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「海に住む少女」 シュベルヴィエル 永田千奈訳 光文社古典新訳文庫

2017-01-07 | 読書


シュベルヴィエルはウルグァイで生まれたが、1歳前に両親が相次いでなくなり、フランスの祖母に預けられる。その後ウルグアイにいた伯父夫婦にわが子のように育てられるが、また養父母と一緒にフランスに帰る。

何度もフランスとウルグァイを行き来して、彼の人となりは二つの国と帰る場所を持つことになった。
それを知ってみると解説にあるように、作品にいつもにじみ出てくる裏の顔に気づく。
美しい幻想的な風景の中に深い孤独が潜んでいるが、それはそのまま死後も浄化されることがなく続いていく。

死の後には安らぎではなくまだ意識がある命と宿ったままの魂が死後の世界の中でも孤独を引きずっている。
昨年読んだ、オースターが書く孤独は、孤独を抱えたまま人は消えてしまう。孤独に取りこまれた形、孤独を抱えたままで消滅して後には何も残らない。

だがこのシュベルヴィエルが書く孤独は、死後も離れることがないものが多い。人行き場のない深い悲哀と人の心の底に潜む希望や望みや悪意は、形を変えて短い物語になっている。
とても読みやすく薄い本だったが後々まで残る、悲しさと美しさとが書かれている。

 「海に住む少女」
美しい題名に惹かれてこの本を買ってあったが、美しいのは幻想的な海の街並で、そこにたった一人で住む少女は、寂しさを纏ったカゲロウのように存在する。遠い海に船影を見るより先に、少女はコトリと眠ってしまって町と共に海深く沈んでしまう。誰もその街を見たことがない。なぜ町があって少女が住んでいるのか、それは他の孤独からの投影で、二重写しになった悲哀が短い作品に結実している。

「飼葉桶を囲む牛とロバ」
ベツレヘムでキリストの誕生を見守った牛がいた。生まれたばかりのキリストに暖かい息を吹きかけて見守ったが、神の子の誕生を知った世界中の動物たちが祝福する中で、角を持った自分の醜い姿を恥じて死んでしまう。当時ヘロデ王が二歳以下の子供を皆殺しにせよという命令を出し、それを夢で見たヨセフはエジプトに逃れロバは伝説になった。
誕生を祝って訪れる動物の話は今でも語り伝えられるものもあって、それぞれの動物がとても優しく美しく描き出されている。死んで行った牛を見守る牡牛座も天に輝いている。

この牛のことが分からないので、買い物のついでに本屋によって、キリストや聖書の本を開いてみたが(ちょっと立ち読みで)何も書かれていなかった。うちにある旧新約聖書(たまたま布教に来られた牧師さんからいただいたものです)のマタイ伝を読んでみたが、やはり牛は出てこなかった。あとがきで「偽マタイ福音書」が出典らしいとあり、それに肉付けしたのはシュベルヴィエルだろうということだった。先に読む解説を珍しく後回しにして、時間をかけて遠回りをした。

「セーヌ河の名なし娘」「空の二人」「牛乳とお碗」は死後も命と魂は生きている何か不思議な世界。

「競馬のつづき」走り続けて河に落ち、馬になってしまう。

「ラニ」顔の半面をやけどして醜くなり、逃げたラニが、寂しさの末に村に戻ってみる。やはり人は自分を避ける。彼は自分の「もしや…」が空想だと知り叫ぶ「去れ!」

ことが全て落ち着くと、何億倍も孤独になったラニのそばには、(これから生きていくべき残りの人生)が、蛇のようにとぐろを巻いているのでした

「バイオリンの声の少女」
出す声がみんなバイオリンの音になってしまう。黙っていても呼吸が息が和音にになって漏れる、ひっそりとできるだけ静かに暮らしていたが、父親に夕食に送れたことを叱られて、不満を持つと声が戻ってきた。

「足跡と沼」
悪意で人を殺した。それでも罪を隠そうとしたが不用意な一言で捕まった。珍しくピリッとした最後の一言が効いている。

「ノアの箱舟」
ノアの舟に乗せられなかったものの恨みの声を聞きながらも、乗せられた動物たちの態度が旅が長引くに連れて変わっていく、ノアは何か弱弱しく「どうしようもないことはどうしようもない」というばかり。何処までも泳いでついてくる男が天使の働きで二匹のネズミイルカになる、という少し滑稽で、自然な真理が面白い。





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「つむじ風食堂と僕」 吉田篤弘 ちくまプリマー新書

2017-01-04 | 読書


新年明けましておめでとうございます。今年もエンタメ、文芸書その他もろもろとり混ぜて、楽しみながら読んでいこうと思います。下手な写真も続けますので、よろしくお願い致します。
皆様にとっても穏やかで、希望が叶うよい年でありますよう。

****

新しい年にふさわしい本でした。人々の暖かさと一緒に12歳になる主人公のリツ君が、私にもあった昔を思い出させてくれました。

市電に乗れるようになったリツ君は、二駅先にある月舟町の桜川商店街の角にある「つむじかぜ食堂」に来る人たちの話で成長していきます。そこは十字路の角なので、時々つむじ風が吹いて白い暖簾が巻き上がって揺れています。

昔からあるレトロな商店街に、懐かしさを覚えながら、私の子供時代にあった駅の踏切の両側に延びていた商店街を思い出しました。

リツ君だって過去の時代はあった、ぼくの「むかし」だ。生きていれば将来があることも知っている。それは少し不安でさびしい。

ここに来る人は近所で商売をしている人が多い。それで「商売はおもしろい?」と訊いてみる。

リツ君の家はサンドイッチ屋で「トロワ」という。お父さんが三度目の転職で落ち着いたからそんな名前になっている。
お父さんのおかげで「転職」や「失業」、「ニート」「フリーター」「リストラ」という言葉を思え何処となく、将来が不安になってきた。

質問に答えてくれる人たちは自分の商売を愛していて、楽しそうで、前向きで、「いいだろう、凄いんだぜ」と言う人もいる。
でもリツ君は12歳で、将来にかすかな不安を感じている、マダマダ知らない世界が多すぎて迷っている。
そんなリツ君に自分を重ねていとおしくなる。将来大人になっても、分からないことばかりでますます不安になることも多いよ、なんてことを言って怖がらすのはやめておこう。

リツ君は「つむじかぜ食堂」で暖かい人たちの輪に恵まれている。いまは何かモヤモヤして、かたちにならないものを抱えているかもしれないけれど、いつか遠い先になって、それが何かの形になっているかもしれない。

私の商店街はもうない。大きくて広い道にお店が並んで何でも揃ったあの店も、空き地もなくなって、お風呂屋もなくなって、小さな店の呼び込みのかけ声が響いていた市場もない。

そのころなにかもやもやを、抱えていただろうか、リツ君を見ていると子供の世界を置いてきたような気がする。




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