Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

DON CARLO (Sat Mtn, Dec 11, 2010)

2010-12-11 | メトロポリタン・オペラ
注:この記事はライブ・イン・HD(ライブ・ビューイング)の収録日の公演をオペラハウスで観たものの感想です。
ライブ・イン・HDを鑑賞される予定の方は、読みすすめられる際、その点をご了承ください。


『ドン・カルロ』、シーズン初日から約3週間を経た今日の公演はHD収録の日。
その間には、オペラ界のヨン様ことヨンフン・リーがアラーニャとのダブル・キャストでカルロ役を歌っていて、
出来れば私も生でヨン様の歌声を聴きたい!と思っていたのですが、
フォンテンブローのシーン付きの『ドン・カルロ』は決して上演時間が短くはなく、
シリウスで彼の歌声を聴いて、それから後日の公演に足を向ける決断しても遅くはない!、、ということで、まずはシリウスで下調べをしてみました。

彼の歌声の特に中音域あたりは、アジア人らしいたおやかさを感じる声で私は嫌いではないのですが、
トップがまだきちんと出来上がっていなくて、高音に上がると、一応音はピッチの正確さも含めて出てはいるのですが、
強引な、それまでの美しい音とはやや異質の、耳に快くない響きになるのがまず気になります。
けれども、何よりも私にとって辛かったのは、歌唱のつたなさです。
彼がこの作品を十分には歌いこめていないことは明らかで、役の表現といった高次元のレベルの話ではなく、
それぞれのフレーズの取り扱いそのものについて、ラインの取り方、ブレスのアロケーションの仕方に、
彼が”こういう風に歌いたい。”とする目標やイメージが感じられず、その場その場で可能なやり方でなんとか歌い進めているような雰囲気で、
彼が声をコントロールしているのではなく、声の方が彼の歌唱をコントロールしているような印象です。
それは、しばしば適当になる音符の長さ、音程の移行の曖昧さなどに現れていると思います。



一言で言うなら、きちんと隅々が完成する前にオーディエンスの前に歌唱が差し出されている感じで、
こんなまだまだ勉強中の段階にある歌手を、カバーならいざ知らず、本公演にキャスティングするメトの神経も疑ってしまいます。
彼の歌を聴くと、初日の感想でpark & barkと貶めたアラーニャ(↑)の歌唱がとてもまともなものに思えて来ました。

持ち役で基礎をきっちりと積み重ねないで、こういう適当な歌唱を歌う癖や正しくないやり方で高音をひねり出す方法が身に着いてしまうと、
結果として彼のキャリアを縮めたり、台無しにしてしまうことにもなりかねないことを私は憂います。
インタビューに登場したヨン様はとてもまじめで人の良さそうな好青年で、
(私は彼を写真や映像でしか見たことがないですが、司会のマーガレットが、”素敵”と激褒めしていましたので、実物でもルックスに恵まれた人のようです。)
彼自身に適当な歌を歌ってやろう、とか、怠けてやろう、という気は全くないと思いますが、少しキャリアを急ぎ過ぎているように思います。
今回のメトでのオファーを受けたのも、ただ、目の前にやって来た大きなチャンスを逃したくない!というのが動機なんでしょうが、
きちんと彼のキャリアに目配りをして、長い目で適切なアドバイスをしてくれる人物の存在を望みます。



で、今日の公演の話をすると、まず、全体的に初日よりもかなり出足が重い感じがしました。
初日では、ところどころ問題がありつつも、大筋では第二幕の途中くらいから段々と音楽が流れるようになって、
第三幕ニ場までにはオケの演奏がしっかり乗っていましたが、今日はその三幕二場もまだ乗り切れていなくて、
指揮とオケがやっとかみ合いだして、いい演奏になって来たな、と思ったのは、四幕の終わりあたりからでした。遅すぎ。

