なりたいじぶんになる (旧30代後半女子・TGP込みの日記)

結婚2年目で3回目の人工授精で妊娠!2014年に長女出産。2018年、2回目の体外受精で次女出産。アラフォー母の日記。

34週妊婦健診

2018-04-26 11:17:36 | 第二子(厳密にいうと第三子)妊娠中期〜後期
昨日、妊婦健診へ行ってきた。

最近、以前よりもお腹が張るようになってきており、しかも健診の前日はそれが顕著だったので、もし診察してもらい、入院とかにでもなったらどうしよう、と密かに不安だった。

ついでに、健診の当日は、やたら体がだるく、足も重いしで、何もしていないのに疲労困憊。
胃の調子も悪いし。

で、病院到着。体重は二週間前の健診より0.4キロ増。妊娠前からは6キロ増。

娘の妊娠中は、後期は体重コントロールのために、散歩に励んだり、夜は主食抜きにしたりなど、いろいろ努力して、トータルで10キロ未満増に抑えれたが、今回の妊娠では、ありがたいことに、体重に関しては、あまり努力することなく、いけている。

尿検査では、この日、尿蛋白±。以前も、調子が悪い時に同じように±になった。
やはりかという感じ。でも、今回で2回目だし、いつもは−なので、特に先生からは何も言われなかった。

で、エコー。
2500グラムとのこと。毎回言われるが、やはり大きいとのこと。
あまり大きくなると、入院して計画的に分娩する必要があるが、経産婦さんだし、多分大丈夫だろうと、先生に言われた。

大きめだと、予定日より早く生まれるのかと聞いたところ、それは関係ないとの返事。

あと、気になっていた、子宮頸管のながさを聞いたところ、問題ないとのことで、一安心。
服薬ならまだしも、入院となるとおおごとだもの。

この健診の1週間前に、マタニティクラス(分娩にまつわる話や分娩室、病室案内など。その医院で分娩するためには、受講は必須)に参加した。
参加者は8人くらいで、うち2人が切迫早産で入院中。そのうちの1人は、三人目妊娠中で、入院中なので、上の子供が心配だ、と涙ぐみながら自己紹介してくれたので、もらい泣きしそうになった。

なので、体はしんどくなってきていて、娘やだんなさんにいらつくことも多いが、普通に家で過ごせているのは、ありがたいことだなあと思った。



にほんブログ村 子育てブログ 不妊から出産、育児へ

病院主催の両親教室に参加してきた

2018-04-14 16:39:34 | 第二子(厳密にいうと第三子)妊娠中期〜後期
今日、だんなさんと一緒に、両親教室に参加してきた。

今通っている病院の産婦人科では、その両親教室に参加しないと、立ち会い出産ができないため。

娘を妊娠中にも、市が主催する両親教室に参加した。内容は同じような感じ。

でも、今回の教室に参加したことで、あと少しで出産なんだなあという実感が湧いてきて、緊張もした。

まずはじめに、実際の出産シーン映像を見せてもらった。それをみていると、娘を出産した時の陣痛の恐ろしい痛さが蘇ってきたが、無事に赤ちゃんが生まれてきた時には、自然に涙が出てきた。
その映像のお母さんも、とても幸せそうな顔をしていた。

その後は、立会い時に、だんなさんにしてほしいことなどを助産師さんから説明。

次に、赤ちゃんの人形を使っての抱っこ、オムツ交換、着替え、沐浴の仕方を教わった。

その人形は、3キロくらいの重さということだったが、軽い!新生児ってこんなに軽いんだと驚いた。

抱っこ、着替え、沐浴など、全てが懐かしく、そういえばこんなことしてたような気がすると、遠い記憶を懐かしく思った。

今日、参加した夫婦の中に、入院中の妊婦さんもいて、点滴をしながら参加していた。
切迫早産なのだろうか。その妊婦さんは、不安で大変だろうと思ったが、一方で、今のところ、自分は妊娠経過が順調なので、その妊婦さんのおかげで、自分の今の状況はありがたいことなんだなと思えた。

また、今日、使った赤ちゃんの人形くらいだった娘が、今では4歳になり、憎たらしい時もイライラする時もあるが、健康で元気で優しい子に成長してくれていることにもありがたいと思えた。


にほんブログ村 子育てブログ 不妊から出産、育児へ

父の入院から亡くなるまでのこと③

2018-04-13 09:13:16 | かぞくのこと
3月11日日曜の夕方、実家から自宅に戻ってきた。

そして翌朝、幼稚園に行く準備や、朝の家事をしている時に、母から電話あり。こんな時間に電話ということで、イヤな予感がした。

母いわく、病院からその日の朝に電話があり、父の血圧が下がってきてたり、酸素の取り込みなどが悪くなってきていて、状態が悪くなってきているとのこと。

娘を幼稚園に連れてってからすぐに病院へ向かうと伝えた。

まだ、洗濯干しや食器洗いが残っていたので、早くしなければ。
とにかくはやくしなければ、もう父に会えなくなってしまう。「はやくはやく!」という気持ち、「ついに父がいなくなってしまう」という気持ち、覚悟はしていたものの、やはりかなり動揺し、洗濯ものを干しながら、涙が溢れてきた。

