空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

「ネジマキ草と銅の城」 パウル・ビ-ヘル 野坂悦子訳 福音館

2017-11-21 | 読書


こんなに楽しく温かく、美しいお話に出会って読めたことがとてもうれしかった。

もし1000年生きることができたら、このマンソレイン王のように銅のお城で一人ぼっちになってもかまわない。こんなに次々に優しい動物がお話を持ってきてくれるなら。1000年後だしなんて思ってしまったほど。
ひげの中に潜って心臓の音を聞いてくれる優しい野ウサギがいて、壊れた心臓のねじを巻くために薬草のねじまき草を探しに行ってくれるまじない師がいるなら寂しくないかも。


まじない師が王様の寿命を延ばすネジマキ草をさがしに行く道で、出会った動物たちに王様にお話をしに行ってくれるように伝えた。

夜になって、オオカミが来た。そしてこだまの魔女と闘った話をした。その時脇腹の毛をむしられから今も毛が生えていないけれど。
次にリスが来た。
砂丘ウサギもきた。遠くから聞こえる「大きなザブーン」を兄ちゃんと聞きに行った。危険だと言われていたが兄ちゃんは「大きなザブーン」の近くまで行って帰らなかった。
カモもヒツジも来た。
羊飼いは羊の毛を背中で二つに分けて櫛できれいに梳かして王様に挨拶をした。
毛の中から小さなハナムグリが顔を出して、玉座の背中に乗せてもらって、蜘蛛と花の話をした。
カモが満月の夜にしか咲かない、ねがい花の話をした。
ライオンが来た。時間をくみ出す魔女のポンプの話をした。ライオンは魔女に働かされて命が尽きたが、天使が王様のところに連れてきてくれたのだった。
馬もきた。3つの頭があるドラゴンも来て、かわいい舌足らずで話をした。
畑ネズミと町ねずみがきてネズミの歌を歌って大うけした。
ツバメは、魔法使いのお父さんとわがまま娘の話をした。
ロバが来た。かわいそうなロバは素敵な帽子を風に飛ばされたので、お嫁さんが来なくなった。今も帽子を探している。あれがあれば結婚できるんだよ。
小人アノールは古い話をした。昔、小人たちは二派にわかれて争った。若いマンソレイン王と13人のイドゥールは暖かい国にのがれ銅の城を立てた。
広間に立てた千本のろうそくが燃え尽きようとしていた。千年の寿命。一本のろうそくが届けばまた千年の寿命がはじまる。

そこに火のついたろうそくが運ばれてきた。まじない師がねじまき草を煎じて持ってきた。

まじない師は北の高地から薬草を持って帰った。途中で小人に出会って、銅の城がどうしてできたのか伝えてくれるように頼んだ。


なんて素晴らしい話でしょう。広いお城で暮らすことになった動物たちの話も夢や暖かい思いやりを伝えてくれる。昔々銅のお城に住む王様と動物たちのお話だった。
忘れていた、村上勉さんの挿絵もピッタリでとても素晴らしい。



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「利休の闇」 加藤廣 文藝春秋

2017-11-18 | 読書



秀吉は針売りから身をおこし立身出世に邁進する、時代の流れに天才的な勘を持ちおまけに運までついていた。対、潔い求道者の利休という構図が浮かぶが。


前に読んだ山本兼一著「利休にたずねよ」はまさに期待通りの展開で面白かった。
今回の加藤廣著は、より信憑性を求めているのか、文献に沿って物語がやや細かく進んでいく。
やはり、資料だけでは不明なことが多く、歴史書はここをどう埋めるかに腐心するのだろう。
構想15年という「信長の棺」が話題になって評価されていて、とても期待していた。

面白かった。
秀吉の出自を引きずるいじけ具合や、出世第一の生き方、機を見るのに敏で、戦国時代ではこれに尽きるが、その上何かにつけてついていた。追従術にたけ呵責もなかった。やはりこれも秀吉の才能ということだろうか。

こういう風に利休を語るには秀吉が付いて回る。利休はその時どうしていたか、この本では歴史の歯車は二人を乗せて回っていく。

信長は、天才だったが、本能寺で焼き討ちに会い、ここでは生死も行方もはっきりしなくて、さっさと舞台から消える。光秀も討たれる。

秀吉と茶道・侘茶との接点は、信長の好きな赤烏帽子だった。高名な茶道御三家の一人宗易(のちの利休)に弟子入りする。
その頃の藤吉郎は利休の言う「遊び心の深さ」が言葉からしかわかっていなかった。

藤吉郎は信長から「茶会許可証」をもらい得意満面で姫路城で茶会を開いた。それは自他共に密かに天下取りの一人者と認め、認めさせる外部アピールの瞬間だった。

秀吉なりに向かう姿勢は違っても茶の湯茶道を理解していた。天下一になり湯水のように財力を使って、名器といわれる茶器を集め献上させて、それを披露し(見せびらかし)、手柄を立てた武将に下賜して、大いに力を見せたとしても。鑑賞眼がなかったのではない。

ただ、利休は求道者だった。当時重用されていた宗家の二人を置いて秀吉の下で勝ち組筆頭になっていた。

信長時代に認められ、茶器の巻手を任され、財力も蓄えていたが、秀吉は人使いが巧みだった。利休は面目をほどこし押しも押されもしない地位に就いた。

このあたりから彼にあからさまに様々な波押しよせる、信長の死、朝廷の介入で叱責を受け逼塞、秀吉との立場の逆転など、茶の道を究めようとする中で、世俗の風にさらされることになる。

弟子として見ていた秀吉が頭から指図を始める。賜った利休という名も気に入らない。
それでも彼なりに処世を見極め、茶道で生き残るために節を曲げることも多かった。
利休は若いころ放蕩もつくし、女もかこっていた。立場が危うくなると女の下に身を隠すこともした。

一方秀吉はますます忙しく、東奔西走して、各地の武将を操り、力を広げていた。
そして、子種なしと思い養子縁組までしたところにひょっこり茶々が懐妊した。

得意絶頂で茶道の遊びは脇に追いやられ茶会の数も減って利休の陰も薄くなっていった。

求道者という姿を持ち続けていた利休は、日が当たる秀吉という庇護者の光が陰ってくるにつれ、彼の闇は深くなる。

彼も多少意固地で頑固だった。誰しも目指すところが深ければ深いだけそれに助けられて生きていくことが多い。自尊心・プライドに導かれている。
利休はそれを捨てず貫いたというべきだろう。

石田三成は、賢明だった。主君の命を察し利休の罪を探した。彼は見逃せば見逃せる大徳寺の木造を理由にした。

堺に逼塞していた利休は刑の中でも多少軽いとされる切腹に決まった。

その時秀吉は
「愚か者め、ただの遊びにすぎぬのに」とつぶやいた。

歴史の闇も深い。利休関係の本をただ二冊読んだが、山本兼一さんのものは茶器に造詣が深くそちらの面でも読み甲斐があり、ストーリーに利休の茶道にかける執念がにじみ出ていた。

