に、誰もが聞いたことない超新奇性の高すぎるものだったら、
「そんなのやってもニッチだし意味ないよ」とケチをつける人が必ずいたことだろう。

新しい研究を始めよう、というときでも、起業しよう、と言うときでも、
何か新しいものに対して、ケチをつけたいひと、というのが世の中には必ずいる。
でもそれに脊髄反射して、やめちゃダメ。
その言葉を受け止めつつ、何が正しい方向か、を考えるのが重要だと私は思う。

■ 新しいことにケチを付ける人は世界中にいる。出る杭はどこでも叩かれるのだ。

ちなみに新しいことにケチをつけるのは、何も日本人に限ったことではない。
新しいことが歓迎されると言われるアメリカでもそうだし、況や伝統社会のヨーロッパをや、だ。

例えば起業しようとしたとき、余りケチがつかず応援してもらえるのは、恐らくアメリカの西海岸と東海岸の起業家コミュニティくらいだろう。
それ以外では、起業するなんていったら、そんなのうまく行くわけないとか、色々言ってくる人はいるものらしい。
(アメリカ中西部出身の友人談)

アメリカだって大企業の中で新規事業を始めたりすると、周りから色んな反対にあってうまく行かなかったり、足を引っ張られたりするのは良くあることらしい。
(数々のアメリカ企業出身者談)

私も、留学当初の頃、新しいことを始めようとして叩かれた経験がある(→参照記事)。
根回しはどの国でも重要なのだ、ということを私はこのときに学んだ。

しかし、叩かれようが足を引っ張られようが、うまく立ち回りながらしっかり成し遂げていかなければ、
人間何も成し遂げられない。
重要なのは、成し遂げることなのだから。

■ 人が言うことに脊髄反射で反応しない。自分が考えてベストの方向に行くべし

小学2年生の時の道徳の教科書に載ってた話で、私が好きで今でも覚えている話がある。

昔、父と子供が一匹のロバを連れて旅をしていた。
最初、子供がロバに乗り父がロバを引いていたところ、
「子供が楽してロバに乗って、親に引かせてるなんて何て子供だ」
と街道からケチを付ける人がいたので、父がロバに乗り、子供がひくことにした。

すると「あの親は自分が楽して、子供に引かせるなんて、子供が可哀想に。ひどい親だ」
というひそひそ話が聞こえてきたので、二人とも降りてロバを引くことにした。

今度は「あの父子はせっかくロバを引いてるのに、誰も乗らないなんて、バカなんじゃないか」
と野次を飛ばしてくる人々がいた。
それで、父子は二人でロバにのることにした。
しばらくするうちに、ロバは疲労で動けなくなり、ついに死んでしまった。

大げさな逸話だけど、真実をついている、と思う。

父子が自分達で判断した上で、ロバが死んだ、と言うのであればまだしも、
周りのケチにいちいち脊髄反射していたら、大切なロバをなくしてしまった、というのが悲しい。

人の言うことにわざわざ反応し、脊髄反射で行動していては、その人はきっとロバを失ってしまうだろう。

■でも人にケチを付けられなくなったら終わり。ケチを付けられること自体には感謝しよう

ケチっていうのは、周りの人たちがどう見ているかという意見の一つとして、実は貴重なものでもある。
一応、ケチがつくことで、自分がやってることが本当に価値があるかどうか考える。
その考えさせられる、という意味で、ケチは非常に有効なのだ。

大事なのは、ケチを付けられたとき、過度にとって凹んだり、逆に無視したりするのではなく、
一つの材料として受け止めて、ちゃんと考えること

こうすることで、どんな言い方のケチであっても、建設的な材料として変えていくことが可能なのだ。

私の論文の場合も、そういうケチがついたおかげで、「そうか、世の中には新奇性を重要視する人もいるんだな」と分かった。
それで、論文の中に、何がこの論文の価値なのか、というのを一セクション設けて書くことにした。
そうすることで、はじめて読む人が、この論文は何が良いのかがハッキリ分かるようになったと思うし、
非常に見通しが良くなったと思っている。
だから、ケチがついたことに感謝している。

人は偉くなると、自分の行動にケチがつかなくなるのだそうだ。
そうするとモノを考えなくなって、自分の行動がおかしくなっても、誰も注意しない。
それどころか間違っていても、おべっかを使って褒め称える人があらわれたりするそうだ。
ケチがついているうちが花と思って、しっかり受け止めて考える、というのが大切だと思う。

というわけで、

・新しいことを始めようとしたとき、周囲からケチがつくのは世界中で良くあること。勇気付けてくれる人は貴重な存在。
・ケチがついたくらいで、新しいことを始めるのはやめないこと。
・ケチも周囲の意見の一つとして非常に大切。無視するのではなく、まじめに受け止めて、方向修正につかうこと。
・でも方向修正するだけで、やめないで、ちゃんと成し遂げること。

