碧い山・青い海

趣味の山登りとか、技術とネット情報を照合し個人メモに・・

1801-哲学者の雑談 その2

2018-01-09 | 日記
 世の中は、私の年代からすると 悉くに窮屈になってきていると思う。著者の話す言葉から、それが何なのかが 少し判ったような気がしている。
子供教育にしても、道路に出るな・一人で遊ぶな・川に近づくな・・等がある。社会でも、人権保護・プライバシー・面倒な手続きなど制約だらけになった。
 代わりに、地域家族で相互依存で生活し「調理・洗濯・排泄・看病・介護・葬儀・教育」など営みは地域・家族の共同の営みでもあったのが 地域を越えた 公共サービスとか民間委託とか代行になり 最も大切と言われた家族・他人への思いやり、心配も少ないシンプルな生活形態になったのだ。

 人間の本来、豊かな筈の「創造性、革新力、芸術性」などは 自由の中で生まれてきた。社会主義の国では、ノーベル賞とか 芸術文化面でも自由な国に比べて その成果は少ない事からも理解できる。日本の国は、自由で平和が稀に長期に保たれた国なのに より安全に・より安定に・・と努力し不便・不満の部分を法制化したり整備し過ぎた結果 自分で自分の自由を窮屈にしてきたらしい。
 ・・平和で自由を目指す民主国家で、確かに便利になったのに 忙しいとか不安とか・・どうも少し変なのだ。

 未来の子供のために・・この事が五感で会話する子供の素直さも 抑え込んで来てしまった結果かも知れない。今の子供たちは、町には外で遊ぶ環境も無いが「遊ぶな、悪い友達に注意しろ」と言う親もいて 素直さが削がれ 安全に保護され 大人しい良い子だが 面白さに欠けていて何か気の毒な感じもする。
 子供時代の私など朝、友達と道路に落とし穴を作って そのまま忘れてしまい夕方に自分で落ちたり 川に落ちて、川に近寄らない事を自分で学んだ。つり橋から落ちたとか、喧嘩したとか 食べ過ぎてとか・・自分の体で学んだ後悔でもう二度とやらないと毎日を反省する子供だった。
 社会人に出ても、失敗ばかりで顧客とか上司に山ほど謝ったが 今でも やりたければ実行するが 知識だけで学ぶ脳だけでは人間は育たない動物だとつくづく思う。

 辛うじて戦前生まれの私は、過去の戦争映画の1930年「西部前線異常なし」などを見て悲惨さと無益さは知っている。それでも、第二次世界大戦となったのも体験者がいなかったのだろう。宣戦布告も子供の時の体験学習があれば起こらなかったかも知れない。不安を感じるのも、今の平和な時代 好きな戦争ゲームで刺激を求めている人達を見ていると 本来の平和を求める気運はだんだん遠くなる感じがするからだ。

 これはニュース写真だが 家の近くの用水でも良く見かけるカモの親子・・今の環境での子育ては大変だ

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