大体、ネゼ・セギャンは、今の段階では、比較的きびきびした音作りに魅力があるタイプで、
初日からしばらくは、彼の率いる『ドン・カルロ』には重厚さや深みがないとしても、違ったところでそれなりに埋め合わされていた部分もあったのです。
それが、突然、”僕もカラヤンのようになりたい。”と血迷った夢を見るようになり始めたか、
例のヨン様の公演日のあたりから、やたら重たい音作りになってしまって、
重厚さや深みが音楽から溢れて来るには、ただテンポを遅くするだけでは駄目で、それをしっかり支える緊張感をオケから引き出すことが大事なのですが、
まだそこまでの力は彼にないと見え、結果として、三幕の終わりまで、ずっと音楽が足を引きずっているような、
前に行きたいのに足に重い鎖がついているような雰囲気の演奏になってしまっていました。



もしかすると、この演目でHD、というプレッシャーが指揮の彼にもあったのかもしれませんが、もしそうだったとしたら、
彼だけでなく、一部の歌手の歌唱の面にもそれは現れていたかな、と思います。

一番それを感じたのはエリザベッタ役のポプラフスカヤで、初日よりも喉が締まっているような窮屈な発声で、
また、大きな失敗だけは起こさないように、という気持ちからか、歌が一回り小さいというか、初日の思い切りの良さがなかったと思います。
それでも、実際大きな失敗はなかったわけですから、彼女の目論見通りにことは進んだと言えるのかもしれません。
彼女の歌唱は相変わらず、良いところと悪いところが混在している感じで、みずみずしさのない、水気の抜けたオレンジのような音色も
これまた相変わらずですが、例えば、最後の幕の”世の空しさを知る神よ”の、
故郷を思いながら”ああ、フランス、、、”と歌う部分以降の表現には、きらり、と光るものがあったりして、
まだまだ彼女をどう捕らえたものか、私には良くわかりません。



アラーニャはこういう場でも一切緊張したり深く考えすぎることがなく、いつもと全く同じ歌唱です。
このオペラのテーマの一つである、カルロの成長譚を十全に表現できているかと問われれば、私は全くそう思いませんが、
ヨン様との比較の絡みで言うと、技術面だけにフォーカスすれば、初日の歌と今日の歌で、アラーニャの歌はきちんと一貫していて、
きちんと役を一定レベル以上に理解し、歌いこなしていることはわかります。
ただ、彼はヨン様のようなニューカマーと違って、オペラ界でキャリアも長く、一応、もっとも人気のあるテノールの一人に入るわけですから、
私が彼に期待することもヨン様と同じでは当然ないわけで、例えば、今日の彼の歌唱を聴いていて、”ああ、やっぱりアラーニャだなあ、、。”と
思ってしまうのは、技術のみならず、何もかもにおいて、初日から、全く歌唱に変化がない点です。




つまり、私が言いたいのは、歌唱の技術の面では変化が必要のないほど、確固としたものを持っていてほしいと思うのですが、
表現やケミストリーといった高次なレベルでは、常により良いものを求めて公演毎に変化しているべきであり、
それこそが、良い歌手を良い歌手たらしめる条件だと思うのです。
彼の歌には、一つの公演から別の公演の間での、ネゼ・セギャンの指揮や、共演者の歌の変化に対する配慮が全然なく、
彼の頭の中で出来上がっている固定した優れたカルロ役としての歌唱を再現することのみに注意が向かっており、
これは『ドン・カルロ』だけでなくて、他のあらゆる演目で、私が彼の歌唱から共通して感じる特性です。
だから、特に彼の歌声を魅力的と感じない私のような人間にとっては、彼の歌唱については各演目で1度聴いたら十分、という感じで
(正直、時には1回でも十分過ぎる時がありますが、、)、繰り返して聴く楽しみがないのです。