加藤廣著の方は、利休の生き方の生々しさと、立身出世という執念とともに茶道に向かう秀吉との対比が面白く、それぞれ違った味わいを持っていた。
こういうテーマはやはり事実がどうであっても物語に入りこんでしまう。




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「七人の使者 神を見た犬」ほか13編 ブッツァーティ 岩波文庫

2017-11-17 | 読書


よく知られた短編集「六十物語」から、15編を選んで訳されたそうで、これだけを読んでもブッツァーティの作風を存分に知ることができる。
「七階」は北村薫編の短編集で読んで、面白い、これはヨマネバと思って買ってきて、いつものように積んでいた。
今回 「#はじめての海外文学 vol.3応援読書会」に上がっていて、読みます宣言をしてやっと読み終えた。

不条理な日常の中に、不安、恐怖、恐れが潜んでいる。
周りの群衆に惑わされて後になって気が付く、眼には見えないもの、奇妙なものを恐れる気持ちは、人であればどこかに抱えている。
好んでそんな状況に飛び込むこともあれば、向こうからじわじわとやってきて巻き込まれたり、不意に突き落とされたりすることもある。
平穏な日常を、何気なく過ごしてはいるが、次第に導かれるように恐怖に近づいていくこともある。
ブッツァーティはそういった人間の根底にある恐怖を、特殊な環境設定であぶりだしている。平凡な日常にいると思い込んでいると、ふと気が付くこういった状況にいるということが実に興味深く、時にはあるだろう、不幸にも出会うかもしれない、という設定が興味深い。
ありそうな、でもまず出会いそうもない出来事も、独特の風景や環境設定が面白かった。

☆ 「七人の使者」
王国から出発して国境まで踏査しようと出発した。その時、年齢は30過ぎで7人の使者を連れていく。途中で母国に手紙を託して状況を知らせていたが、遠ざかるにつれて使者の帰りが遅くなった。すでにどことも分からなくなった国境に向かっていて、次々に使者を出したが、帰ってくるのに歳月が流れ、ついにはもう出した使者が追いつくかどうかわからないくらい遠ざかった。砂漠を越え村を通るが国境には目印もない、とっくに超えてしまったのか。目的が曖昧になりながらも先に向かって歩く話。なぜ、どうして。始めたことはもう引き返せない性もある。寓話的だがうら悲しい。

☆「七階」
微熱が出たので評判のいい病院に入った。7階は眺めも良く気に入った。ところが6階に移ってくれという、6階でも眺めはいい、まぁいいか。そうしているうちに5階に移った、細胞が少し破壊されているという。腕のいい医者は下の階にいるので移った。そのうちに湿疹ができた、治療機械が4階にある。などなどもっともな医者の話とともに治れば上に戻れるという希望とともに下へ下へ、重症患者のいる下の階に移っていく。一階はシャッターが下りている部屋も見える。よくなります。請け負います。あなたの病気は軽い軽いと言われながら、下の階に落ちていく。

☆ 「それでも戸を叩く」
☆ 「マント」
☆ 「龍退治」
☆ 「水滴」
などは非現実の中にまで潜む恐れを書いている。よくこんな題材でと思いながら印象的だった。

☆「神を見た犬」
街の人々は神や祈りとは無縁な暮らしをしてきた。
デフェンデンテ・サポーリは裕福なパン屋の老人から財産を譲られた。公開の場所で毎朝貧しい人に50キロのパンを恵むという条件付きだった。
デフェンデンテは籠に穴を開けて裏から数を減らしながらそれでも毎朝パンを配っていた。
丘の上の崩れかけた教会に貧しい隠者が住み着いた、町の人は地元の教会にもいかず丘の上など気にしないで隠者に近づきもしなかった。一匹の犬が毎日丘から降りてきてパンを一つ咥えて隠者の下に持って行っていた。隠者がいるとき丘の上に不思議な白い光が見えた。その光が白く輝いて大きくなったのが見え、隠者が死んだ。人々はしぶしぶ習慣で隠者を葬った。
しかし犬は変わらずやってきてパンを持って行った。隠者の犬なので神を見たかもしれない。人々はその姿を見て少しずつ生活が変わり始めた。人目につかない形ではあったが。
神を敬う心がない人々と、欲の皮の張ったパン屋と、いつもあちこちで見かけていた犬が教会の塀の上で死んだこと。そういった中からじわじわと滲みだしてくるような、人々の心の変化が、珍しく最終章でたねあかしもあって、いい話になっている。

☆ 「山崩れ」
☆ 「道路開通式」
☆ 「急行列車」
変わったこともない所から、次第に先が見えない状況に向かっていく恐怖。

☆ 「自動車のペスト」
普通ならありえない状況でも人は右往左往する。喜劇的な中に潜む滑稽な事件

☆「聖者たち」
生きていた時は神に仕える身でも評判は様々だったが、「聖者」と呼ばれて死ぬと天国に何不自由のない隠遁地が与えられた。ガンチッロは何かの間違いでこの「聖者」の中に入ることができた。
しかし本物の聖者になりたくてそっと奇跡をおこしてみたが、不発に終わり次の手もダ
メだった。珍しいコミカルな話。

☆「円盤は舞い降りた」
これもありえない状況で、教会の尖塔に舞い降りた異星人と話す、かれらは状況が全く読めないままなんとなく去っていく。異星人の描写もおもしろく可笑しい。



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「高峰秀子と十二人の男たち」高峰秀子 河出書房新社

2017-11-15 | 読書



亡くなられたけれど、高峰秀子さんが好きだった。今でも。 「渡世日記」や「まいまいつぶろ」を読んだことがある。


好きだなと思ったのは、何だったか忘れたけれど週刊誌で読んだ一言だった。多分答えから思うと「ポルノは読みますか」という質問だったろう。そこで「読みません、教わらなくても知ってます」というストレートな答えだった。
その頃は、宇野鴻一郎などのきわどい官能小説をよく見かけていたので、私などは時間を使って読む本は純文学がいいなどと生意気だった頃で、この言葉に痺れた。それだけでなく意見を述べるのに媚びない姿勢にも痺れた。

そして、先日図書館で見かけたこの本を読んで、「知っています」というのは、結婚しているので男女のことは判っています、ではなく後年に出演した「浮雲」のように、男のために愛と恨みの波にのまれたような女を演じた、清純なイメージから、ついに泥沼を見た女になったこと。ただ「知っている」だけではない体で覚えた人生観も含まれていたのだろうと気が付いた。
体験と演じることは違うなどと小難しいことは考えない。人を殺さなくても作家は書けると理屈も浮かんでくる。
私などは名女優といわれた人の中にこの方を入れている。
そんな高峰秀子が亡くなった後に出版されたこの対談集は遠慮なく編集しただろうと肉声を聞いた思いがした。

