碧い山・青い海

趣味の山登りとか、技術とネット情報を照合し個人メモに・・

1703- COFFEE

2017-03-31 | 日記
  毎朝のコーヒー一杯は、私たち夫婦には ここ10年以上欠かせないものになった。
日本文化でもないのに、いつの間にか お茶からコーヒーに変わってしまったが正しくはオランダ語の「Koffie」らしいが今は「Coffee-珈琲」と書かれている。
 しかし、この味は千差万別で 本場と言われる神戸でもお店に依って味が違うし 何処で飲んでも美味しいから不思議だ。神戸では比較的レギュラーな豆を買い 自分で挽いて飲んでいるが これも美味しい。

 コーヒーを「ウイキペディア辞典」で読む・・日本には18世紀末に入って来たそうだが、異人が神戸に入り 以前書いた元町3丁目の明治に創業した放香堂のお茶屋さんが日本初のコーヒー喫茶と言う記録の頃だろう。
最初は一部修道者だけが用いる宗教的な秘薬で、生の葉や豆を煮出した汁が用いられていた。しかし、焙煎によって嗜好品としての特長を備えると一般民衆へも広がり、1454年には一般民衆の飲用が正式に認められ、中東・イスラム世界全域からエジプトまで拡大した。最初の起源は判らないが、果実の赤い実は食べられるので、種子の効用を知る機会は有史以前から多かったと推測されている。
抽出法も工夫され、挽いたコーヒー豆を煮出して上澄みを飲むトルココーヒー式の淹れ方から、まず布で濾す方法(1711年 フランス)が開発され、布ドリップ(ネルドリップ)の原型となった。これに湯を注ぐ器具として、ドゥ・ベロワのポット(1800年頃 フランス)が考案され、現在のドリップポットに至る。
この他にも、パーコレータ(1827年 フランス)、コーヒーサイフォン(1830年代 ドイツ)、エスプレッソマシン(1901年 イタリア)、ペーパードリップ(1908年 ドイツ)などが開発され、多様な飲み方が可能となった(以上辞典から)

この飲み物も日本のお茶と同じく、実に奥が深いのだ。以前、ドライブインとかファミレスで食後に出るコーヒーは 色は似て茶色いが香りも無かった時代があった。今もでも地方の食堂には時々出会うのだがこれもコーヒーなのだ。
神戸のコーヒーは、何処でもこの味に自信を持つお店ばかりだが 先日東京で飲んだコーヒーも実に美味しかった。最近の都会で飲むコーヒーは、外国人が増えたせいか 量も多いしとても美味しくなった気がする。
 でも若者人気のスターバックのコーヒーだけは、高齢者には濃く少し苦すぎるのとその大きなカップも高齢者には苦手だが・・・。

 神戸・ハンター坂の西、鯉川筋に新しい明るい喫茶店を見つけた

1703- 母の17回忌で法事

2017-03-30 | 日記
 毎年、桜の咲く季節は母の命日。この春、横浜実家の弟から17回忌で 集まることになった。私は兄弟三人で弟と妹がいるが この日集まったのは6家族の18名、仕事で参加できなかった姪の夫以外の全員。
一歳未満も含め、最上級は中学生もいる子供達7名を含む。「お寺の法要・山上のお墓参り・街に下りた割烹で精進落とし」雨上がりの山の桜開花は遅れていたが代わりに こぶしの花満開のお墓参りになった。
 初対面のひ孫とか、久しぶりの出会う顔に楽しく賑やかな法事になったが夕方には無事に完了。準備を整えた 弟夫婦に感謝、きっと皆の元気な姿に両親も大喜びだ。

