Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

THE ENCHANTED ISLAND (Sat, Dec 31, 2011)

2011-12-31 | メトロポリタン・オペラ
この記事は昨年12/31の公演に関するものですが、新しい記事であることがわかりやすいよう、しばらくトップに置いた後、本来の日付に移動します。

注:『魔法の島』で演奏される・歌われる曲の元歌リストをこちらにupしました。

メトの現支配人ピーター・ゲルブは、それまでの旧態然としたオペラ上演のあり方を変え、
新しい観客層を引き入れるために自分は努力をしている、ってな趣旨のことをこれまでさんざんぶち上げて来ました。

その中にHD上映の試みがあったり、ディスカウント・チケットの配布があったり、
起用する歌手や演出家、上演する演目の選択の変化、もしくは(本人が言うところの)工夫があり、
この中には成功しているものもそうでないものもあるし、
私が個人的に賛同するものも、しないものもあります。

2011年の大晦日である今日、プレミエを迎える『The Enchanted Island』。
(これまで当ブログでは『魅惑の島』と訳していましたが、
松竹のサイトによると日本でのHD上映は『エンチャンテッド・アイランド~魔法の島』という邦題になっているようですので、
今後『魔法の島』に統一したいと思います。
ちなみにライブ・ビューイングというのはなんだか不自然な英語で、かつ、音の響きとしても全く魅力が無く、
このネーミングを考え付いた人間(松竹の職員?)を縛り首にしたい位ですので、
HD上映に関してはこのブログでは絶対にライブ・ビューイングという間抜けた名前で呼ぶことはなく、
必ずライブ・イン・HDもしくは略して単にHDという呼称を使うことにしています。)

昨年二月のシーズン演目発表時から開陳されていた通り、この『魔法の島』はパスティーシュ・オペラ(イタリア語ではパスティッチョ・オペラ)といわれるもので、
非常に簡単に言うと、複数の作曲家による、複数の作品から、アリアを主とする部分部分をちょろまかして繋ぎ合せて一つの作品にしたもの、
つまり言ってみればオムニバス/コンピレーション的オペラ作品なんですが、
パスティーシュ・オペラ自体は勿論ゲルブ支配人の発明でも何でもなく、18世紀をピークに昔から採用されていた作品・上演スタイルです。



ヨーロッパではすでにスタンダード・レパートリーとして現代のオペラハウスのレパートリーに定着した感すらあるバロック作品ですが、
それがメトでは諸般の事情によりそれほど取り上げられて来なかったのは先日の『ロデリンダ』の感想にも書いた通りです。

ところで、スリムな女性が来て似合うデザインの服を太った女性が、
”でも、今、これが流行っているんだも~ん!”と、ぱっつんぱっつん状態で着用しているのを見て、
”服がかわいそう、、。”と思ったことはありませんか?
また逆に、グラマーな女性が来て似合う服を貧弱な体の女性が着用しているのを見るのも、やっぱり非常に痛い感じで、
これまた”かわいそうな服、、。”と思ったことは、、?
その服自体が素敵であればあるほど、その”かわいそうじゃないの!!”という思いが強くなる、ということ、ありませんか?
私はあります。
素敵な服だな、、と思った時、それにすぐ手をつけることだけがその服を本当に愛でていることにはならなくて、
自分の体型を振り返って、”これは本当に似合う方に来て頂こう。”と手を引くことの方がより良い愛で方である場合もある筈です。



私がメトでバロックを演奏する必要は特にない、と思うのはこれと全く同じ理由からなのですが、
トレンドだから、と、自分の体型も省みずに似合いもしない服を着たがる人というのが必ずいて、
具体的に言うと、今シーズン、『ロデリンダ』の上演だけでは飽き足らず、もう一丁バロック作品をメトで打ってやろうと目論むゲルブ支配人とかですな。