そんな私に気づいた娘。心配してくれて、「どうしたの?」と聞いてきたので、「もうすぐ、じいちゃんが死んでしまう。お星様になってしまうの。おかあさんはじいちゃんがのことが大好きだから、じいちゃんがいなくなってしまうのがさみしいの」みたいなことを、泣きながら、洗濯ものを干しながら言ったら、娘、ヨシヨシと頭をなでてくれた。

娘を病院へ連れて行くことも考えたが、昨日も会わせていたし、父は娘のことを多分わからないだろうし、亡くなったとして、その後のことでバタバタするだろうし、何より、この日は、娘が楽しみにしていた、園外活動の日だったので、幼稚園に連れて行くことにした。

で、慌てて幼稚園へ。担任の先生も、父の具合が悪いことはあらかじめ伝えていた。なので、この日も、いよいよ父の状態が悪くなったので、これから行ってきますと泣きながら伝えると、「気をつけて行ってきてくださいね」と、優しく言ってくれた。

そして、その足で病院へ。
昨日、実家から自宅に帰ってきたばかりなのに、もうこんなことになるなんて。
気づいたら、「お父さん!お父さん!」言いながら、泣きながら運転していた。
会えますように。間に合いますように。
これを何十回と唱えた。
いつも通っている道なのに、やたら遠く感じた。

で、9時半頃病院に到着。急いで病室へ入ると、まだ父は呼吸をしていた。
「お父さん、来たよ!間に合った!よかった!」
まだいてくれたことがうれしく、安堵の涙が溢れてきた。

病室には母、兄がすでにきていた。
そうこうしてたら、母の姉も、わざわざ大阪から駆けつけてくれた。

父は呼吸はしているが、もちろん目は開けないし、動きもない。寝ている状態。

母が主治医の先生から聞いた話だと、早ければ、2、3時間のうちには亡くなるだろうとのことだった。

そして、11時半頃、下の清掃、オムツ交換にスタッフの方が来てくれた。
その時に、体位を変えたりして、それが刺激になったのかはわからないが、オムツ換えなどが終わった直後から、父の呼吸の間隔が長くなってきた。

そして、その長くなってきたと思ったら、呼吸をしなくなり、つけていたモニターの数字も下がってきたので、すぐにナースコールを押し、看護師の方に来てもらい、するとすぐに先生を呼んでくれた。

で、先生が来た時には、もう私たちから見ても、父は亡くなっている状態だったが、瞳孔などを確認してもらい、最終的に死亡が確認された。12時3分。


おつかれさま。
家族で看取れてよかった。間に合ってよかった。
さみしけど、なんかいろいろホッとした。

看護師さんが、ベッドの柵を外してくれて、近くに行けるようにしてくれた。なので、近づいて、父の顔をなでながら、「よくがんばったなあ、お父さん」と言った。

母やおばさんはもちろん泣いていたが、いつもはクールな兄も泣いていた。

そして、あとは父の歯磨きを最後にしてあげたいと思い、歯磨きをした。
入院して1週間くらいだったが、その間、絶食だった。口から食べないと、機能がおとろえ、痰がこびりついたりしてかなり汚れる。訪問診療で患者さんの口腔内を見て来たが、父の口腔内もそんな感じになっていた。
なので、20分くらいかけ、念入りに歯磨きした。
きれいな状態にして、送り出せるので満足した。

昼過ぎていたので、お腹が空いていた。こんなに寂しい時でもお腹は空くんだねえと、みんなで話して、少し笑った。



昨日で、父が亡くなって1ヶ月が経った。
母は、週3で行っていたパートを週4にふやし、私の方もすっかり日常に戻った。
父が亡くなって寂しいが、今までのように、父のことを心配する時間が減ったというかなくなったので、穏やかに過ごせている。

長い闘病生活だった。
これ以上、母や家族に迷惑をかけないようにと思い、さらには、気候の良い時期を選んで、父は逝ったのかな、なんて思っている。

昨日、母と電話で話していて、1ヶ月経ったねと言うと、母は気づいてなかった。
なんかそれに少し安心した。父のことばかり考えて、くよくよしているのではないんだなと。
さすが!

