港区まち創り研究会(まち研)ブログ

港区の情報、まちづくり情報をお伝えします。
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ムハメッド・アリの想い出

2016-06-06 09:59:03 | 個人
アメリカ在住のSさんからメールをいただきました。
ムハメッド・アリの想い出の感想文です。
私は、アリが戦っているテレビは見ていないのですが、人種差別撤廃運動をしたこと、ベトナム戦争徴兵に反対したこと、黒人のために寄付をしたり施設をつくったりしていることは尊敬します。
以下がSさんのメールです。
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ムハメッド アリが亡くなった。彼は天性のボクサーで彼ほど強いボクサーはもう出ないだろうと言われている。僕はどういうわけか彼の方がぼくよりずっと年上だと思っていた。何故なら僕がまだ学生のときにもう世に出ていて、プロボクサーとして地位を確立し有名だったからだ。彼はホラ吹きとなじられたが、彼はホラを現実のものにした。僕の兄と一緒に白黒テレビで彼の試合を見て「スゲー、スゲー」と感嘆したものだった。彼の長身で滑らかなで、引き締まった、均整のとれた体、軽やかに相手の周りを飛び回り、時々くりだすストレートやジャブ、強力なボディブロー、必殺のアッパーカットまさに彼のいう「蝶のように舞い、蜂のように刺す」芸術的ともいえる完成されたボクシングだった。
当時の黒人の子にとって貧困から抜け出すには、ボクシングで成功するのが一番手っ取り速い方法であった。それを彼は物凄いスピードでやり遂げた。ボクシングをやりながら人種差別とも戦かった。白人の多くは、彼に殴られて床に長々と伸びている白人のボクサーを見て、白人が必ずしも黒人よりも優れていないということを自覚したのである。彼はまた黒人の人権運動に加わり、ベトナム戦争に反対し、徴兵の召集令書を破り、刑務所に入れられ、しばらくボクシングの試合をできなかったこともある、
彼はイスラム教に改宗しカシアス クレイからムハメッド アリと名を変えた。察するにキリスト教徒の偽善に反発したものと思われる。刑務所を出てからまた試合を続け超億万長者になった。引退後彼は自分で稼いだお金で黒人の為にいろいろな施設をつくったり、寄付をしたりして、黒人社会に貢献した。余生を静かに暮らしていたが、アトランタ オリンピックの時にトーチをかかげて走る最終ランナーに選ばれた。長い階段を上り聖火台に火をつけ後、くるり後ろに回り大衆に向かって高々と右手でトーチを掲げたとき、ワッーと大歓声が響いた。あのとき、元フィギャースケートのオリンピック選手、伊藤みどりが「あら、かれ感動で震えているわ」と評した。彼女は彼が震えの止まらないパーキンソン病に罹っていたのを知らなかったのである。
けさテレビで彼が亡くなったのを知った。そして彼が僕と同じ1942年生まれであることを知った。彼は1月生まれで、僕よりも年上だが、数年前彼をテレビで見たときは、よろよろと足元も危うく、両手を震わせ、舌がもつれてうまく話せないような状態であったので、そのときも僕よりずっと年上だと思っていた。
彼はただ強いだけのボクサーではなかった。彼のようなボクサーは将来出ることはないだろう。 彼はいま多くの白人にも愛され尊敬されている。
明日、彼の葬式が盛大に行われる予定です。   合掌
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祝い!87万アクセスを突破しました!

2016-06-06 06:06:22 | 港区まち創り研究会
祝い!ブログ開設から1882日目で、87万アクセスを突破しました。
現在の総アクセス数は870097PV、総訪問者数は243068人です。
昨日のアクセス数は828pv、訪問者数は198人です。
年内100万PV達成が目標です。
ご高覧ありがとうございます。
これからもまちづくり情報、港区情報をお伝えします。


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