ゲルブ支配人の、もっとバロック上演を!という野望と、”旧態然としたオペラ上演のあり方を変え”る野望を合体させるにあたって、
誰が入れ知恵したのか、その隙間に紛れ込んで来たのがパスティーシュ・オペラのフォーマットの採用というアイディアです。
”他のバロック作品を上演したいけれど、『ロデリンダ』みたいな系列の作品をまんま上演するのは退屈だし、
パスティーシュ・オペラにして、もっとスピーディーな展開の物語にすればどう?”みたいな。
(最近の、特に若年層の人たちに見られるアテンション・スパンの短さはほんと嘆かわしい!と私は思っているのですが、
その代表といってもよいのが、全くもって若くはなく、いい歳こいたおっさんであるところのゲルブ支配人でしょう。
これは私の思い込み・思い過ごしなどではなく、OONYの『アフリカの女』の公演が良い証拠です。)



そしてさらにゲルブ支配人は考える。
”深い話はやめてね。頭が混乱するし、大晦日からそんな複雑なこと考えたくないから。”
”それからイタリア語とかフランス語?あれもまた眠くなって来る原因の一つだよね。うん、この際言葉も英語にしちゃおう。”
”指揮者は誰がいいか?んー、なんか良くわかんないから、バロックの一人者ってことになってる人なら誰でもいいんじゃない?
クリスティーとかいいんじゃない?え?去年彼は『コジ』でオケと険悪なムードになってたの忘れたんですか?って、、?
いいよ。だって僕がオケで演奏するわけじゃないしー。”
”そうそう、それから大事なこと、忘れてた。デブは起用しないこと!全員、スリムであることが最低条件。
ルックスの良い歌手には歌う箇所を多くして。え?デ・ニースにそこまで歌いこなせる力があるかどうか不安?
ノー問題、ノー問題!どうせメトの客はうすら馬鹿で歌唱力のことなんてわかりっこないんだから。
っていうか、僕が一番わかってないんだけど!んー、じゃ、大御所歌手を一人混ぜて、目をくらませるってのはどう?”



かくして、ジェレミー・サムズの手によって、
シェイクスピアの『テンペスト』と『真夏の夜の夢』のストーリーが合体し、
既存のバロックのアリアにのって、英語で歌われるオペラ、『魔法の島』が完成したわけですが、
(選曲には指揮者のクリスティのアドバイスも入っているそうです。)
まあ、それにしても、なんとお粗末な作品でしょうかね、これは。
この作品の上演が何とか持っているとすれば、それはアリアそのものの力と、歌手たちの訓練の賜物による歌唱力、この二つでしょう。
新しいオーディエンスのために、新しいオペラを!とぶちあげられて出来た作品が、
結局のところ、ずっと引継がれて来たオペラ作品とその歌唱の伝統と、
それを守って鍛錬を重ねて来た歌手たちに救われているというのは、本当に皮肉なんですが、
この二つを抜いたら、私が幼かった頃、デパートの屋上で観たキッズ・ショーのデジャ・ヴに感じそうな代物です。

今回の演出はマクダーモットで、セット・デザインや衣装も、『サティアグラハ』の演出に関わった時と同一メンバーが再起用されています。
このマクダーモット率いる演出チームはなかなか力のあるチームで、『サティアグラハ』での演出は大変素晴らしかったし、
今回も、時にバロック作品の上演であることは忘れてませんよ~というオーラを出しつつも、
さりげなくそれを現代風にアップデートし、適度なスペクタル、ファンタジー感を伴ったカラフルな演出、
それでいて決して下品に堕さず、非常にバランス能力に長けた演出チームだと感じます。
特に若者四人をのせた船が難破する場面の演出は巧みで
(文章で説明するのは非常に難しく、こればっかりはHD等で実際に見て頂くしかないと思いますが、
トラディショナルな手触りとリアルさのバランスがこれまた素晴らしいと思いました。)、今日の観客からは拍手も出ていました。
ただ、どんなに演出が頑張ったとしても、やはり元の作品があまりに馬鹿馬鹿しいと、埋め合わせるのにも限界があるというものです。

シェイクスピアの作品のプロットを二つ一緒にしても、それぞれの良さがそのまま保たれるわけではなく、
かえって、それぞれに元々在った良さまで崩壊してしまう、その見本のような事態になってしまっていて、
大体、新しくつけられた英語が、あのシェイクスピアの格調高い英語に叶うはずがないわけで、そんなことは誰もはなから期待していないわけですが、
それにしても、この小児を相手にしたような英詩には本当げんなりさせられます。



