気づきの日々

毎日、何気ない言葉や思いつきに、ふと気づかされる時があります。
そんな日々のことを書いてみることにしました。

目覚まし時計

2015-03-31 13:23:35 | 日記

昨日、夜中にドジをやって階下の人に迷惑をかけてしまった。
そのドジを引き起こした別のドジがあって、そこから繋がっているのだけど。(^^;

ここは月曜がゴミ収集日なので、前日からゴミを出す事が出来、
実家の父が指定ゴミ袋に入れて出せなくなったので、実家のゴミを持ち帰って出している。
一昨日、いつものように実家のゴミを車の後の荷台に積んで戻ったが、
別の事に気を取られていてすっかりその事を忘れていた。

昨日の夜中に目が覚めて、突然その事を思い出した。
(・・∂) アレ?
実家のゴミ、捨てたっけ?
(・_・;)ウーン…・・・
捨ててない!?
捨てた記憶がなかった。
他のことに気を取られて、すっかりゴミの存在を忘れていた!

朝の収集前に起きて、車内に積んだゴミを捨てないと!!!
そうだ!
目覚ましかけて寝よう!

灯りを付けて時間をセットし、
部屋の電気を消して時計をベッド脇のテーブルに戻したら
ガチャーン!!!
ギョッΣ(゜д゜lll)
時計が床に落ちて電池が飛び出してしまった。

あー、階下の人にまた迷惑をかけてしまったなー…
犬が起きて吠えるんじゃないのかなー…
いつもドジやってすみませんと思いながら、
灯りを点けて時計の電池を再びセットしテーブルに置き直した。
時間を見たら3:15分?くらいだったと思う。

意外なことにその時は階下?の犬は目が覚め無かったのか吠えなかった。
違う時間で吠えてて、もしかしたらいつも夜中にキャンキャン鳴いているのは
もっと下の階の犬なのかもしれないなと思った。

昨日、起きて時計の事が気になっていた。
暖かくなったので東の部屋へ移動して寝ているが、
3:15という位置が東を意味していることもあって
「東」が気になっていた。

自分の目覚まし時計の「時」を止めたのは、暗闇で見えないことが原因だった。
そして視界を明るくして、時計の電池を入れ直し「時」が再び動き出した。

ちなみに、その朝は目覚ましが鳴る数分前に目が覚めて
ちゃんと実家のゴミも車から出して捨てることが出来ました。
しばらく車内が臭って困ったけど。(^^;

この二つのドジの原因は
別の事に気を取られて、今までやっていたことを忘れたことと
暗闇で視点の先が見えないことだった。
それでなんとなく理解できた。
あー、自分のグルグル因縁を時計で見せられていたんだなと。

前回、私が東京で自分の時を止めてしまった原因は
先が見えない不安が原因だった。
それからずっと「生きたい」と思えていなかったこと。
それは自分の周りの環境(縛り)が変わらないことへの絶望からくる諦めだった。

今ここで「生きたい」と思わなかったら、今後生まれ変わりたいとも思わないだろう。
生まれ変わった所で、また同じ苦しみを味わう事になるのだから。
自分でここを乗り越えない限り、目の前の環境は変わらない。
生きているうちに「生きたい」と思えないと、その先の未来もないという事だと理解した。
でも変わろうと努力しても、ずっと変わらない現状を見て
「生きたい」と思うことも出来ないでいた。

それは暗闇で先が見えないからなんだ。
明るくすると、ちゃんと時計の状態が見えて対処も出来る。
明るくすればいいだけなんだ。
前は暗闇で見えなくて自分から時計を落としたけど、
今度はちゃんと明るくして「時」を再び動かした。
それが出来るという事でもあるのかな。

暗闇を明るくするのは「希望」の光なのか。
自分の中に、絶望とは逆の「希望」を見つける。
何も変わらない現状だからこそ、その先を信じる心が大事なのかなと感じた。
そこに向かって歩き出す。
希望が「生きたい」と思う原動力になる。

今も環境は変わらないけど、まるっきり前と同じ訳ではない。
自分の中で「見えてきたもの」もたくさんある。
目の前の視界が真っ暗闇の世界から薄暗い環境に変わったのは、進歩しているんだ。
やはり、自分で乗り越えるしかないんだな。

 

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積み重ね

2015-03-28 23:38:26 | 日記

「リトル・フォレスト夏・秋」をレンタルして見たら、前に一度見てたものだった。
後編?と思って借りたら前と同じものだった。
せっかくなので、もう一度見直した。

言葉が胸に響く。

前に見たときよりも、言葉が深く伝わる。
今だから、理解できた部分なのかもしれない。
前に見たときは消化不良で、やっと今理解できたような感覚だった。

なんだかグルグル因縁みたいだ。
同じ事を繰り返しているのだけど、前よりも深く物事が理解できてる。
繰り返しも「経験」と同じなのか。

そうか、だから積み重ねていくんだ。
やっとこれまでのことが肯定出来た。

だからどんな事でもリセットしちゃいけないんだね。
これまで私はいくつものドアを閉めてきた。
その戸を開けることから始めなくてはいけない。
自分が閉めたドアがはっきりと解った。