26歳から80歳までの対談集で、今は鬼籍に入った人がほとんどだが、時代の香りを纏いながら懐かしい世界にふれた。興津要さん以外の方は私でも知っている。やはり時代の一端を担った人たちだろう。交友関係も広い。

☆谷崎潤一郎との対談も興味深い。「細雪」が映画化されたときの話で、高峰秀子は元気なこいさん役だった、ただ大阪弁ができなくて訓練したそうだ、音程などとともに、文豪谷崎は関西にいて詳しく、話が面白い、言葉のことと和服にはこだわりがおおく、姉妹のそれぞれにあった着物がきちんと分けられていることに、新しい発見があった。
阿部監督「もちろん『恍惚の愛は』ご覧になりましたでしょう」
谷崎「全然直してあって、自分のもののような気がしなかった。だけれどそういうことを離れて見ましたがね」原作者はこういう見方もするのかな、印象的だった。
だが、阿部監督の奥畑(オクハタ)敬一郎が…。
というのに、それはね、オクバタケと読んで下さい。と訂正している。

☆三島由紀夫とは年が近いせいもあってやや先鋭的な三島に斜に構えた発言で返している。

☆何もかも捨ててパリに行ったことをフランス文学者の渡辺さんと率直に話している。フリーになって新しい生活を求めて飛び込んだことなど何度も読んだ記憶があるが、自由な暮らしに憧れて決行(実行)した勇気は高峰さんらしい。

☆近藤日出造さんには「そんなほんとうのこというと評判落とすよ」と笑われて題名にもなっている。その後も自分の言動に率直だった、聡明で思慮深いが、こういう生き方なので次第に思い残すものが減っていったのではないだろうか。

☆森繁久彌さんとは「恍惚の人」で共演して、老いについて語っている。森繁さんも亡くなったけれど、こうして疑似体験できる役者の生き方に学ぶところもあった。言葉に重みがある。

☆林房雄「あなたは若いときから哀しいひとでしたよ」

「上手で残っているか、丈夫で残っているかって」田中絹代さんや山田五十鈴さんと話したんですが」
生き残りについて林さんは「芸の力ですよ」といっている。
そういえばこの方々が亡くなったときは新聞に大きく掲載されていた。

水野晴朗、長部日出雄とは二人の映画薀蓄が素晴らしく、長部さんの時は高峰秀子最晩年80歳で、電話対談になっている。

父母が映画好きだったので、少しだけれど見た記憶もあって懐かしかった。

伝説のようになった多くの名画を残した高峰秀子さんという人の生き方は、できればこう生きたいと思うような、身ぎれいで無駄がなく冷たいようで芯は暖かく、この世を渡っていった人のように感じた。




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「もう一度読みたい教科書の泣ける名作」 学研教育出版

2017-11-06 | 読書




「ごん狐」などはよく知っているはずなのに、大雑把な話しか知らないので、ずいぶん前から気になっていた。ふと思いついて図書館の本を検索してみると、この本が出て来た。


選考はさまざまな世代にアンケートを行い、有名な作品から、隠れた名作まで16編が選ばれているそうで。
採用された教科書の学年の紹介があると書かれているのですが、記憶にあるのは「かわいそうなぞう」「杜子春」だけだった。

後年、作者の全集などで読んだものが多いが、初めて読むのもあって、教科書には、こんな作品が載っていたのかと、読んでみると又特別な感動や感激があった。


教科書の作り手が検討に検討を重ね、学習に適した面白い作品を選び抜いた結果が「教科書の物語」です。名作ぞろいなのも当然といえましょう。

厳選16編の目次は

☆「ごん狐」 新実南吉 

☆「注文の多い料理店」 宮沢賢治

☆「大造じいさんとガン」 椋鳩十
   がんのわたりのリーダーに「残雪」という名前を付けた。利口なので爺さんが狙っても一羽も撃てなかった。「残雪」と爺さんの知恵比べ。

☆「かわいそうなぞう」 土屋由岐雄 小学校二年生の教科書 

☆「やまなし」 宮沢賢治 小学校六年生 
   蟹の子供たちが話している。「クラムボンはわらったよ」「クラムボンはかぷかぷわらったよ」独特の擬音が印象的。川の中から見た風景も幻想的。

☆「モチモチの木」 斎藤隆介 小学校三年生
   一人で外のセッチンに行けない小さな豆太が、ある夜モチモチの木に灯がともったのを見た。

☆「手袋を買いに」 新実南吉 小学校四年生

☆「百羽のツル」 花岡大学 小学校三年生
   百羽に鶴が飛んできた。長い道のりにやっとついてきた小さな鶴が落ち始めた、99羽のツルが網のように重なって広がりとおさない鶴を受け止めた。

☆「野ばら」 小川未明 小学校六年生
一株の野ばらが咲く国境で、二つの国から来た兵士が一人ずつ隣り合った小屋で警備していた。二人は仲よく日を過ごしていたが、若い兵士が戦場に出て行った。残ったおじいさんは若者が死んだのだろうと思ったが、前を通り過ぎる軍隊に彼が見えた。でもそれは夢だった。戦いが終わりじいさんは暇を取って故郷に帰りバラは枯れた。

☆「ちいちゃんのかげおくり」 あまんきみこ 小学校三年生
  影法師をじっと見て青空を見上げると、空に影が映って見える。と出征前のお父さんが教えてくれた。戦争が激しくなり、空襲を受けた。光が顔に当たってまぶしくて目が覚めると。一面の花畑の中にいた。

☆「アジサイ」 椋鳩十 小学校六年生
  小さな谷に小さな沢があり一面にアジサイが咲いていた。危険なのでとってはいけないと言われていたが妹が恐れ気もなくアジサイの群れに入り腕いっぱいのアジサイを抱えてきた。

☆「きみならどうする」 フランク・R・ストックタン 小学校五年生
  ファルは銃と写真機をもって森に入った。見事な鹿の親子がいた。写真を撮るか、撃つか。
  
☆「とびこみ」 トルストイ 小学校四年生 
   世界一周の帰路に就いた船のマストに猿が上った。少年も負けるまいと登った。下を見て恐ろしくなった。船長はマストふるえている息子に銃を向けた。「飛び込まないと撃つぞ」

☆「空に浮かぶ騎士」 アンブローズ・ビアス 小学校五年生
  カータという補償は前線で眠りこけていた。目を覚ますと眼前の崖にある平らな石の上に馬が見えた。その姿は減れた空に浮かんでいるようだった。彼は銃の引き金を引いた。空から降りてくるように見えた騎士は崖から落ちた。「誰が乗っていたのだ」「私の父です」「なんていうことだ!」と軍曹がつぶやいた。

