時評が語るその時代

思うままに日々感じたことを掲載

これって・・ドウ??

2007年06月29日 | インポート

ニートの若者の約5割が学校でのいじめ被害や引きこもりの経験があり、約4割は不登校を体験していると、約400人を対象にした厚生労働省の委託調査で分かった。大規模なニート調査は初めてという。約8割は「仕事をしていく上で人間関係に不安を感じる」と回答。専門家は「対人関係の苦手意識が不登校やいじめの体験で増幅され、それが就労の困難にもつながっている」と分析している。若年者のニートは、発達障害です同種の動物間(人間の場合は人間間)では障害をを持っていると、いじめられたり仲間はずれに合うのは動物共通です。種の負担になるため放置されたり、時には殺されます。意思疎通が出来ないコミュニケーション障害など発達障害を持つ固体を淘汰し、種を守ろうとするのは自然の営みです。人間は例外と思いたいけれど許されないんでしょうね~キット。                                         

今年(2007年)の新入社員の約8割が「思っていたよりも満足のいく就職ができた」と考えていることが、社会経済生産性本部などの調査で分かった。「自分はいい時代に生まれたと思う」と考える社員も昨年に続いて8割を超えた。同本部は「久しぶりの超売り手市場となった今年の就職戦線を明白に反映した結果」としている。8割満足にはビックリですネ。8割不満も困るけれど、8割満足も怖いです。韓国の若者はエネルギッシュですが、日本の若者にそれを感じません。                                   

世界経済のファンダメンタルズが変わっているのに、自分の持つの過去のデータに基づく既成概念でしか経済の現状を分析評価出来ない経済学者や証券アナリスト。今の状況がどうしてバブルの再来にならないなんて言えるの?デフレ脱却は経済発展を保障し良い事だって?インフレが良いのか?株価は今後上昇するから貯蓄より債券や株式に投資すべきだと薦めるの?誰にとって良い事なの?人口も経済も右上がりの時代が良い時代ですか?過去のデータで現在を分析するのでなく、現在情勢から未来を見通した解析をして下さい。ピーター・F・ドラッカー先生のように。                                                


やっとニートになれました

2007年06月19日 | インポート

やっとニートになれました。長年望み続けた退職ができて、「エデンの園」に入った。動物にとって人間にとって究極の幸せは、ニートで生活できる事である。毎日餌を探す動物状態からの開放である。ニートを望んでも、毎日生きていけるだけの餌を保障されなければニートにはなれない。仕方なく、40年近く定年まで働いた。そしてその保障を創り上げ、見事ニートになれた。ニートとは、イギリスの労働政策において用いられている言葉で、就労意欲のない無職の者をさす(NEET=日本語で「ぐうたら?」)。無業者、職業にも学業にも職業訓練にも就いてない(就こうとしない)人のを表す言葉〔Not in Employment, Education or Training〕であるが、私は定年退職でやっと「学業にも職業訓練に就く意欲もない無職無業者」のニートの資格を獲得できました。

勤労は、国民三大義務の一つで、働くことは「善」と云う既成概念になっている。国民三大義務とは、現在の日本国憲法によると、保護する子供に普通教育を受けさせる義務(第26条第1項)、勤労の義務(第28条第1項)、納税の義務(第30条)である。

子供には普通教育を受けさせ、税金は全て納税してきた。定年は、法的に認められた勤労の義務完了年を意味し、定年退職し「勤労の義務」も終了した。すなわち、もう自由自適の生活をしてよい権利を得たのである。社会的には「ぐうたら」を公認され、勤労義務終了者として保護優遇される立場になった。

近年、若くしてニートになる者が増えていると云う。日本でも100万人以上ともいわれる。昔から「隠居する」と云う言葉があって、若くして成功した人が社会から離れ悠々自適の生活をする人がいたが、今は20歳ぐらいで隠居する人々がいると云う。私は40年近くも働いた結果やっとニートになれたのに、うらやましい限りだ。ニート生活を満足するには、自遊自適を楽しめるバイタリティーと精神の安定が必要である。若くして、国民の義務を果たし、自立して一生生活していける餌(人間は資産)を得て、バイタリティーがあり精神的にも充実している人が、100万人以上もいるなんてスゴイと思います。

動物は、死ぬまで餌を求め続け、病気や高齢で餌が取れなくなったら死ぬと云うのが「自然の摂理」です。餌を蓄える事も休む事も許されていません。その点、人間は餌を蓄えたり体調の悪い時には休む事が出来ます。病気などで困った時には、助けてもらう事も出来ます。それが、「人間は社会的動物」と言われる所以(ゆえん)です。ですから餌が取れなくても、即「死ぬ」ことは稀です。そのかわり、いらぬ暇が出来ると「人間はなぜどうして生きるのか?」とか「生きている意義」なんてくだらない事を考え自殺したりもします。そんな事を考える人は、ニートになる資格は有りません。動物や人間でもギリギリ状態で生きている人は、そんな事を考えません。自殺なんて考えもせず必死で生きています。国民の三大義務を果たせず、人の獲って来た餌を食べ、暇だけあってくだらない事だけ考える人間は、動物以下です。餌を獲ることが容易になった人間社会の中で、それに馴れて餌を獲る行動もせず生きている退化した動物以下人間は、当然「自然の摂理」どおり淘汰されるべきで、淘汰しなければ人間社会が疲弊します。同様に、勤労状態にないと精神が安定せず、自由自適の生活が出来ない人も同罪です。額に汗して働いている人=立派な社会人=善とする認識は、まさに既成勢力(主に経営者)の造った都合の良い既成概念で、その概念に汚染され大いなる間違いを犯している、おろかな従属人間もニートの資格はありません。そんな日本人は多いようですが、欧米諸国の人々は、退職後の自分の考える自由自適の生活を楽しみに仕事すると云うのが普通です。

退職後の生活を「第二の人生」と云う言い方をされますが、これ自体「勤労を重要視した考え方で人間的でなく動物的発想」でしょう。人間は動物と違い、自分で考えて自分の人生を造るのです。人生に一もニもありません。生まれてから死ぬまで切れ目ない人生で、勤労義務終了後の自由自適の生活こそ「真の人間生活」といえるのです。

TVコマーシャルを観ていると、若い女性が「私仕事が好きだから・・・」と云うのがありますが、若い女性ならそんな寂しい事を言わず、仕事を趣味や生活の全てにせず、もっと楽しい幸せな日々を送ってください。

〔07/4/10版〕