それと全く対照的なのが、ロドリーゴ役のキーンリーサイドです。
地理的な理由により、HDだけしかご覧になれない方の方が圧倒的で、その方々は比較の対象がなくてこの公演だけを鑑賞されるわけですから、
私の言わんとしていることがなかなか伝わりにくいかもしれませんが、
彼が初日からこの日まで、ロドリーゴと接触のある役柄を歌う全ての他の歌手の歌い方、演じ方を考慮に入れつつ、
ネゼ・セギャンの演奏のスタイルの変化にまで対応させて、自分の歌唱を調整して行っているのは、見事というしかありません。
先ほども書いた通り、ネゼ・セギャンの指揮に、このHDの日の公演の直前あたりから大きな変化が現れるようになっていて、
ポプラフスカヤ、アラーニャはもちろん、フルラネットですら、完全にその変化に歌をあわせることが出来ていない
(まあ、フルラネットの場合は、若造指揮者のいちいちに付き合っておれんわい、と自ら放棄しているところもあるのかもしれませんが)のに対し、
今日の公演の最初から最後まで、最もネゼ・セギャンの指揮と息を合わせて歌えていたのはキーンリーサイドで、
この点はHDだけをご覧になっても、良くわかるのではないかと思います。



その上に彼は、アラーニャやフルラネット、ポプラフスカヤ、スミルノヴァの歌唱だけでなく、演技のリズムもすっかり摑んで、
歌唱や演技を細かくそれに合わせてテイラーし、初日よりも共演者との呼吸という面で、ずっと説得力のある内容のパフォーマンスを出していました。
彼はこの日、非常に声のコンディションも良かったので(メインのキャストの中でずば抜けて好調で、ランを通して彼の最も好調な日だったと思います。)、
単純に彼の優れた歌を楽しむだけでも十分満足!なのですが、私が一番感銘を受けたのは、上に書いたような、ランを通して彼がどのように
ロドリーゴ役としての歌唱と表現を膨らませていったか、というその点です。
昨シーズンの『ハムレット』よりも、より一層強くその面での彼の能力の高さを感じることが出来たのは、
この人間ドラマとして非常に多層な面を持つ、『ドン・カルロ』という作品そのものが持つ特性のおかげかもしれません。



猛烈に残念なことに、初日ほど切れ味鋭い表現が感じられなかったのは、意外にも、フルラネットのフィリッポです。
誤解なきように言うと、それでも、彼のそれは、現在最高のフィリッポとして、一見一聴の価値のあるものです。
ただ、初日の公演での、あらゆる瞬間の、あらゆる歌唱と動きがフィリッポという人物を描くのに貢献していたように思えた、
あの研いだばかりのナイフのような鋭さは少し後退したかな、と思います。
ネゼ・セギャンの指揮の変化に今ひとつのれなかった、ということもあるかもしれませんし、
彼はこの公演の翌週の、今シーズン初のラジオ放送(シリウスではなくFMの)の対象となった公演から降板してしまいましたので、
もしかすると、このHDの日、すでに最良のコンディションでなかった可能性もあります。
初日の歌唱と演技がぴたっとピントの合ったレンズのようだったとすると、ほんの少しですが、オフ・フォーカス気味に感じられて、
彼の最高のフィリッポを世界に見てもらうもう一つの(彼はスカラやROHでの映像もありますので、、)チャンスだったのに、残念です。



エボリ役のスミルノヴァに関しては、初日の感想に特に付け加えることは何もなし。
彼女の歌は吠えているだけで、何の繊細な情感も籠っていないと思います。
そもそも、彼女はもっともっと自分の声をきちんとコントロールする能力がつかないと、そういった細かい感情の表現を実現すること自体、無理だと思います。
どうして、こんな馬鹿力を出すことしか出来ない技術の伴わない人がインターナショナルなレベルに出てきたのだろう?とそれが不思議でなりません。



宗教裁判長を歌ったハルフヴァーソンは初日の評が概ね好評だったので、私の耳がトチ狂ったか、と、今日は神経をさらに集中して聴いてみましたが、
やはり、彼の歌唱の何が良いのか、さっぱりわかりません。
この役は大袈裟なことを何もしないで、ただ声を発しただけで、こちらが”ひーっ!”と縮み上がるような存在感、声のカラーが必要だと思うのですが、
彼にはそれがないので、歌の表現付けの方で迫力を出そうという、小手先かつ表面的な方法を取っているようなんですが、
この役でそれは大きな間違いだということを実感させられます。
彼とフィリッポが対峙する場面は、このオペラで最大の聴き所でもあるので、実に残念。