☆「形」 菊池寛 
  戦場で勇名をとどろかした武将、新兵衛の兜と猩々緋の服折りを初陣の士に貸した。彼は敵陣に討ち入り、悠々と人に引き返した。一方代わりの武具を付けた新兵衛は勝手が違った。彼は押し寄せる敵の槍が、彼に向かい、突き出されるのを見た。

☆「杜子春」 芥川龍之介 小学校六年生


時代を写すものもあれば多少道徳的な話もある。「かげおくり」は子供の頃遊んだことを思い出して懐かしかった。




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「突然紅茶で」… 秋が来た と思ったら木枯らし一番が吹いた

2017-11-01 | その外のあれこれ

買い物から帰りほっとして椅子に腰を下ろしたら「突然」紅茶が飲みたくなった。

出かけて「お茶でも」と喫茶店はいると、ほとんどの人が「コーヒー」という。そして「ホットで」とか「ブラックで」私は「砂糖もミルクもいります」

今は「紅茶で」と思っても、体制に逆らわない生き方で「同じでいいです」といってしまう。みんなといるときはコーヒーで、まぁ一人でいるときの紅茶はいいものだ。

何年か前、それも秋。サークルの流れで喫茶店に入り、お店の顔なじみが多い中でうっかり「アールグレイで」といってしまった。
「それ今切れてまして…」
 
あわてて「ミルクコーヒー 冷たいので」と訂正した 大汗。


そんなこんなで(どんな?)秋になると午後にはなぜか紅茶が飲みたくなる。


食器棚でカップを探していると、昨日使ったばかりの泡硝子のコップにひびが入っていた。
夏中お世話になって、なんか上向きの昼顔のような形が手に馴染んできたのに、なぜひびが?
お勤めが終わりそうなのを察してか。気が弱いヤツ、短いお付き合いだった。

毎朝使い続けている、コーヒー豆と産地のイラストが付いた粗品のコーヒーカップは10年来丈夫で、母用だと家族にも認識されているくらい丈夫。

さて紅茶のティーバックは、何気なく手元にある使い残りから淹れてきたが、今年のカップは昨年買って来た砥部焼のそれらしくない薄青いのを出してみよう。

紅茶は陶器より磁器かなと思いつつ、イヤイヤ渋い陶器もいいものだが、と考えふとネット君に訊いてみた。
おぉ紅茶の淹れ方飲み方、道具などやはり作法はあるもので。ハーブティーの淹れ方以来紅茶の勉強した。

いつからか我が家にあってついぞ見なくなった紅茶プレス、今更探すのも面倒だし、無事でいるのかもわからないし。いつもの煎茶用のガラスポットも使えるし。

そのうち静かな窓辺でティータイムもいいだろう。
まだ開けてない缶入り紅茶もあることだし。

冬になると暖かい日差しを求めて、猫を抱いて縁側で日向ぼっこもいいなと、紅茶より渋茶の似合う年になったみたいでとつい笑いつつ。
そうだうちに猫もいないしもう少し先にしよう。

そうそう、昨日拾い読みしていたら、昔、庶民はご飯の後、お茶を入れて残りの米粒をすすいで飲むので茶碗という名前になったそうで。
ほおぉ。





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ヨクサクビオラ

2017-10-24 | その外のあれこれ


秋が来たか思った矢先、朝夕寒いくらいになって、もう冬がそこまで来ている。
庭の花の植え替え時期になった。

近所の方が花の苗を育てている農家を紹介してくれたのでポット苗の買出しに行ってきた。
ビオラとガーデンシクラメンを少し多めに。

道路からも見える大きな三角屋根の温室の中に、色とりどりの花の苗が透けて見えた。


親切に案内されて温室の中を見せてもらった。芽を出してやっとの葉が出た小さな苗から、少しづつ大きくなっていった生育見本のように「サクラソウ」が並んでいた。

「これは種をまくのですか?」
「そうです。もう少し大きくなったらポットに植え替えます」

無数にも見える苗を見渡して、いつもつぼみを付けた苗を買っていると、花に種の時期があったことを忘れていた。

パートさんが忙しそうに出荷前の苗のコンテナを一輪車に乗せて次々に運んでいく。

働いている人の脇をすり抜けていくのは何か気が引けた。

「あちらにヨクサクビオラがあります」

(ヨクサクビオラ?翌咲くビオラ?)

近づいて名札を見たら なんと『よく咲くビオラ』と書いてあった。

「よく咲くのですか?」
「新種ですが、どんどん咲きます」

ひねってなかったのか。

よしっと、いかにもすみれらしい「すみれ色」を10個、紫と黄色の「パンダ模様 🐼 」を10個買った。

「かがり火花」と別名のあるシクラメンは、小さなしずくのようなミニ花が咲いているポット苗を10個買った。
お土産に花壇の土をもらったが、細腕(?)には荷が重く積んでもらってやっと帰ってきた。



夕方から雨という予報なのであわてて帰ってきたが、雲が減って明るくなって来た。

春にたくさん花をつけたシクラメンに種ができて、かわいい葉っぱがびっしり伸びて来た。ただ根っこが丸く大きくなって、別名「ブタの饅頭」という名前も納得。 嬉

あ子供も何とかしなければ。


 シクラメンの種から芽が出た! 
びっくりした(@_@)

  今年の苗




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油絵の道具を捨てる

2017-10-21 | その外のあれこれ



断捨離に倣ったわけではないけれど、昔少し習った油絵の道具を全部整理した。

またいつか描きたくなるかもしれないから、イーゼルやカンヴァスは置いておこうと、少しの未練とともに押し入れであちらこちら位置を変えながら居座っていたが。

まぁ改めて描いていた絵をまじまじと見たが、鑑賞に耐えるといったものではなく、よくこれで仲間の展覧会に出したものだ。
それでもいつか書くつもりで買っていた白いままのカンヴァスも思い切って知り合いに上げた。

粗大ごみにしかならない、かつての転勤先の思い出が消えた。

その頃の友人が毎年年賀状に写した作品を送ってくれる。

それだけが過去の時間の足跡になった。





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「リヴィエラを撃て」 高村薫 新潮文庫

2017-10-19 | 読書




「リヴィエラを撃て 上下巻」

上巻を途中まで読んで、これは読むのを休むと混乱すると思った、(すでにほどほどに混乱してきたので)相関図とそこまでの出来事をメモした。
アメリカ、イギリス、中国、日本、各国の情報部とそれに属するスパイ組織、テロリスト、CIA、英情報局保安部(MI5,MI6 チラと名前だけJ・ボンドが^^)、IRAの革命家、スコットランドヤードの情報部。それに協力する人間、巻き込まれる人間、「リヴィエラ」というコードネームを持つ日本人を追う人間。核になる「リヴィエラ文書」はどこにあって何が書かれているのか。様々な要素がサスペンス風に展開し ハードボイルドあり「リヴィエラ」絡みのミステリありと飽きることがなかった。
息もつかせない面白さというが、高村さんの実際に歩いたという海外の街(イギリスの風景)が実に鮮明に描写され、雰囲気を盛り上げている。
アイルランドの小さな村から始まるIRA戦士による殺人。その息子である、主人公の青年ジャック・モーガンと恋人のリーアン。