 この法事に引っ掛けて、前日3日間を上の近くの都心ホテルに泊まり 二人共30年近く住んでいた東京を 今回見直して見よう・・と計画。45年前に地方転勤してから、仕事中心で「いつでも行ける」と東京の名所と呼ばれる場所はあまり行っていない事に気が付いたから。今回も、神田湯島天神からバスで東大前で下車し江戸時代の医療発祥の地「小石川植物園」に行こうと歩き始めたが ここは交通の便が悪くかなり距離がある。途中、住人に道を聞いたが「最近、引っ越したので判らない・行った事がないので・・」など 今でも「いつでも行ける」と行く人は少ないらしい。今、話題の築地市場は私は初めて行ったのだが 外人観光客も多くて物が安くて豊富なのとあまりの賑わいにも驚いてしまった。

 着いた日は浜松町から「築地本願寺・築地市場・歌舞伎座・銀座界隈・東京駅」を歩いて見た。翌日は「神田明神・小石川植物園」、三日目は妻は自分の講座教室の神田九段下本部に行き 私は昔仕事の終わった週末に通った秋葉原に別行動とした。結局、天気が良いのと人に押される様に 秋葉原から御徒町・上野公園を回ってしまったが 上野の花見は 以前は毎年恒例で参加していたのに 今回初めて公園内の「西郷隆盛像と寛永寺」初めてお参りしたのだから我ながら呆れる。

 神戸に住むようになり、大阪も行く機会が増えたのだが 東京都心を改めて見て比べると東京は異次元の大都会だと改めて感じる。銀座とか八重洲口の仕事人の服装・歩く速さなど まるで違うのだ。
そして、新しい文明と、古い文化の取り合わせが絶妙な街だと思えた。常に、時代の変化に好奇心を持つのなら 是非時々は行かなければならない場所なのだろう。東京住人にも必要なのだが・・


 湯島天神の後には神田明神・・ここの入口にある天野屋さんの甘酒は最高


 秋葉原は外人観光客だらけ、電子部品のお店がゲーム・キャラクター店に押されている今日この頃らしい


 広小路中央通リの向かい側、ラジオデパートの上階に行くと昔ながらの、部品屋さんの風景が懐かしい・・真空管の型番を調べる元ラジオ少年の姿も!


 上野公園のお花見風景、桜はチラホラ程度でも楽器演奏付きで大声で合唱しているグループ・未だ明るい内に出来上がっている風
 

1703- 生活拠点の見直しは?

2017-03-20 | 日記
 前日、定例の地域会合に出席して昨日に神戸に着いた。神戸と岡山半々生活、人は経済的にも労力も 大変でしょう・・と言われる。
定年から15年を越えたが、定年前から早々と快適な老後生活をどう送るかと言う 課題を夫婦で考えていた。仕事から離れた定年後は、平均寿命から考えても未だ 30年前後はあるのだから重要課題なのだ。
当時流行りで、本社の友人の何人かの海外移住の感想とか 自分達も旅行を兼ねて海外拠点も訪ねたが 余りのカルチャーの差に 短期間なら楽しいだろうが 老後の長期は絶体に無理との結論になった。

 若い時は出身地の関東に戻るつもりだったが、地方の過疎地の様な長閑さは 嫌いではないが 定年近くになると 地域活動に参加しても 都会に住んだ人間としては 退屈で休日の度に横浜と同じ港町・神戸にドライブする事が多かった。
1995年の阪神淡路大震災で、一時はそれも途切れたが あっと言う間の復興で その数年後に古マンションを手に入れ 将来はコンパクトな都会の街 神戸が良いと考えた。今年も開港150年祭で 町中が記念行事が並んでいるし 街は大好きなジャズフェスティバルも毎日行われているし 近くに海も山もある街だ。今日は近くの埠頭に クルーズ船「クイーンエリザベス・9万トン」が早朝汽笛を鳴らして接岸してきた。沢山の見学者が、周辺から集まり 対岸の防波堤にもカメラマンで一杯になっていた。震災被災の経験からか、当初から街で出会う人は優しいと感じた、今は新しい知人も出来たし 老後はあまり退屈する暇はないだろうと思う。

