気づきの日々

毎日、何気ない言葉や思いつきに、ふと気づかされる時があります。
そんな日々のことを書いてみることにしました。

よく考えて決める

2015-01-31 23:14:45 | 日記

自分が繰り返し、やってきたクセ。
それが今日見えた。

目先のことに囚われて、簡単に予約を取り消し、別の所に変更する。
それを形を変えて何度も繰り返していた。

あー、だから信用されなくなるのか。
納得した。

ネットでの予約は、相手が見えないから平気で取り消したり変更したりする。
罪の意識もあまり感じない。
少しでも条件の良い買い物をしようとする。

でも、取り消された方はいい感じはしないね。
その相手を次からは信用しなくなっちゃうよね。

自分がした軽はずみな行動は、結局自分の所に返ってくるんだ。

じっくり考えて納得して決断しないといけないなと反省した。
軽はずみな「取り敢えず予約」は、やめようと思った。

自分の周りで起こっている事と、遠い世界で起こっていること。
決して関係ない訳じゃないんだ。
遠い世界のニュースも自分がやってきたことも、結局は同じ事をしてると思えた。

視点を変えて価値観を変えるだけでも、未来は変わってくる。
これからは目先の事に囚われるのではなく、相手の事をちゃんと考えて行動しようと思った。

 

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自力で脱出

2015-01-31 12:54:15 | 日記

今日見た夢。

ホテルの部屋?でパーティーがあるらしく、私と別の女性と二人で秘書みたいなことをやってて
指示されて接客の準備をしていた。
お風呂に湯をはったり、アメニティーを準備したりしていて、
次の人がシャワーだけでいいというので、
それなら別のホテルの部屋(それもオーナー所持のホテル)がいいかなと思って
二人の男性(外国人っぽい)をそこへ案内していた。

しかし、歩いているとどんどん離れて行く感じがして道に迷っていた。
私は丸いカラのポシェットを左にかけてて、右手には「鍵」を持って探していた。
携帯も持ってきてないのに、連絡出来たみたいで話をしていて
今いる場所が「携帯の位置情報」みたいに見えてきた。
やはり、ホテルからどんどん離れて行ってて、左端の方へと歩いていた。
この位置情報を見ながら歩いて行ったら無事にホテルへ戻れると思ったので安心した。
そこへ向かっていたような感じ。

いい夢に思えた。
皆、自分が「今どこに立っているのか?」という位置情報をイメージできる「鍵」を
自分の中に持っているけど、それを忘れているような…。
そんな機能があることさえ忘れてしまっているような、そう感じた。

野生の動物は本能として備わっているよね。
それと似たようなもの、自分の中にもあるのだと思う。

昨日、テレビのニュースで「ネコ、自力で脱出」という見出しをみたもの。
きっと、自力で脱出できるんだと思った。

 

 

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ドライアイ

2015-01-23 12:45:05 | 日記

昨夜、エアコンで目が乾いてきたので目薬をさした。
さしながら思った。
潤いを外から補給するのではなくて、自分の内側から補給しなくちゃ
いつまでたってもドライアイは治らないなー。。。

 (・・∂) アレ?

あー、自分の内側から愛を出して心に潤いを与えない限り、心の乾きは治らないのか!

昨日読んだ「マンガギリシャ神話」の中の一場面を思い出した。
アポロンの愛を受け入れる事へのプレゼントに「予知能力」を与えられたトロイア王女カッサンドラが
その予知能力で「アポロンが自分の元から去って捨てられる未来」を見てしまい
悲しい結果を招くのならと、アポロンの愛を拒んでしまった。
どうせ苦しむと解っている愛なら、最初からあきらめる。
そうすれば傷つくこともないと。

でも、その後の彼女の運命は悲惨なものだった。
アポロンの愛を拒んだ為に予知能力は与えられたけど
誰も彼女の予知能力を信じてくれないという悲しい運命が待っていて
そして最後に気づく。
未来なんか見えなくても、誰か一人でも自分のことを信じてくれる、
そんな普通の生き方がずっと幸せなんだと。

自分を守るために愛をあきらめるのは、私も同じだ。
もう傷つきたくないからと、それ以上前に進めなくなく。
そこに至るまでの悲しい経験があって、それが「予知」と似ている。
予知も過去の経験も同じなのか。

人は悲しい出来事があると、その場面だけが記憶に残ってしまう。
その時の心の傷が強烈だから、そこで時間が止まってしまうのだろうな。
そこに至るまでには悲しいことだけではなくて嬉しいこともたくさんあったのだけど
それらはすっかり忘れてしまうんだ。
自分で手繰り寄せないと見えてこない。

その時気づかなくて、後で大切な事に気付くことってたくさんある。
その時は解らないから、それがそんなに嬉しいことだって気づかない。
でもそれがなくなって、とても愛おしいものだと後で気づく。
そういう事って、いつも後になって解るんだ。