という話でした。

さて他人はともかくも、いざ大きなことを仕掛けようと言うとき、必ずケチを付けてくれる友人は極めて重要な存在です。
もっと大きな試練にむけた練習台に自らなってくれるのですから。
私も実は、新しいことを思いつくと「あの人はまずケチから始めるから、あの人に聞いてもらおう」という友人が数名います。
そういう友人は大切にしましょう。

(追記: 研究とか起業ならやればいいって話かもしれないけど、社内とかどうするの?と言う人へ
→根回しは大事です。企画を通したかったら、意思決定者、力のある人、企画実現に重要な人は事前に味方につけること。それ以外の方々のケチに対しては上記を適用するのです。)

(追記: コメント欄にイソップ物語の一つだという指摘があったので、調べてみたらありました。
 Wikipedia→こちら、 おやこでたのしむイソップ→こちら
おっと、私の記憶とちょっと話が違うじゃないですか(笑) 最後ロバ担ぐとことか。
このページ、昨日書いてから既に2万人近くの方が訪れてるのですが、どなたも指摘されてないということはもしや、
「話の本質ではないのでケチをつけることになるのでは?」と気遣って方が多いということでしょうか。
皆様のお気遣いに感謝。でもそのくらい指摘して大丈夫ですヨ。)

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人は男に生まれるのではない。男になるのだ。

2010-05-24 15:41:34 | 8. 文化論&心理学

って、ボーヴォワールが「第二の性」の中で言ってたフレーズのパクリ。
「人は女に生まれるのではない。女になるのだ。」と彼女は言って、
「女性らしさ」が社会的に作られたプロトコルに過ぎないと主張したのだ。

一方、現代社会では、女性も男性が多い世界で生きていくのに、逆に「男」を演じないとならないことが多々ある。
コミュニケーションのとり方や仕事の仕方・動き方だけではなく、話す内容まで。
男が大半を占めるコミュニティでは、話の内容がグラビア女優のことであっても、
えっ?って顔をして、相手に女性を意識させるようなことが憚られる場合も多々ある。

このような状況に適応していくうち、マンガ「働きマン」の主人公、松方弘子のように
「先輩、それって男目線ですよ」と後輩男子にまで言われるようになる。

しかし、こうやって「男」を演じるのって男性も一緒なんだな、と気が付いたのは、大学生のある時期だった。
男の人だって、もともと男に生まれたんじゃない、男らしさとか、頑張って身につけてきたんだな、と。

私は高校までは女子校だったが、国立大学の理系に入ったので、いきなり男子校に放り込まれた格好となった。
最初のクラスでは50人中、女子が3人。
その後、更なる理系の学科に進学したら、80人中女子が3人となってしまった。
周りの男の子に「女の子として」愛される才能が特に無かった私は、彼等とうまくやってSurviveするため、
「男」を演じるのが必須となった。

例えば、「論理的・客観的に話す」という、男性的とされる話し方の習慣をつけたのも、その一環だった。

多くの人が意外に思うらしいが、私はもともと論理的に物事を考えて、説明する、というタイプの人間ではない。
女子高時代は、そんなもの無くても、私たちは直感や共感で理解しあうことが出来ていたのである。
しかし、そういう思いつきや直感による話し方では、男の子達が誰も私の話を本気で聞いてくれない。
で、周りを観察して、論理立てて、客観的に話すのが鍵だということが分かり、訓練した結果、
誰よりも「論理的な人」に見えるようになり、理系という男性社会?でもそれなりの地位を確保するに至った(笑)

女の子のコミュニティというのは、誰かが可愛いねといったら賛意を示すとか、「共感」がコミュニケーションのベースになっている。
例えば、「そのサングラスがカッコいいね」というとき、女の子のコミュニティなら、ただ「カッコいいね」と言えば、「そうだね」となって終わる。

それが男の子のコミュニティでは、それが何故カッコいいと思うのかを、いちいち論理的に説明しないとならない、というのが私の印象だった。
「その服に似合っていてカッコいい」とか「○○のしてるサングラスに似ていてカッコいい」とか。

ところが、色んな男の子と(お友達として)お付き合いして分かったのは、
別に彼等も生来、論理的に話すわけではないと言うことだった。
男どおしのコミュニティの中で、そういう話し方が評価されるから、だんだん身につけてきたのだ。

小学生のころから、男どおしでは、分析的に、論理的に、客観的に話す奴が評価される。
例えプロ野球の話をするのであっても、ただ「あの選手が良い」というのでなく、その理由を論理的に分析できる奴がすごい、となる。
だから、そういう話が出来るように、いつのまにか訓練する。

話の話題も、男の子達は「みんな」に合わせて頑張って努力してるらしい、ってことがだんだん分かった。
プロ野球の話でも、グラビア女優の話でも、私はどうやって興味を持っていいものか当初はかなり戸惑ったが、
男の子でも、そういう話が好きではない人が結構いるということを知った。
こういう話題は、イギリス人にとっての天気の話と同じで、男の子コミュニティの中での潤滑油に過ぎず、
みんな結構合わせているのだと。