彼は上巻の最初の部分ですでに千鳥ヶ淵で射殺されている。一緒に日本に来ていた若い女の「ジャック・モーガンが捕まった。リヴィエラに殺される」という通報で、初めて「リヴィエラの名前が出る。検死には公安にいたイギリス人との混血、手島管理官が立ち会った。

香港返還、文化大革命を下敷きに、リベート問題がある。エージェントとしての「リヴィエラ」がどうかかわっているのか、すべての人達の視線の先にある「リヴィエラ」について名前が分かった時点でも正体が最後まで分からない。

ジャック・モーガンが身を寄せた先で知り合った、ノーマン・シンクレアと彼のマネージャーと称するエイドリアン。シンクレアは世界的なピアニストで二人とも翳の多い生き方をしている。貴族の称号を持ち自由な暮らしの中で、ジャックと濃密な関係を持つ。シンクレアは密かにスパイ活動と、「リビィエラ」に日本で一通の文書を受け渡しをしていた。

IRAの活動家だった父親が殺された後、ジャックは銃の腕を見込まれてテロリストになる。彼の夢は、リーアンと穏やかな家庭を築くことだったが、次第に深みにはまり、腕の良さで次々に殺人を成功させ、情報部に目を付けられるようになる。

ジャックをかくまうために預けられるCIA職員のケリー・マッカラム(一名伝書鳩)との暖かい交流がいい。ケリーは同じ組織の恋人サラがいたが彼女は車の事故で悲惨な死に方をする。そして彼はドーヴァーを前にしたウェスタンドッグ駅でジャックをフェリーに乗ると見せかけ電車に乗せる。東京へ。
直後にケリーは駅で死んだ。

読みどころというか、殺伐としたテロ、スパイ合戦にあって、人間関係と事件の裏事情と、人命がかかった情報が錯綜する中で、筋道だった詳細が独特の筆致で深く重く書かれる。その中で登場人物たちのエピソードが情感たっぷりに心を潤す。一人ひとり死んでいく現実の中で読みながらこういった世界では茶飯事でありながら生と死の物語がこころに響く。

お気に入りらしい、ピアニスト、シンクレアの日本公演で初めて「リビィエラ」が現れる。ここで一気に読み手も冷静に戻り、シンクレアの魂を込めた演奏も、彼の最後を飾るのにふさわしい、悲しい未来を予見させる。ジャックとシンクレアの関係もただのスパイ小説でない、人の絡みの妙を感じてホロリとする。

裏で生きる人たちのおびただしい死とそれぞれの生き方が詳しく、はいりこんでしまった。どうしてこの人たちがお互いにかかわることになったのか、と硬派な高村さんの筆は休むことがない。

最後まで読んで、手島に抱かれた無邪気なジャック二世が可愛い。





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「死後の恋 夢野久作作品選」 

2017-10-13 | 読書




好奇心から「ドグラ・マグラ」を少し読んで挫折したので心配でしたが、そんなに面白いなら私も続いてみようと思って。惚れたのねと#棚の一覧を眺めたのです。

不思議な文体にあふれている、初めての久作ワード、カタカナも混じっていて、読み慣れるのに少し時間がかかった。

「死後の恋」「瓶詰地獄」は名作ということで、ストーリーだけ取ると、家系を守るために男になり、死んだ後に持っていた宝石だけが残されるというのは、特に戦争や革命で社会制度の変わり目に揉まれて死んでいくということは珍しくないと思ったが、死の悲惨な姿や残された宝石との対比が見てきたような凄さをもっていた。それに、ロマノフ王朝の令嬢が男装していたという意外さもあって、ちょっと悲しい片想いも絡むという作りは、ミステリにはこういう話も作れるのかと着想が面白かった。

「瓶詰地獄」も兄妹が二人きりで島に取り残されて成長する間には、愛も恋もあるに違いない、血のつながりが成長とともに背徳地獄に落とされるというのは、別に驚くことではないと思いながら、健康的だった二人が成長するにつれて地獄の思いにとらわれていく様子が残酷だった、成長過程の心理は読者には手紙でしか知らされない。瓶の手紙が書かれた順に届くのではないというテクニックがやはり巧みさなのかと思う。

「悪魔祈禱書」は、くだけた一人称の語りが面白い。ふたを開けてみると、という最後になって思わず拍手。好きな作品だった。

「いなか、の、じけん」
事実なのか創作なのか、実際にあった話だと作者が言っているのも面白く怪しいけれど、びっくりの田舎の出来事が書かれている。
世界には「奇想天外」な話はおおくて、興味があるのでTVを見てはへぇ~と驚いている。田舎には、こんな怪奇な出来事が起きる、かもしれない。まだ今よりもっと夜が暗く山が深かった頃、妖怪や、狐狸や、貧しさや、男と女のもつれや、心の乱れが死の狂気を招く。
最後の一行で恐ろしい話の種明かしをされてはっと我に返る。かつての田舎経験者なので雰囲気がよくわかって面白かった。

「怪夢」「木魂」は自分が作り出した怪異に憑かれる。現実と幻の中で恐怖に震え命を落とすなど、今でもないとは言えないかもしれない。こういう手慣れた恐怖話は、真骨頂かなと思わず震えた。

「あやかしの鼓」は技巧的な文章で、ストーリーも鼓にまつわる因縁噺が世代を超えて伝わる。芸事に憑かれた人達の怨念や執念がこもる道具立ての話は多いが、鼓の音色に現れるというのは興味深かった。お囃子の調子、不気味な音が聞こえるようだったが、鼓に籠った執念ということが実は、精神的に倒錯した人たちの狂気が作り出した因縁噺かもしれず、雑誌の入選作だというのは、知られた話かもしれないが、後にある批評を読むと興味が倍増される。
鼓が作られた当時悲劇が続いて、作者の怨念がこもったということで、封印されるが、やはりそういったいわれのあるものは、打ってみたいというのが人情で、それが災いを招く。鼓にまつわる薄気味悪い出来事が続いている。もっと怖がらしてほしいと、不吉を呼ぶ「あやかし」の増量を期待しつつ。人間関係の不思議さ気味悪さなど充分怪しかった。
狂気の伝承を扱ったようなストーリーと独特の夢野ワードにうまく引きずり込まれた。変態女性は少し書き方が荒っぽく苦手なのかなと思ったが。やはり変態は美人でないと似合わないかも。

