prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

9月13日(木)のつぶやき その2

2018年09月14日 | Weblog

9月13日(木)のつぶやき その1

2018年09月14日 | Weblog

「500ページの夢の束」

2018年09月13日 | 映画
ほぼ家の中に閉じこもっていたおそらく発達障害のヒロインが「スター・トレック」のファンで、シナリオを一般公募しているのに応募すべく500ページ弱のシナリオを書き上げパラマウント映画のスタジオを届けに行くロードムービー。

500ページというのが実際に映像化されたらどの程度文字を詰めて印刷したかにもよるが6時間をゆうに超すのではないか。つまり映像化=入選するかどうかはあまり関係なさそうなのが途中で見当がついてくる。

すっかり大きくなったダコタ・ファニング(先日公開された主演作「ブリムストーン」は作品ともどももっと注目されていい)が発達障害者のさまざまな癖を「レインマン」のダスティン・ホフマンほど華々しくはないがわずかな目の動き、歩き方の隅々にまで細かく丹念に演じる。

もともと道路を横断するのも大変な思いをするような障害を抱えているヒロインが何度も物理的・制度的障害にぶつかっては回り道をしたり工夫をこらしたり、エピソードの積み重ね方が変化に富んでいて飽きさせない。

「スター・トレック」のクリンゴン星人が使うクリンゴン語というのが実際に辞書が作られているとは知っていたけれど、実際に人が使うのを聞くのは初めて。このあたり、「スター・ウォーズ」では成り立たないだろう。
もともと「スター・トレック」が世界連邦ができている今でいうダイバーシティ的世界観の上に成り立っているのともつながっている。

※ 15日のNHK朝のニュースでこの映画について伝えられ、大きな音や人込みが苦手な発達障害の人にも見てもらおうと配給会社の人が細かく音量を調節したりつらくなったらいったんロビーに出ていいと出入り自由にした試写会を催して、出席した発達障害者が何度か出入りしたが最後まで見通したのを伝えていた。

「500ページの夢の束」 公式ホームページ

「500ページの夢の束」 - 映画.com

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9月12日(水)のつぶやき

2018年09月13日 | Weblog

「追想」

2018年09月12日 | 映画
なんともいえない痛みを感じさせる映画。痛い、とはもちろんイタい、ではなくメランコリックというか悔恨というか、どうしようもないすれ違いや理解の難しさに伴うある痛切さはなるほど同じイアン・マキューアン原作、シアーシャ・ローナンのつぐない」と共通する。

原題はOn Chesil Beach。映画の「追想」とも原作小説の邦題の「初夜」とも違う、かなりぶっきらぼうなタイトル。
浜辺が外海と内海を区切っているみたいな

初夜とはなんだか古式ゆたかな表現だが、シアーシャ・ローナンはどこか古めかしい世界によくはまる。
夜ではなく昼間だが、披露宴は完全に描写としてオミットして、新郎新婦が泊まるホテルに食事を運んでくるボーイの態度の悪さからして何かいやな予感がする。

回想でふたりの生まれ育ちの違いを見せていく中、かかる音楽がマーク・ボランの「20センチュリーボーイ」といったロックとモーツァルトやシューベルトといったクラシックが同居するのが、時代の変化と共にふたつの世界を表わす。

「追想」公式ホームページ

「追想」 - 映画.com

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9月11日(火)のつぶやき

2018年09月12日 | Weblog

「インクレディブル・ファミリー」

2018年09月11日 | 映画
前作とこれとの間にアベンジャーズの大成功が挟まったせいか、敵味方ともにチームワークが物を言うところが増えた。
大勢のキャラクターがそれぞれのスーパーパワーを発揮しながら交錯するアクションシーンのスピードとリズム、メリハリはブラッド・バードの独擅場。

奥さんのお尻の大きさにちょっとびっくり。
女性が外に出て活躍し夫が家事を担当するというのは今風でもありなかなか実質変わらないモチーフでもある。
だが、スーパーパワーが法律で禁止されている世界という前作から引き継がれた設定がそれほど生きていない(みんな平気で使っているものね)。