だから、逆に私の方からみんなの共通の話題になるような面白い話を提供すれば、
別に話の内容は、野球やグラビアじゃなくても良いのだということが分かってきた。
もともと話好きな私は、こうやって男の子コミュニティの中での話題提供者になっていった。
(そして今に至る)

お酒は小さいときから好きだったので、全く苦労しなかったが、
男性の中には、余り酒が好きではないのに、周囲に合わせて一生懸命酒を飲んだり、
飲んでないのにハイになってみたりしているひとも結構居ることも分かった。
これが女の子なら「飲めないの」で許されるのに、未だに男だと何となく許されないような雰囲気なこともあって大変だな、と思った。

それから、私は「男らしい決断力」とか「さっぱりした竹を割ったような性格」とか、
「リスクを率先してとる」というものも訓練で身につけた気がする。
男の人が目指してるものを理解して、男性社会で評価されるように。
もともと忘れっぽい性格なので、「さっぱり」の方は特に苦労しなかったが、
決断力については、昔は優柔不断だったのが、大学時代から急に「決断が早い」人になった。
論理的にものを考えて、感情的な部分を切り捨てれば、さっさと決断できることも分かったのだ。

こうして私は、大学に入って「男社会」に生きるようになってから13年間、知らず知らずのうちに「男らしさ」を磨いてきた。
その結果、あらゆるところで男性に「俺達より男らしい」と言われるようになった(笑)(→参考記事
でも私の「男らしさ」というのは、生来のものではなく、男社会に生きながら、訓練で身につけたものなのだ、ということを今ここに告白しておく。
世の男性諸君が「男らしさ」を知らず知らずのうちに身につけてきたように。

この前リーダーシップのクラスで作文して気が付いたのだが、
アメリカに来てからの私の課題は、自分らしさとか、女らしさとか、男らしさという、今まで身につけてきたスキルと価値観を融合し、
素の自分で居ながら、どんな国際社会でもうまくやっていけるしなやかさを身につけるということだった。
この2年間で、そんな都合の良いことが自然と出来るようになっただろうか?
素の自分は以前より出せるようになった気がする。でも自分勝手になっただけ?

「人は生まれながらにリーダーになのではない。リーダーになるのだ」
「人は生まれながらに親なのではない。親になるのだ」
「人は生まれながらに国際人なのではない。国際人になるのだ」
まあ、なんでもそうなのだ。

要は「自分らしさ」も含めて、「らしさ」とは周囲の影響を受けながら、訓練で身につけていくものなのだ、
と今は思う。

働きマン(1) (モーニングKC (999))
安野 モヨコ
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もう自分を根本的に変えなければヤバイ、と思ったとき

2010-05-02 03:31:48 | 8. 文化論&心理学

書きたいことは山のようにあるのですが、長く説得力のあるエントリを執筆している精神的余裕が無くて、ブログ更新が滞ってます。
とりあえず、来週金曜が修士論文締め切りなので、それまでは余裕がない・・。
前のMBAの記事の続きも半分以上は書けているのですが、まだ上梓するレベルに達してないので、寝かせてます。
でも、余り長く更新しないと、待ってる人もいるし、コメ欄が荒れたりもするようなので、
これからしばらく日々思うことだけ簡単に書いていこうかな、と思います。

さっきTwitterに書いた内容なのですが。

Lilac_log
1:08pm, May 01

若い頃の成功・実績(Achievement)は、個人の才覚や短期間の瞬発力だけでも成し遂げることが出来るが、年をとるにつれ、求められる実績の大きさが大きくなり、成功するために多数の人の協力や長期的なゆるぎない努力が不可欠となる、と思う。自分のパターンを変える転機が来ていると感じる。

少なくとも20代前半のころは、学校や仕事上で成し遂げる「実績(Achievement)」が、
最後は個人の力とか、短期間に集中してやれるかどうかがネックだったりした。
最後の数日徹夜をして完成させるとか、
チームワークであっても、チームの中で自分だけアウトパフォームすることで、
問題が解決したりすることもあった。

ところが、20代も終わりに近づいたころから、私はそういうやり方に限界を感じるようになってきた。
少なくとも、今の自分の成功パターンが、30代後半、40代に入っても通用するやり方とは思えなくなってきた。

年をとるにつれ、「年相応の実績」がどんどん大きくなり、幅が求められるようになってくるだろう。
そして、自分の才覚や、その場の瞬発力だけではとても成し遂げられなくなる。
もっと長期にわたって粘り強く、安定して推し進める力や、
異なる能力を持つ他の人に協力してもらって、やり遂げる力がないと、
それだけの大きな成功は成し得ないのではないか、と感じるようになってきたのだ。