父がいなくなって1ヶ月。日常に戻り、相変わらずイライラすることは多いが、父に心配をされないよう、自分らしく生きていこうと思っている。



にほんブログ村 子育てブログ 不妊から出産、育児へ

娘の誕生日パーティー実家にて

2018-04-11 12:20:02 | 娘4歳0〜6ヶ月
3月下旬、帰省した際、娘の誕生日パーティーをした。

メンバーは母、兄、娘、わたし。

娘が0歳のとき、ハーフバースデーの際に、母に作ってもらった、フェルト製の王冠をかぶらせてみたが、キツキツになっていた。
大きくなってるなと、こんなとこで成長を実感。

パーティーのメニューは手巻き寿司。
娘はお寿司が大好きなので、嬉しそうだった。
実家ではよく手巻き寿司をするのだが、わたしが海苔に、ご飯とネタを乗せるとこまでお膳立てし、それを娘のお皿に移し、娘はそれをくるりと包んでパクリと食べるというスタイルを取っている。

好きなもんだから、そのスピードが速く、わたしは自分も食べたいけど、その合間に娘のお寿司も作らないとならんしで、この日もせっせと作業に励んだ。

で、無事に満腹になった後は、お誕生日ケーキ。
ケーキはあまり好きじゃない娘。
ローソクの火を消すのは大好きなので、嬉しそうに消し、肝心のケーキは、上に乗っているフルーツを主に食べ、あとはわたしがおいしくいただいた。

そして最後にプレゼント贈呈のコーナー。
あらかじめ、父母には、こえだちゃんの木のおうち、兄には、それ用の家具をいくつかリクエストしていたので、娘もニマニマ。

そして、大量のおもちゃのプレゼントに超ごきげん!

兄が箱を開ける係、わたしが箱を処理する係になり、せっせとおもちゃを取り出した。

ちなみに、兄には、いままでもよく娘にプレゼントをリクエストしてもらっているのだが、リクエストしたもの以外にも、追加でプレゼントをくれる。そして、今回も、家具のセットを3種類くらい頼んでいたのだが、さらに2種類くらい、追加でプレゼントしてくれた。ありがたやー。

兄は小物にシールを貼ったり、遊び方、使い方を娘にレクチャーしてくれて、本当に助かった。

そして、娘はごきげんで遊んでいた。

木のおうちは、父と母からということで、母は「これがじいちゃんからの最後のプレゼントだからね」と言っていた。

父は今までもよく、娘におもちゃをプレゼントしてくれていた。それらも含めて、今回のプレゼントも大切にしようと思う。

こうして、自宅と実家、二回も誕生日パーティーをし、良い4歳のお誕生日の記念になったのではないかと思う。



にほんブログ村 子育てブログ 不妊から出産、育児へ

前医が閉院した

2018-04-10 12:12:50 | 第二子(厳密にいうと第三子)妊娠中期〜後期
1週間くらい前、前に通っていた産婦人科から封筒が届いた。
開けてみると、閉院のお知らせだったのでびっくり。

昨年秋、院長が体調を崩し、さらには勤務医の女医さんが産休に入ったため、不妊治療や妊婦健診、分娩などは受け入れができない状況で、外来診療のみで病院は続いていた。

不妊治療の助成金の申請ため、今年の初め、病院を訪れた時には、患者さんは一人くらいしかいなかった。

なので、今後の経営や、院長自身の体調など、いろいろ考慮しての閉院という判断だったのだろう。

そこの病院で、娘を授かり、出産でき、さらに体外受精で今、妊娠できている。

なので、ほんとに感謝しかないので、そんな医院が閉院してしまうことは、かなりショックな出来事だった。

で、その封筒には、現在、その医院で卵を凍結している人は、今後、管理がそこではできないため、近くの産婦人科に、その凍結卵を移送することができるがらどうするかという案内も同封されていた。

移送先の産婦人科は、自宅からも近く、不妊治療でも有名なところ。その医院の好意で、このような対応を取ってもらえるらしい。

わたしもいくつか卵を凍結してもらっている。幸い、妊娠もでき、あと2カ月で出産を迎えられる状態。子どもは2人いてくれたら、3人目を希望することは、夫婦揃ってないのだが、いま、お腹の中にいる子が、無事に出産を迎えられるまでは、まだ残っている卵を、廃棄することはできないと思っている。

さらに、多分ないとは思うが、ひょっとして3人目を希望する気持ちになることだってあり得なくはない。

なので、だんなさんにもそれを伝え、了解を得て、いま保管してもらっている卵は、新しい医院に移送してもらうよう手配した。

それにしても、閉院は突然で驚いたが、最後までこうやって誠意ある対応を取ってもらえ、院長やその医院への感謝は増した。 本当に、良い産婦人科に出会えてよかった。


にほんブログ村 子育てブログ 不妊から出産、育児へ