My Life After MIT Sloan

組織と個人のグローバル化から、イノベーション、起業家育成、技術経営まで。

MITでアニメの研究してる人たちと「サマーウォーズ」を見た

2010-03-07 13:10:23 | MBA: クラブ活動・講演会

昨年夏に日本で話題になったアニメ映画「サマーウォーズ」がMITで上映されたので、友人と見に行った。
監督の細田守氏にも会えた。

何でも、MITでアニメやJポップなど現代日本文化研究をしてる教授が、監督をボストンに呼んだのだそうだ。


(画像クリックするとこのページに行きます)

世界最高峰の科学技術の大学であるMITは、ご多分に漏れず日本のアニメやゲームが好きな人も多い。
そのアニメオタクぶりが嵩じてなのか、本当に研究をやってる人も結構いる。

今回、映画会を主催した文化人類学のコンドリー助教授も、日本アニメの研究もやっており、
最近は「萌え」ブームの中で愛や性はどのような装置で語られてるか、なんてこともやってるらしい。
MITの比較メディア論学科(CMS) には、他にも日本のアニメやゲームを研究対象にしている先生や学生がいる。

映画会を見に来てるのも、ほとんど日本人以外の学生ばかり。
多くが、MITのアニメ研とか、アニメ含む日本文化の研究してるとか、
日本語勉強してるとか、何らかの理由で日本に興味があるガイジンばかりの様子。
日本人は一割未満といったところか。

ちなみに、私は宮崎アニメを見るくらいでそんなアニメファンとかではないのだが、
アニメの世界に興味は持っている。
たぶん理系だったから、周りにコアなアニメオタクの人が割といて、身近に感じてるんだと思う。

先輩が二次元での電子の研究をしてると思ったら、実は本人も二次元の女性も好きだったなんてのもあった。
私がLASIC手術をしてメガネをやめたら、「君はメガネが美しかったのに、何故やめたのか」と言う人がいたり(笑)。
現実世界では男性には全くモテない私だが、アニメ界には私のような極端なキャラがモテるらしく、
アニメオタクな人に、「アニメのヒロインだったら大人気だったと思うよ」というようなことを言われたことが何度かあった。
そんじゃ、次に生まれ変わったらアニメに出てくるかな(笑)

教室ではポップコーン屋さんが来ていた。
こんなのも呼ぶんだね、本格的。

上にトロトロのバターを大量にかけてくれるんだよね。
不健康そうだけど、これがとても美味しいのよ。

そして信じられない大きさのカップのポップコーンを平気で平らげるアメリカ人たち。
(まだ映画開始前)

映画が始まると、「え、ここ笑うところ?」みたいなところで大きな笑いがたくさん起こる。
最初の学校のシーンで、主人公が先輩の女の子にバイトに誘われるところとか、5秒に一回大爆笑だ。
主人公が手を握られて真っ赤になるところとか、笑いがずっと止まらない。
日本人の感覚だと、そんなにおかしいかな?と思うところでものすごく大笑いしている。

それから、字幕が追いついてないのに笑ってる人が半分くらいいて、日本語分かる人がこんなにいるのか、というのはかなり驚いた。
日本語で一回、字幕で一回笑いが起こるのだが、日本語だけで笑う人の数が多いのが分かる。
アニメ好きが嵩じてなのだろうか?こんなに日本語が分かるようになるなんて。

絵がとってもきれいで、特にヒロインのおばあちゃんの家の周りの自然がとてもきれいなのが泣けた。
久しぶりに日本にまた帰りたい気持ちになった。
すっかり廃れてしまったセカンドライフな世界が、現実化してしまった感じなのが面白かった。
結局、ネットの世界が暴走しても、現実世界の絆やネットワークが勝つんですよ、みたいなメッセージ?
いろんなハプニングが次々に起こって、最後は良く分からないままに納得させられてしまったが、まあ面白かった。

途中、数学オリンピックとか、映画のMercury Risingのように公開鍵暗号(?)を解いてしまう主人公とか、
何テラフロップスのコンピュータを電気屋のおじさんが運んできて、それを
氷で冷やすとか、
MITの学生が大好きそうなネタがたくさん仕込まれていて、
数ある日本のアニメ映画の中から、この映画を選んだのは正解だなあ、と思った。

かなり長い映画だったけど、みんな最後まで楽しんでたみたいで、かなりの人が残っていた。
終わると、スタンディングオベーション(立って拍手すること。最高の賛辞)。

右側が主催のコンドリー先生、左が細田守監督。

この後は質疑応答タイムだったのだが、のっけから素人には全く分からないオタクな質問ばかりでびっくり。
「○○のシーンは、○○のアニメの○○のオマージュなのか?」みたいな質問で、そのアニメを知らないと分からなかったり。
質問をしたい学生がマイクの前に10人以上並んでいて、どれも素人には分からない質問ばかりだったので、この辺りで教室を出ることにした。

■アニメに個人以外の金の流れを作ることで、産業として大きくすることは大切と思う

今回、細田氏の「サマーウォーズ」を見ていて気が付いたのは、映画内広告が多用されてること。
出てくる携帯電話はドコモばかりで、携帯からアクセスして色んな問題を解決する、っていうこと自体、ドコモらしいコンセプトだった。
テレビはソニー製ばかり
任天堂も、ニンテンドーDSに加えて、最後は花札で終わるという。
邪推かもだが、一体どのくらいのお金が企業から流れてるのだろう、と思った。

(追記:
確かにiPhoneは重要なアイテムだったけど、アメリカのiPhoneだからAT&Tのローミングなので結局ドコモなのでは?
すみません。パナソニックも多々登場していたそうです。ソニーのロゴが目立っていたのでそうかと思ってました。
任天堂ってもともと花札作ってた会社だからね。)

私は、こうやってアニメに視聴者以外からの大きなお金が流れることは大切だと思っている。
ちゃんと金儲けが出来る仕組みを作らないと、どんなにコンテンツが良くたって、産業として廃れてしまうだろう、と思うからだ。
だから、このように金の流れを作る試みが行われているのは非常に好感が持てた。

こういう事書くと「ビジネスにすると良いものが出来ない」「金儲けなんか考えるな」と反感買うかもだが、
私は別に金儲けが好きなわけじゃない。
(クライアント企業の金儲けを手伝ってるけれど、個人ではお金儲けには全く興味がない)
でも、良いものがちゃんとお金を儲けられる仕組みを作ることは非常に大切だと思っている。
「儲からなくても世の中の役に立てばいいんです」という人を良く見るけれど、その思想は危険だと思う。

イノベーションのところでも何度も書いてるけど、どんなに良いものを生み出しても、金にならなければ、
その良いものを世の中に普及させるためのお金も出ない。
技術そのものがすごくても、世の中の誰もが使いやすいように作り直すにはお金がかかる。
世の中に宣伝して、教育して、多くの人の手に届くようにするためにも、お金がかかる。
それをやらないと、一部のギークな人たちだけのものになって終わってしまう。
そうしたら、どんなに良いものを作っても、世の中のためにならないだろう。

そして、次の良いものを生み出す開発にも、お金がかかるわけよ。
だから、良いものでちゃんと儲けるのは、良いものを普及させ継続的に生み出すために、重要なことだと思っている。

私はアニメの詳しいことは知らないが、日本のアニメはプロやクリエーターには大きな影響を持っていると聞くだけに、
規模が小さく、ちゃんと金儲けが出来ていないのは残念に思うのだ。
アニメを愛する人たちの善意で支えられていても、その人たちにちゃんとお金が落ちる仕組みを作らないと、産業として長続きしない。

ついでに言うと、個人・消費者からのカネの流れだけで儲けるためには、
ディズニーやDream worksのようにマス・ボリュームゾーン狙いのコンテンツをつくるしかない。
そうすると、「ソフトパワー」と言う割には日本の経済を活性化させるほどの産業になってない、日本のコンテンツ産業も、変わって来ると思う。

久しぶりに日本のアニメを見ながら、そんなことを思っていた。

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カーライル・ジャパン 安達保氏 講演会@MITスローン

2009-09-21 11:50:56 | MBA: クラブ活動・講演会

同じMBA出身の、財界の重鎮に会って直接話せる、というのはMBA生のひとつの特権かもしれない。
先週木曜(9/17)は、カーライルグループの日本共同代表の安達保氏(1983 MITスローンMBA卒)を講演会にお呼びした。