恐らく、瞬発力があって、個人力に頼って生きてきた人ほど、同じ思いをしている方は多いと思う。
業種にもよるかもしれないが、中には、本当に個人としての能力が高くて、
30代後半になっても、個人戦をし続けてる方はもちろんいる。
私自身は、20代が終わる頃に、ぼんやりとだが、限界が見え始め、当たり前のことに気が付きはじめた、という感じか。

変な話だが、自分を徐々に改変していかないと、「三十歳すぎたらただの人」になってしまう、という危機感があった。
いや正確に言うと、「あの人、頭はいいかもしれないけど、変な人だよね」で終わってしまうだろう。

それとも、「出すぎた杭は打てない」というが、ずば抜けてぬきんでていれば、それでもいいのか?

自分がどういう一個の人間として、何を成し遂げて、この人生を終わりを迎えるのか、
どうも、今のままでは良くない気がしたのだ。

実はそれが最初にMBAに行こうと思った理由の一つでもあった。
MBA自体は、そうは言っても学校なので、個人戦が求められる箇所の方が多い。

でも、20代後半にぼんやりと迷っていたことを、今では明確に自分のあり方を変えなければダメだ、
と自覚するところに至り、改善しようと日々努力するまでになったのは、
自分の性格と自分の将来を見つめなおしつつ、
色んな世代とバックグラウンドの人たちに囲まれながら勉強したり、
インターンやTAとして、今までとは違う環境で働いてみたり、
論文などを書いて何かを達成してみようとしたり、
今までとは違う、人間関係構築にもそれなりに苦労したからなのかな、と思う。

MBAに限らず、社会人になってから大学に戻るのは、
そういう根本的な自分の方向転換をしていく際にも使えると思う。
どんな人でも、色んな意味で、色んな時期に、「今までの自分のやり方じゃもうまずいんじゃないか」
と感じる瞬間があるはず。
そのときに時と場合に応じた「サバティカル」を取ればいいのだとおもう。

私の場合はそれが、「個人の才覚や瞬発力に頼らない、長期間の安定した、多数の人の才覚を生かした成功を目指す」ということだった。
うまく表現できてるか、分からないけど。

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自分を変えたいときに、まずやるべきこと

2010-04-04 14:45:12 | 8. 文化論&心理学

一部の人は意外に思うかもしれないが、私は自分が本当にダメな人間だと思うことがしばしばあり、
よく、自分を変えよう、と努力している。
しかし、意志が弱いため、うまく行かないことがたびたびある。

そんななか、昨日Twitterで@ohmaebot (大前研一の言葉を流している)から、なるほどと思う言葉が流れていた。

人間が変わる方法は3つしかない。1番目は時間配分を変える。2番目は住む場所を変える。3番目はつきあう人を変える。
この3つの要素でしか人間は変わらない。最も無意味なのは『決意を新たにする』ことだ。

全くその通りだと思ったので、自分のメモがてら解説。

1. 時間配分を変える

自分を変えようと思ったとき、単に「これからは○○しよう」と思っても、ほとんどの場合意味がない。
ちゃんと自分の生活の中で、○○するための時間をちゃんと確保しないとダメだ。

例えば「これからはちゃんと運動しよう」と思っても、運動するための時間を自分の生活の中に確保しないとダメだ。
しかし、人間は24時間しかなく、今までだって(サボってる時間も含めて)時間を使っているわけだから、
物事の優先順位を変えて、時間を確保しないと、多くの場合何も変わらない。

運動を続けるためには、土日にやっている趣味の一つを減らして、数時間確保するとか、
午前中にテレビを見る/インターネットをやめて、何曜日はジムに行くとか、
具体的に時間配分を変えなくては何も変わらない。

「これからはもっと物事を考えるようにしよう」などという漠然とした目標も同じであり、
例えばモノを読んで考える時間、というのを自分の生活の中に確保しなくては変わらないだろう。
その代わり、何か別の時間を犠牲にすることになるかもしれない、ということを覚悟する必要がある。

私の場合だと、今はとにかく論文執筆が進まないのが悩みなので、
仕事でミーティング時間を確保するように、ちゃんと論文執筆の時間を予定として確保するしかないのだ。

2. 自分の意思を弱くするものから遠ざかること(住む場所を変える)

いきなり「住む場所を変える」と言われると、自分を変えるために、それは流石にやりすぎじゃないか、
と思うかもしれないが、これは場合による。

例えば「会社帰りにどうしても駅前の居酒屋に寄ってしまい、寝る前に本を読む時間が取れなくて困る」
と言う一人暮らしの人は、駅前に居酒屋がないようなところに引っ越すことを検討してもいいかもしれない。
独身時代の、自分を成長させるための時間は貴重だから、検討の余地はある。