 本来「車は命」と思っていたが、高齢で車が使えなくなると 地方に住む人は本当に困る。経済的な負担はあるが「それなら住みたい街に生活拠点を移せば良いではないか」と考えたのだが 私たちにはそれが 正解だったようだ。
老人なっても、「退屈」は体にも精神にも一番悪いし 趣味に生きれる人も それだけでは無理で 周囲に支えてくれる人が必要だ。そうでないと 生き続ける意味も判らなくなるだろうから。
 住居は不動産と言う如く日本人は一度決めるとあまり移動する事は考えないが 家族構成・生活利便性を考え直して 老後を少しでも快適にする棚卸をしてみる事も良いことだと思う。外国人は住む国 住居には拘らない様で 通勤に二時間かけてなどあり得ないし 仕事が変われば国を越えてでも 自由に拠点移動する。家は不動産だが 人の生活拠点は流動的でも良いのだから学ぶべき点も多い。
 
 今日本の精神科医で随筆家である斎藤茂太氏の著書「老いのケジメ」と言う本が売れてるそうだ。新刊では無いが茂太(モタさん)の格言をまとめた本らしい。本紹介に「近代の終焉と高齢化社会の訪れのダブルパンチで、高齢者の古い経験は以前より敬われなくなり 人数も激増。老後は幸せな晩年でなく、不安で不透明な未来のイメージだ・・」とある。内容は「大晦日になってから家の大掃除をするな、普段から片づけはして置くものだ」と言うような内容らしい。
 人はどの様に老いて成就すれば良いのか分からなくなり 売れているらしい。若者もビジネスマンも、最近は人生のハウツー本が 良く読まれているそうだ。老いもスマホ武装している若者たちでさえ 「入社一年生の心構え・恋人の作り方」などの新刊本を見るとバーチャルな友人は多くても、親身に相談相手となりリアルな人間関係が薄れて 多くが時代の急激な変化で人生の羅針盤を求めているのかも知れない。

  9万トン、全長290m まるで動くビルデング、今日21時上海に向けて出港する、プラスバンドと旗で大勢で見送るそうだ。私は、今夜は冷えてきたので行くのはやめるが。


  ポーアイの北公園の桜の木 来週には開花するのかも・・・

1703- 過重労働と過労死

2017-03-17 | 日記
 残業時間の上限を年間 100時間とする法整備がすすんでいる。働く時間を減らして、生活に健康とゆとりを持たすのが目的なのたそうだ。
ブラック企業が、従業員を有無を言わさずに働かせて 病気になり自殺にまで追いやっている・・と言う現象がその背景にあり 労働規制すると言うもの。
 世の中にそんなに悪い企業が多いとは思えないが、厳しいノルマを与えて無理な仕事をさせる悪い経営者も増えているのかも知れない。大企業で、そんな問題は起こらないと思う所でも 責任は管理者にあると言われ 罪に問われる上司もいるらしいから社内も あまりにも仕事が分断化し人事コミュニケーションも悪いのだろう。

 この話題の某宅配便は私も、頻繁に通販で利用するのでそれも良くないのだろう。先日、不在して夜8時を過ぎに再配達して貰った。夜遅く申し訳ないとこの話をすると「ご心配かけて恥ずかしいです」と言われた。この働いている方は、自分の担当責任を果たす・・と仕事に励んでいるので遅くなっても当然だと 受け止めて仕事をする社員もいるのだと思う。
 今の企業は、成果云々より 時間給で人を働かせる所が多いが これではロボットと同じで人間扱いされていない気もする。しかし、働く方も企業・社会貢献より自身の生活費の為に 少しでも有利にと 仕事内容には拘らないらしい。企業求人も「経験問わず・時間給は○○円」と言う広告が多いのも 社員に多くを期待せず 出来るだけ安く働かせるほうに向かい 仕事のハードルも低くなった感じがする。
 
 都会勤務の昔、新宿ラッシュを抜け速足で出勤し 帰りは夜10時の電車に乗れれば普通 一週間に数回夜中の最終電車で夜中に帰宅したのを思い出す。モーレツ社員とか、企業戦士とかの言葉が 流行っていたあの頃だ。

