碧い山・青い海

趣味の山登りとか、技術とネット情報を照合し個人メモに・・

1711- 制度疲労と進化するAI技術

2017-11-29 | テクニクス
 世界が目を見張る高度成長を成し遂げた日本、それも弾けて経済後退した現代を 次世代が担っているのだが 成功の自信と慢心した 世代がAI技術推進の障害となっているのかも知れない。
米ランスタック社の先進34か国のデジタル化準備を調べたそうだ。日本は最下位で、トップは米国二位は中国だった。確かに検索で「AI技術 日本」と入れると「周回遅れ・15年の遅れ」とか 皆で遅れの大合唱をしている。
 これからの人類の発展の鍵となるAI技術が、製造技術で最先端を走った歴史を持つ国が 全く精彩を欠いているのは何故だろうか。先端を走る米国テクノロジーでも、日本の姿は殆ど見えないとも言われてもいる。

 AI言語と技術は、多くは英語ベースでこれも日本人には大きな障害だろう。日本語には英語に勝る奥深さがあり、簡単には変えられない。日本人が編み出した独特の終身雇用・年功序列などが 発展の基礎を築いたが ハードからソフトにシフトした情報社会に 何十年経っても移行出来ない事もある。
 これに関連した顕著な現象が日産自動車・富士重工などの自動車産業の「完成品検査資格」を持たない作業員が 数十年前から最終決定をしていた・・と言うニュース。今の車技術は、外から見たり動かしてみた所で品質など判らないと思うが それを 多少の車両知識の教育で資格取得が可能だと言うのに 高度な現場では儀式の様な形骸化したものにされていた結果ではないだろうか。そうだとしたら監督官庁も、あまりにも間が抜けているのだが。
 車の生産工程は、詳しい訳ではないが溶接とか接合など主要カ所は内部の透視センサーで工程検査され 電子コントロールされソフトプログラムが主導権を握るハイテク車が ボディの傷なら良いが本来の品質など判定できないのではないか。
最終検査で不具合を検出し、それを前工程に戻すなど現代の進んだ生産技術・生産効率からは 考えられず 生産コストからも許される筈がない。つまり、企業としては法を守ることは知っているが 余りに時代遅れなので適当にされていたのだろう。「制度疲労」・・・制度が運用されていく内に社会状況が変化して制度の目的と実情がずれてしまい うまく機能しなくなった状況、監督不十分と言う事らしいが 真の原因はこれではないのだろうか。

 考えるに、農民が部落で水を引き 皆で水田を耕していた時代は個人よりも協力体制が優先せざるを得ず それに逆らうと村八分にされ生きてはいけなかった時代。高度成長期も、企業の一致団結が優先で 個人家庭を犠牲にしながら働いていた。ところがバブル期で裕福になると、急激な個の時代となり人が我儘と言うか 人との差別化を主張する様になった。そうなると企業が目標を示し、社員を一方向に向かせると力をしても従わない者も出てくる。
 働く個人は情報端末の普及で自分の生活を他人と比べ、その格差に不満で行動を自分で決め 決められた標準は知っていても無視されルールも守らないことになる。何もない時代は、全体レベルを引き上げる役割の基準だが それを全体が越えて基準の見直しが放置されると無視されて行くのだろう。社会秩序とも言われる基準が整備されなかったアジアの国は、追い付くための英語必須と情報技術の対応は早かったが 日本では余りにも成功事例が多かった事と 特殊な言語文化が逆にブレーキになってしまったと思うのだ。国外に出て、世界を積極的に吸収し克服することがカギだが 今の若い次世代の多くは逆に ますます国内に固まり 現在を守りたいと言う人が多くなっているらしい。

 資源を持たないこの国が、生き残るのは技術しかないのだが 近い将来「職人技術を百万回繰り返させても全て狂わない」「教えた知識で全ての可能性を探索し一つの最良を導く」既に、チェス名人もAIに負けているからその時代は近いのだ。AIテクノロジーで遅れの大合唱をしている場合ではないのだが、この国の未来は生き残れるのか・・残り少ない年寄りの心配だが、技術者たちの玩具ロボットとかゲームは暫く止めないと 不味い事になるのではないだろうか。
それとも、世界中で魚も枯渇し食料が人口増加で 確実に不足する未来に日本の得意分野「魚養殖・栽培改革・海水利用・太陽光」なとAI世界とは逆方向の選択肢もあるのかも知れない。


