言語空間+備忘録

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あと一歩のところで失脚した共産党幹部の例

2011-11-27 | 日記
茅沢勤 『習近平の正体』 ( p.28 )

 習が次期最高指導者に押し上げられた背景には、さまざまな要素があった。ただし、12年の第18回党大会で、すんなり後継に決まるかは、まだ疑問を差し挟む余地がある。
 かつて、小平に期待された王兆国の例もあるからだ。学生の民主化運動や天安門事件といった特殊な要素に左右されたとはいえ、党総書記に上り詰めながらも失脚した趙紫陽、胡耀邦の例もある。
 王兆国は82年、第二自動車製造工場の党委書記を務めていた際、工場を視察した小平に見込まれ、共青団第一書記に抜擢された。その後も、党中枢の党書記処書記や中央弁公庁主任など重要な職務を任され、「次第の最高指導者」と目された。だが、好事魔多しである。王は小平ら党長老の特権廃止を切り出したことで怒りを買い、87年に中央弁公庁主任を解任され、その後は名誉職の全人代副委員長や全国政協副首席という閑職に追いやられたのである。それから、20年以上経った今、共青団時代は部下だった胡錦濤が最高指導者の座にあるなど、かつての「若手のホープ」も形無しだ。
 一方の趙紫陽は天安門事件後、10年以上も自宅に幽閉されたまま死亡するなど、その末路は哀れを極めた。また、胡耀邦も総書記を務めながらも学生運動への対応のまずさで総書記を更迭された。政治局員は継続して務めたが、89年4月に心臓発作で急死するなど、その生涯は恵まれたものとは言えなかった。
 習近平が王兆国や胡耀邦、趙紫陽の二の舞になるとは限らないが、最高指導者を目指す過程で、あるいは最高指導者になったとしても、中国の場合は、その前途には思わぬ陥穽(かんせい)が待っていないとは限らないのである。


 あと一歩のところで失脚した共産党幹部の例が挙げられています。



 要は中国の場合、最高実力者に睨まれると、どうなるかわからない、ということですね。

 こういう例もある、と知っておけば十分だと思います。

 なお、同様の事柄を扱った記事として、「林彪事件と人民解放軍人事」があります。よろしければ御参照ください。



 次からは、習近平の幼少時代から現在までの歩み、エピソードをたどりつつ、本来の目的、「習近平とはどんな人間か」「習近平はどのような考えかたをするのか」の考察を始めます。
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