そう考えたら、例え悲しい結末が待っていると解っていても
そこに至るまでの喜びもたくさんあるのなら、それは幸せな事なのかもしれない。
それを経験出来るというのは、心が潤うことで幸せな事なんだ。
最後の悲しみばかりを見てしまうけど、ちゃんと喜びもある人生なんだ。

だけど最初から愛を拒絶したら、心の傷は少ないかもしれないけど喜びも生まれてこないね。
何も起こらないというのは、自分を潤す事も出来ないのかもしれない。
傷つくというのは、その奥に隠れた愛を知る事でもあるのかな。。。

人は生まれてくるときも去る時も皆違っているから、皆いつかは自分の元を去ってしまうもの。
そう考えたら最後の結末を気にするよりも、その途中の人生をじっくり味わって楽しめばいいだけなのかもしれない。
自分から心を潤すこと、愛することを恐れてはいけないなと思った。

 

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問題を解く

2015-01-20 14:06:12 | 日記

簿記の問題集を解いた後で、ふと思った。
理解したら解けるんだ!
前にも感じたことだけど、今日もまた感じていた。

「よく解らないし難しい…」と思っていた問題も、理解したら解けた。
理解していないから難しいし、よく解らないんだ。
目の前の問題を理解すればいいだけなんだね。

あー、因縁も同じなんだろうなと思った。

以前、思ってた。
因縁って何?
どうやって解消するの?
自分じゃ、よく解らない。
そもそも、自分の因縁が何かも知らない。
だから解る人とか、見える人に聞こうと思った。

でも、いろいろと試行錯誤を繰り返して解った事がある。
自分の因縁は自分しか解らないし、だから自分でしか解けない。
そうだよね、自分の人生なのだから。

考えても聞いても「これですよ」と教えてくれるものではない。
差し出されても自分で理解していなかったら、さっぱり解らない。
解らないから自分とは関係ない事のようにさえ思ってしまう。

「前は解けなかった問題が、理解したら解けた。」

目の前の問題自体が因縁なんだ。
躓いて止まってる状態、何度も間違いを繰り返している問題、嫌で逃げている問題、
何故そうなってしまうのか?それが解らないから解けないままなのだ。
振り返って、原因を理解したら解ける。
解けたらもうそこで躓かないし、繰り返さないし、逃げる必要もない。
どんどん前へ進んでバージョンアップ出来る。

問題も因縁も一緒なんだだなと納得した。

生きてる限り、それを解く事が出来る。
もしかして生まれてきた理由って「今まで解けなかった自分の因縁を自分で解く」事だったのかな。

これまでの人生を振り返って、逃げてきた事に再挑戦しようと一昨年運転免許を取得した。
そして今度は簿記に挑戦している。
年を取って覚えられなくても、理解したらいいだけなんだと解った。
理解したら解けるようになる。
年齢は関係なくて、やろうと思った時が「その時」なんだね。

この「問題を解く」は、自分の人生のいろんな場面で応用が効いてる。

 

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あるがまま

2015-01-12 12:08:56 | 日記

自分の姿が客観的に見えて笑えた。
まるで私は「教育ママ」のようだと。(^^;

自分が望む状況に相手が答えてくれない時、なんで解ってくれないのだろうと落ち込む。
相手を責める。
何度も自分の想いを伝える。
でも相手からの反応とか手応えがない。
そのうち、いつまでも同じ事をやってもしょうがないと思い始める。
自分の勘違いだったのか?と思い始める。
そしていつしか、想いをぶつける対象が別の方向へと離れていく。
自分の想いを叶えてくれる対象を探す。
その繰り返しで、ここには「自分しか見てない私」がいた。

相手は自分とは違う個性を持っていて、だからこそいろんな事を気付かせてくれる。
思い通りにならないからこそ、いろんな事が見えてくる。
その時、相手ではなくイラついている自分を眺めたら客観的に見えてくる。

あー、まるで教育ママだなと。
笑えた。
しょーもないな、自分。(^^;

でもそれに気づけたことは大きい。
これからは相手をあるがままで見ようと思った。
今まで見ていたのは「自分が望む相手の姿」だったのかもしれない。
無意識で自分が作り上げた脳内フィルターで見ていた。
だからそれと違ってている相手の行動や現状に戸惑っていた。
相手を見ているようで、見ていなかった。

あるがままとは、どんな部分も引っ括めて相手をそのまま受け入れるということ。
相手の言うことを聞くというのではなく、ただそのまま受け入れて見るということなのかな。
受け入れてその時感じたものを、自分で見ていけばいいだけなのか。
反発する感情が起きたら、それは受け入れてないということだから、
何故受け入れられないのかの原因を見る。
そこを見ていったら、反発はなくなった。
そうやって、違う個性を受け入れていくことが、戦争を無くす事に繋がっていくんだ。

相手を見ているようで、本当は自分しか見ていなかったなと過去の自分が見えた。

内側を見る作業から、同時に外側も見ていく作業へと範囲が広がったような感じがした。

 

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