1711- 消えた電気部品店とパソコン誌

2017-11-28 | テクニクス
 高価だったLED照明電球。数年前から北欧のお店イケアに行くと、普通電球が二百円前後で手に入る。お陰で我が家は、全てLED化だが小さな飾り物まで照明が入ったものが増えている。国産品の高い価格は何故か良く判らないのだが。
クリスマス飾りも電池式で、充電電池交換も面倒なので 手元にある電源アダプターを利用しようと思った。電圧が合わず外付け抵抗とダイオードを使って電圧合わせをしたのだが そんな小物部品を売る店は身近には無く通販で買うしかない。
 街に数年前まで小物を扱う部品屋さんがあったらしいが、10年前に大型電気量販店に吸収され 売上見込みの無い電気部品部門は削られてしまったようだ。

 似た話で先日、マンモス本屋さんで 最近のパソコン技術のヒントを得たいと身に出かけたが そのコーナーは小さくなりパソコン誌も廃刊ばかりで僅か数誌しかなく 内容も新味がないので止めてしまった。
大昔も含めて以前は「PC User・ハローPC・DOS・自作パソコン・ASAHIパソコン・MrPC」等々は選ぶのに迷う程あったものは今は消えている。これらの雑誌情報が先導したお陰で、今のネット全盛があると思うが 今は記事内容がネット後追いとなってしまったので 廃刊は必然なのかも知れない。
 電気部品店もパソコン自作とか、オーディオ自作も、今は買ったほうが安いし性能も良いのだから、自作マニヤも消えてしまい、街の電気部品屋さんも既に成り立たないと言う事なのだろう。
売れる物しか生き残れない、ニーズがあっても規模がなければ捨てられる時代で 以前気に入っていた輸入品オーディオも並べていた「東急ハンズ」も 売上げ成績が悪かったのか消えてしまって最近は行っていない。

 コンビニ商品も、売上至上主義で 売れない商品は直ぐに切り捨てられるので棚に並べられる商品は敏感に変わるそうだ。お店の品揃えが、大衆の多数決で決まり どの店も価格競争ばかりで同じ商品ばかり並べている時代になった。
昔、電気部品は電車で1時間かけて秋葉原まで買いに行った。街には専門店の並ぶ 市場があって店員のアドバイスも聞きながら買いたい物を買う・・不便なのだが、その方が豊かだったのではないかと

 今年、見たことのあるこの雑誌も廃刊になったらしい

1711- 日本初、神戸アイセンターが開設

2017-11-26 | 日記
 先月 神戸市広報紙に先端医療都市の中に、「神戸アイセンター」がが完成し その見学会と記念シンポジウムがあると広報されていて世界初の目の細胞移植を成功させメディアを騒がせた IPS高橋政代 京大教授も講演があると言うので直ぐに申し込みをした。
 それが今日の午後で、お祝いの花で飾られた新建物施設の見学と別の「国際会議場」で開かれたシンポジウムに参加した。見学案内のスタッフも、新した建物で働ける喜びで 皆さん興奮気味に 各部屋の新鋭設備と仕事を紹介してくれた。講演会ても、中央行政の高官の話も アイセンター代表者も世界初の目の細胞移植を成功させた高橋さんも 自慢と自信に満ちたお話でとても頼もしく感じた。この施設に神戸市は40億円を掛けたそうだから行政も相当な力を入れている。

 栗本院長の話で、実は世界中には大規模な「アイセンター」は多く存在し シンガポールとか中国でもここの百倍規模の物が既に活動しているそうだ。医療先進国と言う割に国内には、未だ一つも出来なかったのだ。高橋氏の話では、高齢者が一番困っている病気のトップは「目の病気」で国内には推定で 500万人も存在する。目の治療技術は繊細で、患者個々に違う要素が多く一律では治せない医療技術の中でも異端らしい。その為に、神戸市では市民病院にあった 眼科医療をこのセンターに集約し 研究部門の理研IPS細胞移植チームも入れ 研究成果を治療に活かしやすくしたり 設備の最新化とか 患者のアクセスにも留意する目的で「アイセンター」の施設が作られたが これは高橋教授の熱い提唱が元だったらしい。
 「視力が衰えた」と直ぐ浮かぶのは メガネの三城・・の日本。近くに眼科は少なく、行っても目薬くらいしかくれないのが常だからだろう。この新施設には「ロービジョン・ケア・・低視力」の相談フロアーが設置されて この人達の治療の取り組みもするそうだ。IPS細胞移植は未だ別格だが それよりも禄・白内障とか視力障害で困っている人達を先ず救くうのだと言う。技術の進展で、開発された新薬は直ぐに使えない薬事法が IPS技術の成功で1年も賭けなくて 臨床実験ても使える法制に変えたそうだ。この日は、報道陣が多く来ていたが 会場説明の中の質問にもそれらしいものがあったが薬事法改定などは 私には縁が無さそうだが凄い事なのだろう。