作品については延々ノンストップで文句を書けそうなのでこの位にして、パフォーマンスについて。

まず、この作品、誰が一番の主人公か?と言われると、明らかにこの人!と言える人はいないんですが、
(下のキャスト・リストも、通常は主役から書いて行くことにしているのですが、今回は登場順に近いリストになっています。)
断然登場時間が多く、主役の一人と言って間違いないのが、アリエル役のデ・ニースです。
彼女は、私の中では今、ちょっとネイサン・ガンに近い位置づけになっていて、
オペラハウスでのオペラの全幕公演より、ブロードウェイの舞台とかの方が合っているんじゃないかな、、と思います。
私はオペラにもミュージカルにも優れた歌手は存在しうると思っていますが、
一つ、違っている点は、オペラは優れた歌手である手前に、それぞれのレパートリーに応じて、
絶対にマスターしなければならないテクニックというものが存在している、ということではないかと考えます。
ミュージカルは、どんな風に歌っても、お客さんの心を動かせばそれで良し、という懐の大きさがありますが、オペラではそれはありえない。
デ・ニースのオペラ歌手としての問題点は、彼女は現在実際に舞台で歌っているレパートリーに限ってすら、
きちんと身に付いていないテクニックがあることが散見される点で、
良い部分もある彼女なんですが、それ以外の部分での技術の未熟さがそれを帳消しにしてしまっています。
特別な理由もないのに、なんだか見ているだけでこちらを疲れさせるタイプの人というのがいて、
私にとっては、まさしくデ・ニースがその一人なんですが、
このあちこちで失敗と混乱を巻き起こすアリエル役はそんな彼女の個性にぴったりな風に書かれているので
(こういうオリジナル・キャストのパーソナリティに合わせて役を書けるところが新作の初演の良いところかもしれません。)
もしかして、サムズも”この女、なんか疲れるよな、、。”と内心思ってるのかな?と、勘ぐってしまいました。



彼女に指令を出し、魔術も自由に操るプロスペロー役にはデイヴィッド・ダニエルズが配されていて、
作品の中でも最大の聴かせどころとなる部分を任されている責任重大な役ですが、
(しかも、フェルディナンド役の若手のカウンターテノール、コスタンゾが美しいアリアを歌った後のことなので、
カウンターテノール同士比較される部分もあり、プレッシャーも大きい。)
曲の美しさもありますが、ベテランらしく、コスタンゾよりも豊かな表現力を見せていたのはさすがです。
英語で”Forgive me, please forgive me"と歌い始められるこの部分の元歌は、ヘンデル『パルテーノペ』の”Chi'o parta"で、
この公演、私は正直に言って、バロックの曲を集めたものであるに関わらず、あまりバロックらしさを感じなかったのですが、
この"Chi'o parta"の部分は、唯一、それらしいものを感じられた数少ない場面の一つでした。



フェルディナンド役は、プロスペローが娘のミランダの婿として目をつけた男性で、
アリエルが彼を捕獲するのに失敗ばかりするものですから、オペラの終盤になってやっと登場する、、、というわけで、
他のどのメインの登場人物よりも登場時間は短いのですが、舞台に登場していきなりアリアを決めなければいけないわ、
しかも、ミランダの夫としてふさわしい雰囲気も出さなければならないわ、で、なかなかに難しい役です。
彼が歌うのもヘンデルの作品からで、『ゴールのアマディージ』の"Sussurrate, onde vezzose"。
『ロデリンダ』の記事およびコメント欄で、新旧のカウンターテノールの違いについて話題にあげ・あがりましたが、
コスタンゾは年齢が若いせいもあるでしょうが、響きが美しいだけでなくて力強く、彼も新世代型のカウンターテノールだな、、と感じます。
彼は2008-9年シーズンのナショナル・カウンシルの勝者で、グランド・ファイナルズの時の歌唱は私も聴かせて頂いて、
ポテンシャルのある若者だわ、、、と多いにエキサイトしましたが、あの時よりも一層歌が洗練されていて、この数年の努力の跡が伺われます。
その時の記事にも、”彼の歌は音が段々消えていく時の美しさとか、音と音の”間”がきちんと生きている点が長所だと思うのですが~”
と書いていますが、その美点は顕在で、
"Sussurrate, onde vezzose"の頭のSuの音の美しさとクレシェンドして行くときの太陽の煌きのような絶妙なボリューム・コントロールは息をのみました。
ダニエルズが"Chi'o parta”で見せたような味を聴かせるにはまだ少し時間がかかるかもしれませんが、これからに期待したいと思います。