その日って、実はカーライルの投資先の一つであるWILLCOMが、大変なことに直面していたにも関わらず、
安達さんは快く日本人学生と一緒にブランチを食べ、いろんなインサイトを与えてくれ、
その後はスローン生の前で素晴らしい講演をしてくださった。
プロフェッショナルの経営者ってこういうことなのだな、と思った。
どんな状況でも仕事は必ず完遂して、価値を届ける、と。
「財界の重鎮に会う」というのはミーハーじゃなくて、経営者としての姿勢、背中に学ぶところが大きいから好きだ。

講演は、定員120名の教室が満員になるほど人が入り、大盛況だった。

カーライル・ジャパンがどのように日本のPE市場を開拓してきたか、という話は実はハーバードのケースになっている。(こちらがリンク→ HBS Case Carlyle Japan (A) (B) (C))

私は講演会係なので、事前にケースを1枚のサマリーにまとめて、講演前にメールで配布。
MBA生って、カーライルのような「プライベート・エクイティ(以下PE)」という業種に興味がある人が、ものすごく多い。
でも、実はPEが何をやってるか知らなかったり、ましてや日本の状況なんか知らない人がほとんど。
だから、事前にある程度知識を持っておいてもらうって大事。
(という安達さんのインプットを受けてそうしたんだけど(・・・正直))

ケースは、PEの初歩的な説明から書いてある親切なもの。
PEは主にバイアウト・ファンドを指していること、
特に経営が期待されるほどうまく行っていない会社をレバレッジをかけて(お金を借りて)買収し、経営を立て直してから、株を売却するLBOや、経営陣と一緒に買収するMBOを行っている、などということが詳しく例を挙げて説明してある。

次に、日本の状況や問題点が細かに書いてある。

・1997年までは規制で、ファンドが企業株のMajorityを買収できなかったため、日本のPE業界は12年の歴史しかないこと
・日本人の多くは、PEを村上ファンドなどのActivist Fundと混同したり、じゃなくてもリップルウッドが長銀を買い叩いたりしたことなどから、「ハゲタカファンド」という悪いイメージを持っていること
・日本では、企業情報は「メインバンク」と言われる銀行がほとんど持っており、外部者が買収に必要な情報を得るのが極めて難しいこと
・日本の経営者は、信用ベースの長期的な付き合いがあることが、意思決定に重要で、米国式に「短期的に儲かるからやろうよ」みたいなアプローチではうまくいかないこと

そして、PEという極めて米国的なビジネスを、カーライルが日本で成功させているのは、次のような戦略をとって、上記の問題を解決しているからだ、と解説している。

・現在の経営者をサポートし(Pro-management)、経営者を入れ替えるようなことはほとんどしない、入札での買収はあまりやらない、というやり方で、ファンドに対する悪いイメージを払拭している
日本の銀行出身の人を多く雇い、彼らがかつて「メインバンク」としてサーブしていたなど個人的なネットワークを利用して、案件発掘をしている
案件発掘から、経営建て直しまでを、同じチームが担当し、経営者からの信用を築き、強い関係をつくっている
・短期的な利益ではなく、会社にとっての長期的な利益を重視し、経営者との関係構築に長い時間をかけることで、経営者との信用を築いている

で、ケースでは最後に、成功案件であるキトーのケースと、WILLCOMのことについて詳しく書いてある。
特に、カーライルのグローバルなネットワーク・知見が使えることが、会社の建て直しの成功に大きく寄与している、というようなことが書いてある。

以上がケースまとめ。(長かった)

で、今回安達さんと午前中にブランチを頂きながら、お話した結果、
ケースは、ケースライターの視点で書かれた一部分に過ぎない」という、当たり前かもしれないことにはっとした。
上記に書いてあることは、全て本当だけど、それだけでは語れない問題がたくさんあるのだった。

例えば、ケースにはファイナンシング(お金調達)の際の金融機関との付き合い方が、米国とは全く違うことや、それに伴う苦労には全く触れてない。
経営者を入れ替えない「Pro-management」ポリシーを維持するので、経営者を送り込めず、外から企業再生を行っていくことの大変さは何も触れていない。
そうすると、経営者を送り込まなくても、成長できる企業を投資先に選ばないとならないが、それがどんなに大変か、ということは書いてない。

こういう本当に大変なところがどこか、という話をざっくばらんにしていただけたのは、非常に有難かった。

安達さんは、私が勤めているコンサルファームのご出身で、パートナーロールにもいた大先輩。
1988年から、10年間つとめていらした(私とはかぶってないんだけど)。
「講演会係」の役得で、その日は半日ご一緒させていただいたのだけど、話していて、根底にある考え方とか価値観に共通点がある-肌感覚が合うのが感じられて、私はとても居心地が良かった。
(安達さんも居心地が良かったならよいんだけど・・・)

午前中に日本人学生とのブランチのときも、私は
「Deal SourcingやFinancingの課題はわかったが、カーライル・ジャパンにとって、最も大きな経営課題は何か」
なんていう、根本的で、普通だったら失礼かもしれない質問を投げかけたのだが、
安達さんは、ちょっと考えて、普通に答えてくださった。
それは、「まずは正しく課題を認識することが、経営の舵取りに最も大切」という価値観を共有しているからなのかな、と思ったりした。

安達さんの私の質問への答えは
「中小企業へのアプローチは確立してきた。
しかし大企業のターンアラウンドを、今のカーライル・ジャパンがどう行っていくか、というのが課題」
というものだった。

この言葉がWILLCOMのことを指していたのでは、という邪推する向きもあるかもしれない。
でも、カーライル全体では、同じテレコムでも例えばSprint Nextelなんて大企業の再生に成功していて、
日本ではそもそもPEというやり方で大企業にアプローチして成功してる案件は、業界全体にも無いことを考えると、
これ自体が、日本のPE業界の大きな課題なのだと思う。

そもそも、日本で大企業まで市場を拡大するのは難しいのか(扱いやすい中小案件に特化してやるべきなのか)、
それとも何らかの方法で、日本でも大企業の案件を成功させられうるのか。

PEサイドの方法論を変えれば良い問題ではなく、
日本の大企業サイドは、会社を売ることの抵抗感が大きくて、そもそも案件自体が少ない
(よって成功しうる案件が出てくる可能性も少ない)から、非常に難しい課題だ。

安達さんは、こんなこともおっしゃっていた。
「今年のCEOの舵取りは簡単だった。なぜならやること(リストラ)は明らかだったから。
 でも状況がよくなってきた今から18ヶ月は、CEOの真の力量が問われる。
 ここで何をやるかで、企業がその後成長するか、失敗するかが決まるから。」

同様の理由で、再生法を申請して、つぶれかけた会社であれば、再生はある程度やることが決まっている。
しかし、業績はそこそこだが、もっと成長のポテンシャルがある、という程度のPEファンドがターゲットとするような会社の「再生」の舵取りをするのは非常に大変なのだという。

こんな話もした。
アメリカだと、「経営者プール」というのがあり、企業再生の際はそこから社長となる人材を引っ張ってくるのが普通。
しかし日本にはそんなものはない。
すぐ経営者になれる、なんて人材もなかなかいないし、企業側もよそ者経営者を求めてないから。
今後日本でPE市場が拡大すれば、当然「経営者プール」のようなものは必要になってくるわけだが、じゃあどうやって作るか。

私は個人的には、中小の案件で、社長となれる人を引っ張ってきて、育てていくしかないんじゃないかな、と思う。
よそ者経営者に対する企業側の不信感も、成功事例を増やすことで少しずつなくしていくしかない。
そうしているうちに、大企業の雇われ企業再生CEOもできる
ルー・ガースナーみたいな人が出てくるようになるのではないかと。

そんなわけで、講演も素晴らしかったんだけど、午前中のブランチの1時間半ほどの間に、安達さんとお話させていただいて、いろいろと目が見開かれる思いをした。
だからそのことばかり書いちゃったんだけど、
講演でも、満員の会場から、いろんな質問が飛び交い、
講演終了後も、活発に名刺交換などが行われて、安達さんの講演がスローン生に大きな影響を与えていたことが良くわかった。

MBAの大先輩で、会社の大先輩でもある安達さんにお会いして、わたしも将来こういう風になりたいな、と思った。

安達さん、お忙しいところ本当に有難うございました。

安達さんと、スローンVC/PEクラブの講演会係Kenと私

今日のまとめ
・真のプロフェッショナルは、自分の状況がどうであれ、目の前のクライアントにベストを提供する
・ビジネススクールのケースは、ケースライターの視点で書かれた一面的なものであり、実際にはもっと複雑な側面がたくさんあることを忘れてはならない
・PEが経営者を変えず、資本だけ入れて再生を行うPro-managementは、そういうことが可能な経営者がいる会社を選定することから始まり、実際の戦略のインプリまで、結構大変
・日本のPE業界の(そしてカーライルの)最も大きな課題は、「大企業のターンアラウンドをPE的手法でどうやって成功させられるか」。これが解けることがPE業界の行く末を左右する
・ちょっと業績が悪いくらいの会社、景気がよくなってきた時期、というところのCEOは真価が問われる
・日本にも「経営者プール」のようなものはいずれ必要になる。(MBA生としてどうやって作ればいいか、考えていこう)