 神戸ポートアイランドの医療産業都市は、1995年の阪神淡路大震災の2年後に構想され「国家戦略特区プロジェクト」に認定され発足してから20年になるそうだ。今では、ここで働く人は9200人で参加企業数は340社程になった。なぜ神戸なのか・・これは1995年の「阪神淡路大震災」がきっかけらしい。当時の復興計画で「街を元に戻すだけが復興ではなく、新しい経済復興も狙うため医療都市と空港を作ろう」と言うビジョンが建てられたからだそうだ。
 兵庫県と神戸の優れた行政があったからこそ、早い復興と次の発展の基礎が20年で出来たのだろう。この新産業は、神戸の街づくり財政に欠かせない物にもなっているのだから。

ノーベル化学賞のIPS 山中教授も、高橋教授と同じ京大で医学特許などの既得権で閉鎖的な「大学医療研究・医療行政・薬品企業」のオープン化と協力体制を行政も巻き込んで説得続けたのも「アイセンター」が実現出来た背景もある。講演で高橋氏の「目指している形が、自身の中で明確なら 途中のルールも制度も その実現に向けて修正すれば良い ・・過去ルールに囚われていたら、この進化の時代遅れになり何もできない」と言う熱意ある話も良く理解できた。
  アイセンターの役割は「目の病気のワンストップセンター」だそうだ。山中教授がIPS技術を世界の患者のために・・と開放した様に、ここで培養された網膜細胞も 国内の目の医療機関に配送できる仕組みも作られるそうだ。一度悪くなったら、直らないと言われている目の病気だが このアイセンターの始める再生医療を中心にした目の病気改革を期待したい。



  写真の許可があったので、私にも判った 目の検査室で一枚


世界初、「IPS 加齢黄斑変性網膜移植」‥僅か3年で、既に5例も実施し成功しているのだ !

1711- 半世紀前の山写真

2017-11-25 | 山登り
 関東に住んでいた頃は、山岳会に所属していた。20代前半ては、忙しかった仕事の週末はになると 毎週のように山登りに出かけていた。
山仲間も、皆忙しくて中々 計画調整がつかず 残業で自宅に戻ると 直ぐに単独で近くの丹沢山の日帰り登山をしていた頃だ。小田急の最終電車で山麓駅に下り、ライトを点けて明け方には山頂でご来光を見るのだが偶然 隣に山仲間のIさんがいて「よぅ!」と肩をたたかれて驚くことも何回かあったの思い出も懐かしい。

 私たちの会は例会で毎月、山行計画を立て別に「正月冬山合宿・五月連休・夏山合宿・忘年山行・・など、関東周辺から中部山岳地帯の山を 毎月10人程のパーテイで登っていた。今でも当時、登った山を遠くに見るとその情景が蘇ってくるのも楽しいものだ。半世紀前でも仲間と登山した記憶は、若くて体力があっても相当に鮮烈に脳裏に残されているのだろう。

 地方転勤になり、参加は出来ないが 所属山岳会はメールで情報交換も続いていて 今でも毎月か、隔月くらいで古い仲間は登り続けているから もうかれこれ60年近い歴史だ。メンバーも、入れ替わったりしたが未だ当時の高齢者になった現役もいる。当時、山岳会は山ほどあったのだが 仲が良くて居心地の良いのでこれほど長く続いている会は 相当に珍しい部類ではないたろうか。

