碧い山・青い海

趣味の山登りとか、技術とネット情報を照合し個人メモに・・

1603- 変わる社会-2

2016-03-29 | 日記
 両親が亡くなってから、二人とも20-30年にもなった。考えると、実家から離れていたも最後まで 毎年のように行き来して交流をしていた親子関係だった。
最近は、それが親子同居しても 別居しても親子交流の少ない家庭が多いらしい。子供が結婚せず同居する親子も、部屋が別なので会話がないし 子供部屋に食事を運ぶ様な親子関係などびっくりしてしまう。

 40年前には、そんな親子関係は稀だった。私が思うには、1980年代に始まったテレビ・ゲームの流行が子供の育成過程で子供たちの思考能力に かなり悪影響を与えたこともあると思う。勉強よりも、ゲームに熱中して外での遊びもスポーツもしなくなった。大手家電も過激で刺激的な商品を 売り子供達のお小遣いをすべて巻き上げ事業収益を上げていた(良質な幼児教育機器を発売していたS社、私の今の企業評価ではランク落ちだが・・)

 漫画なら多少思考訓練になるが、過激なゲームは反射神経の勝負だ。多くの子供が四六時中、ゲーム漬けだった若者達が 今の働き盛り世代であり 子供を持つご両親になっているだろう。時間があり何をするかと言えば、暗くなるまで目いっぱい近所の子供達で遊んだ我々の時代は、勉強も好きな科目は面白かったし、本も学校図書館から借りて手あたり次第読んだ。社会に出ても、仕事は勝ち抜きゲームだったし 40代に出現したゲーム機も横眼では見ていたが そんな時間は無いほどに 忙しかったのが 逆に幸いしたのかもしれない。

 今は本も売れないしゲーム機はあっても新聞も取らない家庭も増えている。情報機器で知らない知識は簡単に得られ、興味があればスポーツなどしなくても専門家の様な解説も出来て技術にも詳しい。世の中の想定される、あらゆる出来事も劇画漫画とバーチャル/ファンタジー の画像ばかりを観ていると まるで実体験したかの様に思い込み 何でも解っている気がしてしまうのかも知れない。更にネット情報とメール交信の中にいると 仲間中心で考えが 気の合うグループの偏向したものにな 大人の人間形成にはなっていないと思う。もちろん、読書家で映画も好きで、そんな問題も早くから気が付き先輩諸氏の指導も素直に受けながら 立派に成長した若者もいる。そんな若者は企業もすぐに採用され 社会で活躍もして心配はないが・・それで今までの社会ず形成されてきた。

 私たち世代は日本人に生まれた限り「礼儀・秩序・清潔・生真面目・時間・約束を守る・細部に拘り丁寧・謙虚」でなければいけないと教えられた。守れないまでも、努力はしてきた。更に古い武士道精神には「仁・儀・礼・智・信・忠・誠」とあり、人が人として美しく生きる姿勢を示し、刀を差しただけでは意味はない・・とあったが 今時の試合で見かける「サムライニッポン」コールなどは・・どうなんだろうか。

 経験している事には、自信をもって行動に移したり、語ったりは出来るのだが 未体験ゾーンは 謙虚と言うか臆病なのが古いリアル世代だ。それがゲーム世代には、バーチャルとリアルの境目が少し曖昧にしたまま脳に記憶されているのかも知れない。30-40代の方たちとの話をしていて、当然だろうと思っていた事でも 少し受け止められ方が違う感じがする、何もかも自信満々の言葉も逆に不安になるし 何か心が通じていないのだ。
 情報端末で世の中の動きは全て解っている、本など読まなくてもタイトルを読めば内容は解るので読まない、私はメル友が多いから・・途中で会話が中断させられたら、心ここにあらずと感じて時間は無駄になる感じだ。

 ゲームだけでなく、豊かさから緩みすぎた教育制度も世界からレジャーランドと言われるほど 勉強しない大学生などの問題もある。その結果、社会に出ても仕事を選り好みして職がないと言う若者も多い。不況でもあるがゲーム世代と そうでない古い世代の二階層が企業の中でも、家族間にもある話を聞くと それに壁があり 高齢者の口癖の今頃の若者は・・ が過去と嘆く内容が今までとは違う気がする。