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利根川進に会ってきた

2009-05-24 15:22:00 | MBA: クラブ活動・講演会

実は先日、利根川進先生の研究室を訪ねて、3時間もお話を聞いてきました。
説明の必要もないとは思うが、利根川先生は、哺乳類の免疫の仕組みを始めて遺伝子のレベルで解明した功績で、1987年の日本人初のノーベル生理学賞を受賞。
今は脳科学の研究に従事されている。

詳しい話ははしょるが、
「せっかくMITにいるんだから、ボストンの世界的に有名な日本人にお会いしよう」
という企画があり、今回はJ君が中心になって、利根川先生へのインタビューをセットアップしてくれた。
(Thanks! J君)

約束の11時に少し遅れて、利根川先生が部屋に入ってくる。
入ってくるなり英語で話しかけられ、
「みんなボストンに住んでるんでしょう?だったら英語でやりましょうよ」と、英語で言われ、以後全て英語で話すことに。

利根川先生が1964年に初めて渡米したときの思い出話に始まり、研究の話や日本の大学の研究環境の問題にいたるまで。
彼の見識っていうよりも、彼の生き方に強い衝撃を受けた。
もう3週間も前のことだけど、余りに衝撃を受けたので、鮮明に記憶に残っている。

以下、インタビューで私が衝撃を受けたコメント。

1. 目的意識を常に持て。私はカルチャーショックなんてなったことはない

「渡米して研究を始めて、日本との文化の違いで苦労したり、カルチャーショックを感じたりしたことはありましたか?」
という質問が出た。

先生は開口一番、
「私はそういう苦労は一切しなかった。」
という。

「カルチャーショックになるのは、ちゃんと目的をもっていないからじゃないのか。
目的があれば、日々その目的をどうやって達成するか、ということに忙しいはずから、
カルチャーショックなんて考えている暇はないと思う。
私は、いつも『世界一の生化学者になってやる』と考えていて、それを実現することに忙しかった。
あまり文化の違いとか、つまらないことを考えている暇はなかった。」

すごい。
久しぶりに目からウロコって感じだった。
かなり乱暴な言い方ではあるが、真実の一端を担っている。
自分の目的を非常に強く、具体的に持っている人は、本当に彼のように文化の違いなんかでショックを受けている暇もなく、実現に向けて突進していくのだな。
これって、カルチャーショックに限らず、どんな悩みでもそうだよなー、と思う。

わたしゃMBAに来てから、チームでうまくいかないだのって、うじうじしていたことが何度かあった。
うまくいかないのを文化の違いじゃないかと分析し
てみたりね。
そういう瞬間って、確かに何のためにMBAに来たのかとか一切忘れていたなあ、と思った。

コンサルタントをやっていた時は、反省はしても、うじうじ悩むことは一切なかった。
あれはいつも目的達成意欲に溢れていたからなのだな、と思い返す。
悩んでいる暇があったら、問題解決に走ったほうがいいから、つまらないことで悩まなかったのだ。
もう一度それに戻ろう、と思って、だいぶすっきりした。

2. 言われなき差別とは戦う

さて、ボストンで日本学の研究をしているMさんが、つっこむ。
「でも、例えば日本人だから、という差別にあったことはないのですか?」

すると先生は、「うーん」と唸って、
「差別はどこにでもある。
AmericanがNon-Americanを差別したり、ユダヤ人がNon-ユダヤ人を差別したり。
性別による差別。卒業大学による差別。
別に日本人だからって特別差別されるわけではない。」

Mさんがさらに突っ込む。
「でも、そういう差別をされた時はどうするのですか?」

利根川先生は一言「Fight(闘う)」。
差別が余りにもひどく、受け入れられないようなものは、(うじうじせずに)闘うべきだと。
うーん、すごいなあ。
これも極端な例かもしれないが、本質をついていると思った。
確かに、闘い方は戦略的に考えたほうが良いにせよ、基本的には、「これは余りにも尊厳がない」と思ったら、やっぱりはっきりと闘うべきだよな。

3. 私は英語で苦労したことはない

「英語で苦労したことはありますか?」という質問に
「私は英語で苦労したことは一度もない」と答える教授。

はっきり言うが、利根川先生の英語はお世辞にも上手とはいえない。
アメリカに40年以上住んでるのに、発音は日本人発音のままだし、単語だって出てこなかったりする。
正直、私のほうが英語はうまい、とそこにいた日本人の多くが思ったに違いない。

でもその我々は「英語で苦労してる」とか、
さらには「こんな英語しかしゃべれなくて恥ずかしいー」とか思っているが、
利根川先生はそんなこと露にも思ってないのだ。
「だって、通じなければ何度も言えばいいことだし、
通じなくても構わない相手なら通じなくてもいいし、
そうでなければ通じないで困るのは相手じゃないか」

いや、確かにその通りで。
ある程度通じれば、あとは上手いとか下手じゃないのだ。
そりゃ上手いに越したことではないが、下手だからって恥ずかしがったり、悩んだりすることではない、と。

4. 失うことなどない。新しいことを始めるのは得られることのほうが大きい

その後、利根川進教授が、ノーベル賞までもらった生化学の分野から、脳科学の分野へと研究分野を変えた理由について聞いた。

「よく聞かれる質問だけど(中略)
結局、常に自分が興味が持てることをやりたかったから、変えただけのことだ。
それからノーベル賞までもらって上り詰めてしまい、だんだん追求することが少なくなっていき、面白くなくなってきた。
別に失うものなんかなかったんだよね。
新しい分野に行ったほうが、ずっと得られることが大きいと思ったんだ。

その後、一同は日本の科学技術研究環境について触れ、どうやったらノーベル賞30人計画を実現できるのか、という話をした。
結局、東大を中心としたピラミッドになっている日本では、研究者・研究資金の分散が難しいこと。
その結果、研究者の流動性が少なくなり(みんな資金と優秀な学生のいる一部の大学に集まりたがり、集まるな、とはいえないから)、サイロ化が進むこと。
そうすると研究内容の多様性は失われ、新しく面白い研究が生まれにくくなること。

私は以前からの持論である「東大分割論」を提案してみた(この話はいずれブログにも書く)。
これは、東大に科研費の3分の1が集まっている東大一極構造で、米国レベルの研究者の分散と流動性の確保はそもそも困難。
21世紀COEなど、地方大学に研究費をばらまき、地方にも拠点を作る、などの努力は行われているが、余り上手くいっているとはいえない。
だったら、東大を3つくらいに完全に分割して、東大の価値を相対的に下げてしまえばよい、と言う話。
かなり突飛な発想だから、いずれまじめに書く。

利根川先生は、なるほどね、という感じで否定はしなかった。
しかしここで秘書の方が入ってきて、時間切れ。

最後に記念写真。

最後の話はともかく、全体として利根川先生の生き方、ものの考え方に大きく感銘を受けた3時間だった。

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$100Kグランフィナーレで今学期も終了

2009-05-15 04:01:36 | MBA: クラブ活動・講演会

本日で今学期の授業が全て終了。(試験は残ってるが)
そして今
学期の締めくくりにふさわしい、MITのビジネスコンテスト$100Kのフィナーレも漸く終わった。

私は今回はあまり音頭を取れなかったのだが、最後までOrganizerとしての責任は果たすべくお仕事してきました。

MITで一番大きなホールである、Kresge Audotrium。
コンテスト最後のショーはここで行われる。

と、Kresgeの前の芝生に立てられた巨大なテント。
これは、フィナーレの前に行われるレセプションパーティの開場。
ファイナリストのチームと我々のスポンサー企業、その他アントレ関係のMITの教授やアルムナイなどが招待されて、フリードリンク&フリーフードと共にネットワーキングをするためのパーティ。

残念ながら一般の招待客は入れない。
$100KのOrganizerも準備で忙しいので、せっかくOrganizerをやってるのにパーティに参加できないのは残念。

中ではOrganizerがせわしなく働いている。

そして下の写真はAuditoriumのロビーに設置された受付。
スポンサーから送られてきた大量のグッズを並べている。
起業に役立つ法律用語やIPの取り方をまとめたブックレットや、バッグ、帽子、ペン、チョコレートなど。