私がこのオペラで大好きなオカルト・ロール、修道士/先帝(カルロの既に亡き祖父)が、へな声のタノヴィツキーという非力なバスによって
台無しにされているのも、初日と同じ。
初日にとりわけ彼が不調、もしくは緊張していたことを祈っていましたが、残念ながら、これが彼の実力なようです。


Roberto Alagna (Don Carlo)
Marina Poplavskaya (Elisabeth of Valois)
Simon Keenlyside (Rodrigo)
Ferruccio Furlanetto (Philip II)
Anna Smirnova (The Princess of Eboli)
Eric Halfvarson (The Grand Inquisitor)
Alexei Tanovitsky (A Friar)
Layla Claire (Tebaldo)
Eduardo Valdes (The Count of Lerma)
Jennifer Check (A Celestial Voice)
Tommaso Matelli (Priest Inquisitor)
Anne Dyas (The Countess of Aremberg)
Donovan Singletary, Keith Harris, Christopher Schaldenbrand, Joshua Benaim, Tyler Simpson, Eric Jordan (Flemish Deputies)
Conductor: Yannick Nézet-Séguin
Production: Nicholas Hytner
Set & Costume design: Bob Crowley
Lighting design: Mark Henderson
Dr Circ D Odd
BS

*** ヴェルディ ドン・カルロ Verdi Don Carlo ***

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22 コメント

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ふたたびヨン様 (galahad)
2011-01-03 15:27:08
なるほどなるほど。Madokakipさんのヨン様評、私が実演を聴いて感じたこととほぼ同じでした。(彼はドイツのレビューを見ると、わりと評価が高いので自分の耳が悪いのかと不安になってました) 
半年の間にものすごい進化はなかった模様ですね。 彼は声自体はきれいで、あの細い体躯にしてはデカ声だし、ルックスは韓流スターだし、いいところはたくさんあると思うのですが…。

HDの収録日の「ドン・カルロ」については、HDを観るのを楽しみに、まだMadokakipさんの評を読まないでおきます。 
galahadさん (Madokakip)
2011-01-04 16:32:48
>私が実演を聴いて感じたこととほぼ同じでした

ありがとうございます。これで聞き逃したことも、心置きなく、“ま、いっか。”と思えます。
歌唱の良さが電波に乗るといまいち伝わりにくい、、というタイプの歌手もいますので、きめつけたくはなかったのですが、
声そのものの魅力が届きにくい、というケースはあれど、
いくらラジオとはいえ、技術があるのにないように聴こえるということはまずないですものね。
彼の場合は、もう少し歌が練れないと、あの調子で全幕を聴くのは私には辛いものがあります。

それなのに、

>彼はドイツのレビューを見ると、わりと評価が高いので

って本当ですか?!これは一体どういうことでしょう!?
ドイツはレジーな演出にも寛大なら、歌唱の方にも寛容なのでしょうか、、?

ヨン様、話し方ぶりからは穏やかそうで優しそうな人柄が伝わって来て、
何か、ご本人もぴんと来ないままに、するするとここまで来てしまったような雰囲気でした、、。
いつか、技術も万全!の状態のヨン様を聴けるのを心待ちにしています。
日本での公開まであと少し (Sardanapalus)
2011-01-06 00:09:27
あけましておめでとうございます!

