時評が語るその時代

思うままに日々感じたことを掲載

中国という国(17)

2010年06月25日 | インポート

2009年10月1日、中国は建国60周年の国慶節(建国記念日)を迎えた。北京市中心部の天安門広場では午前10時(日本時間同11時)から祝賀式典が始まった。胡錦濤国家主席(中央軍事委員会主席)が天安門の楼上で10年ぶりの大規模な軍事パレードを閲兵し「改革・開放があってはじめて中国は発展できることを60年の歴史が証明した」と演説。150万人規模の警備体制で市民を排除する厳戒態勢のなか、最新鋭の兵器などで中国共産党の統治力を誇示した。式典では胡主席のほか、呉邦国・全国人民代表大会(全人代、国会に相当)委員長、温家宝首相ら首脳が、故毛沢東主席の肖像が掲げられた天安門楼上前のひな壇にずらりと並んだ。隣接する特別席には国内外からの招待客が参列した。 胡主席は演説で「毛主席ら共産党の指導の下で世界が注目する偉大な成果を上げた」と述べ、共産党の業績を誇示した。

天安門事件から20年、中国の大きな節目にある。社会主義国家中国は、農村部と都市部の所得格差が約4倍などいろいろな格差が内在している。中国国民は共産党統治国家であることを忘れているような日常生活を送っている。社会主義体制下市場主義を実践し急成長してきた中国。13億を超える人口、広大な国土、一枚岩とはなれない70程の多民族、一国統治国家として、共産党一党独裁国家中国をは今後どのように緊張感を保ちつつ国民を誘導統治していくか難しい時期に乗りきるか?

それはさておき、中国人は、自国の民主化なんかどうでもいい事なのだ。彼らは中国人は、中国人を信用していないし、中国を愛してもいない。中国では中国バブル経済をうまく泳いだ富裕層が誕生している。富裕層は、賄賂を使って無税で収入を得、それを不動産と株売買に廻し突如成金となったのだ。まだ中国人のほんの一部である富裕層は、先進国に永住権を求めて世界中にはびこっている。あらゆる手段で他国に寄生し、非常識で厚顔無恥に振る舞い衛生概念など全くなく、ヒンシュクをかう存在だ。自分の利益だけを考え「人の物は自分の物、自分の物は絶対人に与えない」事を当然とし、がむしゃらな打算で欲望のままに生きている。先進国へ移住した富裕層の中国人は、納税もしないで教育も医療も同等の待遇を当たり前のように要求する・・・彼らにとって中国との関係は投資目的だけ。そんな富裕層は、中国国内で批判される事もなく中国国民の憧れの的である。反社会的行為をしてもなんの罪の意識も持たない・・・建国60周年でやっと悪たれ思春期になった中国である。

アレ?・・・中国の事を書いているのに、日本の事を書いているような錯覚を覚える・・・でも中国富裕層の中国人的文化は、日本の場合は精神的ビンタレの特徴的文化といえる・・・


これからの世界経営戦略

2010年06月18日 | インポート

フォルクスワーゲン(VW)とスズキが、株式の相互取得を含む資本業務提携で合意したというニュースは、これからの世界経営戦略を象徴している。新連合は今年の世界販売台数で、トヨタ自動車を抜く世界首位グループに浮上するだけではない。強みの小型車を武器に中国、インドなど成長市場である新興国で他をしのぐ勢力になる。VWとスズキは、世界同時不況の危機をともに黒字で切り抜けた勝ち組同士。手を組むことで、自動車業界に新たな再編を促すのは確実だ。VWの目標は2018年までに世界ナンバーワンになること。新連合は事業の重複が少なく、地域、技術の補完が見込める。スズキは、インドでシェア5割弱、世界最大市場となった中国ではVWが約17%、南米でもVWがトップクラスと新興市場での存在感は圧倒的だ。自動車に限らず、これからの世界戦略は、世界人口の1割程度の既成先進国偏重経営でなく、中国、インドなど世界人口の5割を占める新興国を経営戦略の中心に据えなければ、企業の収縮は避けられない。うまく先進国から新興国へ経営の舵を切れた企業だけが生き残る。新興国でシェアを獲りブランドを確立するには、高機能高性能より安価安心の製品が必要だ。各国の地域事情や環境に合った製品の開発には、すでに既成先進国用に開発した技術やノウハウが利用出来るため、今までの様な膨大な研究開発費を必要としない。したがって技術開発競争でなく経営戦略競争で勝負が決まる。このマルチ時評で8年前から繰り返し新興国重視経営への切り替えを主張しているが、やっとその先駆的大企業が出てきたな~という実感だ。