ただでもらえるものなので、大体イベントが終わる頃にはいつもなくなる。

$100Kは今年で20周年なのだが、そのロゴも後ろに美しく映し出されている。
こういう準備は今回は、Sloanに来る前にイベントコーディネータをやっていたJoshが全てオーガナイズしてくれた。
やっぱりプロはすごいと思う。

ロビーでは、セミファイナリストたちがポスターや試作品を持ってきて説明するポスターセッションが開かれている。
まだ準備中の段階なので人がそんなに集まってないが、開始直前は歩けないほど人が集まっていた。

ロビーの外には特別展示で、いつだかの$100Kのファイナリストのチームが作った会社の製品で、羽を折りたためる自家用コンパクトプロペラ機のデモが行われた。
羽を折りたたむと、自動車みたいになってちょっとかわいい。

今回は、ボランティアで6人くらいの私の友人が来てドアコントロールを手伝ってくれた。
ものすごい混雑ぶりだったので、彼らがいなければとてもじゃないけどコントロールできなかったと思う。
感謝。

7時半。ショーの開始だ。
まず最初は、マサチューセッツ州のEconomics development庁(経済促進庁とも訳すんだろうか)のトップによる挨拶。
こういう$100Kのような試みが、如何にマサチューセッツ州の経済発展に大切かを説く、良くある政治家のご挨拶だった。

そして次が今回のメインイベントのひとつである、元MIT教授でiRobotのFounderの一人でもある、Rodney Brooks教授による講演。
iRobot って、あの掃除機ロボットのルンバを出してる会社ですよ。
床でくるくる回りながら勝手にお掃除してくれて、人と会話まで出来る可愛いロボットで、6万円という高価に関わらず、日本でも爆発的なヒットを記録したという。

Rodney Brooksは、もともとはMITのロボット工学や人工知能の研究所のヘッドで、NASAの月面調査ロボットなどを作っていたが、大学からスピンオフしてiRobotを起業。
そんなわけで、大学からの起業の経験について聞けるのを楽しみにしていた。

教授が壇上に立つと、スクリーンに彼の代表作のロボット「Domo」の写真と、「ドモアリガトーMr.ロボット」の曲がかかってくる。
この辺り、またも我々のイベントコーディネータのJoshのアイディアなのだが、とにかくよくコーディネートされてるなあ、と感心する。

「Domo」の名前の由来は、本当にこの「ドモアリガトー」の曲から取ったのだとか。
私も昨日のリハーサルでJoshからその話を聞いて、日本人としてはちょっと面白いなあと思った次第。
Amandaも「この曲があるから、アメリカ人はみんな「ドモアリガトー」という日本語だけはしゃべれるんだ」と言っていた。
なるほど。

それはともかく、講演のほうは本当に面白かった。

Brooks教授はもともとオーストラリア生まれ。
小さいときから物を作るのが好きで、高校生の時にはトランジスタを大量につなげて、コンピュータを自分で作ってみたりしていたという。
スタートレックや2001年宇宙の旅に触発されて、将来は絶対にロボットを作りたい。
ロボットを作るなら、やっぱり世界最高の科学技術の大学に行きたい。
絶対にMITに行きたい。

そう思って、MITにアプライする高校生のBrooks教授だったが、敢え無くリジェクトされる。
しかし、

教授はスタンフォード大学に何とか引っかかって、渡米することにした。
当時のスタンフォード大学は今ほどは有名ではなかったという。
行ってみて、余りの何も無さに驚いたと言う。

ここでゼロからロボット作りを立ち上げ、機会を見つけてはMITの研究チームとの関係を築く。
そのままスタンフォードの大学院に進学するが、途中で何度もMITにアプライ。
そして、3度目にして漸くMITへの鍵を手にする。
Opportunity(機会)を見つけたら、とにかくPersistence(執拗さ)が大切だと強調。

その後、MITのロボット工学の教授として、さまざまなロボットを開発。
前述の通り、NASAとの共同研究で、月面や火星に下りて調査を行うようなロボットを開発していた。
しかし、時代も変わり、NASAも余りお金がもらえなくなって、プロジェクトの進捗が遅くなり、だんだんNASAとの共同研究がつまらなくなってくる教授。
ついに、自分で月面探査ロボットを作る会社を立ち上げて、打ち上げることにした。
これがiRobotの前身となった会社。

問題は当時の民間の会社で月面までロケットを飛ばすことに成功した会社がどこにもなかったこと。
結局、いくつものロボットの試作品を作ったものの、月面まで行くことはなく、赤字がたまるばかりだった。
仕方ないのでロボット技術を使って、消費者に売れるようなものをいくつか開発していたが、その中で大ヒットしたのが、掃除機ロボット・ルンバだったというわけ。
ルンバの成功後、iRobotは月面ロボット事業からは撤退し、家電製品の会社としてIPOも果たした。

講演の最後で、教授は「自分がコンサルタントだったらこんなフレームワークを作る」とかいって、

Passion
Rejection
Opportunity
Persistence

と書かれたスライドを出した。
「まずPassion(情熱)を持つこと。そしてどんなにRejectされても、Opportunity(機会)を見つけたら、執拗に(Persisitence)チャレンジすること。
私はこれをPROPと呼んでるが、これが起業に成功するには一番大事。」

フレームワーク的にまとめたのは彼のギャグだと思うが、最後まで面白かった。

その後は、ファイナリストの6チームがプレゼンテーション。
Audience Choiceで1チームが選ばれた後、Grand Winnerの発表だ。

Grand Winnerに選ばれたのは、昨日のリハでも圧倒的な商品力・プレゼン力を誇っていたチーム、Kspliceだった。

このチームは、MITの大学院生5人でやっているチーム。
システムの再起動なしにソフトウェアのリヴァイズやインストールが出来る技術を持っている、ということで、それを商品化するのだという。

優勝者に送られる$100Kのチェック。(実は私がデザイン&印刷しました)

これをもって今年の$100Kも終了。
「あー、これで終わったんだなー。としばしの感慨。
後片付けをして帰る。

実は私自身は、このイベントを以って$100KのOrganizerからは引退しようと思っていた。

ひとつは、ここにこれ以上いても、使う時間に比べて大きく学べることは少ないな、と思ったから。
去年の秋から関わってきて、時間もたくさん使ったし、色んな経験をして、悩んだり、苦しんだりもしてきたのは確かだ。
でも、そのおかげで、文化が違う人たちと働くときの限界、自分の限界、そしてどうやって克服すればよいのか、と言うのが分かってきて、最近はチームでもうまく働けていた。
それからMITの中でもイベントの組み方なども分かってきて、もう、何を言われても、一人で何でも企画できる。
そうなってくると、何と言うか、ここにこれ以上いても学べるものはマージナルだなあ、と思ったのだ。

もうひとつは、やっているうちにイノベーションとアントレは違うものであるということがよーく見えてきて、
そして自分が興味があるのはあくまでイノベーションであって、アントレではない、ということがよく分かってきた。

例えば、イノベーションとアントレでは関わっている人の種類が全然違う。
この仕事をやっていて、ボストンのアントレのコミュニティにいる色んな人-我々のスポンサーである、ボストンベースのVCやローファーム、コンサルタント、$100Kのアルムナイなど-に会えた。
彼らはとてもエネルギッシュで、常にOpportunityを探している。
新しい、面白い技術やアイディアはないか、そしてそれでお金が稼げるか、とアクティブに考えている人たちが多く、それはそれでとても刺激を受けた。

でも今学期になって、イノベーション論をやっているUtterback先生や、Christensen教授に出会い、
同じくイノベーションに興味のあるチームメンバーに恵まれたりして、
自分が話していて、つぎつぎと面白いアイディアが沸いてきて、活動的になれるのは、こっちのコミュニティだな、ということに気がついた。

そしてもう一度自分がMBAに来た目的に立ち返ったとき、イノベーションについて自分が前から抱えている問題意識をクリアにし、それに答えを出すこと。
それには、今までのその辺りの研究について勉強し、自分でも調査を行って、論文も2,3本は書くことになるだろう。
それに残された時間は、あと1年しかないのだ。
唯一の日本人として$100Kのようなものに携わっていく価値はあるとは思うが、もうその時間はないな、と思った。

そんなわけで、私にとって最後の$100Kのイベントになったので、感慨もひとしおだった。

いつも応援してくださってありがとうございます。これからもMBA生活&研究のほうを頑張っていきたいのでよろしくお願いします。


100Kフィナーレ前夜

2009-05-13 07:44:17 | MBA: クラブ活動・講演会

今週は今学期の最終週。
チームプロジェクトの発表なんかも全部今週なので、週末もチームで集まったりとかなり忙しかった。
そんなわけで、書きたいことは山のようにあるのに全然ブログかけなかった。