孟母三遷という言葉がある。
孟子の母が、最初にお墓の近くに住んでいたとき、
まだ小さい子供だった孟子が葬式の真似事ばかりやるので、教育に良くないということで引っ越す。
次に商店のそばに引っ越したところ、金勘定ばかりやるようになったので、また引っ越すことにした。
最後に塾のそばに引っ越したところ、勉強の真似事をやるようになったので、安心して住むことにしたと言う。

「この話は子供だから・・・」と思うかもしれないが、意外と馬鹿に出来ない。
大人も、環境の影響をとても受けるからだ。

例えば六本木に住んでいると、深夜になっても周囲でいつまでも飲み歩いている人がいるものだから、
それが普通のような気がしてしまう。
その結果、飲み歩いて、自分の若い人生を無駄にしてしまうかもしれない。
逆に、ボストンのような大学街のキャンパスのど真ん中に住んで、しかも学校の中にいたりすると、
周りの学生たちが夜中まで真面目に図書館で勉強していたりするので、それが普通のような気がしてくる。

「住む場所を変える」という大げさな話でなくても、
この話は「自分の意思を弱くするものから遠ざかる」という意味では何にでも当てはまる。

例えば、勉強中にどうしても他の漫画を読んだりパソコンで遊んでしまう人は、図書館で勉強する、というのもそうだ。
或いは携帯を開くとどうしてもゲームをやってしまう、中毒化してしまう、という人は、
恐らく携帯アプリからゲームを外し、PCからもアンインストールしてしまった方がいいだろう。

ダイエットしよう、と思っているのに、アイスクリームをどうしても食べてしまう、と言う人は、
アイスクリームをまず買いに行かないこと、アイスクリームが売っているところに行かないこと。

例えば私の場合だと、論文執筆を進ませるために、机の上だけだと飽きてしまってそのうちTwitterなどで遊び始めるが、
これを意志の力で何とかしようとしても、無駄なのだ。
その時間は図書館に行くとか、勉強してる人がたくさんいる近くのカフェにいくなど、
自分が集中しやすく、場所を色々変える、と。

人間と言うのは、元来意志薄弱なのだ。
だから、自分が意志薄弱になりそうなものには、近づかないこと、いい影響を受けるものに近づくこと、
によって、せめてもの小さい意思を持続することが出来る。

3.付き合う人を変える

これはきびちー、と思うかもしれないけど、でも人間は一緒にいる人の影響を受けるから、
私は本当にそうだと思う。

これは、今まで付き合っていた友人を遠ざけろ、と言うことではなく、
自分がいい影響を受ける、刺激を受けると思う人と過ごす時間をもっと増やすことだ。
(でも、仮に友人が自分の意思に悪影響を与えているなら、ちょっと考えた方がいいかもしれないが)

自分が変わりたい、と思ったら、そういう要素を既に持っている友人と付き合う、というのは
自分が変わるのにとてもいい方法だ。
一緒にいることで、どういうやり方をしていけばいいのか、が良く分かるからだ。

例えば、英語が話せるようになりたい、と言う人は、英語を努力で身につけて、使っているような人を
選んで一緒に仕事をするとか、ランチにつかまえて、一緒に食べに行くとか、
近づくことで、得られることはたくさんある。

Twitterなどでも、楽しいやり取りもいいんだけど、
自分が良い影響を受けるような人を多くFollowすると、より良い影響を受けるかもしれない。

私の場合は、今この瞬間論文かいてる人と付き合う時間を増やして、お互い進捗報告をしながら、
プレッシャーを掛け合うってのが一番の解だなー、と思う。
(他の遊んでるMBAの学生と付き合うと、ついつい飲みに行ってしまう、とか、とにかくダメである)

以上。
人間は、(私だけでなく)そもそもが意志薄弱なものなのだから、
システマティックに自分を変えることを考えなくては変わらない。
大前研一が言うように「決意を新たにする」というのが一番意味ないのだ。
時間配分を変えるとか、場所を変えるとか、具体的にアクションにつながる形で動かないと、
多くの場合、結局出来なくて、自己嫌悪になって終わりになると思う。

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Twitterはじめてみました。

2010-03-16 13:51:22 | 8. 文化論&心理学

正確には「再開」。
アメリカではおととしMITに来たばかりのころに流行り始めたので私も始めたけど、やめてしまったから。
今回は新しくアカウントを取って再出発。

http://twitter.com/Lilac_log

別にいまさらTwitterの使い方をこんなところで解説するつもりは全くないが、
宣伝?として、私がどんなことをTwitterでやっていくつもりかだけ簡単に紹介しておく。