徒然なるままに(19)

2010年06月11日 | インポート

消費の主役は45歳以上になった。大人用紙おむつの消費が、乳児用紙おむつより多いご時勢。いつまでも若年者志向の昭和年代経営を続けていたら倒産の憂き目を見るよ。それにしても若年者の存在感のなさ迫力のなさ・・どうなるの??

●英国人を対象にした調査で「最も重要と思いつつも、最も不快に感じる発明品」として、日本発祥のカラオケが携帯電話などを抑えて1となったと報じた。携帯電話が4位。英国は、日本のように防音施設が整った個室型のカラオケボックスは普及していないらしい。防音装置があっても・・・自分の歌に酔い他人の歌は聞いていないのが実情。それよりカラオケの広がりがコミュニケーション能力を奪ったような気がする。携帯メールもしかり

組織内理論だけで顧客の方を向いていない企業は消滅するほかない。その代表がNTTドコモ?ドコモ利用料金請求方法に関する不審に質問と改善を求めると「おおせの内容は社内で検討させていただきます」と言いながら、「検討の結果を回答ください」と言うと「要望には個々に回答しないのが当社の決まりで回答できない」のいってん張り。ドコモは、上から目線の手前がってな企業理論だけで動いている事が問合せでよくわかった。要求に対する回答も当社はしないとの事。この件に限らず商品のサービスもきっと同じ発想でしょう。ちなみに、ソフトバンクやKDDI(au)には質問内容の不都合はありません

政府の発表する社会調査。行動調査や家計調査などに「一人ぐらし世帯を除く」というのが多くある。社会実態を把握するためならば、一人暮らし世帯を除いて調査しても意味がなく馬鹿げている。だって、一人暮らし世帯は30%強を占め、いわゆる標準世帯の倍以上。単身者同居世帯や単身赴任者・学生など世帯から離れ生活している人を含めると、日本国民の50%弱は「一人暮らし」というのが実態なのだから。そんな調査を基に行政政策を立てると実態に合わない行政になる。それとも調査は、結果ありきの誘導策動か?

●百貨店はもういらない?・・閉店が相次ぎ年々売り上げが落ちている。古き時代、百貨店はワンランク上でエグゼクティブな空間だったが、今はほとんどの人がそうと思っていない。百貨店も大衆にすり寄っている。かつて三越で買い物する事は憧れであったが、大衆にすり寄った三越の凋落が最も激しい。百貨店が生き残る道は、通販やスーパーでは得られない空間の演出でしょう。それは施設だけでなく従業員の品格と文化で造られるものです

北朝鮮の主張・・「我が国に核兵器を保有しないことを要求するのであれば、まず米国など核兵器保有国が廃棄すべきである」。この主張はインドやイランも同調。国連常任理事国5カ国は全て核兵器保有国。オバマ大統領の主導する核廃棄ブームに踊らされてはならない。中国がいる。日本は非核三原則の撤廃を表明すべき。 

中国の主張・・「地球温暖化の原因である二酸化炭素の削減義務は各国等しく負うが、産業革命以降二酸化炭素を大量に排出し続けた先進国の責任と削減義務は重い」。この主張にはほとんどの発展途上国、後進国が同調している。両国の主張は、納得出来ない事がほとんどだが、この2点の主張は賛成できる