決して少なくはない歌手陣の中で、”空気と戯れる”歌い方が出来ていたのはドミ様(ドミンゴ)とディドナートだけかもしれないな、と思います。
ドミンゴはネプチューン役での出演で、年齢を経てもなお衰えない舞台プレゼンスと声そのものの存在感は、
この役はやはりドミ様でないと、、と思わせるものがあります。
ドミ様は言うまでもなく、決してバロックの歌手ではありませんが、その一声出てきた途端、
”おおっ!!これがオペラだわ!!”と思わせる唯一無二の存在感は、
もうこういうものを持った歌手はドミ様以降この世に出てこないのだろうか、、と寂しくなるほどです。
もちろんお歳ですから、以前に比べると旋律が少し不安定気味に感じられたり、歌詞が頭に入りきっていらっしゃらないのか、
だいぶプロンプターの助けも借りていらっしゃいました。
でも、ゲルブ支配人の寄せ集め的アイディアの中で、唯一期待していた結果がきちんともたらされていたのはドミ様の起用ではなかったかと思います。
しかし、この作品が再演されることになったとして、ドミ様以外の誰がこの役を歌えるのかしら、、?という疑問は残ります。
ちなみにドミ様がお歌いになるのは確か既にご制覇されたレパートリーの一つ、『タメルラーノ』(これもヘンデルですね、、)の、
"Oh, per me lieto"です。



プロスペロー役に魔法にかけられて作品のほとんどを腰をかがめた汚らしい妖婆状態(上から四枚目の写真)で演じているのがシコラックス役のディドナート。
最後に魔法が解けて素敵な地に近い姿が見られるのは何よりです(こちらは下から三枚目の写真)。
先にも書いた通り、彼女の歌唱の良さというのは、空気と戯れるような響きを作り出す能力を持っている点で、
そういう意味でいうと、多分、生で聴かないと完全には良さが伝わらないタイプの歌手かもしれないな、と思います。
また、彼女のポジティブ・オーラ満開の個性は、あまりこういう怪しい役には向いていないかもな、、とも思いました。
私が実際に全幕で見たことのある役ではやはりロッシーニの喜劇系の役が良く合っていると思います。
ただ、彼女はバロックの歌唱でも定評がある人なので、こういうバロックもどきの公演ではなくて、
きちんとしたバロック作品の上演で機会を改めて聴きたいです。



母親のシコラックスが最後に美しい姿に戻るのだから、この人も地の姿が見れるのか、と思いきや、
なぜか、ホラー映画のようなメイクのままエンディングまで突っ走ってしまうのが、シコラックスの息子のキャリバン役のルカ・ピサローニ。
たった数ヶ月前の『ドン・ジョヴァンニ』のレポレッロ役で周知の通り、
なかなかのイケ面なのに、それを見せないなんて、これこそ宝の持ち腐れ、、、こんなことになるなら不細工な歌手を起用しとけばいいのに。
でも、ピサローニはレポレッロの時も思いましたが、演技がなかなかに上手ですね。
特にこの役は化け物メークのせいで顔の表情が非常に乏しくなってしまっているので、体を使って感情を表現しなければならないんですが、
演技のタイミングが非常に良いし、化け物ゆえの悲しみが、あの濃いメイクの下から立ち上がって来ているのはなかなかだと思いました。
声もしっかりとした響きをしているし、人によっては個性がない、と言われるのかもしれませんが、私は彼の素直な歌い方は結構好きです。
この作品で、バロックのレパートリーにはあまり向いてないな、と思いましたが、
もしかすると、声が熟して行ったら、今レパートリーの中心をなしているモーツァルトだけではなくて、
違ったレパートリーが広がるんではないかな、という可能性を感じます。

