![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/a5/fa4a44d5fd252edf557a9e4877939cb5.jpg)
私たちにとっての最大要人クロードさん。フランス・ノルマンディーでの「ツール・ド・ペイ・ド・コー」の創始者であり主催者、ランニング・クラブ・コショワの元会長さん(昨年から会長の任務を若手に譲っておられます)。ペイ・ド・コーといえば私とマイダーリンが出会った大会、毎年ルーマニア・チームも数名招待いただいているので、ルーのラン仲間にとっても最大のVIP。
そのクロードさんが、ルーマニア人の友人イオンさんの娘さんの結婚式を祝うためルーマニアに来られるというのです。私用であれなんであれ、クロードさんを持てなしたい気持ちは皆同じ。9日の夜10時半に空港到着、というので、私とマイダーリン・ステファン・ビクター・マリアンと例年招待いただいているルーマニア・チーム・メンバー揃ってお出迎え。
ところがパリからのエール・フランス便が無事に着陸したものの、待てど暮らせどクロードさんは到着出口に姿を現わして下さいません。夜10時半到着予定から待つこと2時間、日付も変わり、不安に思った私達はクラブ・コショワの事務局の方に連絡をしてみました。「フランスヲ発ッタノハ、昨日ダッタカモ。」との返事だったので、あきらめてみんな家路に着きました。
クロードさんのルーマニアでの初日のディナーをお家で振舞うはずだったマリアンもがっかり。私もマイダーリンもがっかり。その夜はダーリンと二人でワインを空けて過ぎていきました。
翌日、少し朝寝坊をしてしまった私とマイダーリン。お姑さんは早くも市場に買物に出かけておられ、二人の朝食の準備をしていたときに、ブロックハウス出入口のインターフォンが鳴りました~「ハロー」と私が応答すると「ハロー」と返事が来ました。「チネ(=どなた?)」・・・返事がありませんが、開錠しました。
「誰?」とマイダーリン。「判ラナイケド、女ノ人ダト思ウカラ開ケタ、ドアミラーデ、確認シテ。」と言っていたら、我が家の呼び鈴が鳴りました。「判ラナイカラ、覗イテ見テ。」とダーリンに任せて私は部屋に戻りました。すぐにダーリン、ドアを開けたみたいです。
玄関先から、テノールの懐かしい声が響いてきました、あ、クロードさんだ!!~びっくりしましたが、クロードさんが我が家に来てくれていました。
クロードさんの説明によると、昨夜、彼の乗ってきた飛行機はエール・フランス直行便ではなく、ルフトハンザのフランクフルト乗り継ぎ便。2時間延着で深夜0時半到着。私達は利用航空会社を知らされていなくて、到着時刻だけが頼りだったのです。
フランスからなのでエール・フランスだと思い込んでいた私達が、出迎えをあきらめて空港をあとにした時刻と同じ時刻に延着のルフトハンザ便が到着。クロードさんも飛行機がここまで延着するとは思ってもおらず、空港にはルーマニア・チーム一同が出迎えに来てくれるものと信じていたので、ルー・チームの個人宅の電話番号など一切を持ってきていなかったとのこと。
そんななかで唯一、ポケットに入れてきたのが、先月私がクロードさんに充てて出していた手紙。クロードさんご自身はネットに染まっていないので(奥さまはネットご愛用)、クロードさんに私達の近況を知らせようと思うと、お手紙が唯一の手段なのです。
クロードさん、私の手紙をそのまま持ってきてくださっていて、手紙だから電話番号を書いていないのは当たり前、住所を頼りに空港からブカレストの中心部・統一広場まで空港バスで移動し、そこからタクシーでやって来てくださいました。
インターフォンで「チネ(=どなた?)」と尋ねてみても、返事がないのも当たり前、クロードさんはフランス語と英語を話しますが、ルーマニア語はわかりません。
ああ、驚きました。深夜に到着し持参の寝袋にくるまり空港で一泊(同じような人があと二人居たそうです)、翌朝、ルーメンバーの電話番号をフランスのご自宅に尋ねようと国際電話を試みるもうまく通じず。最後の頼みが私からの手紙に書いてあった私の住所だというのです。
もし、私達が不在でここに誰もいなかったら?~ルーマニア・チームのうち3名は警察官。警察署に行って、名前をフルネームで告げて勤務部署を探し当て、連絡をとってもらおうと思っていたとのことです。
そこまで大事に至らず、良かったよかった、何はともあれ、クロードさん、ブカレストに到着。我が家の冷蔵庫にありあわせのブルンザ(=白チーズ)とトマトで一緒に朝食となりました。
いちばん上の写真はその日の午後、さっそく近所のチタン公園をジョギングするクロードさん。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/9a/c5429132e83e860645f32163319af050.png)