選者は、知らない方々もいたが江戸川乱歩の率直さが愉快で納得する部分も多く、あぁこの方は実在した人でこういうことを書くこともあるのかと当然のことだけれどひどく身近に感じた。
なんだか時々は、今の様々な賞についている評が生臭く感じることがあるだけに、こういう時代があったことにちょっと感動した。
受賞した夢野さんの謙虚ながら裏話めいた「所感」は、微笑ましかったし、解説を読むと10年足らずで書き溜めた作品で全集が刊行されたという、書く威力を感じた。そのうち『ドグラ・マグラ』が読めるようになるだろうか。名作というものを読むと、好奇心だけでは足りない気がしてきた。



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「黄金を抱いて翔べ 高村薫 新潮社文庫

2017-10-06 | 読書





「リヴィエラを撃て」も全編改稿して発表されたが、これが初めての長編小説かと思えるような、巧妙なスパイ合戦が読みどころで、ただそうとは言い切れない実に濃厚に書き込まれた物語が展開する。

さて、この「黄金を抱いて翔べ」は初期から今も変わらない高村ノヴェルを堪能できる、実に面白い作品だった。
特徴の、細かく照査された小道具、時々挿入される登場人物たちの人間らしい抒情、効果的な風景描写、長い間積んでいた埃の中から心に残る一冊が出て来た。

6人の仲間たちで、大阪中の島の、銀行地下深く眠る黄金強奪計画を立てる。そして溶けだしそうな関西気候、真夏の闇に紛れてうごめき、細かな計画がじりじりと進んでいく。

6人は初めから集まったのではない、大学時代の友人幸田が大阪に流れて来たのを主犯の西川が最初に目を付け、つかまえて仲間に入れる。

西川の知り合いの野田はIT会社の営業で、目当ての銀行も回っている。内情に詳しくつかえる。

幸田は馴染みのパチンコ店で、工大生の通称桃太郎(モモ)と知り合う。
モモのアパートが襲われ爆発から火事になり、彼を救って、野田が知り合いの通称「ジイちゃんの」部屋に預ける。
ピストルを持っていたモモは北の工作員に狙われているのではないかと推測する。彼のアパートの爆発は起爆装置などをちらと見かけたことがある、自製の爆弾だっただろうと見抜く。
工学の知識は、襲撃の必須だ。彼を引き込んで計画を練る。

ジイちゃんは、エレベーター操作の経験があった。
ホテルの窓から双眼鏡越しに土佐堀川、高速道路をとおして、銀行の駐車場の入り口が見える。上に向けると屋上の機械室が見える。エレベーターのワイア巻き上げのドラム装置が見える。
ジイちゃんは幸田の持つ何かに惹かれるものを感じる。

北川は、まず一帯の基礎、一時系統の中の島変電所を爆破。一帯に騒ぎの種をまき、中環にある銀行への分岐線を切る。
保安員を始末。エレベーターで地下へ、金庫から金の地金6トン(10億)を盗み逃走する。という計画のもとに手分けして綿密に日数を消化し、詰めていく。

実行の日、時は分刻みで過ぎていく。緊迫感とともに6人の動きが丁寧にかつスピーティに、思いがけない障害を絡めて最終章になる。

どこが面白いか。名画「地下室のメロディー」やトム・クルーズの「MI」や「オーシャンズ」の面々のことを思い出すが、何と言っても準備段階でのリーダーの知識、綿密な計画、敏捷な体力、知能。チームワーク。

高村さんのこの話の中には、それに加えて、一人ずつが背負っている重い運命や、それを引きずりつつ生きている、生き方、性格の違いも丁寧で入り込んでしまう。
わき役の、暴走族と北川の弟春樹の因縁の対決も、ハードな筆で軽快に書かれている。バイクにも詳しくてメカの解説も面白い。

又リーダーの北川をしのぐ主人公の幸田がいい。生きる日々は、すでにつき抜かれたような時間の跡が今では楽観的にみえるような暮らし方をしているが、幼いとき両親を亡くし、若い母は隣の教会に出入りしていたのを覚えている。その側に住んでいたが教会の火事に巻き込まれる。若い神父の僧服が今でも蘇る。フラッと関西にきて吹田に住み着いたのも幼いころ側に教会があったあたり。

出来るなら一度は冒険をしてみたい。それが実行できそうな、地下の金塊強奪。札では軽すぎる、夢のような現実に生死をかけた男たちの、裏にある世界も興味深い。

やはり映画で見る強奪事件より少し湿ったエピソードも含んで、それでいて厚みのある、重い細かい描写は、高村さんの実力をまざまざと感じた。
ワクワクと楽しみに読めて面白かった。

このあたりに勤めていたし、舞台になった銀行や会社も名前は違っても見慣れたところらしくわかりやすかった。久しぶりに地図を開いてジイちゃんがここで掃除していたのか。幸田の籠ったビルはこのあたりかなと、楽しんだ。





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「植物はなぜ薬をつくるのか」斉藤和季 文藝春秋

2017-07-14 | 読書




何度も繰り返すようですが、今なら幼稚園年齢から、小学三年まで6年間母の故郷で暮らしたのです。周りが大人ばかりだったので、野山が友達で、ずいぶん自然に親しんでいました。
植物への関心はそういったところから生まれています。

46億年といわれる地球の歴史で植物は5億年を生き、ヒト属は200万年前、ホモ・サピエンスが40万年から25万年前の誕生だとすれば、藻類から始まった植物の歴史の長さには驚きます。尊敬です。

私は今更ながら、花々を美しいと眺める以外に、その生き方が独特であったことに感動しました。
「植物は動かないことを選択した生物なのです」
いわれてみればその通り当然目にしていることなのです。
それが自衛のため、子孫を残し繁殖するため巧みな戦術を使って生き延びてきているのです。土に根付き動かないでいるということを知ると何か改めて驚異的なことだと思われます。
生物の共通の属性として
*自らの生存と成長のための物質代謝、エネルギー代謝ができること
*自己を複製した次世代に受けつくこと
と挙げられています。
自衛のために植物がとる生き方が人間にとっては「贈り物、めぐみ」になって今日に至っています。

バイオテクノロジーの急速な進歩はこの2.30年のことだそうです。ハイテク機器と科学知識の進歩によって植物からますます多くの恩恵を受けることができるようになりました。

古代には医術や薬草の知識は神秘的なものに感じられていました。
いま様々な物質の薬効が解明され、あちこちから声高に、植物由来という言葉が絶え間なく聞こえます。
違った道を歩んできた西洋医学と東洋医学が歩み寄り、合成して作られる化学薬品と、植物を用いる医療との違いは、西洋医学は病んだ細胞や組織を狙って正常に戻すところから進んできました。
一方東洋医学は患者の体全体を対象にしたシステムで、それは伝統的に受け継いできた知識を重視することでした。今ではそれぞれに長所短所を全段階で見極めるシステムも進み次第に見直されているようです。