ミランダ役のオロペーザ、ヘレーナ役のクレア(彼女は2010-11年シーズンの『ドン・カルロ』のテバルド役でも端役ながらちょっとした注目を浴びていましたが、
リンデマン・ヤング・アーティスト・プログラムのレヴァインのお気に入りでもあり、かなり将来を嘱望されているように見受けます。)、
ハーミア役のデ・ショング、と、女性の若手陣は与えられた仕事をきっちりこなしていて好印象、
逆に若手男性陣のデメトリウス役のアップルビー、ライサンダー役のマドーレの二人はちょっと不甲斐ない感じでした。

クリスティーは指揮だけでなく、選曲でも貢献したらしいことは先に書いた通りですが、
こと指揮に関して言うと、彼はメトのオケから自分が取り出したい音を取り出せていないと思います。
バロックには重過ぎるいつものサウンドのまま。
短い期間で異質のオケから理想のサウンドを引き出すテクニックがないのか、オケのメンバーの心を摑めないのか、、、。
『ロデリンダ』のビケットの方がよほど彼の意図がきちんと感じられる、良い意味でいつものメト・オケと違うバロックらしい音を紡ぎ出せていたと思います。

それにしても、寄せ集めのアイディアでオペラの上演を成功させられると思ったら大間違い。
支配人による数々のテキトーな思い付きが、バロックをバロックたらしめ、美しい作品にしているそのベースを粉砕してしまった、
その様子を見ておくのも、一回くらいは悪くないと思いますが、二度はご免。

David Daniels (Prospero)
Danielle de Niese (Ariel)
Joyce DiDonato (Sycorax)
Luca Pisaroni (Caliban)
Lisette Oropesa (Miranda)
Layla Claire (Helena)
Elizabeth DeShong (Hermia)
Paul Appleby (Demetrius)
Elliot Madore (Lysander)
Placido Domingo (Neptune)
Anthony Roth Costanzo (Ferdinand)
Ashley Emerson, Monica Yunus, Philippe Castagner, Tyler Simpson (Quartet)

Conductor: William Christie
Production: Phelim McDermott
Associate director: Julian Crouch
Set design: Julian Crouch
Costume design: Kevin Pollard
Lighting design: Brian MacDevitt
Choreography: Graciela Daniele
Animation and projection design: 59 Productions

Devised and written by Jeremy Sams
Inspired by Shakespeare's The Tempest and A Midsummer Night's Dream
Music by George Frideric Handel, Antonio Vivaldi, Jean-Philippe Rameau, André Campra, Jean-Marie Leclair,
Henry Purcell, Jean-Féry Rebel, Giovanni Battista Ferrandini

Gr Tier Box 33 Front
NA

*** The Enchanted Island エンチャンテッド・アイランド 魔法の島 ***

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19 コメント

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略称は意外と難しい (みやび)
2012-01-17 11:18:02
日本ではNHKが商標登録をもっていた「ハイビジョン」が浸透しているため(名称が浸透したほどには契約は増えなかったようですが)、HD=High Definitionであることが分かりにくいのではないかな、と思います。

私は永いことHD=hard diskだと思っていました(笑) 「HDDハイビジョンレコーダー」なんてのもありますし。
返信する
あ、切れてた。 (みやび)
2012-01-17 12:02:26
(続く)
一方、「ライブ・ビューイング」はコンサート等を生(あるいは録画)中継して映画館で観る形態として(検索をかけるとザラザラ出てくる程度には)一般的になっているようですので、分かりやすい名称を取ったということだと思います。あ、全くの想像ですが。

「ライブ・ビューイング」がいつから一般的なのかわかりませんが(という程度にしか一般的でないのか、私が無知なのか)、まさか松竹の方が先というわけではないでしょう。

ちなみに、松竹は2005年1月から「シネマ歌舞伎」と称して映画館で歌舞伎上映というのをやっています(昼夜全公演では長すぎますので、ピックアップいくつかの演目に限っていますし、METと違ってlive中継ではありません)。
劇場』同士、似たような戦略があるのかもしれず、そのあたりがMETが松竹と組んだ理由なのかもしれないと思っていました。

