And Li Po also died drunk

勝手に好きな音楽、映画、本を書き連ねる。

ノー・マン ノー・マン? オデュッセウスだ それは私の家族の名だ 

2016-05-20 08:35:46 | 日記
今は戦後ではなく戦前だとはうまいこといったものだ。ノーマン・メイラー、サルトルのような戦後脚光を浴びた文学、哲学、それらに影響を受けた大江健三郎の世代。その大江を学生時代読んだ自分たちの世代。第二次大戦はおろかベトナム戦争終結からもう40年も経っている。また殺戮が行われないと新たな文学は生まれないのだろうか。そこで飢えた子供たちに文学は有効かと堂々巡りの話になる。今の若者は「裸者と死者」など読むまい。実際読もうと思っても古書を探すしかないのだが。インパール作戦に興味持つこともない。簡単だ。実際に体験することになるのだろうから、先に知識など入れておく必要などない。再臨に異教徒が慌てても手遅れだ。ダンテのように地獄を客観的に見に行けることなどできない。戦後70年も経ってから「裸者と死者」を読む自分。これは過去ではなく未来の話として今なら読めるとしたら、一番いいタイミングだったのかと思う。この間もギル・エヴァンスを聴きながら読み進めていくとリズムに乗ってきて進んだが、面白くて一気に終わってしまうものでもない。文庫は昭和20年代に出たきりかと思っていたら、昭和40年代にも出ていたのがわかった。自分が名前を知った時にはもう文庫でなかったと思ったが。アメリカ、フランスなどいつも嫌いと言っているのに文学は好きなのが多い。20世紀アメリカ詩は好きな詩人が多い。小説もフォークナー、スタインベック、ヘミングウェイあたりは代表作読んでるし、マラマッド、ベローなんか好きな小説家。フランスならプルーストはもちろんサルトル、カミュ、ロブ・グリエ、サロート、ビュトール、ソレルスとぽんぽんと名前を挙げられる。詩人ならアポリネール、ヴァレリー、ポンジュ。もうパリなんか行かないと思っているが、そういえばミラボー橋見に行ってない。それはハート・クレインの「橋」読んでブルックリン橋見たいけど、そのためだけに嫌いなアメリカ行かないのと同様たぶんミラボー橋も見ないで終わりそう。それでいうならウィリアムズのパターソン、オルソンのグロスターとかアメリカで見ないで終わりそうなところいっぱいある。ユリシーズのダブリンは6度ほど行ってるのはニューヨークやパリ20回行ってるというのより、それは自己満足の中で勝ってる気がする。どこも食事はまずく、美味いもの食べたいならイタリア、スペイン行けばいいのかもしれないが、両国とも陽を浴びすぎて根っから空っぽなのに食事だけしに行くのはもったいない。あとイタリアはスリばかり。日本が一番食事美味しいし、一番まじめで一番安全。そんないい国を脅かそうとする隣国があるなら、軍隊を作って撃ちまくるしかない。若い友人に言った。いいぞ、軍隊は。刑務所入れられないで好きなだけ人殺せるんだぞ、最高だ。ただ難点があるとすれば自分も撃たれることあるから。



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