ちょっと出遅れましたが、初日のレポートに続き、「ドン・カルロ」のHDの日のレポートありがとうございます!日本ではいよいよ今週末から公開です。

>きちんと隅々が完成する前にオーディエンスの前に歌唱が差し出されている感じ
リーはイケメンですけど、私も実力以上の役を無理に歌いすぎているように感じます。そのせいか、時々思い出しながら歌っているかのように歌唱がふにゃふにゃとなるのが気になるのですが、METデビューでも結構好評でしたよね?やっぱり実際に聞かないと分からないのでしょうけど、私の好みではなさそうです。こういうタイプよりは、アラーニャのように
>彼の頭の中で出来上がっている固定した優れたカルロ役としての歌唱を再現すること
に集中している歌手の方がまだ好感が持てます。

それにしても、キーンリーサイドはこの日好調だったようで、良かったです!!彼の共演者(指揮・オケも含めて)との息を合わせていく能力は本当に素晴らしいと思います。今回の公演中のインタビューでも「ロドリーゴが悪目立ちしないように気をつけている」と色んなところで発言していました。

苦手なポプラフスカヤがまたあまり好調でないのはきついですが、Madokakipさんのこのレポートで、週末にライブビューイング(全然ライブじゃないですけど…)に行くのが待ちきれなくなりました♪
Sardanapalusさん (Madokakip)
2011-01-06 15:44:13
いよいよ今週末ですね!!どうぞ、キーンリーサイドの雄姿をしかとご覧になってくださいませ!
本当に初日からのパフォーマンスの内容の進化のカーブといい、
このHDの日にぴたっと自分の一番良い時を持ってくる力といい、すごいな、と思いました。
キーンリーサイドは『ハムレット』の時もやはりHDでコンディションの良い日をきちんと持ってきていましたよね。
風邪でダウンする歌手も少なくないなかで、この自己管理能力の高さは素晴らしいです。

>時々思い出しながら歌っているかのように歌唱がふにゃふにゃとなるのが

ヨン様、そうなんですよね、、。“今の何何??“と思わされる部分が結構たくさんあって、、。

>METデビューでも結構好評でしたよね?

彼の強みの一つかと思いますが、好かれやすいパーソナリティではあるんですよね。
とても礼儀正しくて、おごっているところがなくて、ここまで来てしまったのも、
“運です。”みたいな雰囲気がありながら、しかも、一生懸命頑張っている風ではあるので、
歌に色々問題があっても、あまりきついことを言う気が失せるというか、、
あとはあんな柳みたいなほっそいアジア人からああいう声が出る、というのは、
実際にオペラハウスで見ると、少し面白い、というのはあるのかもしれませんね。
(それがドイツで評価が高い原因かもしれませんね。)

>苦手なポプラフスカヤがまたあまり好調でないのはきついですが

まだエリザベッタは良い方でした、、。彼女のヴィオレッタ、これこそ、私にはきつかったです。
ヘッズの間でも完全に意見が二分しています。彼女はヨン様と違い、
誰にも好かれるというのと、正反対の位置にある人ですね。
ライブビューイング (muguet)
2011-01-09 15:44:40
はじめまして。
昨夜ライブービューイングを観てきました。
ちょうど1ヶ月少し前にNYで観たこの公演、行く前にROHのDVDで何度も予習し、現地で本番、そして昨日が復習という完璧パターンでした。

生の舞台とは、また180度違う楽しみ方ができるのがこのライブビューイングの醍醐味ですね。
素晴らしく均一化された大音量と顔アップの連続で、完璧に迫力負けしてしまいました。。。
これって、どうやって音をひろっているのでしょう?超指向性マイクですか?
足音や紙がすれる音、そしてポプラフスカヤのやせた声まで(!)綺麗に滑らかに聴こえてきて?
すごい技術ですね・・
これはこれで素晴らしいのですが、間違ってもこちらを本番の予習にしてはいけないなあ、とつくづく思いながら帰ってきました。
順番からして、あり得ないですけどね(笑)。

14日まで上映しているので、絶対にもう一度行くと思います!