1.英字新聞や英文のリソースを読んで、思ったことを簡単に。

毎日読んでる新聞や英語のブログを読んで、自分の思ったことをメモするのに使おうなんて思ってる。
いきなり変則的である。

実は最初、「はてな」サービスを使うことを考えて、申し込んでみたんだけど、
そんな英文ソースなど「ブックマーク」するのは自分くらい→誰も注目しないし、コメントも付かない
という当たり前のことに気が付いた。
私が読んでるのが日本語メインなら「はてな」は素晴らしいサービスだと思うんだけどね。
あと、Twitterだと海外在住の友人が多く使ってるので、話題を共有できるメリットにいまさら気が付いた。
(みんなFacebookもアカウント持ってるはずだけど、誰もそういう用途に使ってないものね)

今のところこんな感じ。

そうすると、Followしてる人が、Additionalな情報を加えてくれるので、とてもためになる。

もし私の理解が間違ってたら、誰か訂正してくれると思うし。
私は、ブログもコメント欄のコメントをとっても有難いと思ってるんだけど、
それは色んな見方で補強してもらえるから。

Twitterも同様で、自分が思った解釈とか、加筆訂正してもらえるのが嬉しい。

2.アイディアとか思いつきをシェア

私は色んなこと思いつくのが好きで、起業アイディア含め、常にいろんなこと考えてるんだけど、
最近論文執筆で忙しくて余り外に出ないものだから、シェアできる人が少なくなってることに気が付いた。
かといってこれもブログに全部書くわけにも行かないので、Twitterで。

ホントに思いつきだな・・。
ちなみにPandoraとは、アメリカでは数年前くらいから流行っている音楽サービスで、
自分が持っているリストを登録すると、その「遺伝子」を抽出して、好みの音楽を選んでくれる、というサービス。
日本にもある?

で、携帯GPSで自動的にいる場所を特定し、その場所に関連する、
自分の好きなタイプの音楽を流してくれたら面白いかなあ、と一瞬思いついて書いたわけ。
そしたら返信が来た。

こういう感じで話が発展していく感じは、確かにFacebookにはない。面白い。

以前Twitterを使ってたときは、$100Kビジネスコンテストの仲間とアイディアシェアリングのために使おうとしてた。
でも、英語で140字だとほとんど思ったこと書けなくて、難しいのだ。
で、やめてしまった。

日本語だと140字にかなり色んな内容が入るのは素晴らしい。
恐らく中国語が最強であろう。

3.あとはまあ、自分のこととか

これが本来のTwitterの使い方だと思うんだが。
自分のことも多少は発信。
すぐにかける気軽さから、くだらないことを書きがちである。

しかし、こんなしようもないTweetにも付き合ってくれる素晴らしい友人がいた!

こうやって友人との絆を確かめ合って馴れ合うという、Twitterの正しい使い方も出来る(笑)。

2年前に始めて使い始めたときよりも、Twitterがすっかり普及した今の方がずっと使いやすい。
使っている友人も多いし、色んなWebsiteがTwitter対応しているなど、インフラが整っている。

4.自分のブログの更新のお知らせも書きます。

昨晩始めたばかりで、まだそれ以降記事を書いてないから、やってないけど、そういう目的でも使います。
このブログの記事をRetweetしたい人は是非使ってください。

以上。
GooブログはTwitterのウィジェットが使えない、というつかえなさっぷりを発揮してますので、こんな記事で紹介してみました。
(何故なの?Gooひとことと競合するからだろうか?ネットワーク外部性という言葉を教えてあげたい)

ご興味の方は、是非アクセスしてみてください。

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今まで自分のやってきたことが不安になるとき

2010-02-19 09:56:28 | 8. 文化論&心理学

こういう話ばかり書き続けると、これ何のブログ?ということになるが(注:技術経営と留学のブログです)、
今日はMBA受験中の方にお会いしたりして、ちょっと書きたくなったので・・・。

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私が大学受験をしたのはちょうど13年前の今頃だった。
家の事情もあり、国立一本狙いで、それに向けて勉強していた。

私が通ってた高校は、受験シーズンの1月末から学校がお休み。
だから、友達にも会えず、特に私大の試験を受けることもない私は、
迫る国立大の2次試験に向けて、ただひたすら家で一人で勉強する日々。

自分がやってきた勉強が本当に正しかったのだろうか、たびたび不安になった。
夏休みに遊んでて、真面目に勉強してなかったことを後悔したり。
模試ではいい点取っていたはずの数学で、立て続けに分からない問題がいくつもでてきて急に不安になったり。
物理が全然終わってないのは絶対にやばい、もっと前から真面目にやっておけばよかった、とか。

そんなときに、当時やっていた通信教育の某Z会(某のイミなし)から一枚のはがきが届いた。
はがきには、

「神は曲線によりて、まっすぐに描く」

と書いてあった。

そうか、要領の悪い自分は、無駄なことや余計なことをたくさんやって、曲線を通ってきたように見えるけれど、
それは実は自分にとってはまっすぐな道だったのかもしれない、と思った。

