マドンナのナイショ話

あなたに話したいあれこれ

ニューヨーク恋物語2009スペシャル・横浜編

2009年09月13日 | ニューヨーク恋物語
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今日のフォト。
ニューヨーク、タイムズ・スクエア。






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「ニューヨーク恋物語」の原作は
2005年の5月に、このブログからデビューしました。


その後、ブログから私のホームページ
「マドンナの夢ギャラリー」に移行して、3ヶ月間連載しました。


そして3年ぶりに、昨年5月写真をふんだんに使って
復刻版、「ニューヨーク恋物語2008」を5ヶ月間、このブログで連載しました。






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最終章(2008年9月)では、これを読んでくださった多くの方々が
2人の恋のゆくえに、哀しい想いをされたかもしれません。







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2008年12月には、「ニューヨーク恋物語クリスマススペシャル」を
パリの写真75枚を使って、公開しました。



思い出のパリから、大沢が今日子に語りかける想い。
パリのクリスマス風景が、とても素敵なスペシャル版です。






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そして2009年9月、物語は2年の歳月が流れて、日本に帰国した大沢が
胸の内を綴る「ニューヨーク恋物語スペシャル・横浜編」をここにアップしました。


こちらの原作は、2007年11月にHPで書いたものです。


今回は、大沢と今日子の、思い出の写真を76枚使っての大作です。
秋の夜長に、ワインでも飲みながら、読んでくださると嬉しいです。






NIGHT Windows ~東京の夜景


尚、このエントリーの東京&横浜の夜景の写真は
2005年5月以来、「ニューヨーク恋物語」に、ご協力くださっている
「NIGHT Windows ~東京の夜景」のShinshinさんと、マドンナが撮ったものです。







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BGMは、森山直太朗さんの「愛し君へ」






                 






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今日子・・・
十月の初めに帰国して、もう一ヶ月になる。


僕は明日の夕方の便で、成田からニューヨークへ発つよ。
これでまた、しばらく日本ともお別れだ。






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今日子・・・ 
今度は、いつ日本に帰れるかわからないよ。


ニューヨークでの一人暮らしは寂しいけれど
帰国すると、東京や横浜には君との思い出がいっぱいで、切なくなる。






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思い出の場所に立つと、街の曲がり角から
ふいに君が現れるんじゃないかと、錯覚してしまう。








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君のいない横浜は、僕にとって「彩り」を失った街にしか過ぎない。
そんな想いを胸に、僕は明日、ニューヨークへ発つよ。


十月、君の三回忌の法要のために東京に帰り、一ヶ月。
本社での仕事にも、ようやくメドがついた。


僕にとっては、あっという間の一ヶ月だったよ。






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毎日仕事に追われて、なかなか君にメールができなかったけれど
今夜、こうして君に語りかけながら、キーボードを叩いているよ。






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横浜最後の夜、このメールを書き終えたら、君に送りたい。
今日子、君のいる天国のメアドを僕に教えておくれ。






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今日子・・・ 
今夜、僕はどこにいると思う? 


二年前に一時帰国した時、僕がニューヨークに発つ最後の夜
今日子と過ごした、横浜のロイヤルパークホテルの客室にいるよ。






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フロントに無理を言って、あの夜と同じ部屋を取ってもらった。
最後にこの部屋で、僕は今日子と話がしたかったんだ。


二年の月日が流れても、僕は今でも君を忘れられずにいるよ。
そんな僕にきっと君は言うね。  「大沢君って、バカね」って。






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秋晴れの十月
君の三回忌の法要は、鎌倉のご実家で、ごく内輪に行われた。
仏前には、鎌倉の家の庭に咲いている、秋桜の花が飾られていたよ。