加えて明日は、$100Kのフィナーレ。
$100Kの名前の由来でもある、賞金の1000万円をもらえる人が決まる日。
今日は前夜の最終リハーサル。

       

既にファイナリストは最終的に、6チーム全員決まっている。
今日はリハーサルなので、ファイナリストは6チームとも呼ばれて、当日のプレゼンテーションの練習。

$100Kの仕事をしていると、たまに「この人は本当にすごい」と感動するような人に出会う。

今回のリハーサルも、3分間のプレゼンでスライドを37枚使う、という人がいたから、いったい何かと思えば、テレビ番組を見ているみたいに、引き込まれる面白いプレゼンをしていた。
商品のアイディアも分かりやすいし、商品自体も将来性も高く、期待できる。
もちろんプレゼンだけでは技術的なことは良くわからないから、まだ問題もあるのかもしれないが。

話してみると、相当アクが強い人であるのは確かだが、飛びぬけている。
こういう人が将来のスティーブ・ジョブスやビル・ゲイツになるのかもしれないな、と思う。

そういうすごい人って、割とHBSとかSloanみたいなビジネススクールから来た人ではなく、MITのエンジニアリングから来た人たちだったりする。
昨年の10月にエレベーターピッチコンテストの練習会イベントをやっていたときも、若干21歳ですごい人に会った
世の中にこんなすごい人がいるんだな、という人に出会えるのが、MITという科学技術のトップスクールにいる醍醐味だなあ、と思う。

まあ、そんなわけで明日はそんなすごい人たちが競い合う、ビジネスコンテストのフィナーレです。
キーノートスピーチも、ロドニー・ブルックス、というMITの人工知能の権威が来たりと、なかなかのみもの。
ボストン在住の方は是非、賞金1000万円が決まる瞬間を見に来てください。

日時: 2009年5月13日(水) 19:00~21:00
場所: MIT Kresge Auditorium

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満員御礼-$100K BPC セミファイナル終了!

2009-03-07 13:11:25 | MBA: クラブ活動・講演会

昨日、漸く$100KのSemifinalが終了。
前回2月5日のShowに比べて、段取りも慣れてきたけど、それなりに準備の時間はとられていたので、終わってほっとした。

この二日間準備が忙しくて、ついにブログも書けなかったけど、みんなとの信頼関係も前より深まったと思うし、自分の反省点もまたあって、ためになった。

午後4時、授業が終わってすぐStata Centerに集合。
(写真は$100Kのページより転載)

すでに受付の机やパーティ会場のセットアップはMITのスタッフの人がやってくれていた。
また、A/Vの人たちがきて、オーバーフロールームへのフィードやWebcastの実験をしている。
前回はいろいろすったもんだした名札も、今回は無事届いている。
それから、参加した計280チームのビジネスプランのサマリーを冊子にしたものも600部届いている。

これ。一応、デザインをドラフトしたのは私なんだけど…

Amandaと私の仕事は、こういうセットアップをやってくれる専門の人と事前に打ち合わせして、抜かりなくすすめること。
それから、他のオーガナイザーに指示して、必要なものを期限まで取り揃えてもらうこと。
私はロジが死ぬほど苦手なので、しっかりもののAmandaと働いていると、英語の勉強だけでなく、いろいろためになる。

それから、今回は大量のスポンサーグッズも届いている。
テーブルが足りなくなって、あちこちから勝手に調達してきたりした。

事前にメールとかで、問い合わせたりしていたけど、やっぱり直前になってあれこれ言ってくる人はどこにでもいる。
そういう人にも、何も言わずにちゃんと対応するって大切なんだな、と改めて思った。
ギリギリになって無理なこと言ってるのは、彼らも分かってるわけで、それでも対応してあげれば、感謝されるんだな、という当たり前のことを感じた。
そうすると、また新たな仕事が来るんだけど、国や文化によらず、信頼関係ってそうやって築かれるんだなあ、と再確認。

先週、日本人の2年生のSさんが、アメリカで始めて働いた時の経験を話してくれて、そのとき「何があっても仕事は断るな」と言ってたけど、本当にそうだなあ、と思った。
日本の会社では普通にやってることかもしれないけど、こちらに来て、全く企業文化も異なる人たちと一緒に働いてると、改めて意識する感じ。

さて、6時を過ぎると、受付のボランティアの人たちが来てくれる。
どういう問い合わせにどのように答えるか、というのを教える。
この、ネイティブスピーカーに、ノンネイティブの私が受け答えを教える、というこれまた変な感じ。

7時近くなってきて、会場に大量に人が集まってきた。
600部すっていたはずのパンフレットも半分以上なくなってきた。
Stataの前に長い列を作って並んでいる。

7時15分、まずはビデオから。
http://techtv.mit.edu/videos/2033-mad-scientist
(ちょっくら見てみてください)

バック・トゥー・ザ・フューチャーに出てくるタイムマシーンをマッドサイエンティスト(Jon)が発明し、部下(Amanda)をMITに送り込んで、BPCに出ようとする・・・
というストーリーなのだが、準備段階に何度も見ていたはずなのに、おかしくて笑ってしまう。
会場も大爆笑の渦。

この個性的なMad Scientistを演じるのは、うちのクラスのJon。
もともと軍隊出身なのだが、こういうのに出るのが大好き。演技というより姿かたちが個性的なので誰も忘れない。
Man In Blackを思わせるのは、Chibuzo。

ビデオが終わると、この3人が実際に後ろから出てきて、殴り込みをかける。
びっくりする会場。

"This is really 1985!"
でも「Deadline was last Thursday. We cannot take this idea」と言われてあえなく却下。
3人はすごすご退場。

おつかれさまでした~。

そのあとは、Brian Shinというスローン出身で2006年の$100Kを勝ち抜き、起業家とて成功している中国系アメリカ人の講演。
ユーモアたっぷりで楽しかった。

そのあとは、私は受付に戻って、受付業務をやっていたんだけど、今回は全部で40チームものセミファイナリストを選ぶものなので、アナウンスの時間が圧倒的に長い。

アナウンスが少しずつ進むとと、ダメだったチームが少しずつ会場から出てくる。
中に入れなくて、外のテレビを見ながら待っていた人たちを少しずつ誘導。

防災上の理由で定員以上会場に人数を入れると怒られる(そして今後使えなくなる)ので、人数調整をするわけである。

そんなわけで、いつの間にかつつがなく終了していた。

終わったあと、オーガナイザーだけで、近くのバーに食事にいった。
食事をする暇も無いほど忙しかったので、みんなおなかが空いていたのだ。
ビールで乾杯。
前の時より、皆と一緒に働く時間が長かったので、その分、信頼関係も築かれたようだ。

よかったよかった。

次のイベントは2ヵ月後なので、まだ余裕はあるが、その分大きなイベントなので、また準備が大変になる。
まあでもとりあえず、休もう。

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$100K オフサイトミーティング

2009-02-08 12:14:13 | MBA: クラブ活動・講演会

新学期が始まって最初の土曜日の今日は、一日$100Kのオフサイトミーティングの日だった。
昨年一年間、$100Kを率いてきた2年生から、ついに1年生に正式にバトンタッチされる日でもある。

朝9時から約7時間、みっちり英語で議論して、頭がとても疲れたが、得られるものは多かった。
私が苦しんでいたことは、皆も不満に思っていたのだな、とわかったし、それを誰が悪いとかでなく、積極的に問題解決していくのは楽しかった。
色んな意見を聞いて、誰がどんなことを考えているかわかって、より皆のことを理解できるようになった。

それは相手も同じみたいで、私も、みんなのある一定の信頼を受けて、その中で動いているんだな、と感じられた。
こうやって、集団への帰属意識というものが生まれていくのかも知れない。

それと、2,3ヶ月前に比べて圧倒的にリスニング能力が上がっていることに気がついた。
先生の講義と違い、学生の発言は一般にInformalなので、リスニングが難しい。
でも、聞くことに集中すれば、もう殆ど聞き逃すことなく、何を言ってるのかわかるようになってきた。
そうすると、自然と自分の意見も生まれてきて、割と積極的に発言することも出来たし、その発言がちゃんと取り上げられて、意味のある議論につながっていくのがわかった。

これは、今まで苦しんできた分、とてもうれしい発見だった。
この冬休み、E&I トレック、この前のスキー、そして$100Kと、英語が流暢な人が多い環境で英語漬けの日々を送る、という経験をしたのが、効いているのかも。