別にそう考えても、過去の自分がやってきたことは変わるわけではないのだが、
「自分がやらなかったこと」に焦点を当てるのでなく、「やってきたこと」に焦点を当てて、
前向きに考えた方が良い結果が出るだろう、という当たり前のことに気が付いたのだ。
そういえば、同じことが、デール・カーネギーの「道は開ける」にも書いてあった・・・。

そう考えれば、「やってきたこと」はそれなりにある。
そういう意味では、ここまで来た道は「まっすぐ」だったのだ。
あとは残りの時間でどう「やらなかったこと」をどうやるか-ここからどうやって山に登ればいいか-を考えよう。

そう思うと、急に不安が和らいできて、今までのことを後悔するのではなく、
受験日まであと2週間無いのだから、それをどう使うのが効率的か考えよう、と急に建設的になった。

おかげでその後、受験は無事突破して、その春には大学生になった。
でも、相変わらず要領の悪い私は、その後の人生もいろいろ無駄なことに時間を使ったり、寄り道をたくさんして生きている。

それでも、私の心の中にはあの「神は曲線によりてまっすぐに描く」という言葉があって、
「人から見れば寄り道をしてるかもしれないけれど、それがあるから今の自分があるわけで、
 そういう意味ではまっすぐな道だったのだろう。
  それよりも目標に向けて、まだやってこなかったことを単にやろう。」

と思い、前向きに人生を生きるように心がけている。

受験生の皆様、留学準備中の皆様、そのほかここが人生の踏ん張りどころに来ている方、頑張ってください!

道は開ける 新装版
デール カーネギー,Dale Carnegie,香山 晶
創元社

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世の中にはSとNの二種類の人がいる

2010-02-17 15:56:29 | 8. 文化論&心理学

SとMとか、そういう話じゃないです。残念ながら。
ちなみに私はエ・・・。いや、なんでもないです。
あと磁石とかじゃないよ。

このSとNというのは、MBTI(Myers-Briggs Type Indicator)というタイプわけで使われる分け方。
(後注参照)
一言で言うと、S(Sensational:直的)が事実から積み上げでモノを考える人のことで、
N(Intuitive:直的)が結論や仮説からモノを考える人。
で、Sの人とNの人は、モノを考えるときに重視するものが全然違う。

仕事をしていて、相手が現実や事実を軽視するのでいらっとすることはないだろうか?
細かいところを相手がいつも見落とすので、何で見落とすのか分からなかったり。
あるいは相手が仮説やアナロジーばかり言うので、何を言いたいのかさっぱり分からない、という経験はないだろうか?

逆に、相手が事実や数字ばかり並べて、「要は何が言いたいのか」が分からず、通じ合えなかったことはないだろうか?
細かいところばかりこだわって説明するけど、大局観がないのにいらっとしないだろうか?

こういうのは、SとNの性向の違いから来ている。

Sの人は、いわゆる現実主義者。
将来よりも、今現在をどうすべきかが重要。
ふわふわした理論よりも、事実とか数字とかファクトとかを重んじる。
物を考えるときも、事実などから積み上げでものを考えていく。
自分の五感で感じることを楽しむ(これが「直観」のゆえん)
具体性を重視する。知識やすでに持っているものを重視する。
口癖は「厳密には」「詳しく言うと」など。

Nの人は、いわゆる理想主義者。
現在よりも常に将来を見ている。
事実や数字の羅列より、それを説明する理論やそこから出て来る大局的な意味合いを重視する。
物を考えるときは、仮説思考で、上からトップダウンでモノを考える。
組織などでも自分の周りより、会社全体、世の中全体がどうなってるかが気になる。
空想を好む。アナロジーが好き。直感やひらめきを重視する。
「要は・・・」「結局・・」などのまとめワードが口癖。

このSかNか、というのは思考方法の好みの問題であって、能力のことではない。
世の中には、性向としてはN的でも、ちゃんとファクトから積み上げでも物を考える、S的な能力のある人は多い。
ただ、どっちが好きか、と言われたら、仮説思考で考えるのが圧倒的に好き、というのがNだ。
Sがいい、とか、Nがいい、というのもない。
能力としては両方あるのが理想。

世の中のほとんどの人は、SとNの両面性を持っていて、どちらかが強い、という感じ。
だけど、S性向が超強い人と、N性向が超強い人は、だいたいかみ合わない。
だから、相手の性向を理解したうえで、それにあわせてコミュニケーションスタイルを変えるのが大事。

例えば、このSとNの典型的な行き違いを説明する逸話があるので紹介。

S:今何時?
N:もう遅れるよ。
S:違う、いま何時かって聞いてるの?
N:だから早く行かないと遅れるってば!
S:ちゃんと聞いてよ。「今何時何分かって聞いてるの」
N:もう四時過ぎてるってば!早く出ないと。
S:4時何分?
N:5分だよ。
S:なんで最初から答えてくれないの?
N:最初から、もう遅れるって言ってるじゃないか!