ただ、だからといって上手くいくかどうかは別問題だと思いますが。

MET以外のROHやスカラ座の映像はSONYのLivespireが仕切っていましたが、そういえばいわゆるアンコール上映だけで、今シーズン新作の予定が出ていないようですね…。
http://livespire.jp/schedule/wcc2011-best-yurakucho.html
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千両役者 (mami)
2012-01-18 09:56:47
一つ前のあらすじ、というか、曲紹介を読んで、「筋?2つ合わせれば、2倍面白いってことは、あるわけないでしょ。筋ってものも、そもそも、有るようなないような。。というレベルだわ」というMadokakipさんの声が聞こえました。

そして、初日のレポート、楽しみにしてました。ありがとうございます。
>その一声出てきた途端、
”おおっ!!これがオペラだわ!!”と思わせる唯一無二の存在感

「よっ!ドミ様」と声をかけたくなるような、なんだか、遠山の金さん、水戸黄門というか、「ここでの大物登場よね」と安心できる存在感でしょうか。

ドミ様、ご自身が「ドミンゴ」であることの責任を、十二分に承知して、それを引き受ける強い決心をお持ちですから。
その決意と、責任感ゆえでしょうね。
ともかく、お元気に、お誕生日を迎えられることが、何よりの幸せです。

って、このオペラの話を何もしてませんけど、それは、HDを見てから、ということで。
返信する
Unknown (アルチーナ)
2012-01-18 17:00:10
初めまして。いつもブログを楽しく拝見しております。
今朝ほど、音だけ聴きました。・・で、コスタンゾ!書かれてらっしゃるように「ゴールのアマディージ」のアリアの冒頭のクレッシェンド良かったですね!出演しているのを知らず、もう一人のCTは誰だ?とチェックしてしまいました。
それから・・録音だけでは判断できませんがダニエルズとこの間のショル(ライブビューイングを観ました)はなんとなく二人共、声の艶が無く、乾いたように聴こえて、そんな所にも若干新旧を感じてしまいました・・実際生で聴かれた感じではいかがだったでしょうか?

このオペラ・・と言うか何と言うか・・
サティアグラハの演出家と同じという事もあって、何となくバロックに馴染みのない人達にミュージカル的にバロックオペラを体験させるような雰囲気なんだろうな・・とは思ってはいるのですが、観に行ってみようと思っています。音だけ聴いている分には、ストーリーのあるガラコンサートみたいな感じでそれなりに楽しめそうな感じもしましたので・・

・・それから・・若しかしたらプロンプターの声が入っているような感じもありました。歌詞も英語ですし、仕方がないかもしれませんね。

これ・・youtubeで見つけたのですがコスタンゾ少年のようですね。
http://www.youtube.com/watch?v=KsALVMsT4hU

それでは・・長々と失礼いたしました。
返信する
みやびさん (Madokakip)
2012-01-19 14:17:15
このブログでは松竹をいじ(め?)るのがお約束になっているので、特に深く考えず、“松竹の社員?”と書いたんですが、
みやびさんから頂いたコメントを読んで考えるに、メトのHDから“ライブ・ビューイング”という言葉が一般的に使われるようになったのではないか、、という気がして来ました。
メトのHDが始まったのは2006年で、その前に“ライブ・ビューイング”という言葉を聞いたことは私はとりあえずないんですけれども、
今ネットで調べてみても、2005年以前にこの言葉は普及していなかったのではないか、、という風に思えます。
でも、この言葉の起源はどこにも見つからないんですよね、、
もし2005年以前にもありましたよ~ん、という目撃談があれば伺いたいです。
松竹の社員の方の、“その言葉は私が考えた!”という告白も大歓迎です。
(その結果どうなるかは、、、うふふ、、、。)

