prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「検察側の罪人」

2018年09月21日 | 映画
木村拓哉扮する検事のやっていることはずいぶん無茶で、ほとんど「警視の告白」「黒い警察」「ローマに散る」あたりの昔のイタリア映画にあった反法曹・反法制度的な気分が横溢した映画群を思い出したくらい。
当時のイタリア映画というのは、政治的混乱と不信の真っただ中で作られたものということ。

ただそれを作者が批判的に捉えているのかというとそうでもなくて、かなり強引にインパール作戦のモチーフが持ち込まれるのだが、インパール作戦というと失敗を認めずに深入りして誰も止めず止められず部下に多大の犠牲を強いてしかも何の責任をとらないという今の日本でもよく見られる失敗の典型なのだが、それとここで描かれる事件あるいはそれに対する対応が結び付くのかよくわからず、どうも強引にくっつけた印象が強い。

今の日本でインパール作戦の失敗のミニチュアなど政界財界他どこにでもいくらでもあるだろうし、作中出てきた「戦争を再び起こそうとする勢力」がその類であることなのは頭でわかるけれど、その失敗ぶり、チェック&回復機能の欠落が具体的に描かれるわけではないので、どうも印象が弱い。
「ローマに散る」などは政界法曹界にわたる陰謀が具体的には描かれず暗示に終始していたけれど凄い不気味な迫力があったなと思ったりした。

法曹を描いた日本映画としては珍しく画面がモダンで垢ぬけている。パキパキした感じの編集はシャープともとれるし、ちょっとうるさい感じもする。

会食シーンが多いけれど、どんな料理なのか一見するわからないくらい凝ったものが多い。原田眞人監督のブログを見ると食道楽であることがうかがわれるので、当然その影響だろう。

キムタクがずらずらっと同じ誕生日の有名人の名前をいかにも英語式の発音で並べていくところで、最後のドナルド・トランプははっきりわかったが、他にイエールジ・コジンスキー(この人の発音表記はいろいろあって、イエジー・コシンスキともジャージ・コジンスキとも表記される)の名前があったような気がして調べてみたら、コジンスキーは6月18日生まれ、トランプは6月14日生まれなので聞き違えか。

検察側の罪人 公式ホームページ

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9月20日(木)のつぶやき

2018年09月21日 | Weblog

9月19日(水)のつぶやき その2

2018年09月20日 | Weblog

9月19日(水)のつぶやき その1

2018年09月20日 | Weblog

9月18日(火)のつぶやき

2018年09月19日 | Weblog

「マガディーラ 勇者転生」

2018年09月18日 | Weblog
「バーフバリ」のS・S・ラージャマウリ監督の2009年作。「バーフバリ」の大ヒットを受けての公開となったらしく、自分が見た回はほぼ満席。

転生とタイトルについているように400年前の架空の王国の王女と生きながら伝説の勇者になっている近衛隊長の身分違いの恋、それに横恋慕する軍司令官との三角関係がそっくりそのまま現代に転生して、二つの話が平行しながら描かれていく。

冒頭、ものすごく高い崖から転落する姫とそれを追って飛び降りる勇者の指先が触れそうで触れない、というイメージが現代になると勇者の生まれ変わりの男が宿命の相手であるやはり王女の生まれ変わりの女の子の指先が触れると稲妻のようなものが走る、という形で再現する。
触りそうでなかなか触らない、という気の持たせ方がインド映画のラブシーンの趣向にアレンジを加えた恰好。

現代と伝説とを、伝説は冗談みたいにロマンチズムたっぷり、現代はベタなギャグ混じりというのを平気で行き来するセンスがちょっと想像を絶する。

王国の場面の壮大さ、アクションシーンの迫力はなるほど「バーフバリ」のつながる。というか、これだけ見てもすでに十分すぎるくらいとんでもない。
軍司令官とその生まれ変わりのえげつないまでの悪さが実に徹底している。
百人斬りというのはどこの国でも考えるものらしい。

「マガディーラ 勇者転生」 公式ホームページ

「マガディーラ 勇者転生」 - 映画.com

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9月17日(月)のつぶやき

2018年09月18日 | Weblog

ゴードン・マッタ・クラーク展

2018年09月17日 | アート
















最近の美術展は撮影OKの場合が増えているが、この展覧会ではさらにインスタグラムでゴードン・マッタ・クラーク的な日常の風景を撮影・投稿したうちからピックアップして展示するという試みもしていた。