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朝8時15分に、Sloanの校舎のロビーに集合。
7台くらいの車に分乗して、MITがマサチューセッツ州のとある田舎に所有する研修所へ移動。
大体学校からは、車で30分くらいのところにある。

一緒にEvent Co-leadをやっているAmandaの車に、同じくEvent担当のJosh、Life Science部門をリードしているMITのBioのPhDの学生と乗っていった。
私は、助手席に座ってナビをする。

駐車場から、Joshが「まるで日本のお寺の階段みたいだね」と形容した、室生寺みたいな階段を上っていくと、びっくりする大きな建物が。
流石、MIT。こんな立派な研修所を持っていたのね。

そして、ふと横を見ると、雪景色が美しい。

9時から早速会議開始。
今日一日で何を議論したいか、から始まり、$100Kの目的は何か、という大きなテーマ。

そして、ついおとといのイベントと、それまでの流れに関する反省会。
私はイベント担当だが、それ以外にも、スポンサーからのファンドレイズや、審査員を集めて審査をつつがなく進める係、各分野に分かれて参加者とコミュニケーションする係、その他もろもろ、さまざまな仕事が走っている。
その流れ全体を振り返る、というもの。

1時間くらいを過ぎた頃から、議論が盛り上がる。
審査基準はチームを見てその将来性を見極めるべきか、提出されたビジネスプランだけを基準に判断すべきなのか、
Social DevelopmentのようなNon-profitの活動が多い分野では$100Kをどう位置づけるべきなのか、
Sponsorの期待にはどこまでこたえるべきなのか、などなど。

これらはどれも深遠な課題だし、時間も無いので、結論には至らないのだが、とりあえず皆の頭の中に考えるべき問題としてインプットされる。
この辺の、問題提起だけしてとことん議論し、結論を出さずに終わるスタイルって、何か日本的だなあ、と思ったり。
世界中どこでも一緒なのかもしれない。

一方、皆が不満に思っていたコミュニケーションの問題などは、私が問題提起して賛同を得られたので、
具体的な対応策を提案して、これは実際にやっていくことに。

ランチを食べた後は、チームごとに分かれてミーティング。
そして4時に終了。

もう終わったときはへとへとだった。
でも何かすごい充実感のあるミーティングだった。
この1年間、自分はこの仲間とともに$100Kをリードしていくんだな、という自覚が芽生えてきて、いろいろあるけど頑張ろう、というように本当に思えたからかもしれない。

いろいろと苦しいことはあるけど、確実に前より成長している自分を感じた。

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大盛況でした - $100K Executive Summary Contest

2009-02-07 08:37:48 | MBA: クラブ活動・講演会

2日ほどご無沙汰しました。
例の$100Kのコンテスト、昨晩大盛況にて終了。
400人定員の会場に人があふれるほど集まり - のべ500人以上だったんじゃないかと-  内容も結構楽しんでいただけた様子。

準備で特に大変だったのは、前日の夜中と当日の朝。
それこそ、夜の3時間程度のうちに100通近いメールのやりとり、加えてやり残した仕事もやらなくてはならない。

5日は、昼に夏のインターンの面接があったのだが、そんな状況で面接の準備をやる時間の余り無かったので、その場力で何とか乗り切る。
それから授業に駆け込み、終わったらイベント会場へと急ぐ。
私と一緒にEvent LeadをやってるAmandaは、午後の授業がなかったとのことで、既に受付のセットアップなどを終わらせてくれていた。感謝。

直前のリハーサルと事前調整。
イベントの台本は事前にBrianと私で書き上げた、エクセルで書いた2ページに渡る詳細なもの。
どのタイミングで誰が何をするか、スクリーンには何が出てるか、などの指示が書き込まれている。
それを、MIT-AVという、会場のオーディオビジュアルを取り仕切る技術者の人たちと打ち合わせ。
今回はPollEverywhereという、MITの2年生が起業して作ったオンラインソフトウェアを使って、会場から人気投票をやったのだが、それが会場でちゃんと動くかどうかのテストも。
イベント開始の7時まで走り回る。

7時。
会場のドアが開かれ、聴衆がどっと入ってくる。
7時15分。
会場の明かりが全て消え、スクリーンいっぱいに$100Kのプロモーションビデオが流される。
しばらくオーガナイザーからの説明やスポンサーへの感謝のメッセージがあり、Brontesという歯のの3D映像化をする会社の社長による講演へ。

彼は$100Kが、まだ$50Kだったころのビジネスコンテストで優勝し、この会社をはじめた。
その後、何に苦労したのか、どう解決したかなど、詳細に語られる。
Brontesは3M(スリーエム)という、化学素材や文房具、医療品などを扱う巨大メーカーに吸収されるのだが、そのあたりの裏話まで。
講演時間が予定より15分も長引いてしまい、焦る。

それから次回行われる、$100Kで最も大きなコンテスト、BPC(Business Plan Contest)の説明。
ここが手短に終わり、何とか時間内に終わりそうな予感。

そしていよいよ、今回のコンテストESC(Executive Summary Contest) の決勝へ。
開発、ライフサイエンス、エネルギー、携帯電話、Web/IT、消費財&サービスの各分野から、5チームずつのFinalist(決勝進出者)、計30チームが会場に来ている。
優勝者は事前にVC/PEや各企業から選ばれた審査員が選出しており、それを発表。

各分野の優勝者は60秒のエレベーターピッチをやり、会場からの投票で選ぶ賞も。
さっき書いた、PollEverywhereというオンラインサービスを使う。

こんな感じで瞬時に結果が出る。

9時に終了。
終わったーと思って、緊張が解けたら、どっと疲れが出て、急におなかがすいてくる。
みんな疲れてるので、片付けだけやって、解散した。

お疲れ様でした。

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急に忙しくなった。 -MIT $100Kのイベントを控えて

2009-02-03 15:55:11 | MBA: クラブ活動・講演会

急に忙しくなった。
昨日まで、ゆっくり料理したり、半導体業界について考える暇があったのがうそのようである。

私も主催者をやっている、MIT $100Kの大きなイベントが木曜夜に迫っていて、ボストン時間であと72時間を切ったところ。

朝から何回かミーティング。
メールを送ると、次から次と返事が返ってくるから、また返事して、と仕事が終わらない現象。
もう夜中の2時を回ったというのに、まだメールが来る。
そろそろ打ち止めしないときりがない、と思うが、まだ来るので返してしまう。
ついにメールソフトを落として強制打ち止めに。

何故こんなに急に忙しくなったかというと、冬休み中海外その他に出ていた人たちが、漸く帰ってきたから。
で、やっと仕事が進むようになったところで、イベントが3日後に迫ってるという状況。
あと、私が相変わらずラストミニッツな性格で、周りの人たちも同様だった、という理由もある。
しかし、一応イベントのロジ責任者である私がガンガン尻を叩き始めたら、いろんな人が協力してくれたり、動いてくれたりして、そのまま止まらなくなくなってる感じ。
恐らくこのまま木曜まで走り続けるのだろう。
新学期の授業の予習もたくさんあるし、ディナーやインタビューもあるし、今週はいきなり死にそうだな・・・

私の$100Kでの役割は、色んなイベントが回るようにすることなんだけど、雑用がかなり多い。
会場のセットアップ、大学のオーディオ・ビデオサービスやケーブル会社との交渉。
参加者の名前を集めて、名札の印刷に出すとか。
プレゼンテーションパックのドラフトを作って、リーダーたちに指示を仰ぐとか。

雑用とはいえ、馬鹿に出来ない。
日本では当たり前にやっていた雑務でも、アメリカでやろうとすると、いろいろ勝手が違い、上手くいかないことも多くて、いちいち勉強になる。
アメリカで仕事しようとしたら、どんな時も雑務は発生するわけで、その基本的なやり方やコミュニケーションの方法を学んでおくのは、悪くない。

前にMBAを10年前に取った大先輩に、
「MBAの一年生なんて、2年生やリーダーの下働きなのは当然でしょ。特に留学生なんだから」
と言われ、そんなものかと、雑用でも何でも頑張ってやり始めたのはよかった、と思った。

下働きとはいえ、最初の1学期は、2年生のリーダーの指示に従っていろいろやっていたのが、
今回は自分で考えて、いろいろ準備しないとならない、というところがちょっと役割が進歩。
一応、イベント・リードという名前の役職になっている。

こうやって、何回かイベントの主催をやっていくうち、アメリカでネイティブたちとイベント主催をするということが当たり前になったら良いな。
そして、2年生になった頃には、もう少しリードを取れるようになったらよいと思う。