 

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逆境はチャンス

2015-03-21 10:36:25 | 日記

八方塞がりの時に、意外と見えてくるものがある。
私がずっと逃げていたもの、それが見えた。
自分では逃げているつもりはなく、むしろ向き合っていると思っていたけど
肝心な部分は逃げていた。
いつも自分じゃない誰かをアテにしていた。

家族の問題。
親の介護。
何度も同じ状況が回ってくるのは、自分自身がそこから逃げていたからで
多分、私にその因縁があるというのは、私が逃げてはいけない問題なのだと思った。
目の前の見たくない現実。
そこから逃げだしたい。
そういう気持ちが確かにあった。
だから兄に頼った。

でも今度は兄に頼れない状況になった。
あー、やっぱりそういう事なんだなと納得した。
これは私が見るべき問題であって、ちゃんと正面から向き合う覚悟が抜けていた。
私の気持ちが逃げたくて問題を直視できずに横を向いていたから、
結局それは逃げ道になってしまうのか。
自分の目の前にまっすぐな道を作るのなら、この問題から逃げてはいけない。
ちゃんと向き合って自分で出来る事を考えながら解決して前に進む。

その進むべき道が見えた。
自分の真っ直ぐな道の向こうにある未来。
足元が見えた。
ここから自分はスタートする。

前と同じ状況だけど、気持ちは全然違ってる。
愛も責任もどちらも許容範囲内で、どっちも出来ると思う。
自分の中でちょっと容量が増えた感じ。(笑)
両方、投げ出さずに精一杯育ててみよう。
自分がたどり着きたい未来が、そこに見えているから。

逆境はチャンス!
覚悟してすべてを受け入れて前を向くと、ポンと未来へと続くドアが開いた感じがした。
そのドアは自分の目の前にしかない。
それが解った。
私自身は何もしていないし環境も何も変わらない。
だけど向き合い方が変わるだけで、見方が180度変わってくる。

怖がらずに覚悟してドアを開けて、一歩踏み出せばいいだけなんだね。

 

 

 

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2015-03-15 13:28:12 | 日記

昨日久しぶりにハウステンボスへ行ったら、随分と様変わりしていた。
年間パスポートを止めてからだから、2011年3月以来の4年ぶり。
星座の館やオルゴール屋さんがなくなって、代わりにホラーモノばっかりになってた。

やっとマイカーで行けるのに、4月から平日無料の駐車場優待もなくなるらしい。
どうしようかと迷ったが、やっぱり年間パスポートを作ることにした。
4~5回行けば元が取れるし、花が綺麗なので散策の運動も兼ねて(笑)
毎回思うが、こんな西の果ての田舎なのにチケット代が高すぎるよー。

散策して気づいたが、
前に感じていた「ゆったりと流れる時間」がなくなっていた。
前はオランダの町並みに旅行に来ているような、日本の中の外国という感覚があったが
今回は日本そのもの。(^_^;)
変なホテルという変なのも出来てるし、留守にしてたらトンでもない状態に変わり果ててた。
(゜o゜;;

オルゴール屋さんがあった場所は「メロディ・イン・ザ・ダーク ~オルヘルハウス~ 新章」に変わってた。

その左隣を見ると、これまた変な恐怖のアトラクションがあって凄いことになってる・・・
「こんなの見たくもない」と思って、その場を離れた。
離れたあとで気付いた。
見たくない!?…  暗闇を!? ( ゜д゜ )!

こうやっていつも避けて通るから、次第にその周りに恐怖シリーズが増えてくるのかな?
そして自分で見れる範囲が少しずつ狭くなっていく。
なんだか平和のオルゴールの音がなくなって、
代わりに恐怖の音が増えているような感じがした。
それが呪なの?
オルゴールが雁字搦めで縛られて動けずに音もなくした状態に思えた。
そう言えば昔友人に貰ったオルゴールを横に保管してて、音がならなくなった事がある。
オルゴールの音が横になって眠っている状態なのか・・・
その原因を作ったのは紛れもなく私だった。(^_^;)

道の途中で「見たくない状況」があっても逃げないでちゃんと見ようと決めたので
また戻って中に入ることにした。

案内で「前の人の後に続いて歩いてください」と言われたけど、真っ暗で見えない。
これが本当の暗闇?
見えないから「何かにぶつかって転びそうな不安」がある。
それが一番怖かった。
それが私の「見えない暗闇の恐怖」の原因だった。

最初は手探りで進んでいたが、ふと「足元を見る」という言葉が浮かんだ。
そうだ!こんな時は足元を見て歩いてみよう!
あれ?足元にうっすら光が差してて、歩く方向が解かるぞ!
あっ、ここから不安定に動く床に変わってる。
そういう情報を前もって察知出来るので、
環境が変わって床が突然揺れても全然怖くなくなかった。
第一段階、クリアー。(^_^;)

次は小さなシアター会場になってた。
モノマネタレントのまっちゃんと冬さん、「オダマリ!」の憲さんが役者さんで
天才オルゴール職人と、彼を妬んで呪いを魔女に頼む職人と魔女のドタバタ寸劇。(笑)