Sの人が「今何時何分か」という事実をしりたいというのに対し、
Nの人は「遅れるかどうか」という意味合いの方が大切だと考えており、それだけ伝えれば十分だと考えてる。
別にNが時計を見る能力が無いわけではないし、Sが時間から「遅れる」という意味合いを引き出す能力がないわけじゃない。
このように、事実を重視して、そこから積み上げで考えたいSの人と、
「結局ナンなのか」から考えたいNの人は、うまくコミュニケーションできないことが多い。

ではどうすればよいか?
相手の性向を知り、それにあわせて会話をすればよいのだ。

例えば、相手が事実や数字をよく聞いて来る人であれば、まずは事実だけを抜かりなく答える。
その上で、自分はそこからどう意味合いを出したかを伝えるようにすればよい。
また、細かい事実を見落とさないように気をつけるのがよい。
Sの人は、だいたい細かい詳しい話が好きなので、そういうのを話すと喜んだりする。

一方Sの人がNの上司やお客さんとコミュニケートしないとならないときは、
細かいことにこだわりすぎず、まずは結論から伝えるよう心がける。
明日の糧をどう得るかだけでなく、将来の戦略とかも少しは考える。
Nの人は、理論とか夢物語が好きなので、ある程度は混ぜる。

で、世の中のどれくらいの人がSが強く、どのくれいがNの強い人か、というと、アメリカの調査によると、
Nが25%で、Sが75%だと言われている。
Sの方が圧倒的に多いのだ。
よって、Nの人は特に自分のコミュニケーションスタイルには気をつけないといけない。

最後に、自分がどっちのタイプか、ということだけど、英語には無料でMBTIを診断できるサイトがたくさんあるが(MBTIで検索)、日本語だとこのサイトなんかで簡易的に調べられる。
ただ、こういうサイトだと単なる性格診断に終わってしまう。
本当に
自分の思考タイプに適したリーダーシップや仕事のやり方などをもっと知りたい人は、こういう本を読んでみるとよい。

Please Understand Me: Character and Temperament Types
B & D Books

これはウチの会社で、リーダーシップ研修の教科書として使ってる本。
写真をクリックするとアマゾンのページに行きます。英語です。

MBTIへの招待―C.G.ユングの「タイプ論」の応用と展開
ロジャー ペアマン,サラ アルブリットン
金子書房

日本語。作者は違うけど、これの原本もかなり有名な本。

ちなみに私はかなりのNで、S的な部分も少しある人。
MBTIのテストをやると、N85%、S15%くらい。(これは統計ではかなりN度が強い方)
仕事がコンサルタントなので、仮説だけでなく、事実の積み上げで説明することを訓練してるから出来るけど、日常生活では、ほとんど仮説思考で突っ走る(笑)
このブログ読んでても分かると思うけど、結論や仮説から入って、事実はそれを補強する材料に過ぎないと思ってる。
人と会ったときは余り人の髪型とか服装は見てないで、その人と何を話したか、と自分が空想したイメージしか覚えてない。
人に何か言われたときは、何故そう言うのか、意味合いを深読みするのが好き。
ファクトとか一問一答だけ並べて、「要は何なのか」を言わない人を見るとイラっとする。
けれど、まめ知識や余談が好きなところとかはS的。

以上、SとNの違いで、コミュニケーションがかみ合わないことがあるよ、
でも違いを理解して相手に合わせるとうまくいくよ、という話でした。

(追記)所詮、MBTIは性格診断に毛が生えた程度のものなので、参考程度に利用しましょう。
実際には、SとかNとかは、複数の異なる指標をまとめて言ってるのでムリがあるところも多いです。
(例えば仮説思考と理論が好きなのと空想家はどれもちょっと違うが、同じNでまとめてる)

(追記2)ところで、筆者がNだから、自然とNの方がカッコよく書かれてるかもしれませんが、実際には
「事実も見ないで勝手に解釈」「思い込みが激しい」などの問題も多々あります。
Sのほうが、一般的には仕事も出来る人が多いです。特に若いうちは。
Nの人なんて、そんなにはいないし(25%ですもの)、沢山いたら困るんです(社会が回らなくなります)
Sが強すぎても生きるうえで問題ないどころか、金儲けがうまかったりしますが、Nが強すぎると社会不適合になります。
いずれにせよ、ただの性格診断です(笑)

(注) MBTIMyers-Briggs Type Indicator)とは
E(Extravert:外向的)かI(Introvert:内向的)
S(Sensational:直感的)かN(Intuitive:直観的)
T(Thinking:論理的)かF(Feeling:感情的)
J(Judgmental:断定的)かP(Perceiving:決めない)

の4つの軸により、人間を16種類に分けるという、まあ性格診断に毛が生えたようなものだが、
一緒に働いたり、暮らしたりする上で起こるいざこざや、リーダーシップのスタイルなどを旨く説明できるため、
米国ではMBAとかリーダー養成講座などで頻繁に使われる。

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