てなわけで、木曜夜まで(東京時間金曜の午前中まで)若干更新が滞るかもしれません。
でも、出来るだけ一日一回は書けるようがんばります。

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MBAのクラブのリーダーになるには

2008-12-10 23:25:05 | MBA: クラブ活動・講演会

そういえば、スローンのワインクラブ、Vintner's clubのVP(Vice President)になりました。
要は部長ってことなんだけど。
名前はエラそうだけど、部長は5人もいて、仕事はワイン会を主催したり、ワイン関係のイベントをリードしてやっていく、というだけだから、実は大したものではない。

アメリカの大学のクラブって、Vice Presidentとかいう大層な名前をつけるのが好き。
Vice Presidentって、日本人の感覚で言うと、副大統領とか副社長ってことでしょ。
なぜ、ただの部長がVice Presidentやねん、とか思う。名前がインフレしてるよ。

それはともかく、重要なのは、スローン、そして恐らく他のMBAのクラブでも、代替わりは1年目の冬に行われる、ということ。
私が所属しているほかのクラブでも、今VPの選挙が行われているところは多い。
たとえば、$100Kは2月に代替わり。今活躍してるメンバーを中心にリーダー体制が組まれつつある。

これからMBAに進もうとしている人に言いたいこと。
こういう正式なクラブのリーダーとして、アメリカ人も含むみんなをリードしていく立場に立ちたかったら、1年の秋学期に、クラブでしっかり貢献をしておく必要がある、ということ。

MBAの一年生は忙しい。
ただでさえ必修科目が忙しく、就職活動もあったりする。
だから、「課外活動は、1年目の春学期から力を入れればいいから、取りあえず秋学期は必修
科目に集中しなさい」なんてアドバイスする人が多い。
私も、日本人のMBA出身者をはじめとして、何度もそういう話を聞いてきた。

でもそれじゃ、遅いんだよ、と今は思う。
もし公式のクラブ-学校から支援を得られ、今まで築かれたネットワークが生かせ、アメリカ人を中心にインターナショナルな環境-で活躍したかったら、1年目の最初からそれなりにちゃんと貢献する必要がある。
だって、最初の学期の貢献で、その後1年間のリーダーが決まっちゃうんだもの。

もちろん、それ以外のリーダーシップのとり方はいろいろある。
特に留学生を中心とする組織や、非公式な団体、あるいは団体を自分で立ち上げたりして積極的に活躍していくことは可能。
スローンは、SEEDやG-labなど、発展途上国でのプロジェクトをやる機会がたくさんあって、そこで活躍いていく機会もたくさんある。

ただ、西洋社会の(特にアングロサクソンの)ポリティクスを理解し、何とか自分の立ち位置を見つけながら貢献し、クラブの持つネットワークを活用して、アメリカ社会に溶け込んでいく、という経験は、やっぱり伝統的に続いている、正式なクラブでしか出来ないんだと思う。
自分が外資系出身だからかもしれないが、こういう経験って大切だと思うのだ。
そのためには、一年の秋学期から積極的に活動しておく必要がある、ということ。

若干偏ってはいるけど、これは事実だと思う。
今までそんなアドバイスを聞いたことが私はなかったので、一応偏ったアドバイスとして記しておきます。

←というわけで100Kでも今後も活躍できるように頑張ります。応援してね!


女子高生への講演会

2008-10-28 02:50:13 | MBA: クラブ活動・講演会

母校の大学で講演をすることになった。ちょうど年末東京に帰るタイミングだったので、引き受けることにした。

母校で講演するのは、これで2回目。他の広報関連の出演も含めると4回目だ。
こういうのって、同じ人に依頼が固まりやすいみたい。3年前、出身学部の先生に頼まれて、母校の就職ガイダンスの講演会でしゃべったのをきっかけに、いろんなところから声がかかるようになった。

はっきり言って、自分は何も成し遂げてきたわけでもないし、正直、語るものは何もない。ただ講演会としては、成し遂げた人だけでなく、未だ発展途上の人にも何かしゃべってほしいので、そういうときに発展途上人の代表として呼ばれるようだ。

今回は、女子高生とその保護者向けに、大学に行きたいと思わせるのが目的の講演会、というもの。
引き受けたものの、何をしゃべるか難しい。
そもそもこういう講演会に来る女子高生って、何を聴きたくて来るんだろう。
保護者は分かりやすい。
しかし女子高生の方はどうか。
「えー、大学でそんな経験も出来るのー?すごーい。行ってみたーい」と思って、受験直前のその時期、勉強に俄然やる気が沸くようにすればいいのだろうか。それって何?
好きな勉強がたくさん出来るよー。もうたくさんといわれるに違いない。
サークルとか恋愛?そんなわけないよな。

ほかの大学とうちの大学で迷ってる人を引き込む?それもちょっと違うだろう。

ちょっと考えて、うちの大学とどこかで迷ってる学生ではなく、すでにその大学に行こうとすでに決めている学生に、その先を見据えられるような話をすることにした。

大学に入ったばかりのころ、「なりたいと思っている以上に自分が変わらなきゃ、大学なんか来た意味はないよ」と先輩に言われた。
ずっと科学者になりたいと思って大学に入ってきた自分にはこの言葉は衝撃で、実際、科学者以外のキャリアを選択し、思ってもいなかった自分になった。
大学というのは、あなたが思っている以上に、自分の可能性を広げたり、自分自身を変えたりするきっかけがたくさんあるところなんだ、という話をしてみようか。そのほうが、素直に話せるような気がする。

良いアイディア募集中です。


MIT100K Elevator Pitch Constest

2008-10-21 07:42:59 | MBA: クラブ活動・講演会

土曜は朝から晩まで、100Kのエレベーター・ピッチ・コンテスト。
MITのビジネスコンテスト、100Kの最初のコンテストで、賞金総額は実際には$10K(100万円)くらい。優勝者には$5K(50万円)が授与される。
審査員も豪華な顔ぶれだ。有名PEやベンチャー・キャピタルのCEO、創業者、電話会社など事業会社のCEOや商品企画部長のような人もたくさん来ている。

オーガナイザーの我々は、朝8時半に会場に集合。2時間半くらいで会場のセットアップを終了。

私は部屋のセットアップと、外の巨大な黒板のデザインをやった。

テーブルを、高さ4メーター近くある黒板の前まで引っ張ってきて上に乗り、直径3センチくらいある太いチョークでエレベーターの絵を描いた。
コンテストでのプレゼンの制限時間が60秒なのにあわせて、60階にした。
エレベーターピッチ、というのはもともと、エレベーターで偉い人に出くわした時、自分のアイディアやプロジェクトの状況などを手短に説明する、というものらしい。だから、ダブルのスーツを着た「偉い人」?も書き加えてみた。

この絵は、会場ではちょっとした人気に。写真を撮ってくれている人もいて、ちょっと嬉しかった。

11時から予選の受付開始。長時間にわたる予選。

今回、実は私もワイン関係のネタを引っさげて出場した。
MIT SloanのエントリーがHBSより少ない、と聞いてオーガナイザーの内数名が立候補したのだ。

当日になって作ったピッチで、途中の一部分を度忘れしたのだが、何とかごまかして最後まで。
取りあえずは、チャレンジすることが大事、ということでよしとしよう。
周りの友人たちは皆、「とても良かった!」、「あのアイディアはいい、俺が最初の客になる」、などと声をかけてくれて、アメリカ人って優しいなあ、と思った。

予選は4時にやっと終了して、パーティへ。

そして7時からはついにフィナーレだ。
会場はすごい人。すごい熱気。
配った風船をみんな膨らませて、バンバン叩いている。球場みたい。

司会は、われらがエンターテイナー、Joshua。
素晴らしい司会技を披露してくれた。本人も相当楽しんでいたみたいだ。

彼は本当に「魅せる」ことが好きで、普段もロック歌手みたいなファッションで学校に現れる。前職はイベント・コーディネーターだったという。
今年の夏休みは、東京の原宿に行って、ファッションをいろいろ学んできたよ、と前に私に話してくれた。
「原宿はすごい。若い人が皆とてもおしゃれだ。アニメの主人公の格好をした男性とか、黒い人形のような女性とか(ゴスロリ?)、とても刺激になったよ。」と語っていた。

予選で選ばれた10名がファイナルに出場。
みんな、予選の時より緊張しているのか、用意もない状態で突然指名されるせいか、気のせいかさっきよりピッチが下手になっている?