●理想を語るだけで現実対応出来ない社民党。理想に向けた現実行動をしない政党は、百害あって一利なし。社民党は、韓国中国には領海問題、北朝鮮には拉致問題の解決に何の行動もしない。普天間基地移設で沖縄はダメと言うけれど、ダメというだけ具体化できる移設先を示さないのはいかにも無責任。たとえ政権を離脱して、もそれらの行動なくして政党の意味がない

●民主党は、野党時代の主張を大きく変換してきている。野党時代は無責任な立場を利用し、耳触りのよい事をたくさん言って政権を獲ったが、与党になって現実に直面した事と自分達に不都合を生じている事を強引に換えようとしているからだ。財政や国防問題等多くの変更をしているが、重要な事の一つは憲法改正への取り組みだ。もう一つが

検察審査会の権限強化を推進するべきとしていたのに、今は検察審査会による強制起訴制度の見直しを掲げている。もちろん検察審査会が、小沢一郎幹事長を「起訴相当」と議決したからだ。審査会への露骨な圧力とも行動を平気で行っている。ダメだね~民主党は。

民主党よ、政権をとってから勉強するなんてことやめてくれないかな~新人議員は議員の勉強が大事ともいうが、チャンと準備して組織造りと勉強をしてから政権をとってくれないと国民の損失が大きすぎる。新人議員の勉強のために税金を使うなんてバカにしているよタク~


感性型と思考型

2010年06月05日 | インポート

人間は、事象を認知するのに感性と思考を使う。人間の性格は、幼児期にDNAの持つ本能的因子を基本に環境対応特質として造られたものであり、容易に変わることはない。脳機能障害を負うとその人の特質は著明に表れるが、その本性は呼吸停止するまで損なわれないと言われるぐらいである。動物の行動は、自分を守り子孫を残すための本能がつかさどっているが、感性と思考は人間の特性。女性は感性型、男性は思考型が多い。

感性豊かな人は、魅力ある人が多く、人気があり場面造りが得意である。半面自分自身のコントロールが苦手で時として感情に流された言動をする。思考能力は感性とは別にあり、いわゆる頭の良し悪しとも関係ない。感情が支配した時冷静な思考は停止状態になり自己を失う事もある。感性豊かな人は、恋愛など感情的な場面では幸せでよりプラスの魅力を発揮するが、日常生活の様に着実性の求められる場面では、論理的思考が優先されるため閉塞感を感じる。

論理的思考が感情を制御している人は、魅力は薄いが頼もしくみえる。感性型は快楽を優先し自己中心的であり、思考型は堅実さを優先し調和を重んじる傾向が強い。感性豊かな人と論理的思考型の人が夫婦となれば、そのバランスレベルが互いの許容範囲内であればこの上ないカップルであるが、双方の特性差が大きい場合、感情と思考のハザマに落ち、たがいに精神的負担を感じる。ならば、同質型の夫婦であればと思うが、感性型カップルは波乱で崩壊しやすく、思考型カップルは刺激に欠け幸せ感の持てない夫婦となる可能性が高い。24時間生活を共にする夫婦でなければ、許容範囲が広くなるため感性型と思考型のカップルが最も楽しく長持ちする

客観的に論じると、カップルに許容範囲を超えた特質の違いがある場合、社会的得失は別にして離れるのが互いにとって最適の選択である。ただしカップルに子供がある場合、子孫本能がその判断をかく乱する。男女とも子供を確保しようとする。特に感性型は論理的根拠なく子供を離そうとしないのが一般的である。女性は子供を守り育て、男性は餌を確保し家族を守るようにプログラムされている。子供は女性にとっては分身であり、男性にとっては最優位の家族(子供を血縁氏族の最上に位置付ける)である。だから、この男女の特性で子供をめぐる覇権争いをするのが常である。

感性と思考のバランスがとり、かつ相手を尊重し自身の許容範囲を広げるよう心掛けたいものです。