 毎朝、目標と経過を全社員が説明を受け 企業の中の自分の位置付、期待される成果を把握していて疲れるなど あまり考えていなかった。時間が余れば、次の工程を支援する程のチームワークが存在した。土日休日の企業なのに、休日出勤など日常的で「残業をしてハワイに行こう」、勤労感謝の日も「勤労出来る事に感謝して 仕事をするのだ」とか冗談を飛ばして仕事をしていた。同僚の多くも、月150時間などは珍しくも無かったが 居眠りはあっても 体調不良と言う社員もいなかった。経済が落ちてしまうとこれ程に 働く環境も状態も変質してしまうのだろうか・・経済の日没の様に 働く人の仕事をする目標も変わってしまったようだ。

 人間は目的もなくレンガ積をさせられたら狂ってしまう。積み上げると、建物が出来て 報酬が上がるなら 徹夜をしてでも期限に完成させるだろう。
今の時代、働いた成果でなく働いた時間で給与が決まるのが当然になると 後工程は他人事となり 皆仕事の結果を考えなくなる。ゆとりとか余裕は、誰もが望む所ところだが社会が壊れる気もする 「働かざる者は食うべからず」と言う先人の言葉もあった。
 過労と言う前に、仕事の在り方を企業も働く側も対立する形ではなく 起業した目的を共有して協力して結果的な社員の生活向上を目指すことが今は重要だと思うのだが、国の経済行政のかじの取り方として 少し 心配してしまう。


1703- 表計算ソフトの関数

2017-03-15 | テクニクス
  先日、パソコン教室のミーテングで「家計簿 講座テキスト」の検証をしたが その中で使われる 関数の仕組みで盛り上がった。
「表計算ソフトの関数」「ロータス123」に搭載されたツールでこれこそ「コンピューター先端技術」と昔、自慢げに 品質解析して使ったがもうすっかり忘れていた。
 家計簿は「年月・日付・曜日」と項目を12カ月の各シートに連携させて計算させるだけの表なのだが その中で使う「日付と曜日」表示に興味かあり少し仕組みを改めて復習してその一部を思い出した。
 表計算ソフトの日付計算は「1900/1/1=1、1900/1/2=2、・・・」とシリアル値と呼ぶ整数に変換して計算する。曜日はシリアル値を数字7で割り、余った数字の1-6の数から曜日を判定する。ルールを知って見れば、小学生の算数のようなものなのだ。こんな数字計算の塊が「表計算ソフト」となって、中身を知らないとパソコンは魔法だと 思ってしまうかも知れない。しかし、この設定では 1900年以前の日付計算は出来ないが ・・開発者の先人も必要ないと判断したのだろう。

 この中で西暦年のカレンダーの仕組みは科学の知識があり少し難解。ローマのユリウス暦が紀元前に出来て、改良されたグレゴリオ暦(1982)が今は世界標準だ。四百年以上前のその暦はかなり正確で 日本には和暦に替えて 明治6年(1898)から使われ始めたそうだ。
 その根拠は地球が太陽の周りを回るのに1年と4分の1日、つまり365.242日掛かると言う数値。一年は365日は常識だが 端数の0.242日を放って置くと4年に一度1日増えるので「うるう年」を設定した。良く考えると、365日では地峡は太陽の周りを きっちりと回り切れていないのだから この端数はやっかいだ。
 今は例外なく4年に一度1日(うるう年)を加えているように見えるが、実はこれを 400年間続けると3日増えてしまうので 何処かの節目で減らさないとならない・・四百年生き続けられる人はいないのでその為に 国際ルールが定められて世界中の国がその継承を出来る様になっているそうだ。

 表計算エクセルの、年齢計算の例
エクセルの「セル」に誕生日を入力して、隣に現在日「=TODAY()」を入れて 差を計算するとシリアル値で「今まで生きた日数」が出る。
 それを365で割れば「現在の年齢」となる・・一般人の日常ではこんな程度で充分なのだが・・・。