 今日は、少し早い花見に行った。4分咲き程度だったが気温も適当で 芝生でランチタイムの家族・子供ずれの親子が沢山来ていてほっとしたが。



1603- 変わる社会-1

2016-03-28 | 日記
 新聞・WEBニュースで読む金融政策とか経済ニュースも出来るだけ理解したと思うが 最近は耳慣れない用語も多くなった。
昨日読んだ 「 内田 樹 ( たつる・・新聞紙面審議委員とか哲学者・名誉教授)氏」の経済コラムを読んでこれは面白いし共感できると思えた。解りやすい内容だったが、今の世の中の変化が余りにも早過ぎ 今まで「 変わることは良いことだ」と思い込まされて来た人々の心の 不安定にさせてしまった。学校・医療・司法、そしてお金の価値なども 生身の人間の人生を安定的・定常的・惰性的な ものでないと最も重要な経済的安心感までもを無くしてしまうので、一旦世の中の変化を止め 再考する期間が必要だと言うのだ。

 経済学は知らないが 日銀のゼロ金利政策が今年から実施された。今は-01% で僅かだが、今後増えて行く可能性があるそうた。日銀と民間銀行の間のことなので 一般庶民とは直接は関係はないそうだが。
景気抑揚狙いで毎年80兆円を創出してきた日銀、国債発行も限度があり借り手が無い資金が溜まり続けた。ゼロ金利とする事で、利子狙いの民間銀行預金を預金を目減りする逆金利政策だ。堪らなくなった民間銀行は預金を引出して企業に貸し付けるか、海外投資運用などを活発化させる狙いで 滞留した資金を市中に流す政策らしい。
 「ヘリコプター・マネー」と言う金融用語があった。ヘリコプターで街にお金をばら撒いて、デフレ経済をインフレにする施策を言うそうだ。例えば、国民全員の報酬が倍になると、八百屋の収入も倍になり 皆のお金が豊富になれば野菜の値段も倍で売る事になる・・つまりインフレ促進策らしい。

 政府与党は 今年高齢者に一律、数万円配ると言うニュースと少し似ているが これは民主主義社会では 不公平だと思う。努力すれば報われる競争社会が、民主主義の根幹だろうと思う。
一時金に喜んでいたり、マイナス金利政策に、気を取られていると 貨幣価値が下がるインフレ化がもっとダメージが大きいのだ。預金のない人は、ともかく持つ人は、大変なことになるだろうけど。
日本は世界最大の債務国になって久しく、常に暗雲の下にいる感じの中で、今まであまり変わらなかった「安保政策・司法制度・教育制度」などが与党が強力になり意外と簡単に変えられる動きも 将来を不安にさせられる。

 今日は、神戸の港に大きな客船が寄港した「米Mariner of the Seas 13.5万トン」。見には行かなかったがゆったりと入港する船、背景の山と海の景色ものどかで 自然はいつも優しい。
 

 

1603- 生産ラインを持たない メーカー

2016-03-21 | 日記
 15年前には電子産業の貿易収支は26兆円だったのが、最近は11兆円となり約半分以下になったが、それは事業部制と言う経営形態が 1980年代から電子産業で始まった「ファブレス・・Fabrication Less」と言う形の分業、チップ設計会社と半導体製造会社の分けた経営方法が 拡大したのが原因と言う記事があった。
 私なりに要約すれば製造部門を手放した技術先行企業は、最後には製造部門にすべてのノウハウは 持っていかれる・・と言うで 大手家電が低賃金のアジアに生産下請展開していたのが、それがライバルとなり 更に先行して国内家電が後を追う状況だ。
 下請け作業は大昔からある分業だが、ファンドリ= Foundry(鋳物工場)みたいなブランドを持たない請負い業、ファブレスとはもう一歩進み Assembly=組込ラインも持たないと言う意味らしい。

 私が「ファブレス」と言う言葉を聞いたのは1958年。東京に発足した本社販売を技術サポートする部門として新設された「技術センター」に転社した若造の頃。
その当時は、量産と言っても規模は小さいので 部品加工から組立指導までを開発設計者が関わり 現場のパートにも直接教える事もあった。部品加工でも、メッキ工場・プレス加工・金属加工・成型技術まで 職人さんからも良い指摘も受けたり 恥ずかしくなる失敗設計も含めてその知識と知恵は私の次の商品開発にとても役立った。本で得た知識だけで商品開発したり、物まね設計をしたり部品加工・材料特質などの基礎技術も解らないでの 商品設計は決してやってはいけない事も良く理解した。現在の大企業のファブレスとは、規模も小さかったし 協力会社との信頼感と共存共栄精神があったと思う。

 「ファブレス」でと言われた 本社創業者は、世界初自動販売機を開発し それを米国に売込み米国で発表した技術者としても有名。私が初めて聞いた「工場は自社には持たない」と言う意味だが、その数年後にたまたま出張で米国に行き「ウエァーハウス・ワークハウス」と倉庫の様な企業が「有名化粧品のバッケージ作業・家電品主要部の組立・有名通販ラジオの大量修理」などありとあらゆるメーカーの後工程作業を請け負っているのを見て気が付いた。西海岸にも、東海岸にも散在するこの手の企業が大企業の委託生産を請け負っているのを見て多分米国の「ファブレス」と言われたのはこれだろうとその時は思ったが。