インタビューに応えるフルラネットの地声、素敵すぎました!!
Madokakipさんが初日ほど表現に切れが感じられなかったとおっしゃっていたように、確かに私が観た日よりも幾分ゆるくなっていたようでしたが、それでもあの顔アップの映像で許せました(笑)。会場ではあそこまで見れないし。
まあ、カメラを意識すると、全体の表現に差し障りが出るのかな?とも思いました。

キーンリーサイドのラストもすごかったです。
あの体勢であそこまで歌えるとは・・

Madokakipさんのいつも丁寧なレポート&コメントを拝見できて、本当にありがたいです。
これからも楽しみにしておりますね!
オペラライブvsライブビューイング (Kew Gardens)
2011-01-10 23:47:50
今日みてきました。 劇場での楽しみ方と、映画館でのMET ビューイング鑑賞は、違いますね。 

当日は、オケピットがあるといっても、かぶりつきに近い状態だったので、声がダイレクトに届き、細かい演技まで見えたと思っていました。 でも、今回多用されていたカメラのズームアップにはかないません。 KeenlysideやFurlanettoのよく練られた演技や表情は、普通はわかりませんもの。 また、良くも悪くも、マイクで拾われ一定レンジ内にまとめられた音は、音響施設にも左右されるとはいえ、それなりに映画館ではよく聞こえます。 当日の席は、下手だったので、歌手が舞台横に広がられた重唱では、オケも含めてバランスが悪く聞こえましたが、それは是正されていたような。 とはいっても、あのずれっぷりは直しようがなかったようですね。

加えて、ライブビューイングでは、16:9アスペクトに切り取られ、複数のカメラを切り替えて作られる画面を見せられるわけで、誤った印象を持つことがあるかと。 プロデューサーの意図でしょうけれど、今回は、メインキャラクター一人一人のアップが多くて、ガラコンサートのように一瞬見えました。 当日も、どうもみなさんミスを避けるためか、自分の歌に集中しがちで、インターアクションの点で面白みがちょっとかけていたように思いましたけれど(これは、2008年ROH鑑賞の時との比較なので、私の勘違いかもしれません。) 

と言い出したらきりないですが、やはり極東にいる私たちには、ライブビューイングというのは、貴重な体験に変わりありません。 片道半日以上かけてMETやLa Scalaに、そうそう行けませんもの。 ただし、“映画館でみるものと、劇場のそれとは、似て非なるものだ”と認識しておく必要があるなと、改めて思った次第です。

>猛烈に残念なことに・・・・
Furlanetto、今日映画館でみたところでは、圧倒的な存在感でした。 私も、当日は、以前ROHで感じた空気を震わすような威圧感がないなと思ったのですが、これもカメララークのおかげでしょうか?

>彼が初日からこの日まで、ロドリーゴと接触のある役柄を歌う全ての他の歌手の歌い方、演じ方を考慮に入れ・・・

Sardanapalusさんもおっしゃられていますが、舞台を一緒に作り上げていく人たちにあわせるのが、Keenlysideは実にうまいです。 今回”あれっ?”と思わされたのは、カルロによってRodrigoを変えているのではということ。 Villazon=カルロの時は、カルロの気持ちを流用してやろうとする策略家の面がすごくでていて新鮮だったのですが、Alagna=カルロでは、どちらかというと、頼りになる兄貴の雰囲気のほうが強かった。シラーの原作とは違うようで、もしかしてAlagna=カルロはエリザベッタへの思いだけの単純なキャラだということかもしれませんね。 個人的には、カメラのドアップのおかげで、当日は頭のつむじしかみえなかったKeenlysideのDying sceneが堪能できて、大満足。 2008年より、リアリティが増していました。

ここで、話が飛ぶのですが・・・。
ライブビューイングをみた友人から、SmirnovaがMatt Lucasにそっくりといわれていましたが、今日のアップ画面で、笑いだしそうになりました。 (彼は、UKのコメディアン。 Little Britainという番組に出演していますが、男性・女性問わず、変なキャラクターに扮装します) しっくりいっていないカツラ(地毛じゃないですよね?)、描いた眉、ブルーグレーのアイシャドー、顔の肉のつきかた、丸太のような腕・・・・。 Lucas彼そのものかと。 現代のオペラ歌手は、アップにも耐えられる容姿がマストですね。 



muguetさん (Madokakip)
2011-01-11 07:04:13
はじめまして!コメントを頂き、ありがとうございます。
そうですか、NYにいらっしゃっていたのですね。『ドン・カルロ』以外の公演もご覧になりましたか?