Live viewingという言葉がなぜ変か、考えてみました。
連れに、まず、Live viewingって意味わかる?と言ったら、
Live performanceをviewするという意味なのか?
それとも何かを 生で見るということなのか、つまり、Liveが何にかかるのかわかりにくい、
しまいには、それは一体何の言葉なんだ?と詰め寄られました。
なので、日本ではライブ・イン・HDのことをライブ・ビューイングと呼んでる、と教えたら、
すぐに、“でも全然生ではないではないか!”と突っ込まれました。
(字幕作成のために何週間遅れなことを知っているらしい、、、。)
ま、それはライブ・イン・HDという言葉でも同じなんですけどね(笑)
結論を言うと、liveはstreamingとかbroadcastingという言葉とは上手くミックスしますが、
Viewingという言葉とは上手く交わらない、ほとんど一緒に使わないんです、、、。
(もちろん無理やり使うことは出来ますが、ちょっと変、、。)
私はそれはstreamingとかbroadcastingは送り手側の行動なのに対し、viewingは見る側である点に着目し,
Liveは前者とは合わせて使いやすいが、後者とは普通使わないのではないか、、と考えてみたのですが、
まだ仮説段階です、、というか、全然良く考えてなくて、思いつきなんですけれども。
Livespireは名前としてはなかなかいけてると思うんですけどね、、、上映自体が定着しないと意味がないですね。
返信する
mamiさん (Madokakip)
2012-01-19 14:20:09
>「筋?2つ合わせれば、2倍面白いってことは、あるわけないでしょ。筋ってものも、そもそも、有るようなないような。。というレベルだわ」というMadokakipさんの声が聞こえました

あまりにどんぴしゃで怖い、、(笑)
最後に、“この浅はかな支配人めが。”というのを加えていただければばっちりです。

>「よっ!ドミ様」

この演目でのドミ様は『ばらの騎士』のイタリア人歌手、『こうもり』のゲストみたいな位置づけですので、
全然バロックらしくなくてもOK!と私は思っているんです♪

>このオペラの話を何もしてませんけど

といいますか、するほどの話もない、ってな感じのオペラであるところが恐ろしいのですけれども、
もちろん、ご感想を伺うのは楽しみに致しておりますので!!
返信する
アルチーナさん (Madokakip)
2012-01-19 14:20:58
はじめまして!!

>いつもブログを楽しく拝見しております。

ありがとうございます!!

そうですね、、おっしゃる通りで、ダニエルズやショルは私にはやはり新旧の“旧”の方に感じます。
(もちろんだからと言って優れたCTでないわけではありません。)
また、ダニエルズは確か、この次か、次の次の公演だったか、途中で降板してしまったみたいですので、
この大晦日の日も本調子ではなかった可能性はあるな、と思います。
(ただ、ダニエルズに関しては他の演目でも聴いていますが、彼は音色自体がどちらかというと旧世代のCTだな、とは思います。)

たしかダニエルズが降板した後は、コスタンゾがプロスペロー役に入って、
フェルディナンド役はジェフリー・マンデルバウム(Jeffrey Mandelbaum)というCTが歌ったはずです。
まだまだ色んなCTが人知れず眠っていそうで、これからが楽しみです!

>・・それから・・若しかしたらプロンプターの声が入っているような感じもありました

ええ、特にもうドミ様のところでがんがんと、、、(笑)
お誕生日(21日)のHDの日までに覚えてらしてくださいねー!と当ブログでも応援差し上げているのですが、、、。
(『ロデリンダ』のコメント欄に関連したコメントがあります。)

http://blog.goo.ne.jp/madokakip/e/bf3bad9bd5c0b10990f5fcff71cc035c

頂いたYouTubeの映像、確かにコスタンゾ君です!説明にも記述がないのによくお見つけになられましたね!!!
(コメントにはメトのナショナル・カウンシルで、、という記述がかろうじてありますが、、。)
しかも、これはまた若い頃の、、、!!!って、今も大概若いのですけれども!!
この声が今のような彼の声になるのか、、と大変感慨深く拝見しました。