植物はなぜ薬を作るか。植物が生きのびるためなのですが、それがますます多くの薬を提供することになりました。また遺伝子研究が進みそのゲノム構成が少しずつ明らかになり、DNAを組み替え、利用価値の高いものが人工的に作られ市場に出回るようになってきています。

たとえとして青いバラやパープル・トマトの例が上がっています。

新しい世界が開けること、抗がん剤の研究が進むこと、ニコチンやアルカロイド系の麻薬の功罪など、化学式を用いて組織図を著し、効力のわけ(なぜ効くのか)また習慣性について、一冊の新書にはマダマダ収まり切れないほど植物の持つ力について学ぶことができました。
解明されていない多くの可能性について何年か後には新しい本が出るかもしれない、楽しみにしています。

子供の頃に見た花を探して歩いた経験が、珍しいクララやシャボンの木、塩っ辛い実のなるヌルデなどのことを思い出し、煎じて飲まされたゲンノショウコやセンブリの苦さまで思い出し「君たちは美しいうえに偉いのだ」と見かけたら声をかけようと思っています。

分子式は化学式というし亀の甲の名称はベンゼン環というようだ、光合成って化学式で書くと難しいのね、なんて思い出したのか初めて知ったのか、この本はおもしろかった。


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「裁判の非情と人情」 原田國男 岩波新書

2017-06-17 | 読書


第65回日本エッセイスト・クラブ賞受賞
命の不思議についてよく考える。最近読んだ“ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか”
それはヒトの歴史とともに心の歴史が大きな比重を締めた内容だった(なかなか感想文が書けないけれど)

先日偶然この本を見つけて読んでみた。裁判を傍聴したこともないし直接かかわったこともないが、推理小説では最後は法廷シーンで解決することも多い。それなりになんとなく雰囲気がわかるようになってきた。
また以前法務省に勤めている人と親しくなった、ご主人は大学の、システム工学の研究者だった。出張が多くそんな時は泊りがけで当時ブンガクについて語り合ったりしていた、忘年会に誘われたので参加すると若い男性が4人ほどいて彼女が上司だそうで驚いた。聞くとみんな検事で、仕事はと聞くと、離婚したり近隣ともめたりするとよくわかると言われた、ずいぶんざっくりした笑い話のようなもので、これはあまり立ち入ってはいかんと感じてそのままになった。中に私の出身地にやけに詳しい人がいて、その支部に勤めていたことがあるという話だったので雑談がそちらに向いた。

前置きはさておき、とても読みやすく、常に大きな権力を行使する、人を裁く側の裁判官に対して身近に感じる部分も多かった。
20件以上の無罪判決を言い渡し、退官後は教える側でまた新しい経験を語っている。裁判官は世情と人情に疎いと語り、周平と鬼平を読みそれを糧にし、映画も見る。イランの実情を映画で知ることもできると「桜桃の味」を挙げ「黄色いハンカチ」「寅さん」「フライドグリーントマト」「HERO」もでる。裁判官は人間観察も必要であり、深い経験がいる。
こういった親しい書きぶりとは別に、量刑の考え方、民犯罪と国民の目線、えん罪について、無罪判決,死刑について、正面から心情を説いている。

真実を知る被告人のみがわかっている(人を裁く、より)
事実認定の本質的な難しさは真実を神のみでなく、目の前の被告人自身が最もよく知っていることにある。誤った裁判をした裁判官は、犯罪者として処罰されるわけではないが、誤った判断により無実の被告人を刑務所に入れたり、死刑に処したりすることになる。そのことは、真実を知る被告人のみがわかっている。


裁判は人を扱う。正しさとはいったいどういったことなのだろう。この本を読んで、いかに良心をのぞき込み経験を積んだ立派な裁判官であっても、その判断領域は被告人一人ひとり異なった背景があり、証拠は観察の調べの中にしかなく、それが間違っているかいないかの判断はやはり神の領域にしかないように感じた。
近年、科学捜査が進歩したことで、多くの冤罪事件が表に出てきている。こういったことも犯罪の防止になればと思う。

名もない顔もない裁判官 という項目がある。確かにこういう本は役に立った。
書類づくりなど煩雑な仕事をこなす術として手控えを詳細に取っておくというのは、読書の感想でも読みっぱなしですぐに忘れることについてとても参考になった。


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「イワン・イリッチの死」 トルストイ 米川正夫訳 岩波書店

2017-06-08 | 読書



トルストイ56歳の作品だ、しばらく休筆した後でもう死を見つめたのか。彼は壮絶なイリイチの死を内側から見ている。気力のあった頃に大作の後で読んだのだが、その頃はあまり記憶に残らなかったが、再読してみた。



まず、イリイチの死が知らされ、裁判所の同僚の噂話から始まる。彼らの関心は空いた椅子に座る人物についてだった。イワン・イリイチはまだ45歳の判事だった。

イリイチがどんなに俗人であったか、トルストイは容赦なく述べる。
彼は秀才で礼儀正しく順調に地位を登っていった。しかしそれには用心して人と付き合い、尊敬され好ましい人物と思われるように、要領よく仕事をした。そのための努力を惜しまずに、方法を自然に身に着けた。
家庭を持ち、妻と子供に恵まれ新しい家を買った。見栄えのよい部屋をあつらえたが、どんなに品よく飾り立てても所詮自分が満足するありふれた範囲から出ることはなかった。それでも十分快適で、俗人であることには気が付かなかった。
気に入っていた妻と、子育ての煩雑さで溝が深まるまでは。

彼の不運は、カーテンを吊るために上がった梯子が倒れ脇腹を打ってから始まった。重苦しい鈍い痛みが次第に強まり舌に変な味がし始めた。

医者は命に別状はないと診断した、不安に駆られ医者を変えて様々に検査をしたが、はっきりとした病名はなく、薬を処方されるだけだった。
だが痛みは増し、死におびえイライラと落ち着かず、すべては周りのせいにした。
気難しい夫を妻も持て余し気味で、家庭も荒れて来た。

動けるうちは見栄もあり生活のためもあって苦痛にさいなまれながら働いていたが、回りの人々の気配も変わってきた。発病して三か月たって、彼は自分の病気を自覚した。

彼の慰めは下男のゲラーシムの変わらない献身だった。痛みの苦痛は増してきたが医者の絶望的ではないという言葉にある、一抹の希望にすがっていた。だがもう耐えられなくなってきた。