『ドン・カルロ』については、ROHのDVDとは演出も同じですし、
それで予習されて、生公演、そしてHD、と続けてご覧になると、色々な発見があられたことと思います。
(残念ながら、私はROHのDVDは未見なんです、、。
でも、ROHの公演も生でご覧になったKew GardensさんがHDの日の『ドン・カルロ』の公演でNYにいらっしゃった際にお会いした時に、
色々ROHとメトの舞台で違っていたところなどを教えてくださって、すごく興味深かったです。)
また、それぞれの媒体で違う長所、短所が感じられて、そこも面白いところですよね。

そうなんです、HDの音というのは均一化するんですよね。
今でもすでに大音量ということですが(お話を伺っていると、HDの企画に関しては、
日本の映画館の方が大音響で鳴らしているような印象を持ちます。
私もこちらで何度か映画館で鑑賞したことがありますが、そこまで音が大きい!と思ったことがないんですよ。)
オペラハウスで本当にすごい迫力で鳴っている音も、単なる“大音量”になってしまって、
そのダイナミズムみたいなものがHDではあまり上手く伝わっていないな、という風に思います。

逆にオペラハウスの中では、“なんじゃこりゃ?”というような声量のない歌手の声が結構上手くt録れていたりして、
以前にもどこかで書いたのですが、上(良いもの)も下(悪いもの)も削られて平均化されるのがHDの音質かな、という風に思っています。
ラジオの放送もその傾向がありますが、HDはさらにそれが強くて、しかも音に独特のシャリ感がありますよね。

>インタビューに応えるフルラネットの地声、素敵すぎました!!

ですよね!話し声だけで、これは歌ってもすごい声が出そうだ!というのがすぐわかる声ですよね。
私はこの日、オペラハウスに居ましたので、インタビューを見損ねてしまいました。
MetPlayerのカタログにあがってくるのが楽しみです!

>これからも楽しみにしておりますね!

ありがとうございます。これからもコメント欄に遊びに来ていただけると嬉しいです!
Kew Gardensさん (Madokakip)
2011-01-11 07:13:17
おお!!いよいよHD鑑賞されましたね!!

>自分の歌に集中しがちで、インターアクションの点で面白みがちょっとかけていたように思いましたけれど

これは、私も当日感じました!
何かこう、、少しドラマとして、それぞれの登場人物が独立しているというか、
冷えていた部分がありましたよね。
その中ではキーンリーサイドが一人、色々な登場人物との架け橋になろうと努力をしていて、
そこが今回、死の場面の表現も優れていましたが、彼のロドリーゴで、私が一番良いな、と思った点です。

>当日は頭のつむじしかみえなかった

私は座席が遠かったので、一人ひとりの顔の細かい表情は見えなかったのですが、
角度だけは良かったので、つむじ以外もばっちり!でした(笑)
顔の表情をしっかり見れる座席やHDも、もちろん楽しくて好きなのですが、
遠いところに座って鑑賞すると、本当に演技力があるのは誰か?というのがはっきりとわかる点が面白いんですよね。
キーンリーサイドは顔の表情が見えなくても、仕草や放出されるエネルギー
(怪しく聞えるかもしれませんが、表現したい感情が波のように遠くに座っている観客にも伝わってくる人、
こういう人が本当に演技力、表現力のある歌手だと思うのです。)で、
彼が何を表現しようとしているのか、というのが、きちんと伝わって来ました。
今回の『ドン・カルロ』で、それを感じたのは、彼とフルラネットだけでした。

ヴィラゾン・カルロの時と、アラーニャ・カルロの時の、キーンリーサイドの役作りの変化、
すごく興味深く読ませて頂きました!
アラーニャ相手にあまり複雑なポーザにしましてもね、、(笑)
今回、アラーニャとのバランスも本当に良く考慮されていたと思います。