9月16日(日)のつぶやき その2

2018年09月17日 | Weblog

9月16日(日)のつぶやき その1

2018年09月17日 | Weblog

「英国総督 最後の家」

2018年09月16日 | 映画
インド最後のイギリス提督マウントバッテンをやっているのが「ダウントン・アビー」のヒュー・ボズヴィルなのだが、「ダウントン」が上流階級と下層階級の両方を平行して描き時に交錯するドラマだったように、イギリスとインドの両方を平行して時に交錯させながら描く。

イギリスが300年植民地の人民の抵抗を削ぐために分割統治していたのが裏目に出て、ヒンディー教徒のインドとムスリムのパキスタンに分離して独立してしまい多くの難民を出すに至る過程を、イギリス側の名誉ある撤退を望みながらまるで逆の結果を招かざるをえない提督と、ヒンディー教徒の男とムスリムの娘との悲恋を絡めて描く人物配置と構成がしっかりしていて、終始緊張感が途切れない。

マウントバッテンは誰でも好きになる男、という前振りで登場するのだが、その好感度の高さが結果としてもっと上の政治家たちに利用されているのは「アラビアのロレンス」のロレンスをちょっと連想した。
どうインドとパキスタンの国境を定めるのか、あらかじめソ連が友好国を経由して不凍港を欲しがるのを見越してチャーチルが首相の時期に考えていたのがわかるあたりの政治的な冷徹さに粛然とする。

宗教の壁に阻まれる若い男女を接近させたきっかけがインド独立運動で投獄され視力を失った父のもとに娘が送った手紙を看守をしていた男が運んで読み上げていた(さらにディケンズなども朗読していて、看守の立場を離れて運動家を尊敬していたのがうかがわれる)という設定が巧みで、その盲目の父親がパキスタンに行くとなると娘はついていかざるを得ず、親が決めていた許婚者を断るのもムリというあたり、大いにドラマチックに盛り上がる。古典的といっていい恋愛を邪魔する障害だけれど、それが作り物でなく生きている。

音楽は「踊るマハラジャ」などのA・R・ラフマーンだが、ここではむしろインド色を抑えたオーソドックスな(というのも曖昧な定義だが)ドラマチック・スコアを提供している。

「英国総督 最後の家」 公式ホームページ

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9月15日(土)のつぶやき

2018年09月16日 | Weblog

「チャーチル ノルマンディーの決断」

2018年09月15日 | 映画
先日のゲイリー・オールドマン主演の「ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男」とはかなりアプローチが違い、ノルマンディー上陸作戦を決断するまでの懊悩するまでを描いていて、葉巻をふかし続け、ウィスキーを浴びるように飲み続けで、決断力と信念に富んだ英雄といったイメージからは遠い。

冒頭、血に染まった海辺―、ノルマンディーの若い兵士たちの血に染まった海のイメージから始まり、若者の犠牲を気に病み続ける姿が描かれる。
正直どこまで本当なのかなあ、という気がどうしてもするが、ブライアン・コックスが外観がチャーチルに割と似ているのを生かしてかなり弱気な面を前面に出して政治家の決断の重さは感じさせる。

ミランダ・リチャードソンがまた夫を支えるというより尻を叩く妻役を好演。

「チャーチル ノルマンディーの決断」 公式ホームページ

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9月14日(金)のつぶやき

2018年09月15日 | Weblog

「MEG ザ・モンスター」

2018年09月14日 | 映画
これはもう怪獣映画です。
サメがあまりにバカでかすぎて普通に人を襲って食べるという恐怖感がかえって薄れている。G指定に収めるために血腥い描写を抑えたということもあるだろう。

あと、襲うのが生き物より船や潜水艇といった無機物がなぜか多くて、あんな堅くて餌にもならないのを齧ってどうするのだろうとヤボながら思った。

アサイラムで量産している低予算を荒唐無稽テイストで押し切るサメ映画とはまったく違ってとにかくどんと金をかけて地引網式に客をさらう作り。

中国資本なのは知っていたけれど、舞台設定もキャスティングも思った以上に中国色が強くてちょっと鼻白む。

「MEG ザ・モンスター」 公式ホームページ

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