 先日、この12月に山梨県「茅が岳」の計画書が届いた。 「茅が岳」と聞いて 過去に登った情景を思い出した。現在会長して頂いているSさんと、二人山行だったが 懐かしかったので「覚えている?」とメールすると当時の 山頂の記念写真が彼から直ぐ送られてきた。1964年8月(S39)の金が岳山頂の二人の白黒写真だが ガキの表情なのに笑えてしまう。そして、スタイルは当時はやりのニッカーボッカとか、銀座の好日山荘で揃えた エンジ色ナイロンのザックも懐かしかった。

 この茅が岳は登山家、日本百名山「深田久弥氏」が亡くなられた最後の山としても有名で当時も石碑があったのだが 富士の様な長い裾野歩きに 疲れ果ててあまり覚えていない。
おそらく、当時は 土曜夜の新宿最終23:55発 中央線鈍行で早朝に韮崎駅に下り 歩いてそのまま山に登ったのだろう。来月の、計画書では前日に2台の車で6人パーティ。山麓駐車場まで車でそこに天幕で大忘年会、翌日 山頂をアタックしてその日に帰る計画・・ 時代が変わった山登りを比較すると経済的にも時間的にも余裕のある計画でこれが隔世の感と言うのだろうか。

 この山は 山梨県韮崎市にあり山岳地帯の中心部にあり展望が良いと言われている。北に八ヶ岳主峰赤岳・西に甲斐駒ヶ岳・東に奥秩父主峰金峰山・南は甲府市内が見える。昔登った時は、夏の終わりで木立が茂り展望は良くなかったが 12月なら良いのではないだろうか。仲間から送られてくる山レポートと写真が楽しみだ。皆さん元気で登ってください。

 登山記録「ヤマレコ」から拝借・・茅が岳は百名山で有名だが 傍の金が岳の方が標高は高い 山姿で減点されたのかも。

1711- 神戸マラソン大会

2017-11-21 | 日記
 神戸、秋のイベント代表は「神戸マラソン」 今年で7回目になる。
ゴールの市民広場近辺は、前日から見学者の通路とか 応援者のダンスステージ・学生音楽隊などの場所作りと準備で 街中に準備のスタッフがとても忙しそうに働いているのを見た。
 19日、快晴の当日も 朝からゴールインする選手の 受入れ準備とか 本部席と選手たちにタオルを配るらしいテントの設置、広場の中は地元自治会とか業者の屋台が並べられて朝から大変だったようだ。
スタートから2時間過ぎると、先頭選手のゴールインとなり 沿道の応援者もゴール近くに押し寄せて 選手と応援者の 見渡す限りの人で広場も埋まってしまったが私たちも、3時間近くゴールの近い沿道で応援した。
 42kmを走って、未だ走り抜ける選手たちのスピードの速さと元気さにも驚かされるが スタートから6時間過ぎて完走する選手もいて マラソンを楽しんでいる人達も多くいて安心した。


 今日、偶々マラソンに参加して完走した方と出会い 先日完走のこの記念メダルを見せて頂いた。これが5つ目のメダルだと言う。お聞きすると、来月の姫路マラソンも走ると言うので これはマラソンの達人さんだった。
神戸マラソンは全国でも人気になって、最近は人数制限も設定され 今年は2万人となったようだ。従って出場は抽選で今年は6人に一人の確率となり どんなに実力があっても出場できるとは限らないから 猶更に難しいようだ。
 この人気には、いろいろ仕掛けもあるらしい。50社程の神戸企業のスポンサーも支援して、有名人のゲストランナー、フレンドシップランナー、そして2時間半から15分置きに設定されるペースセッターランナー、キラキラ女子ランナーは一般公募で選ばれたチームで 特別なコスチューム参加が認められるらしい。こんな盛り上げランナーが一緒に混じって走るので 参加選手も楽しいのだ。神戸のデザイン企業はマラソン・スタイルの優れた選手を選び 終了後に順位を付けて表彰することも企画も発表していた。沿道のサービスも飲料だけでなく、バナナ・チョコレートとかも美味しかったそうだが いろいろなアイデアが如何にも神戸らしい。

 沿道の警備も、学生ボランティアと警察・消防署で 警備が徹底されこの成功には 行政も住民達も含めた全体の協力体制があるのだ。

 左下が今年のゴール地点・・まだ選手が走りこんでいる


 トップ選手は早すぎて撮り損ない、これは2位のケニアの選手 記録2時間9分


 重い5センチほどの金属製メダル・・リボンは神戸開港150年の神戸タータン模様