>Matt Lucas

私、これまで名前を伺ったことがなかったのですが、↓ これもそうですか?
いやん、そっくり!まさにスミルノヴァじゃないですか!


http://img.thesun.co.uk/multimedia/archive/00391/littlebritain_682_391888a.jpg


この記事の一番最後の写真と最後から二番目の写真、
奇しくもポプラフスカヤとスミルノヴァが似たポーズをとっているんですが、
本当、スミルノヴァって、シアトリカルなセンスがないですよね、、。
歌もあんなだし、、これで“呪われた美貌”って言われましても、、ですよね。
それに、あの、カルロの前でヴェールを上げるシーンなんか、
まさに“出たーっ!!!”って感じで、本来のこのシーンが持つ驚きとは、
違う種類の驚きが混じってしまってますよね。
アラーニャの、“わお!”というようなレスポンスも、ここばかりはうなづけてしまいます(笑)
ライブ・ビューイング (コバブー)
2011-01-12 12:27:11
 昨日見てまいりました。ドン・パスクワーレほどではありませんが、行ってよかったと思います。
 やはりフルラネットは素晴らしいですね。当代一のフィリッポだと思います。来日公演で歌ってくれればいいのに、と思ってしまいます。
 キーンリーサイドは、ROH来日時のジェルモンに比べてはるかによかったです。ジェルモンは役が合わなかったようですね。
 いわゆるヴェルディ・バリトンの声ではありませんが、声だけを突出させるのではなく、演技とマッチした声の使い方は見事でした。ヌッチが歌うと、ロドリーゴはすべてを分かっている人物になってしまいますが、キーンリーサイドの役作りは、まだ若い夢想家・革命家ということでしょう。その方がこのオペラには合っていると思います。ロドリーゴの死の部分の表現力は見事でした。また来日して欲しいと思います。
 ポプラフスカヤは音だけでは判断保留にしてましたが、やはり顔はともかく、声そのものの魅力はありませんね。高い声にきれいなところはあるんですが、中音域・低音域との音色に差が出てしまいます。これもいわゆるベルカントではない。
 でも、逆にその弱点を利用しての表現力はあったと思います。この役を歌い込んでいるのか、細かい演技に合わせた声の使い分けは見事でした。内面の弱さをかくして秩序に殉じようとする人間を懸命に描こうとしている点は、評価できると思います。その点、フィリッポとエリザベッタには共通性があります。ただ、ヴィオレッタとは役柄が違うでしょうね。
 アラーニャはいつもの通り。声はよく出ていましたので音だけなら満足しますが、演技がつきますと(特にアップが多いライブ・ビューイングだと)、他の3人とはこのオペラに対する認識が違うことが明らかになってしまいます。まあこの役は、それでもなんとか聴けますけど…。今時貴重なテノール○○だと思いますので、頑張って欲しいです。
 あと気になったのがテバルドを歌ったLayla Claire(日本語だとどう表現するんでしょうね)、ヴェールの歌でエボリより目立っていました。いい声してると思います。顔立ちも良いので、まだ若いようですがこれから出てくるでしょう。
 指揮者も若いのによくやっていたと思います。この曲の深みと複雑さを本当に描き出すのにはまだまだでしょうが、かなりの天才肌だと思います。インタビューでカナダの合唱指揮者出身だと言ってましたが、全体をコントロールする能力がありますので、うなずけました。
 来日公演、レヴァインの体調がすぐれなければ、この指揮者でもいいんですが。どうなるでしょうね。
 長文失礼しました。
Lucas (Kew Gardens)
2011-01-12 23:30:35
そうです! 彼です。 とんでもないもの、お見せしてしまってすみません。 

劇場でも、カルロが震えていたのは、ときめきじゃなくて、単純にこわかったからよ、と思っていた私。 
>カルロの前でヴェールを上げるシーンなんか、まさに“出たーっ!!!”って感じで・・・
どアップの映像は、それ以上の迫力ですので、今後このMETビューイングの映像をご覧になるときは、お気を付けください(笑)

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