 過去米国は日本に委託生産し、価格差から全委託にして購入者になってしまった。今は日本がアジア企業に依存し技術まで先を越される様になりブランドを持ち、品質も上がった・・国内家電の全社が揃って同じような状況に見えてしまうが、グローバルな海外取引になると 昔から交渉下手で お人好しな国民性が 少し問題なのかも。



私の素人見解・・この手法は発注側は設備投資不要、受注側は複数受注で稼働率向上なので高効率生産には欠かせない。最近は、生産の国内回帰の製品も増えているのを見ると 「ファブレス」は国内に限り互いに信頼する関係で活用するのが正解。

1603- 数年振りの映画館へ

2016-03-21 | 日記
  振替休日の快晴、今月から封切りで話題になっている 映画を見くことにした。
「神々の山嶺」と言うエベレスト登山家の硬派な作品だが 過去の「剣岳・点の記」が面白かったのでしかも山岳映画であり 見逃す分けには行かない。
 原作者の作風から大体予想して観たのだが 流行のCGも使ったのだろうがそれも感じさせない現地ロケも多い様で 吹雪のサウンドとか高画質で迫力はあった。

 山登りの観点からすると、装備も軽すぎるしクレパスの渡りにザイルも無いとか 垂直壁をハーケンも打たずに登るとか「それはないぜ」と言う場面も多くて 気になりながらストーリーを追っていたが 開幕前に長々と見せられたCG満載の予告洋画は デカプリオ主演「レヴェナント・蘇りし者」、二番煎じ「新ハリー・ポッター」、邦画はタイトル見ただけでアウトの「猫がいなくなった」・・それと比べると 真面目な娯楽作品としては佳作。山岳関係者も協力して作られたらしいが、ともかく山岳ブームなので興行収入は上げられると 関係スポンサーが後押しして 流行の劇画とかオンラインゲーム風にしたのだろうと 正直そんな感想。

 子供の春休みとなり、シネコン・マルチ・スクリーン映画館の観客も広い駐車場も一杯だったので映画人気は健在だったのはほっとした。映画は文化なのだから。
しかし、大袈裟なサウンドと エベレスト山頂の映像には圧倒されたものの 観終わった後に 私には何かストーリーには 納得できなかったのと 物足りない感じが残ってしまった、これだれの評判とか 多くの観客なので 多分満足したに違いない。
 先日、60年前の旧タイタニック映画が良かったと書いたが 今時の映画は作品の心が伝わらず 劇画・アニメの様にやたらに大袈裟で空回している様に思うのは 漫画文化と映画文化は別物と思う 私の方が時代遅れなのかも。


1603- 流行のSNSに異変 ?

2016-03-19 | hobby
  最近、ホームページがフェースブック(facebook)に代表される ソーシャル・ネッワーキング・サービス(SNSと呼ばれる)に 切り替える傾向にある。理由は、制約はある代わりに、ページが簡単なのと 不特定多数でなく グループ内だけに制限も出来るのが良いらしい。SNSには他にも、Twitter/line/mixi/google+ ・・限りなくあるが コミニュケーションと言っても顔を合わせない会話は意味がないので 私は使ったこともないし興味もないのだが。

 でも携帯・スマホがブームとなったのは この安易なSNSが使えるからだろう。私も友人のページがfacebookで閲覧はする。SNSに実名登録すると、その組織に参加したことになるが 「いいね」ボタンを押して 発信情報に賛意を伝える仕組みらしい。中には「山登りSNS・長崎SNS」など趣味・出身に興味を持つ人たちのコミュニテイも存在して 仲間内で盛り上がるそうだ。

 ダイヤモンド社の最近の記事に、SNS使用者が減る様な傾向が出ている・・と言う記事を見た。多分、顔を見ないで発信される知人のページを閲覧すると「いいね」ボタを押す。賛同し褒める場合と 自慢話題が不愉快と感じても義理でそれを押す人もいて 記事によるとそれが煩わしいと 感じる人が増え これは今までにはない異変らしい。

 しかし、発信者は「こんなに賛同した友人が支持してる」と好意に受け止める次々と 発信する。予測はしていたが、やはりこのギャツプが起こってきたのだと思う。「フェースtoフェース」で無い通信会話は、ビジネスなら有効だが 人間会話には適さなかった・・と疑問を持つ人が増えていたなら世の中 もう少し正常に戻るのかも知れない。

ダイモンド・オンラインから転載