モニターから放たれる信号を人々を支配するというのは今風というよりむしろ古典的なSFみたい。というか、SFがもはや現実化したというのが正しいかも。

「インクレディブル・ファミリー」 公式ホームページ

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9月10日(月)のつぶやき

2018年09月11日 | Weblog

「カメラを止めるな!」

2018年09月10日 | 映画
前半の長回しが本当だと無理やりな話なのだがプロデューサーの無茶ぶりから始まる設定にしておいて、後半で前半では写せなかった部分を見せていくことで改めて長回しの必然的が現れてくるのが憎い。

あるものがなんで写っているのか、あるいはもはや何が写っているのかわからないところが散見するのが低予算だからいい加減に撮っていたのかと思っていたら後で拾っていくのが細かい。

溝口健二に始まり、アンゲロプロスや相米慎二など長回しで有名な監督は何人もいたが、主に監督のカリスマで技術的なハードルを次々と越えていき技術陣の力量をアピールする感があったのが、デジタル時代の今では長回しするだけだったらさほど難しくないのだなと思わせる。

ネタが目に入らないうちに見ておこうというのと、あんまり混んでいる中で見るのもなんだかという間でうろうろしていたが、なんだか客足が減る様子がないのでえいっと見ることにする。

超低予算の映画が口コミで「化ける」のはアメリカでは結構あるが、日本ではほとんど初めてではないか。
主にホラー系で見られる現象で、これはコメディだけれどゾンビをモチーフとしているには違いない。一種のちゃちさが許されること、振り切った表現がむしろ歓迎されること、など理由はいろいろ考えられるけれど、後知恵をつけても始まらないので、これからも似たようなケースがいくつも、多彩なジャンルで起きてくるのを期待したい。

カメラを止めるな! 公式ホームページ

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9月9日(日)のつぶやき その2

2018年09月10日 | Weblog

9月9日(日)のつぶやき その1

2018年09月10日 | Weblog

「タリーと私の秘密の時間」

2018年09月09日 | 映画
シャーリーズ・セロンの増量ぶりにびっくり。
役作りには違いないが、やがてほとんど別人になりきることが映画の内容からも必要だったことがわかってくる。

終始リアリズムからわずかに浮かんだような生活感を崩さない。色彩もアーバン寄りでどこかノスタルジック。
「JUMO」のディアブロ・コーディの脚本も終盤で意外な展開を見せるが技巧のための技巧であるより生活感から離れない。

日本でもやっと最近問題になっているが本当に子供を育てているとろくに眠れないのだな、と思わせる。旦那はまた理解のある人だが、追っつかないところが大きいと思わせる。

「タリーと私の秘密の時間」 公式ホームページ

「タリーと私の秘密の時間」 - 映画.com

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9月8日(土)のつぶやき その2

2018年09月09日 | Weblog
後註・中国大使館が関空の中国人を救出した事実はないと関西エアポートが否定。

9月8日(土)のつぶやき その1

2018年09月09日 | Weblog

「インシディアス 序章」

2018年09月08日 | 映画
邦題では序章になっているけれど、原題ではchapter 3=第三章。しかし話は独立・完結しているので別に問題にはならない。

母親をガンで亡くした女の子が霊媒の元を訪れるが、霊媒も夫を亡くしたばかりで降霊はもうやっていないと断る。
その後女の子の周囲で心霊現象が起こり、母親かと思うと心の弱みに付け込んだ邪悪な霊であることがわかってくる。

ドラマとすると霊に取りつかれるのと祓うのと共に近親者を亡くした痛みを抱えたままでいるので共鳴するところがあるのが味付けになっている。

ただこういう味付けとすると「チェンジリング」(ジョージ・C・スコット主演)の方がしっかりしていたし、幻想シーンに出てくる廊下の部屋の並びの感じは「シャイニング」、下着姿で床を這う女は「呪怨」、オタク的心霊部隊は「ヘルハウスと、どこかで見たような趣向も目立つ。

中盤の「エクソシスト」式の急展開はなかなか怖い。

「インシディアス 序章」 公式ホームページ

「インシディアス 序章」 - 映画.com

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