心の声と対話を始めた。彼は人生を遡って思う、自分は坂を上っていたつもりが下っているのではないか。次第に命が離れていく。

苦しみながら死ぬのは何か間違ったのだろうか。

二週間後に長女の結婚が決まった。

妻の眼に憎悪を見た。「お願いだ静かに死なしてくれ」
のたうちながらアヘンをのみ束の間の平安の後にまた苦しみ、希望と絶望が交互に襲って来た。

三日間苦痛にうなり続けて彼はやっと気が付いた。
死んだらみんな楽になるのだ。
許してくれというつもりが伝わらなかった。そして今まで苦しめられて来た死という思いが体から離れていき代わりに光が訪れた。


なんてむごい死にざまを書いたものだろう。トルストイという人にとっても、平凡な俗人が死にぬ間際になって初めて光を見出すという、彼の信仰の一つの形が書かれている。

我々は今の人口と同じ数の死の上に生きているという記事を読んだことがある。歴史上に名を遺した人々も、名を遺したという時にはすでに肉体を持っていない。イワン・イリイチの死は誰にでも訪れる普遍的な避けられないものであると同時に一つの典型でもある。

再読にもかかわらず、深い感銘を受けた。

余談だが、夫人が観劇に行くシーンがある。サラ・ベルナールを見に行くという。
そういう時代だったのか、ならその舞台のポスターはミュシャだっただろう、と何か現実味を感じた。


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「美女と野獣 オリジナル版」 ガブリエル=シュザンヌ・ド・ヴィルヌーヴ 藤原真美訳 白水社 

2017-05-29 | 読書


昨年、いつものように遅れて2014年版のDVDで「美女と野獣」を見た。野獣がヴァンサン・カッセル、美女にレア・セドゥ。
このフランス版は少し複雑で野獣に捧げられた心優しいベルと王子のハッピーエンドな、今まで知っていた物語とは少し趣が違っていた。

子供の頃から親しんだ話では
「呪われた野獣は」過去の無慈悲な行いの結果野獣にされていた、雪に埋もれた城に迷いこんだ商人が、持ち帰った一輪の薔薇のために、娘を嫁にするので一人差し出せ、と言われる。親孝行で美しい末娘のベルを連れて行くとそこは豪華な宮殿だった、無口だが優しい野獣と暮らしているうちに、夜になって帰ってくる野獣を一目見ようと、ろうそくをともして近づいていくとそこには輝くばかりの美しい王子が眠っていた、二人は結婚し王子の呪いも解けてめでたしめでたし。
確かディズニーのアニメも似たようなストーリーだった。

これが今まで知られてきたボ-マン夫人が先の版を子供用に書き換えて1756年に作ったという「美女と野獣」だそうだ。


今回のフランスの実写版を見ながら、王子の呪いの部分が念入りで違和感があった、この部分はクリストフ・ガンズという監督が物語を膨らましたのだろうかと思っていた。

ところが、初めの話に戻るが、ヴィルヌーヴ夫人が先に書いた「オリジナル版」を読んでみると、これを参考に作られたもののようで胸のつかえが少し軽くなった感じがした。。

求めよさらば…ではないが偶然はあって、図書館のカウンターで返ったばかりのこの本を見た。なに「オリジナル版」?ちょっとその話の周りを極めてみようかと、降って湧いたような本に手が伸びて、幸い週末の一夜を使って、疲れても休日があるさ、と読んでしまったが。
これは二部構成で、登場人物も多くあっさりと終わるような話ではなかった。

今回の映画、フランス版は、野獣にされた無慈悲な王子ではない、厳しい過去を持つ悲劇の王子で、美しいバラを育て、妖精に変えられた醜い姿で孤独な暮らしを続けている、心の優しさだけで結婚してくれる姫を待ちながら。

なぜ王子はそうなったか。そこで二部に移る。王子が生まれたころ、平和だった王国に邪悪な妖精で醜い老婆が現れ、子供を取りあげてしまう、果ては成長した王子を愛するようになる。当時王国は乱れ王と王妃は他国との紛争で忙しく老妖精を教育係にした結果だった。
取り返そうにも妖精間の力関係もあり、老婆は年の分位が高くて魔力もつよい、過去の秘密はこうして、王や王妃と密かに見守っている庇護者の妖精の語りが入り交じり賑やかな展開になる。

ベルは野獣と一緒に住み始めるが夜になると野獣は帰っていく去り際に「一緒に寝てもいいか」と必ず聞く、何かストレートで(笑)
そのたびにベルは「いいえ」と答える。
ところが、夜になると麗しすぎる王子が夢に出てきて、ベルは夜が待ち来れない。そこで「いいえ」を繰り返していた。

家族に会いに帰してもらったところ、少し離れている間に野獣の命が危ないという。約束の帰る日が過ぎていた。野獣の死を目の前にしてやっと愛情に目覚め、結婚の約束をする。見る見る回復した野獣は「一緒に寝てもいいかな」「はい」と言ったとたん花火が上がるは、石像にされた家来は目覚めるは、お祝いムードが盛り上がる。野獣は夢で見た王子の姿になる。めでたし。
だがここで、駆け付けた王妃が「身分違いの娘は嫁としては認められない」と言い出す。しかし今まで庇護者として見守ってきた妖精が一言「この娘は養子に出してはいたが私の姪です」
まだ人間より妖精の権威が上だった。ここまで来るのに、妖精の家族にも妖精界でも複雑な話があって物語は長かったが、悪い妖精にはいろいろと手落ちがあってなかなか愉快な所もある。

オリジナルだということなのだが妖精の世界の話は少し退屈した。この部分はボーモン夫人が、子供用にカットして書き直したという、この方がわかり易く後世に残った。

2017年版では「ハリーポッター」のハーマイオニー役の「エマ・ワトソン」がベルで評判がいいようだ。

よく見たら白水社だった、が、訳が少し砕けすぎというか話の美しさにそぐわないと感じた。




訳者のあとがきで興味深い部分があったので、受け売りですが。

この話のルーツは、文学的には先駆の作品が多く書かれていたことに影響を受けていますが、なにより面白いのは14世紀に書かれた「愛情地図」というものです。三本の川が描かれ、今風に言えば川は、資産か知性か美貌かを表すものとなるのでしょうか。まっすぐな川は「一目ぼれ」を表し、周辺には才気や心遣い、感謝、服従、等々、恋愛の要素を備えた町があり、人々はこの地図を見ながら語り合ったそうです。もう少し詳しく書かれていますが、こういった要素は、あと後まで波及して多くの文学作品に影響を与え、この「美女と野獣」にも取り入れられているようです。人間である限り、恋愛の形というのは、複雑な感情がもつれ合って物語を創り、大昔から、たぶん今でも尽きない恋愛ルートの線上にあるようですが、当時は地図を見ながらサロンの話題が尽きなかったようで、ここでも目に見えるものに弱い人間を書いたようだと結んでいます。先のヴィルヌーヴ夫人の作品はそういった文学性を踏まえていますが、後のボーモン夫人の作はすっきりして「美女と野獣」の恋物語であるのがわかりやすく今に残っているとのことです。。

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