魔女がかけた呪は「有名人の名前」で、
それをまっちゃんがモノマネしてというのを三回やってた。
そして最後に「うしろ」と言って、皆がうしろを振り向いている時に
案内役の仮装した人が前に来てて、向きなおしてビックリするという
注意をそらせて、驚かせるパターンだった。

でもね。
すっごく、解り易い真実があった。

呪は「モノマネ」だったということ。
だから掛けられた呪を解くのは「本物」になればいいだけ。
人に憧れてその人の真似をしても、それは本来の自分では無いということに気付く。
誰ひとり同じではないというオリジナル。
今の足りない自分をありのまま受け入れて、
そこから本物の自分だけのオリジナルになればいい。
それで呪は解けて、自分本来の音が戻る。

暗闇に入らないと、見えてこなかった真実だった。
だから怖がって避けていては、いつまでも見えてこないのかなと感じた。

最初はハウステンボスが変な方向に行っていると感じてたけど、違ったね。
この現実は、自分の胸の中と同じだという事に気付いた。
誰かのマネをして見えなくなって自分の音を捨てたり、
見るのを避けて閉めた恐怖の部屋がどんどん増えていった私と同じ現状を目にしていた。
だからこそ、その逆もありだって解った。

今後、ここから恐怖の部屋を減らして笑顔の部屋を増やしていくには
自分の中の恐怖で閉めた部屋を一つずつ開けて、ちゃんと見ればいいだけなんだ。
そして心の笑顔が増えれば、自分が見る目の前の現実も変わっていく。

それをやってみようと思った。

前にはなかった「ハートの広場」も増えてたよ。(*´∀`*)
  

その後に寄ったアムステルダム広場で演奏を聴いていたら
演奏者の後ろを2頭の馬車に乗ったウエディングカップルが通った。

右上のライトの下を馬車が通っているのが小さく写ってました。^^

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外ではなくて内側にある問題

2015-03-11 11:30:06 | 日記

ちょっと解った事がある。

この地で、私が最初にやらなきゃいけない事。
それは「生まれて来ることを望んだ自分の家族」に対して向き合うこと。
そしてずっと避けていたものと向き合って和合すること。

私の怒りの最初の記憶ってなんだろうと振り返ったら、父がいた。
幼い時から父は私をとても可愛がってくれていた。
それは自分でも感じていたのに、短大時代に父の事を聞かれて
私は「嫌いです」と答えていた。
何よりも父の癇癪が大嫌いだった。

父は気に入らない事があると、すぐに怒って近くにあるものを投げつける。
手がつけられない状態なので、家族は怒りが収まるまでじっと耐えるしかなかった。

母を庇うために祖父と父が大喧嘩したとき、私は二人の怒号に怖くて泣いた。
中学生だったと思う。
兄はそんな私を見て「泣くなー!!」と叫んだ。
兄の心も悲鳴をあげていたのかなと、今なら思える。
でも当時の私は精一杯の「泣く」という感情も否定されて行き場を失っていた。
その時の感情を無意識で封印してしまったのかもしれない。

父は運転中でもよく怒っていた。
いつも通る道が工事中になっていたら、それだけでカッカして怒る。
私も母も、その言葉を聞くのがたまらなく嫌だった。
でもどこにも逃げられないから黙って我慢して聞くしかなかった。

父は長男だから、いつも父中心で物事が進む育てられ方をしていた。
だから自分中心でしか見れないのも仕方がないことで、
それは父が母を介護していく中で学ぶ事があったのかなと思う。
今の父は、だいぶ丸くなっているから。

問題は私の心だ。
その時出さなきゃいけなかった感情を、
ずっと自分で抑え込んでしまったことにあったと感じた。
母も同じだと思う。
だから母は亡くなる前に「今まで抑えていた感情を出した」のかもしれない。

でも、私も父と同じ事をしていたなと過去の自分の姿を通して気付いた。
子供の頃に感じた怒りの数々が外に出せずに自分の中で燻っていて
それが事あるごとに、他のものにあたって発散していた。

私だって父に負けないくらい短気なんだ。
レジに並んでいて、他のレジがどんどん進み
自分のレジだけ進まずに滞っているとイライラしてくる。
父の運転中の「道路工事」と同じだった。

昨日も思わずイラっとしたことがあった。
パソコンでプログラム更新のお知らせがあって処理していたら
「再起動が必要」と出てきた。
再起動してやってたら、また「再起動が必要」と出てくる。
その繰り返しにイラっとしたけど、「あっ、また自分で怒ってる」と気付いて
よく考えたら自分の操作が違っていたとか、解釈が足りてなかったとか
そういう事が原因で出てきた事が解った。
怒りを通して、問題は外じゃなくて自分の内側にあるという事に気づくために
父の怒りがあり、兄の怒りがあり、自分の怒りがあったのかなと思った。

そこを見ずに過去の私は家のゴタゴタから逃げたくて東京へと出て行った。
だから「まだ見てないよ」という事で、戻ってきたのかもしれない。

 

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