ところでアルチーナさんのブログ、ブックマークに入れさせていただきますね。
もしご迷惑でしたら外しますのでご連絡ください。
返信する
影響力を過小評価していたか? (みやび)
2012-01-19 15:19:55
Madokakipさん、偉いです。私、真面目に調べていません。
というか、ハナから「(一般には)マイナーなオペラの企画が、そんな大きな影響力を持つはずはないだろう」とタカをくくっておりましたです。(あ~、これはこれで、不興を買いそうな(^^;)
ん~、でも、今や桑田圭介、福山雅治、EXILE、…み~んな「ライブ・ビューイング」ですから、これが本当に松竹発だったとしたら、名称を浸透させたという点ではむしろアタリなんじゃないでしょうか。
いや、良し悪しは別として。(私は全般にカタカナ語に冷淡…。自分も使うくせに。)

Live viewingが変、というのはいかにもありそうだとは思っていましたが、どう変なのか全くわからなかったので、ご意見(仮説であっても)大変勉強になります。
私はなんとなくパブリック・ビューイングの変形かと思っていました(変形の仕方が変ですが♪)。といいつつ、時系列調べてないです。
日本ではよく演奏会自体を「ライブ」と称することがあるので、「ライブ(演奏会)を観る」というところへ、時間軸的には「生(ライブ)」ではないけれど、「生」のイメージを重ねているつもりなんだと思います。掛け言葉好きですよね、日本人は。百人一首からスポーツ新聞の見出しまで(笑)。
と書いて思ったのですが、演奏会⇒ライブ、という使い方は英語的にlive performanceの略として通じるんでしょうか?そうそう、ライブハウスは変なんですよね?と、話が果てしなくずれていく…
返信する
Unknown (アルチーナ)
2012-01-20 11:16:54
あ・・ブックマークの件、スミマセン、恐縮です。ありがとうございます。

ドミ様・・Live in HDの時迄には、なんとか・・(笑)

それから・・新しい世代のCT、確かに聴いていると女性にしか聴こえない歌手も多くて、だったら女性が歌えば良いのではないか?と感じることもあるのですが、二点A当たりの音を、男性がファルセット無しで歌ってくれるとやはりイイナと思ってしまいます。(笑)

そういえば、以前書いてらしたMaria Aleida、私が気に入っているCTのフランコ・ファジョーリと去年、ロッシーニで共演したので、音だけ聴いたのですが、確かに高音、凄いですね~~!!技術はもうちょっと身につけて欲しいですけれども・・ああいう高音を持っているとそれだけで聴衆も沸いてしまうと思うので、それだけ・・になって欲しくはないですよね。
返信する
みやびさん (Madokakip)
2012-01-20 12:36:10
Live in HD / live viewing なんだかこの件、気になってしまって、調べるのをやめたいのに調べてしまいますー。

一応Live in HDはメト独自のブランド名なんですが、どうやらライブ・ビューイングはそうではなくてもっと総称的な名称になってしまっているようですね。
Live in HDとかLivespireと言った名称に比べると、ライブ・ビューイングって仮に変に聴こえるのを百歩譲っても、なんだかプロジェクトの仮名みたいでつまらない名前、、と思いますが、
もともとブランド名として考えていたわけではなかったのかもしれませんね。

しかし、そのつまんない名前を会社名にしてしまった、まったくもってセンスの悪い会社もあるみたいです。

http://www.liveviewing.jp/company.html

それもなんと、この会社って、東映、東宝、電通、SME、エイベックス、博報堂などが出資していて、
明らかに松竹に対抗、もしくは松竹が日本で最初に手を染めたビジネスのおこぼれに預かろうという試みですよね。
ビジネスのライバルたるもんが、ライバル相手の広めたそのまま名前、
それもプロジェクトの仮タイトルみたいな、、をつけてどうするか!って感じですけれど。
(ちなみに設立は2011年。)

なるほど、ライブ・ビューイングは、生の公演の意味のライブと、それを生で見るとを掛け合わせたものであると、、
確かに掛詞ですね。

ただ、仰るとおり、

>ライブハウスは変

というのも、

>演奏会⇒ライブ、という使い方は英語的にlive performanceの略として

通じないです。
Liveという単語は生の・でという、形容詞・副詞で、絶対に名詞として単独には使えないのです、、。
返信する

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