しかし、最後のプレゼンターはすごかった。エレベーターピッチ自体も上手い。落ち着きがあり、山あり谷ありで面白く、ちょうど60秒を使い切った。それだけでなく、内容もすごいのだ。エネルギーをロスがほとんどなく貯めるための技術を開発し、その特許を持っているという。

優勝者は、会場の投票も、Judgeも一致して、その最後のプレゼンターに決定。
賞金5000ドルが贈られる。

会場はスタンディング・オベーションで彼を祝った。

最後に片づけを終えて、会場を出たのが夜の10時。そして打ち上げへ。
本当に、長い一日だったが、他のオーガナイザーや出場者とのコミュニケーションで学ぶところも大きかった。

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楽天の三木谷社長に会う

2008-10-17 14:07:45 | MBA: クラブ活動・講演会

日曜の夜は、2年生から突然召集が。
楽天の三木谷社長が、ハーバード大学のイベントに出席するためボストンにいらしたので、急遽彼を囲んでのディナーが開かれることになったのだ。

HBSから8人、MIT Sloanから15人で、計23人。3つのテーブルに分かれて座り、三木谷社長と、楽天の米国支社の役員が行き来する仕組み。私のテーブルは三木谷社長が最初に座ったテーブルだった。

日本の有名IT起業家では、DeNAの南場さんとサイバーエージェントの藤田晋さんに直接お会いしたことがある。三木谷社長は二人とは、また全く違う雰囲気を持つ人だった。たとえば南場さんは、いつも色んなアイディアに溢れていて、ちょっといたずら好きで、Talkativeな女性。三木谷さんはどちらかというと、人の話をじっくりと聴くほうで、余り自分からはお話にならない。聴きながら頭の中でパズルを組み合わせて、じっくり理解するタイプだと感じた。

一番印象に残ったのは、30種類以上もの事業を抱え、年に10%以上成長し続ける企業を運営するのに必要な、CEOのバランス感覚だ。どの事業に、CEOとして注意を払い、どのレベルまで到達したら、部下に完全に任せるか。
楽天内部にそれを判断するための軸もいくつかあるそうだが、私には彼自身の絶妙なバランス感覚で判断しているように見受けられた。そしてそれは、彼の、人の話をじっくり聴きながら、事業の細部とその人の人間性の両方を理解する、彼のスタイルから生じているように思えた。

楽天の最近の事業展開について。
楽天は一昨年あたりから、積極的に海外展開をしている。昨年は台湾とルクセンブルグへの展開。私としては、このあたり詳しく聴きたかったので、いろいろな方向から質問をしてみたが、彼は余り話したがらない。IP電話のフュージョンの買収についても誰かが突っ込んでいたが、「あれは向こうから来た話で、断れなかったんだ」というだけ。やはり、どちらに転ぶかまだ分からないものに対して、CEOとしてはコメントできないのかもしれない。逆に楽天アメリカの話は割としてくれたので、アメリカでサービスが立ち上がる日は近いのかもしれない。

もうひとつ面白かったのは、楽天の中での新規事業の投資方針。特に、一度通った話は多少うまくいかなくても、割と長いスパンで投資をし続けるとのこと。このご時勢、短期的なリターンが求められることが多い中珍しい。じっくりと情勢を見て判断する三木谷社長のスタイル、ともいえるのかもしれない。

たとえば米国進出は2005年にLinkShareを買った時から始まっているが、3年たった今もまだ楽天モデルの導入は時期尚早と見て、やっていないそうだ。でも投資はし続けている。

多少損が出ても、じっくりと居座り続けて機を見計らい、最後に儲かるポジションを取る。
この会社のスタイルが、CEOの性格に密接につながっているところが見れたのが、一番の学びだった気がする。

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MIT 100K EPC Open Mic (2)

2008-10-12 04:33:33 | MBA: クラブ活動・講演会

$100Kの最初のコンテストまであと1週間だ。
自分の身近には、アントレプレナーを目指す学生がおおいせいか、だれも彼もが、自分の起業のアイディアについて話すようになった。Entreprener熱が高まっているのを感じる。

木曜夜は、月曜に引き続き、二回目のEPC向け演習会、Open Mic。

月曜はSpeakerとして出てくれる人が少なくて困ったが、木曜はすごい盛況だった。
部屋も段々になっている広い講義室をつかい、ビデオを撮る専門の人も雇ったので、本番さながらの雰囲気。

各スピーカーの持ち時間は60秒。
今回はプロジェクターに時間を映し出すことにした。ネット上に落ちてるStopwatchガジェットを利用。
こうすると、本人は時間に邪魔されないで、自分のペースで話せるが、聴衆にはあと何秒かわかり、もりあがる。

スピーカーは全部で16人が参加した。一人ひとりが全く違うスタイルで演じ、それに対するアドバイザーのフィードバックもなるほどと思えるもの。勉強になる。

アドバイザーは、昨年のWinner、Sloanのコミュニケーションの教授、さらに今回はVCのシニアプレジデントをお呼びした。

昨年のWinnerはMITのエンジニアリングの学部生で、今年21歳。
今までの人生で、あれだけ若くて、あんなすごい人を見たのは初めてで、衝撃を受けた。
フィードバックがポイントをついて的確、なるほどと思う。
話が面白く、引き込まれる。
スピーカーの良いところも悪いところも触れ、バランスが取れている。
それでいて、言葉が端的で、無駄が無い。
VCやPEが何を求めているか、ビジネスセンスも鋭い。
自分の起業で忙しくても、こういうところに無償でも来て、新しいアントレプレナーの成長へ投資する。

こういう人は、こういうMITや$100Kという場だからこそ、会えるんだよな、と思い、忙しいけどやっててよかった、と思った。

イベントの準備はほとんど私が担当したが、イベントの司会・解説は$100Kの副会長であるJimmyに全部やってもらった。私では、英語が流暢に操れないという問題もあり、まだまだ100Kを代表して人前で話せるレベルではない。もどかしいが、仕方が無い。イベントでしゃべることは目的ではないが、自分が成長するチャンスはほしいから、話せるようになりたい。

1年目のコンサルタントの時、スライドはたくさん作るけど、まだ客先ではしゃべらせてもらえなかったことを思い出す。スライドを話す練習を一生懸命して、マネージャーに見てもらって、初めてOKが出たりした。初心に返って、ちゃんとしゃべる準備もして、チャンスをモノにしてかないと駄目だな、と思った。

という話を、会社の往年のマネージャーで、リクルーティング担当をしているI氏に話したら、「あら、新鮮でいいじゃなーい」と言われてしまった。

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100K Open Mic !

2008-10-07 12:20:47 | MBA: クラブ活動・講演会

今日は、MITのビジネスコンテスト$100Kの最初のプレ・イベントを主催してきた。
その名も "Open Mic"。 まだ主催者チームも混沌とした状態で、初めて主催したイベントとしてはそれなりだったと思うが、反省点も多い。

$100Kは、以前書いたように3つのコンテストからなっている。10月に最初のコンテスト、Elevator Pitch Contest(EPC)があり、ここで参加者は自分のビジネスアイディアを60秒の魅力的なスピーチに仕立てて話す。
今日のイベントは、そのスピーチの練習を目的としたセッション。スピーカーは、当日と同じセットアップでスピーチし、去年のチャンピオン3人と、MIT Sloanのビジネスコミュニケーションの教授から、フィードバックを受けることが出来る。

私の仕事は、今週2回開催するこのOpen Micイベントの主催。5人のアドバイザーにコンタクトして来てもらったり、場所の予約や食事の予約を頼んだり、$100Kを主催している他のメンバーに頼んで、メールやWeb、ポスターを出してもらったり。

焦ったのは、開始直後は「とりあえず聞きに来た」モードの人ばかりで、自らスピーチをしようという人がいなかったこと。同じ人が2回スピーチをやったりした。でも、ひとり、ふたり、とスピーチをするうちに、だんだんやってくれる人が増えてきて、何とか場が持った。

こんな感じ。この彼は3回もスピーチをやった。
ちゃんとスピーチするするつもりで来た人には、これだけ皆が時間を使ってくれて、とても良い機会だったといえる。

参加者はのべ25人程度だった。想定していたより少ない。やっぱり連絡不足だったんじゃないだろうか。
後で、EPCに出るつもりの同期に聞いたら「知らなかった」という。

ここにいる参加者一人ひとりに話しかけて、「今日スピーチしてみないか」と聞いて回ったが、みんな「次回にしようと思っている」という。セッションを2回開催したのは逆効果だっただろうか。

次回のセッションは、木曜日。それまでに、もう一度マーケティングチームと連絡とって、メールや授業前のアナウンスを徹底させよう。スピーカーも事前にもう少し募っておくとか、やり方を考えないとならない。

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