君は毎年庭に咲く秋桜を嬉しそうに眺めて
それを手折っては、グラスに入れて、喜んでいたそうだね。






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君のご両親ともゆっくり話をさせて頂いた。


僕の知らない、親孝行で優しい今日子がいて
お父さんやお母さんにも、君はたくさんの幸せを与えてあげたんだね。






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君の子供の頃のアルバムを見せてもらったよ。


柿の木に登り、泥んこ遊びをしたり、ゴーカーに乗ったり
君はドール遊びより、男の子のような遊びが好きだったと。






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君の快活さは、幼少の頃の遊びから培われたものかもしれない。
まだまだ僕の知らない今日子が、アルバムの中にいたよ。


そんな今日子の全てを僕は生涯をかけて、知ろうとしていたんだね。
今はとても残念だよ。






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今日子・・・ 
十月半ばにお台場に行ったよ。


久しぶりに「ゆりかもめ」に乗ると
僕たちの夢のような日々へと、タイムスリップして行くようだった。






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お台場は僕たちのデートコースのひとつだったね。


初めて喧嘩したのもお台場だったし
ここではたくさんのライブやイベントも楽しんだ。






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お台場で夜のデートをすると、帰り際、いつも君はこう言った。


「私、もう一歩も歩けない。 ねえ・・・大沢君、私をおぶって」
そう言って、僕に甘えてきた。






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今日子はいつも僕の姉のような存在だったけれど
お台場では、まるで子供のような君がいた。


おぶってやると、君はものの五分も経たないうちに、寝息を立てた。
そして僕は背中に君の温もりを感じて、幸せだった。






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レインボーブリッジを眺めながら、僕たちはよく未来の話をしたね。


今日子・・・
サイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」という曲の一節に
こんなフレーズがあるのを知っているかい?






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君が打ちのめされて 立ちすくんでしまった時
僕がなぐさめてあげる 僕が君の代わりになるよ


暗闇が襲い 苦しくてどうにもならない時は
荒れた海に架かる橋のように 僕が体を横たえるから






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この歌は今でもニューヨークの人々を勇気づける歌なんだよ。


僕も今日子のためなら、「橋」になるつもりだった。
荒れた海に体を横たえ、君の幸せへの架け橋になるつもりでいた。






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今日子、君と僕との歴史の中にはない、東京の名所ができたよ。
その名も「東京ミッドタウン」


「東京ミッドタウン」が着工した2004年5月
僕たちは、ここにどんな素敵な空間ができるのかとワクワクした。






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着工から竣工まで、約3年。
「グランドオープンの日に来よう」なんて、君は言ったっけ。


その後の僕たちには、色々なことがあったけれど
その間も、ここでは順調に工事が進められていたんだね。






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2007年3月、「東京ミッドタウン」は、グランドオープンした。


けれどぼくたちは、もう東京にはいなかった。
僕はニューヨーク、そして君は天国。






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今日子・・・ 
この写真は仕事帰りに、都庁や新宿の街を撮ってみた。


新宿の街が一番ニューヨークに似ている。
マンハッタンの夜景は、僕の中ではいつも新宿と重なった。






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僕が残業で帰りが遅くなると、君は僕の会社のある新宿まで来てくれた。
そして新宿で食事をして、夜の新宿の街を歩いた。






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摩天楼のビルの真ん中で、僕は街の灯りを見るのが好きだ。


無数の命の光がキラキラ輝いているようで、その輝きがとても愛しい。
ニューヨークでも東京でも、人は懸命に生きているんだね。






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今日子・・・ 
東京に着いた夜、僕は素晴らしい光景に出会ったよ。


僕が「東京タワー」が好きなことは、よく知っていたよね。






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帰国した夜、僕は東京タワーに行ったんだ。


そしたらピンクの東京タワーがいたんだ。
僕は一瞬、今日子が立っているような気がしたよ。






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これは「乳がん早期発見啓発キャンペーン」の一環として
この夜は、世界の有名な建造物をピンク色にライトアップして
全世界の女性たちに、アピールしようという企画のようだった。






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こういう運動にも、今日子は積極的に参加していたね。
君はいつも働く女性や、弱い女性の味方だった。


君は弱い立場の者を守って、いつも何かと闘って、とても強い女性だったのに
こんなに儚く消えてしまったなんて、マジで嘘だろう?
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